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23歳・夏至 ー邂逅ー
1.瀬戸さん
しおりを挟む「あの、ごめん……不快だった?
ーーそんな泣きそうな顔、しないでくれよ」
瀬戸は夕人の顔を心配そうに覗き込む。
夕人はただ、否定も肯定もせず、汗をかいたアイスティーのグラスを見つめた。
「泣くわけ、ないじゃないですか。
昔の話すぎてーー…、忘れてしまいました。
ーーーそれより。瀬戸さんはなんで今日、眼鏡なんですか?」
夕人のその、どこか遠くから自分を呼び戻してきたような表情を複雑そうに一瞥した瀬戸は、ふっ、と笑った。
その笑みにはこんな思いが込められていた。
ーーー突然話題を変えて…うまく誤魔化したつもりかな?ヘタだなぁ。
相変わらず、不器用で、可愛いね………。
「いや実はね……。元々コンタクトなんだよ。
ただーーー…悪いばい菌が入って、結膜炎になっちゃったんだ。
ほらここ、見てよ?腫れてるだろ」
そう言って瀬戸は眼鏡を外すと、夕人に向かって、右目の下瞼を少し指で下げて見せた。
「え………そう、なんですか…?」
二人掛けの狭いテーブルを挟んだ目の前。
顔を近づけて不思議そうに覗き込む夕人の顔に、瀬戸は手を近づけた。
ーーーコツンッ
「ーーー痛っ…!」
額にデコピンをされていた。
「……何するんですか」
そう言って睨むと、瀬戸はまた、意地悪そうに微笑む。
「嘘だよ。そんな簡単に……人を信じちゃだめだろ?
どうすんだよ、そんな不用心に顔近づけてキスでもされたら……」
「え…………は、はい?何言ってるんですか…」
瀬戸はもう一度、ふっと笑う。そしてテーブルのミニスタンドに入れられた伝票をスッと手に取った。
「なんちゃってね。
……コンタクト、買い忘れただけだよ。
出ようか?」
そう言って席を立った。
店のレジで瀬戸は財布を取り出す。
「あ、あの瀬戸さん。俺自分の分ーー…」
「いいよ、これくらい。
俺から誘ったんだし…親の脛かじってるだけだから、大丈夫。奢らせてよ」
そう言ってふと、レジの下、ガラス張りのテイクアウト用ディスプレイに目をやる。
「ーーこのクロワッサン2つと、シュークリーム3つ、テイクアウトでもらえますか?
包装、別にして。」
「ありがとうございます。
お会計、3,900円になりますーーー」
夕人の申し訳なさそうな顔には目もくれず、瀬戸はそのスイーツを受け取った。
二人は店の外に出る。
「はい、これ。」
瀬戸はそう言って、さきほど買ったクロワッサンの入った紙袋を夕人に手渡した。
「え……、どうしてーーー?」
「美味しそうだったからさ、おみやげ。
ーー相模くん、痩せすぎだよ。ちゃんと食べなきゃさ……シャーペンの芯みたいにポキッと折れちゃうよ?」
「そんなこと……。
あの………すみません。
ーーーーありがとうございます」
素直に好意を受け取らないといけない、と思った。
こういう時。誰かの優しさにふれたとき…無意識に拒絶してしまう癖は相手に対しても失礼なことであると、やっと学ぶことができた。
「いいんだよ。
ちなみにこっちのシュークリームは守江…俺のルームシェアの同居人に。甘いもの好きみたいだからたまには機嫌取っておこうかな~って」
その人、よっぽど甘党なんですね、と夕人は苦笑いした。
「じゃあ…」と“お開き”を意味する夕人の呟きに向かって、瀬戸はすぐ正面にはた、と立ち、留まらせる。
「相模くん、良ければ番号教えてよ?」
そう言ってスマホをジーンズのポケットから取り出す。
「ああ………」
一瞬迷ったが、特に拒否する理由もない。
夕人もスマホを出し、お互いの電話番号を登録し合った。
「ありがとう。今度、またご飯でも行こう。
ーー叔父さんに言ってさ、お高くて美味しいところ連れてってもらおうか?相模くんが来るなら、大奮発してくれるよ、きっと」
「はは……じゃあ、瀬戸さんの就職祝い、ってことで。」
瀬戸は夕人の言葉に、“なんだか重いなぁ”と苦笑いして、黒縁眼鏡をくい、と持ち上げた。
「じゃあーー…またね。相模くん」
それだけ言って、瀬戸は駅とは反対方向へ去っていく。
この近くに住んでいるのかな、と思いながらも、“またね”と言われたのに対してあまり違和感を感じなかったことに気付く。
連絡先を聞かれたことも、”またご飯でも”という言葉も、おそらく社交辞令なのだろうとは思っていたが。なぜか……
瀬戸にはきっとまた、どこかで会う日がくる……そんな気がした。
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