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15歳・立夏 ー初めての夏ー
2.風邪
しおりを挟む盆の連休が終わり、酷暑も落ち着いてくる中、高校の夏季休みも終わりに近づく。
夕人たちのクラスの普通科は、授業の遅れを補填するための全員補習授業ということで、盆明けに登校することとなった。
「……ゴホ、ケホケホッ……」
「夕人、大丈夫?」
朝から乾いた咳をする夕人に、母は心配そうに様子を伺う。
「うん、大丈夫。熱はないから…」
脇で測った体温計に目をやると、”36.8℃”を示している。
「少し高めね……夏風邪かしら?休まなくて大丈夫?学校」
「んー……今日休んだら、今度また別の日に補修の補習出ないといけないからさ……今日は頑張って行くよ。大丈夫、午前中だけだし」
“美術部にもちょっと顔出しておきたいから”と、リビングソファにもたれかかっていた気怠い身体を起こして、夕人は通学鞄を肩に掛けた。
「今日、お母さん仕事の打ち合わせで出かけるけど……何かあったら電話するのよ?
ほら、マスクして行きなさい」
母の心配そうな顔を横目に、夕人は「いってきます」と玄関を出た。
ーーー速生……は、そっか、朝練…。
『♪♪』
バスケ部の朝練で先に登校した速生のことを考えていると、カバンの中のスマホがメッセージ着信の音を鳴らした。
“おはよ!起きてるか?今日登校日だぞ”
「……ははっ、出たな……めざまし速生」
バス停に着いた夕人は、スマホ画面を見て小さくつぶやいた。
“起きてるよ 今からバス乗る”
“なら良かった!気をつけてこいよ”
相変わらず心配性な速生の気遣いに、夕人は、くすっとマスクの下で静かに笑った。
ーーー風邪ひいてるなんて言ったら無駄に心配かけてややこしくなるから、黙っとこう……。
時間通りに到着したバスに、一人乗り込む。
世間はまだ盆休みの人たちも多いためか、バスの車内はかなり空いていた。夕人は前の方の座席まで移動して、着席した。
ーー……トントン
後ろから優しく肩を叩かれ、夕人は振り向いた。
「おはよう、相模くん。久しぶりだね」
「ああ……瀬戸さん。おはようございます」
瀬戸は周りを見渡して、乗客が少ないことを確認すると、夕人の座っている席の通路を挟んで隣の座席に移動した。
「今日は、一年は補習だったね?俺たち三年は進路相談と就職説明会があって登校するんだ。
……あれ、相模くん、風邪?」
「はは……まあ。」
夕人はけほっ、と軽く咳払いをして、瀬戸を見る。
「そういえば……今日、このあいだ部で参加した市の芸術文化祭の選評展示会が行われるって。
相模くんの作品、部でも評判良かったから……入選するんじゃないかな?」
「ああ……あれですか」
元々は瀬戸からの、”自画像を描いてみたら?”というアドバイスから始まった、あの油絵の自分の作品が選評されることになるなんて……なんだか実感が湧かない。
ーーーあの絵が出来上がったのは、速生のおかげだから………
夕人は別に、自分の作品を評価して欲しいとは思っていなかった。
あの絵を描き上げたことで、自分の中のいろんなものが変わり成長できたと信じていた。
結果ではなく、その過程に意味があると。
「あの……瀬戸さん、聞いていいですか」
「うん、何かな?」
「さっき進路って言いましたけど……瀬戸さんは、どうするんですか?
もう決めてるんですか、進学か、就職………」
瀬戸は夕人の問いに“ああ…”と言うと、カバンの中からある用紙を出して夕人に見せた。
「202x年度、入学者選抜要項ーーー…T芸大?
瀬戸さん、T芸大受けるんですか?」
夕人の問いに、瀬戸はただ頷いた。
芸術分野では日本一有名と言っても過言ではない、T芸大……瀬戸ほどの才能の持ち主ならば、その難関大でも受かる望みは十分にあると思えた。
「受かるかわからないけどね。1浪、2浪も当たり前の世界だからーー…だけど、どうせなら、自分の本当に好きで得意なことを学べるなら……限界点まで、自分を試してみたくてね。
だから、これからは受験勉強漬けになっちゃうな」
夕人はただ黙って、瀬戸の言葉を聞いていた。
正直、まだ高校に入学してわずか半年も経たない夕人には、進路のことなんて考えもつかない。
だけど、いずれは決めないといけない時がやってくる。
その時、きちんと迷うことなく、自分の進みたい道を、選ぶことができるのかーー…
誰にも左右されることなく。
今の夕人には、わからなかった。
「ーーー…頑張ってください、瀬戸さんならきっと受かりますよ」
「ありがとう。これからはもう、あまり部活動にも参加できなくなるけど……何かあればいつでも話してくれたらいいよ。
俺でよければ、相談に乗るから」
夕人は軽くお辞儀をし、咳払いをしてから前を見た。
『次はーー、市立第一高校前、お降りのお客様はーー……』
二人はバスを降りた。
「じゃあ、俺門のところで待ち合わせがあるから、今日はここで。相模くん、頑張ってね」
「はい、ありがとうございました」
校門の前で瀬戸と別れた夕人は、ひとり校舎まで歩いた。
ーーーなんだか、寒気がするな……。
外はまだまだ残暑が厳しいはずというのに、長袖シャツの夕人は身震いをし、教室へと向かった。
「夕人、はよ!………あれ?マスク?」
朝練を終えて教室に戻った速生は夕人の姿をいち早く見つけると、不思議そうに尋ねた。
「ああ……うん。
けほっ、ちょっと……まあ、花粉対策」
「ふーん……」
今って何か花粉飛んでる時期だったか?と思いつつ、速生は夕人の机の前に向かい合って座ると、嬉しそうに顔を見つめた。
「あのさ!聞いてよ。
俺、今度の高体連バスケの県大会予選、メンバーに選ばれたんだぜ」
「え?マジで⁉︎………すごいじゃん」
ま、ベンチ入りだけどな~と言いつつも、速生は誇らしそうな顔でフフンとやって見せる。
「毎日、練習頑張ってるもんな……ほんとすごいよ」
素直に、すごいと思った。
いつも頑張っている姿を見ていただけに、速生が周りから評価されたことが、本当に、自分のことのように嬉しい。
「そ、そんな褒めんなよ~~照れるじゃん!
じゃあさ、夕人。練習試合、観にきてくれない?」
「えーーー…どうしようかな?
実を言うと俺、バスケのルールあんまり知らないんだけど」
「よし、じゃあ伊勢をガイドにつける!あと、SPにもなってもらうか……お忍びの夕人は誰に狙われるかわかんないからな」
「いやお前勝手すぎだろ……伊勢くん怒るぞ。
ははっ。まあ、気が向いたら行くから。
また、日が決まったら教えてよ?」
『ガラッ』
「はーい、HRはじめるぞー、着席ー」
気が向かなくても来いよな?と念押しをして、速生は自分の席に戻った。
マスクの下、夕人は“……行くに決まってんだろ”と小さく呟いた。
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