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〇章 招かれる
08 惺 ◇ AKIRA もう一人のアキラ
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あの開けた部屋に入る。
そこには、カウンターの中でグラスを拭いている棕矢と、古風な洋書に目を落とす恭さんが居た。こちらの足音に顔を上げ、安堵の表情を向ける二人に挨拶をする。
「彼等は、何もかもが絵になるなぁ」なんて沁み沁みとしながら…。
取り敢えず、具合が良くないと言う理由を付け、早々に部屋へ戻ろうか…〝彼〟も待ってくれている。…なんて。嘘か真か、こんな曖昧な理由。
……きっと、この二人の事だ。「取って付けた様な科白だ」と、お見通しでしょうね。
けれど、そんな上辺ばかりの理由を伝えると、恭さんは顔色ひとつ曇らせる事無く「食事は?」とだけ訊ねてくれた。
が、僕は、ただ首を横に振ることしか出来なかった。
今、僕の瞳には……。
明るい時の〝そこ〟は、初めて見た時とは、全く違うところの様に映っている。
穏やかな喫茶店でも、薄暗い洒落た酒場でも無い…。
でも、言葉に表せずとも、独特な雰囲気を漂わせる、落ち着いた空間。
見慣れてきた筈の場所なのに…
やはりそこは、まだ〝別世界〟なのである…。
……そして、それは時に。この心を締め付ける。
*
部屋に戻ってみると…。先程の少年は、部屋を出て行った時から微塵も動く事無く、ベッドに腰掛けていた。
「待たせてしまいましたね…」と苦笑を浮かべると、彼は小さく首を振って否定を示す。
「では…話がある、と?」
部屋の南側にある出窓の縁に腰掛けながら、静かに訊ねる。それに「ああ」と口を開いた彼は〝先程〟と同じ瞳をしていた。
「お前は…あの手紙を不審に思わなかったのか…?」
そして開口一番、突飛な質問であった。
あの手紙。初めてここに来た時に見せた、手書きの地図と、ここの鍵が入っていた封筒のことを指しているのだろうか。
「不審ねえ…僕は、ただ受け取っただけですよ。ああ…でも、その…直接じゃなかったですけどね」
「ほう…」
ちらりとこちらを、紅が見遣る。
「直接でない、か」
「はい。僕はここに来る前まで、孤児院に入っていたんですよ」
僕は、遠くを見ながら呟いた。
それから「だから直接でなく、保母さんを介して受け取ったのだ」と付け加えた。と、それに、ぴくりと彼が身じろいだのが判った。
「孤児院…」
……どうしたのだろう?
「さて、その話題を挙げたからには…何か?」
僕がさり気なく促すと、少しの間の後に肯定の頷きが返ってきた。
「名前……」
それは、とても小さな声だった。
「名前…?」
「まだ…俺の名前、お前…知らないだろ」
また脈絡無し。拙く機械的に話す彼は幼子の様でもあり、寂しそうでもあった。初めて顔を合わせた時の人物とは、別人の様に思える程。脆く、今にも壊れてしまいそうに見えたんだ…。
それきり黙ってしまった彼に、更にその先を促す。
「ああ、失礼しました。そう言えば、お訊きしていませんでしたね…」
そう言って、柔らかく微笑んでみる。
「因みに、こちらの名前は把握してくれて…」
言い終わらない内に、頷きと共に彼は、ぽつりと言った。
「アキラ」
「はい、惺ですよ。僕は」
「そ、そうじゃない…アキラ」
「はい?」
「俺も…劍だ」
その言葉に、一瞬息を呑んだ。
「君も、アキラ君…なのか?」なんて、繰り返し訊いてしまった。
素直に頷き、こちらを見詰めた彼は…その表情は…どこかで、見た事のある顔だった。
「幼き頃の〝自分〟…か」
もうひとりのアキラは、僕の部屋から出て行った。
「あの手紙は……俺が送った…」と、目を合わせることも無いままに。
そこには、カウンターの中でグラスを拭いている棕矢と、古風な洋書に目を落とす恭さんが居た。こちらの足音に顔を上げ、安堵の表情を向ける二人に挨拶をする。
「彼等は、何もかもが絵になるなぁ」なんて沁み沁みとしながら…。
取り敢えず、具合が良くないと言う理由を付け、早々に部屋へ戻ろうか…〝彼〟も待ってくれている。…なんて。嘘か真か、こんな曖昧な理由。
……きっと、この二人の事だ。「取って付けた様な科白だ」と、お見通しでしょうね。
けれど、そんな上辺ばかりの理由を伝えると、恭さんは顔色ひとつ曇らせる事無く「食事は?」とだけ訊ねてくれた。
が、僕は、ただ首を横に振ることしか出来なかった。
今、僕の瞳には……。
明るい時の〝そこ〟は、初めて見た時とは、全く違うところの様に映っている。
穏やかな喫茶店でも、薄暗い洒落た酒場でも無い…。
でも、言葉に表せずとも、独特な雰囲気を漂わせる、落ち着いた空間。
見慣れてきた筈の場所なのに…
やはりそこは、まだ〝別世界〟なのである…。
……そして、それは時に。この心を締め付ける。
*
部屋に戻ってみると…。先程の少年は、部屋を出て行った時から微塵も動く事無く、ベッドに腰掛けていた。
「待たせてしまいましたね…」と苦笑を浮かべると、彼は小さく首を振って否定を示す。
「では…話がある、と?」
部屋の南側にある出窓の縁に腰掛けながら、静かに訊ねる。それに「ああ」と口を開いた彼は〝先程〟と同じ瞳をしていた。
「お前は…あの手紙を不審に思わなかったのか…?」
そして開口一番、突飛な質問であった。
あの手紙。初めてここに来た時に見せた、手書きの地図と、ここの鍵が入っていた封筒のことを指しているのだろうか。
「不審ねえ…僕は、ただ受け取っただけですよ。ああ…でも、その…直接じゃなかったですけどね」
「ほう…」
ちらりとこちらを、紅が見遣る。
「直接でない、か」
「はい。僕はここに来る前まで、孤児院に入っていたんですよ」
僕は、遠くを見ながら呟いた。
それから「だから直接でなく、保母さんを介して受け取ったのだ」と付け加えた。と、それに、ぴくりと彼が身じろいだのが判った。
「孤児院…」
……どうしたのだろう?
「さて、その話題を挙げたからには…何か?」
僕がさり気なく促すと、少しの間の後に肯定の頷きが返ってきた。
「名前……」
それは、とても小さな声だった。
「名前…?」
「まだ…俺の名前、お前…知らないだろ」
また脈絡無し。拙く機械的に話す彼は幼子の様でもあり、寂しそうでもあった。初めて顔を合わせた時の人物とは、別人の様に思える程。脆く、今にも壊れてしまいそうに見えたんだ…。
それきり黙ってしまった彼に、更にその先を促す。
「ああ、失礼しました。そう言えば、お訊きしていませんでしたね…」
そう言って、柔らかく微笑んでみる。
「因みに、こちらの名前は把握してくれて…」
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「はい、惺ですよ。僕は」
「そ、そうじゃない…アキラ」
「はい?」
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その言葉に、一瞬息を呑んだ。
「君も、アキラ君…なのか?」なんて、繰り返し訊いてしまった。
素直に頷き、こちらを見詰めた彼は…その表情は…どこかで、見た事のある顔だった。
「幼き頃の〝自分〟…か」
もうひとりのアキラは、僕の部屋から出て行った。
「あの手紙は……俺が送った…」と、目を合わせることも無いままに。
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