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第一章【失楽園】
1 秘密の扉
しおりを挟む下校時刻をとうに過ぎたにも関わらず、ひとけのない校内をうろついている人影がいた。
斜陽を浴びる頭髪は赤みを帯びて煌めき、光の当たる角度が変わるたびに赤からオレンジへと色味が変化している。夕日をそのまま切り取ったような美しいグラデーションだ。
赤い髪をなびかせている彼は、両手をポケットに突っ込みながら軽い足取りで闊歩していた。我が物顔で歩く様は、この高校を牛耳る王様のようにも思える。
大げさかもしれないが、あながちその敬称は間違っていない。
彼――東道悠介は、この学校で知らぬ者はいない御曹司として名を馳せていた。
一見、近寄りがたい派手な見た目をしているが、それに反した気さくな性格とどこか憎めない愛嬌があることから、常に多くの生徒に囲まれている。容姿もさることながら、頭の回転が速くコミュニケーション力に長けているため、教師陣からも一目置かれていた。
まさに、皆が想像する才色兼備な御曹司そのものだろう。
先程から宛もなくぶらついていた彼だが、ふと一室の前で足を止めた。
表にかかっている札には、剥がれかけた文字で「A棟―106 資料室」と書かれている。
札を一瞥すると再び歩き出した。廊下の突き当りにある非常口まで進み、錆びた鉄扉を開けて裏庭へと回り込む。数メートルほど歩いたところで、ようやく歩みを止めた。
辿り着いたのは――資料室の裏手側だ。
辺りに誰もいないのを確認すると、窓に近づいてなんの躊躇いもなく手をかけた。
どうやらこの窓の鍵は壊れていて、簡単に外から開けられるらしい。
不用心だが、校舎を改築したばかりのため、修繕する費用が残っていないのだろう。そもそも資料室に忍び込もうと考える者なんていないはずだ、と教師陣は思っているようで気にもとめていない。
開け放つと、サッシを踏み台にして軽い身のこなしで侵入した。
――この前、先生の手伝いで来たときに気づいたんだよなぁ。
フッと笑みを漏らしつつ、窓を締めて薄暗い室内を見渡す。
さすが資料室と銘打っているだけあって、立ち並ぶアルミ製の棚には分厚い本やファイルが詰められている。ここには校史や歴代の受験の資料など、めったに使わないものがしまってあるらしい。
随分と空気が埃っぽいが、一時の休息には十分だ。
「……ようやく一人になれる」
気だるげに言い、壁際にある年季の入った革張りのソファに背中を預けて、仰向けに寝転がる。枕の代わりに頭の下で腕を組み、大きなため息をついた。
「ったく、どいつもこいつも金目当てなの見え見えなんだよ」
苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる。
彼はかねてより、己を取り巻く環境にうんざりしていた。
昔から、近づいてくる人々は金の盲者ような者ばかりだった。社長の息子である自分に気に入られようと、数十歳も年下の少年に低姿勢でごまをする様は、幼心ながら滑稽に見えた。
それは大人だけではない。
玉の輿を狙う女子生徒たちや、人脈を手に入れるために年がら年中ひっついてくる同級生もいた。
そのような環境が嫌で、高校からはエリート御用達の私立高校ではなく、家から一番近い県立高校に編入したのだ。
だが、ここでも本当の意味で悠介を見てくれる人はいなかった。
教師陣も友人たちも、所詮、"御曹司"という肩書にしか興味がない。
以前、友人たちが話していたのを聞いてしまったことがある。
転校してきたばかりの頃のことだ。
『マジであいつ便利だよな。すげー金持ってるし』
『ほんと、ユースケ様々だぜ。俺たちの大切な友達様』
齢十五歳にして、自分は都合のいい友人にしか見られていないことを知った。
「いつもいつも財布扱いしやがって……いいぜ、そんなに言うならお前らの思う財布に、とことんなってやろうじゃねえか……!」
ということで、開き直った悠介は彼らが望む友人を演じて、自ら進んで奢っていった。その代わり、悠介も友人たちを金に群がる友人として接するようになった。
自我のない人形と思っていれば、過度に期待して幻滅することもない。これ以上自分が傷つくのを恐れたのだ。
それ以降は、他人に深く踏み込むことを避け、広くて浅い関係を築いてきた。
未だに自分には、心から友人と呼べる人はいない――
「本当の意味で、俺を見てくれるやつはいねぇのか……」
両手を組んだまま首を後ろにのけぞる。
ふと、視線の先に映る景色に違和感を感じ、身を翻してソファから降りた。
「ダンボールが……動いてる?」
資料棚の隣に積んであった、箱の中段部分が不自然に飛び出ている。数日前に来たときはきれいに揃っていたはずだ。確かこの箱には、破棄予定の資料が入っていると教師が言っていた。
破棄するにしても、箱ごとまとめて持っていくだろう。このような中途半端な状態で放置するのは少しおかしい。
不思議に思って上段を取り除くと、なにやら灰色の壁が垣間見えた。
全ての箱を移動させると全貌が現れた。
「……なんだこれ」
てっきり壁と思っていたが、それは古びた鉄製の扉だった。扉の半分は棚に遮られており、仮に開いたとしても一人がぎりぎり通れる分のスペースしかない。
しかもよく見ると取っ手がついておらず、はじめから使用する気がないのがわかる。
「改築のときに取り忘れたのか、それとも費用節約のためにあえて残したのか……」
呟きながらそっと扉に触れる。どちらにせよ、もう使われることはないだろう。
「……これ、開くのかな」
グッと手のひらに力を入れて、試しに押してみる。
「うおっ……開いちまったよ」
ギィという金属の軋む音が静かな資料室に響き、冷たい空気が隙間から流れ込んできた。得体のしれない空間に恐怖を抱くが、同時に好奇心も掻き立てられる。
ええいままよと、悠介は思い切って足を踏み入れた。
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