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一章 Nid=Argent・Renard

117 劍 ◆ AKIRA 恭姉と〝お古〟

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XX17年 6月

ぼくが恭さんの事を「恭ねえ」って呼ぶようになって。
ぼく達の間には、暗黙のルールが出来ていた。
「二人きりの時しか恭姉って呼ばない事」
深い意味は無い。当り前だけれど、棕矢そうやと恭姉は物凄く仲が良い。だから棕矢の前だと…気が引けちゃうんだ。親しく呼び合うのは悪いんじゃないか、って。
でも本当に、それだけ。
恭姉はそれを判ってくれていたんだと思う。あれから呼び方については、何も言わなくなった。
あ…。あと特別な呼び方が「二人だけの〝秘密〟」って感じで。
毎回、声を掛ける度にドキドキする。それが何だか、楽しかったんだ。

   *

呼び方を変えてから、良かったと思う事がある。
一つ目。遠かった心の距離が、少しでも縮まったと思えた事。
お互い、緊張の壁が薄くなった気がして、嬉しい……嬉しいんだけど、時々それが無性に恥ずかしくなって、変に強く当たっちゃうんだよな…。ぼくの悪いところ。
二つ目。会話が増えた事。これは恭姉だけじゃなくて、棕矢とも。
だから必然的に、二人の性格や好きな事、嫌いな事が少しずつ判り始めた。
その中でも、特に今、気になっているのは〝恭姉の感覚センス〟がとても優れている、という事だった。会った時から「細かいところまで、よく気付ける人」だと思っていたし、服装だって毎日、凝ったお洒落着を着こなしている。打ち解けてきて、色んなことが明白になってきて。改めて意識して見ると、色んな場面で「凄いなあ」って思うようになったんだ。

   ***

そうやって、少しずつ、少しずつ。心を開ける時間が増えた頃。
恭姉がぼくに言った。
あきら君、ちょっと来て?」
棕矢が買い物をしてくる、と出て行ったばかりの昼下がりだった。
「な、何?」

恭姉は、ウインクすると
「ふふっ。良いから、良いから!」とか言って、ぼくを拉致した…。

拉致され…恭姉の部屋に、監禁されてしまった、ぼく。…は、大袈裟だけど。
恭姉の部屋のドアを開けると、ちょっと甘い香りがする。
……いつも…良い香り。女の子って、皆こんななのかな。
孤児院に入ったままだったら気にも留めなかったし、ずっと気付きもしなかったのだろうか。
「わっ!」
突然、手に温かくて、柔らかいものが触れ、びっくりした。
「ほら! ぼーっとしてないで!」
恭姉だった。手を引かれ、部屋の中まで入る。
「こに座ってて頂戴ね!」とベッドに座らされ、そして彼女は、何やら張り切ってクローゼットの中を、ごそごそ漁り出した。
……な、何してるんだろう。

ほんの束の間。
「じゃん!」
一着の服をハンガーに吊るしたまま、片手で持ち、ぼくの方を向いた恭姉。もう片方の手にはズボンらしき布が抱えられている。
「…え?」
ちょっと警戒態勢。
あきら君に、絶対に似合うから!」
……そういう事?!
「ね?」と、にっこりされる。う…。何か…笑い方が棕矢そうやみたい。
「そ…その服は?」
恐る恐る訊くと、彼女は得意そうな表情かおで言った。
「お兄様の幼い頃の、お洋服よ!」
「……」
目をパチパチする、ぼく。どうして彼女が〝お兄様の幼い頃の、お洋服〟を持っているのか。しかも、どうしてそんなに得意気なのか…どっちも不思議でならない。
…と、それを見透かしたかのように、実に良いタイミングで彼女は答える。
「ふふ。〝劍君が着られそうな服、持ってない?〟って訊いてみたの。お兄様、何かの為って、昔の服、暫く取っておいていたらしくって」
いつまでも捨てられないだけかしら、なんて笑っている。棕矢って何歳? それ…暫く、って度合レベルじゃないよ。
「それに劍君だって、そんなにお洋服、たくさん持ってきたわけじゃないでしょう?」
悪戯っぽく首を傾げた、お姉さんの用意周到さに、ぼくは圧倒されるばかりでした。

   *

少しの間、着替えを拒んでいた、ぼくだが…。
結局、最後は押されて渋々、棕矢の〝お古〟を着てみる事となった。
……やっぱり恥ずかしい。
「大丈夫! 後ろ向いててあげるわ」
渡された服を抱えたまま、ぴくりとも動かないぼくに、恭姉は呑気に言う。
いや…そういう問題でも無いんだ。顔が熱い…ぼくは、今きっと顔中真っ赤なんだろうな。ぼくは、無言で着替えるのが精一杯だった。
「…き、着たよ」
「後ろ、向いても良い?」
「……はい」
くるっと振り返った少女の表情かおは、とても嬉しそうで…プラスの感情に満ち溢れている感じだった。お花みたいって例えが似合うくらい。
「凄い凄い! 劍君、とっても似合ってるわ!」
恭姉は、今にも飛び跳ねんばかりに喜んでくれた。だから、ぼくも嬉しくなる。くすぐったい。

誰かが〝ぼく〟の事を考えてくれて。それに、ぼくも、ちゃんと応えられて。結果、その〝誰か〟が喜んでくれること。心地好かった。

でも、あまりに褒めてくれる目の前のお姉さんのせいで、段々照れ臭くなって…その喜びように、ぼくの方が後ろを向いて、顔を隠したくなった。
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