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第一章【失楽園】
2 謎の歌声(5/1 挿絵追加)
しおりを挟む「階段……?」
そこには古い螺旋階段があった。
むき出しのコンクリート壁に囲まれた狭い空間にひっそりと建っている。広さはおよそ四畳半くらいだろうか。階段は四階の高さまで続いていて、首を巡らせて最上部を確認すると、入口と同じ鉄扉がつけられていた。
「……まさか、屋上に続いているのか?」
そう言葉に出した彼の口許には笑みが浮かんでおり、心なしか瞳も輝きを増している。たかが屋上ごときで……と思うかもしれないが無理もない。
この高校には、生徒が屋上へ向かうための経路がなかったのだ。
近年問題になっている事故防止からか、校内の階段の途中には、使われなくなった机や椅子などがバリケードとして行く手を阻んでいる。
勿論、上に設置されたソーラーパネルや貯水槽の定期点検が必要なので、その際には退かしているはずだ。
しかし通常は、立ち入らないように頑丈に固定されている。これらを乗り越えるのはなかなかに困難だ。
もし突破できたとしても、その先にある扉には鍵がかかっていて、なおかつドアノブが回せないよう鎖でしっかりと固縛されている。
こんな状態ではほぼ不可能といえよう。
誰もが一度は学生のうちに屋上で昼休みを過ごしたり、サボったりするのを思い描いたことがあるだろう。そういった憧れから、無謀にも挑戦した生徒が何人かいたが、屋上に行けた者はいなかった。
「これ、まだ使えるかな……」
見た感じではかなり年数が経っている。おそらく旧校舎のときに設置されたものだろう。手の甲で軽く叩くと、細かな破片がパラパラと剥がれ落ちた。恐る恐る一段目に片足を乗せて体重をかける。
「お、意外と丈夫そう」
外見は古いが頑丈な造りらしく、思い切り踏み込んでも鉄板が外れる様子はない。このまま進んでも大丈夫そうだ。
壁には窓がなく明かりもついていないため、スマホのライトを頼りして慎重に上がっていく。
最後の段を登りきって扉の前に立ち、ドアノブを掴んで軽くひねると回転した。
「鍵……は開いてるか」
押し開こうとしたとき、向こう側から聞こえくる声に気づいた。どうやら自分の他にも、この秘密の場所を知っている者がいたようだ。
――なるほど……ダンボールが動いてたのはこのせいだったのか。
歌声と気づいたのは少しあとで、扉越しに聞こえてくる声に耳を澄ます。ぶ厚い鉄の塊で遮られているため、歌詞は不明瞭だが耳触りの良い男の声だ。
一体どんなやつなんだろうと胸を弾ませて扉を開けた。
現れた光景に悠介は絶句する。
――もも、せ……だよな?
一瞬わからなかった。
教室の隅で気配を押し殺している時とは変わり、いきいきとした様子で柵に両腕を乗せて口ずさんでいる。
風に乗って声の波が流れ込んできた。張っているわけではないのに力強く、細い身体とは相反した低い声だ。
いつもと違う彼の姿に面食らった悠介は、その場から動くことができずにいた。
舞い上がる前髪の間から見える横顔は、どこか憂いを含んだ表情をしている。眼鏡のレンズの奥にある丸い瞳は、墨汁を垂らしたかのように漆黒に染まり、仄暗い悲しみを抱いているように感じた。
「…………っ」
よくわからないが、彼を見ていると胸の辺りが締めつけられる。一見、楽しそうにのびのびと歌っているが、醸し出す空気の中には哀愁が混ざっていた。
――なんで、こんなに悲しそうに感じるんだ……?
目を離せばふらっと消えてしまいそうな儚い雰囲気だが、それに対して歌声には内に秘めた強さや情熱が現れている。
本来ならば別々なものが、共に存在している。そんな不思議な空気感の飛鳥に、悠介は心を掴まれてしまった。
しばらくの間、愕然と口を開けたまま歌声に聞き入っていると、悠介の気配に気づいたのか、ふいに飛鳥が振り向いた。
お互いの視線が交差した数秒後、ようやく悠介の存在を認識したらしい飛鳥は、丸い瞳を見開いてピタリと動きを止めた。
みるみるうちに顔がさあっと真っ青になっていき、先程までの堂々たる姿はどこへやら、いつもの臆病な彼に戻ってしまった。
その変貌ぶりに我に返った悠介は、飛鳥に声をかけようと手を伸ばした。
「おい、おまーー」
言い終わらないうちに扉の付近に立っていた悠介を押しのけ、飛鳥は脱兎のごとく屋上から走り去っていく。
うわっと声を上げ、悠介は押されたはずみで尻もちをついた。足音がしなくなるまで、彼が通り過ぎていった階段を呆然と眺めていたが、ふっと顔を屋上に向けてぽつりと呟く。
「何だったんだ今の……夢じゃねえよな」
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