銀狐と宝石の街 〜禁忌のプロジェクトと神と術師の契約〜

百田 万夜子

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一章 Nid=Argent・Renard

76 祖父 □ grandfather さようなら惺

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「いらっしゃいませ」

「こんばんはー」

「ああ、これはこれは」

店主マスター! 朗報、持って来ましたよ!」

「ああ!」

笑顔で、元気良く入って来たのは、実家が養子縁組の斡旋あっせんをしているという、例の客だった。朗報と聞いて、私の胸が躍り出す。

「外、寒かったでしょう? さ、お掛けください」

私はカウンター席をてのひらで指し、彼に座る様、勧めた。
彼の話によると…実家から募集を掛けたところ、想像以上に早く「引き取りたい」と言う手紙が届いたと言う。差出人は都心の方にきょを構える若い夫婦で、収入や生活面においても安定した家だそうだ。
その夫婦に連絡を取ってみると「一刻も早く子供に会いたい」と懇願していた為、現時点で既に、諸々の手続きは殆ど済んでいるとの事だった。


「良い方達だって、お袋が言ってたよ」

「そうか。専門家のお墨付きなら、安心だな」

「ええ、店主マスターも…これで少し、肩の荷が下りるかな?」

「え? あ、ああ。本当に助かった。常連様な上に、私的な事にこんなにも協力してくれるなんて…君は恩人だよ」

「恩人って…もう、おだてても何も出ないですからね」

「いやいや、何か出すのは私の方だろう。急だったのに、本当に有り難う」

「いいえ! とんでもない。店主マスターにはいつも、お世話になってますから。俺も力になれて、良かったですよ」

…それから私は、彼が持って来た書類に記入、署名サインした後、それを預ける。

「では。後日、あきら君をお迎えに上がります」

一応、業務対応なのか、突然、別人の様にかしこまって言う彼の姿に釣られ

「はい、宜しくお願い致します」とこちらも堅苦しく頭を下げる。

彼は真面目な表情かおで頷いた後、カップに残っていた茶を一気に飲み干すと「じゃ、店主マスター! お勘定、お願いします」と笑顔で立ち上がった。


  ***


某日。彼と、彼の母親らしき女性が約束通りあきらを迎えに来た。
二人と事務的な会話を、いくらか交わした後、私は惺を引き渡した。
正直、寂しさだってあった。勿論あったが、それよりも惺には〝新しい人生を謳歌して欲しい〟と言う気持ちの方が強かったから…きっと私の中に未練は無かったと思う。ちなみに。惺は術で眠っている状態で二人に引き渡したが、途中で目覚める様に施した。

「行ってらっしゃい……さようなら、惺」
惺を乗せた車は走ってゆく。新しい家族のもとへ。


  *


翌朝。件の会社から「無事、惺を夫婦に引き渡すことが出来た」という旨の電話があった。受話器を置いた途端、鼻の奥がつんと痛んだ。







ある日、私は例の孤児院に電話を掛けていた。受話器を耳に当て、暫く待つ…。緊張しているのか、何だか変にそわそわとする。

「はい」

事務的な堅い声色の女性が出た。

「突然、申し訳ありません。私は……」名と住所、自分は工匠こうしょうだと伝える。

「え、あ…その。い、院長に代わりますので、このままお待ちくださいませ!」

受話器の向こうで、バタバタという足音と、何かを蹴飛ばした様な音がした。
……ふふ。また。
全く。街の者達は、工匠わたしたちを一体何だと思っているんだか。A氏達も以前愚痴を溢していたが、いつも私の正体が判ると相手側は皆、大抵こういう反応をするのだ。「何も、そこまで恐縮すること無いのに」と毎度、思うのだが…やはりこちらが特殊な職業上、どうしても立てられることになるのだ。
勿論、嬉しいし、誇りにも思うさ。しかし極論、工匠だって同じ人間だ。流石に何の変哲も無い一般人…とは言えないが。それでも正直、一般人みんなと変わらないと私は思っている。あくまで私はね。
それに、たとえ良い意味であっても差別的な態度には、時々寂しくなるんだ。

「工匠だって貴方達と同じなのになあ…」なんて。失礼。話が逸れましたね。


それから少しすると、穏やかな丸みがある声の女性が出た。

「大変、お待たせ致しました。院長のDです」

「いえ。お忙しいところ、突然申し訳ありません。実は…」

私は、Dさんに「あきらを引き取って貰えるかどうか」を交渉した。不審がられぬ様、あらかじめ用意しておいた〝それらしい理由〟を添えて。
…結果、とても親切なD院長の了承を得られ、更に今後の詳しい予定まで決めてくれた。私は、彼女の対応に心底感動していた。この短いやり取りの中で、依頼人が工匠だからという理由でなく、素直に劍を迎え入れよう…と言う感情がひしひしと伝わって来たからだ。


……劍。お前にも、良い家族が出来そうだぞ。

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