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23歳・夏至 ー邂逅ー
2.普通に、ただ、もう少しだけ
しおりを挟む心の中で、何かが抜け落ちた音がした。
果たしてそれが何なのかは、自分でもわからなかった。
だけど、その瞬間に……ーー
ずっと視界の隅でしかとらえることが出来なかった速生の姿を、きちんと、真っ直ぐ見ることが出来た。
「……ほんと、すごいな、速生。
ーーーーーこの名刺、貰っていい?」
「えっーーー、あ、うん……もちろん」
横並びのカウンターで、隣にいる速生の方へきちんと体ごと向いて、真っ直ぐ話しかける。
「俺さ。
……いま高校で美術科の教師やってるんだ」
グラスの足を手で持ち、炭酸が抜け始めたピルスナーをぐい、と口の中に運ぶ。
ーーー意識なんて、したらダメだ。
普通に、数年ぶりに偶然会った、同郷の誼として。
近況を報告したり、懐かしんだり……
今日、いまここで過ごすこの時間はきっと、そういう場なんだと。
言い聞かせながら、平然と、割り切って話す。
「へぇ……。夕人が、先生か………」
「意外だろ?自分でもそう思うよ。
速生、もしかしたら、うちの学校に営業で来ることとかあるかもな?
そんなことあったら面白いのにな」
さらにもう一度、ぐい、と口へ運ばれるビール。
ーーーなんだか、気持ちよくなってきたかもしれない。
お酒なんて美味しいと思ったこと無かったけど…こういう時に便利なんだな。
初めて知ったよ。
今なら、速生がどんな顔で俺を見てるのかなんて、気にすることなく何だって話せそうだ。
ーーー大丈夫だよ、
ちゃんと、普通にできる。
「……………………」
突然、やたらと饒舌に話し始めた夕人を、速生は不思議そうな目で見て、自分もタンブラーグラスのカクテルをぐい、と口に注ぎ込む。
初めから、最後まで。
ほとんど、いや全くと言っていいほど、味を感じられなかったモヒートをすべて飲み干した。
「ーーー夕人、飯まだだよな?」
「え?あ、ーーーうん……」
「少し……15分くらいかな、歩いたところに美味しい小料理屋があるんだ。
………移動しないか?なにか食べないと、空きっ腹に酒、良くないし」
それは、自分へ対する気遣いなのか?それとも食事に誘う口実?
なぜ次に繋げようとするのかわからなかった。
まだ、話したいことがあるから?
ーーーもしかして、まだ、俺と居たいから?
違う、ちがうだろ。そういうこと考えるのやめろよ。
普通に、友達みたいにーー…返事をかえすんだ。
「いいよ、行こう?
確かに……お腹空いたよな。」
嘘ばかり。
本当は、全身がたとえようの無いもので一杯で、今にも溢れそうで。
何かの入る隙間なんてなかった。
それでも、
せっかくの速生の誘いを断りたくなんてない。
ーーーまだ、大丈夫。普通にできる。
速生は夕人の言葉に静かに頷くと、バーテンダーに向かって「チェック」と伝えた。
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