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一章 Nid=Argent・Renard

84 裏の棕矢 ◆ The back side of Shoya タイプライター

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コンコン

俺は窓を叩く。
ここは、反対側のみせ。祖父母の寝室の窓。

……?

いつもは、ノックして少しすると何かしらの反応があるはずなのだが…
「まさか…」反応が無い。今夜に限って。どうして…

胸騒ぎがする。いや正確には、今朝から何か嫌な予感がしていたから、こうやって様子を見に来たのだが…。

やむを得ず、俺は術で室内に入りベッドに近付いた。

「おじいちゃん…!」

……あれ?

いや「おじいちゃん」で間違いは無い。しかし、彼は反対側の祖父。
でも今、自然と口から出たのは「おじいちゃん」と呼ぶ俺の声だった。


「…大丈夫か?」

今度は、小声で声を掛けてみる。
やはり反応が無い。

……そんな。

急に嫌な想像が膨らんで、猛烈な不安感に襲われる。
咄嗟にしゃがみ込み、祖父の顔を覗き込んだ。

……あ。良かった。
横たわる祖父は一応、目を開けていた。大丈夫。ちゃんと呼吸もしている。

そこでやっと俺を見詰め返してくれた、お祖父様。
けれど、俺を映したのは、とても弱々しい瞳だった。
少し痩せたかも知れない。前回来た時よりも、目元が落ち窪んでいる気がする。


「大丈夫か?」

もう一度、訊ねる。

「…ああ」

今度は、辛うじて聞き取れる声が返って来た。
少し安心する。
…と、突然。彼はおもむろに、窓際を指差した。

「え?」

「そこにある、タイプライターを持って来てくれないか?」

彼は静かに言った。

「う、うん」

指差された方を見ると部屋の角、机の横の小さな木製の台に、タイプライターが置かれていた。


「この台は?」

「頼む」

「うん」

俺は祖父の寝ているベッドのすぐ傍まで、タイプライターを台ごと運ぶ。


「有り難う」

そう微笑んだ〝おじいちゃん〟の声は、しわがれていた。
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