ネトラレ茂吉

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流れ星

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「昨日の流れ星見たかい?」
「どこぞに落ちたってぇ話だ。ちょいと見に行ってみようかねぇ」
 時は江戸の世。巷は祭りの夜に降った流星の話でもちきりだった。
「流れ星は厄災を撒き散らす疫病神だってぇ話じゃないかい」
「どうなんすかねぇ。あっしにゃ難しいこたぁとんとわかんねぇもんで」
 茂吉は曖昧に笑い、担いでいた棒を下ろす。
 井戸端会議をしていた女性達が一斉に下ろされた木桶を覗き込む。中には先ほど取ってきたばかりのシジミが所せましとひしめいていた。
「しげきっつぁんのシジミはふっくらしていていつも美味しいのよねぇ」
「そうそう。その割に他のシジミ売りより高いわけでもないしねぇ」
 そんな事を言われては値段を上げられないのだが、と茂吉は苦笑しつつ、差し出された鍋にシジミをすくい入れ、小銭を受けとる。
 茂吉はボテフリだ。
 天秤棒に木桶や籠を下げ、降り降り売り歩いている。
 明け方暗い内に海でシジミを取り、朝から売り歩き、昼前にはちょっとした薬になる野草を取って売り歩き、午後はちょっとした頼まれ事を小銭で引き受ける。棒手振ができるのは十五までと五十からだ。それはお上の決めたことなので、どうしようもない。茂吉は正月で十五になる。茂吉には親がいない。廃寺に住み着いていた棒手振の男が赤ん坊の茂吉を拾った。茂吉をくるんだ着物も良い物とは言えず、明らかに食うに困っての事だろう。棒手振の男も、生活は困窮していた。だが、見捨てられなかった。棒手振の男は、顔見知りの長屋の女達に頭を下げて貰い乳をし、茂吉は長屋みんなに育てられた。やがて、乳が要らなくなると茂吉は男について回り、棒手振を覚えるようになった。男を「父ちゃん」と呼び、茂吉が五つになる頃には、小さな天秤棒と籠を担いで軽い野草なんかをついて回りながら売った。
『父ちゃん』は茂吉が七つになる前に倒れ、あっけなく息を引き取った。長屋の人間が手配し、きちんとした寺で無縁仏として葬られた。
 それ以来、『父ちゃん』のしていた棒手振を引き継ぎ、売り歩いている。
 幼い頃からそうしている内に、長屋以外の知り合いも増えた。同年代の子らが寺子屋で手習いをしている時も、茂吉は当然のごとく働いていた。羨ましくないわけではなかったが、天涯孤独の身で、長屋や出入りさせて貰っている店の人達には過分に良くして貰っているのもわかっていた。
「茂ちゃん!」
 いつものように明るい声が茂吉を呼び止めた。団子屋の娘である《おまち》だ。おまちは《おきゃん》である。年は茂吉とかわらぬ。団子屋とは言え人気の団子屋なのでそこそこ金回りも良いのだろう。おまちは寺子屋に通い、算用塾へも通っていると言う。
「シジミ宜しくね!」
 最近、お父が酒を飲み過ぎてシジミ汁が無いと朝の仕込みもできないのだと、おまちは唇を尖らせて言う。
「ああ、でも、茂ちゃんの棒手振も年末までかぁ」
「なんなら、おまちちゃんのトコ用に届けようか?」
 そんな事を言ってみるも、長屋の人達の分だ贔屓にしてくれてた家の分だとやっていたら結局棒手振とかわらない。しょっぴかれてもつまらない。
「大丈夫よ! なんでもきちんと時期を見て下の世代に引き継がないとね!」
 おまちが覚えたてなのだろう、難しい言い回しをするのを、茂吉は苦笑して応えた。恐らく、茂吉にはおまちの言った意味が正確にはわかっていない。何となく意味は理解しているが。
「おまちちゃんにゃ、かなわねぇなぁ。はい、おまけ」
 おまちのタライにシジミを心持ち多めに入れると、特に大きな一つを摘まんで追加する。
「ありがとう! またお願いね!」
 ちゃっかりとしたものだが、そこも可愛い。
 おまちに手を振り、残り少なくなったシジミを見る。
 残りは自分で食べよう。
 廃寺に帰り着くと、炊事場で、わずかに残ったシジミを鍋に移す。火打石と火金で火口へ火を付けると細い竹を使った火吹き棒で空気を送る。
 松葉を加え、乾燥した小枝を放り込んで火を大きくする。
 手慣れた様子でカマドの火を大きくすると、水瓶から鍋に水を入れる。ツボから塩を摘まむと、鍋に入れる。塩はシジミをとるついでに海の水を持ち帰ってカマドの火にかけて放っておくと取れる。売り物のような綺麗なものではないが、味付けには充分だ。
 シジミと交換で貰った少量の米を鍋に入れ、シジミごと炊く。
 炊いている間に、廃寺の周囲に生えている草を取りに行く。山菜といえば聞こえも良いが、誰かが手入れしているわけでもない。
「ネマガリタケ、まだあったかな」
 ネマガリタケ、シドケ、アイコがあれば料理屋にも売れるし、オオバコやノビル、ドクダミなんかはちょっとした薬やお茶代わりに買って貰える。ヨモギの時期は過ぎたし、シソはまだ早い。
 と、以前ネマガリタケを採った辺り、廃寺の裏手の奥、うっすらと何かが光っていた。
 晴れた昼日中、提灯でもあるまい。
 茂吉はぽかりと開いた口を閉じる事も忘れ、ふらりとそちらへと足を踏み出した。刹那、足を踏み外して身体が傾いだ。蔦が足に絡まり、体制を立て直す間もなく上体が藪へと突っ込む。ガリリと足に痛みを感じるのと、そのまま斜面を転がり落ちるのが同時だった。身体のあちらこちらを転がり落ちながら枝やら石やらにぶつけ、頭と背中を何か固い物に打ちつけて止まる。
 止まったという安堵と共にぐるぐると回る世界に、茂吉は意識を手放した。

 ややあって強い日差しを感じ、気付くと既に日が高くなっていた。木の葉の間から差し込む日の光がジリジリと目を焼く。恐る恐る足を動かし、手を動かす。背と後頭部に鈍い痛みを感じた。どうやら山の斜面を転がり落ちて引っくり返っていたようで、大きな傷は無さそうだ。
 足を踏ん張れる場所を探し、背にしていた岩から肘で身体を起こす。やけにツルツルした岩だった。高くで売れるかもしれないが、持ち運べるほど軽くも小さくも無さそうだった。
 野草取りを諦め、とりあえずは廃寺を目指す。転げ落ちた分登らねばならない。
「アイテテテ……テ?」
 言いながら、痛みが無い事に気付く。いや、先ほど気が付いた時には確かにあった痛みが消えていた。
 岩を足場にして立ち上がり、近くの蔦を掴む。力を入れて引き、体重が支えられそうだったので、そのままグイと一歩登った。二歩、三歩と蔦をたどりながら歩を進めると、上手いこと木に絡み付いていた蔦であるのを知る。次はその木を足掛かりにして、掴みやすそうな木を探す。細くて掴みやすく、茂吉を支えられる程度には丈夫でなくてはならない。だが、ぐいと力を入れると、足場にした木の反動か、掴んだ木の反動か、ひょうい、と茂吉の身体が宙へと放り出されていた。
 これはマズイ。また地面に叩き付けられてしまう。
 茂吉が思わず身体を縮こませると、くるりと身体が回転した。空高く跳ねた茂吉は、目に入った手近な枝を掴んでいた。
 それは、高い高い杉の木のテッペンだった。
 高い杉の木のテッペンで、茂吉は枝にしがみついて、真っ青な空を眺めた。
 トンビが怪訝な顔で見下ろしてくる。ような気がする。
「ははあ、わかった。こりゃあ夢だな」
 学の無い茂吉でも、只人にこんな天狗じみた事ができるとは思わない。
 それならば、と、木の上から廃寺を探すと、そちらへ向かって跳ねた。
 ひょいと一跳ねで廃寺の前までカエルのように飛び降りると、ゆっくりと立ち上がる。そのままグイと伸びをし、どこも何ともない事を確認する。
「夢たぁ何てぇ便利なもんだ」
 痛みがあった筈の頭に触れると、ベタリと何かがついた。手を見ると赤い血がべったりとついている。
「こんだけ怪我してんのに痛くないってこたぁ、やっぱり夢なんだなぁ」
 妙に感心し、頷く。
 この分では背中もどうなっているかわからない。普段なら川まで水を汲みに行くのも大変だが、この夢の中ならひとっ飛びだろう。
 川の方へ身体を向け、ふと、腹が鳴った。
 そうだ。シジミ飯を炊いていたのだった。
 カマドを覗いて見れば、既に火は消えてしまっている。木でできた蓋を取ると、炊き上がったシジミ飯はまだほんのり温かかった。
 途端にグルグルと猫のように盛大に腹が鳴き出す。
「夢でも腹ぁ減んのか。不便だなぁ」
 茂吉は鍋に手を突っ込もうとして、その手の汚さに気付いた。水瓶から杓子で水をくみ、己の泥だらけの手を洗い流す。あらかた綺麗になったところで、鍋のシジミ飯に手を突っ込んだ。慣れた手付きで殻から身を外して米の中へ戻し、殻についた米粒をせせると殻をタライに放る。それを何度か繰り返して鍋の中にシジミの殻が無くなってから、欠けたシャモジでシジミと米をすくうと、手に乗せた。二三度両手で転がして握り飯にし、口に放り込む。火が消えてしばらく経っているのか、それとも夢だからか、熱くない。が、コゲと言いシジミと言い、最高に旨かった。身体が震える。こんな旨いものは初めて食べた、と思い、笑う。いくらなんでもいつも食べてるシジミ飯を『初めて食べた』も無いもんだ。折角の夢の中ならもっと御馳走が並んでいても良さそうな物だが、まぁ、茂吉の記憶にそんな御馳走は見た事もないのだから仕方あるまい。
 シジミ飯を食いつくし、ふと、夢なら川まで行かなくても水瓶に水くらい湧くのではないかと思い、水瓶を覗く。が、そこには残り少なくなった水があるだけだ。もしや神通力的な何かで出来るやも知れぬと、ウンウンと唸ってみる。が、水瓶の水はちろりと揺れる事すらしない。落胆から思わず水瓶に抱きつくと、グラリと水瓶が向こうへ斜めになった。慌てて引き寄せると、ひょいと持ち上がる。普段、その重さから動かす事も出来ない、大人より重い水瓶が、今、茂吉の腕に抱えられ、頭より上に存在していた。
「ああ、夢の中だもんなぁ」
 茂吉は、水瓶を抱えたままヒョイと川まで跳んだ。
 思った通り、川まではひとっ飛びだった。
 川上に川の始まりの池があり、その上方の岩の隙間から水が吹き出している。ここで怠けて川下で水を汲むと、翌日には水が臭くなっている。二日に一回その水を汲みに来ているのだが、山道なのと険しいので二日に一回は野草取りを諦めなければいけない。本当は昨日汲みに来ているのだが、予想外に手の汚れを落としたりしたせいで、もう水が少なくなっていた。だが、この天狗の力なら水を汲んでもひとっ飛びで帰れるだろう。たっぷりと汲んだ水を抱えても重さを感じない。茂吉は再び足に力を込め、廃寺の方へと跳んだ。
 土間に、なみなみと水の入った水瓶を置き、思わず笑顔がこぼれる。これなら三日か四日、もしかしたら五日くらい水を汲みに行かなくても良いかも知れない。と同時に、これが夢であることを思い出して笑顔が引っ込んだ。土間に崩れ落ちる。
「ああ、せめて井戸が使えりゃあなぁ……」
 廃寺には井戸が無いわけではなかった。ただ、枯れているのだ。枯れ井戸には木の板が敷かれ、重石を乗せている。
 そういやぁ、と先ほど茂吉がしこたま頭と背を打ち付けた岩を思い出した。びくともしないと思っていたが、天狗の力で持てるのではないか、と。
 ひょいひょいと山の斜面を降りる。果たしてそこに例の岩はあった。恐ろしく丸く恐ろしくツルツルとした黒い岩だった。手をかけると、やはりひょいと持ち上がる。良く見れば黒の中に何やらキラキラと煌めいている。それを廃寺へと持ち帰る途中、手が滑った。ひょいと跳んだ空中で、茂吉の手から滑り落ちた岩は、廃寺へと一直線に落ちていく。
「あああああ」
 このままでは只でさえボロい屋根に大きな穴が開いてしまう。
 慌てて捕まえようと伸ばした手が岩に触れる。
「よし!」
 捕まえたと思った瞬間、手が岩を弾いていた。
 弾かれた岩は、井戸を直撃していた。地響きが、山に響き渡る。
 真ん丸の黒い岩に潰され、ぺしゃんこになった井戸だった物の前に降り立ち、やっちまったと呟く。まぁ、元々使えない枯れ井戸だったし、と頭を掻くと、どう、と背後で音がした。
 振り替えれば、廃寺の屋根から水が吹き出し上がっている。ぽかりと口を開けて眺め、慌てて廃寺の中へと駆け込むと、水瓶が水を吹き出していた。
「な、なんだぁ?」
 ややあって屋根まで吹き出していた水が徐々に瓶の中へと収まっていった。瓶の中を覗き込むと、水瓶の底が抜けていた。その底は地中へと深く続き……。
 茂吉は、外の枯れ井戸だった物を見、水瓶を見た。
 確証は無いが、あの岩を勢い良く落としたため、その衝撃で水が吹き出、色々あって水瓶の底と井戸が繋がったのではないだろうか?
「夢の中ってぇのはつくづく不思議な事があるもんだなぁ」
 ふら、と身体が傾ぐ。
 ああ、眠いのだ、と気付くのと、これで夢は終いかという思いが交錯する。
 朦朧とする頭で畳へと上がり、寝転んだ。
 起きた時には天狗の力が消えてしまっているだろう事がとても惜しい。

 その日、宇宙の端で、一つの星が消えた。
 星の名は、地球の言語では表せないので、ここではALPHAとしておこう。
 ALPHAから最後の脱出ポッドが射出されたのは、まさにギリギリのタイミングであった。
 搭乗者は一名。
 名をシーグェ・イーチと言う。
 星の消滅と共に発生した衝撃がポッドを襲い、シーグェ・イーチは気を失った。

 妙な夢を見たな。
 ゆっくりと意識が浮上していく。
 天狗の力って。と思わず顔がにやける。どこで得た知識だったか。
 記憶を探る。その耳に妙な音が入り込んできた。いや、正確にはずっとその音はしていた。
 ホーホーという音。ジージーという音。ザワザワという音。知らない音。いや、これらの音は何も変な音じゃない。知っている音だ。知らなくはない。だが、初めて聞く音だ。
「なんでぇ、初めてどころか毎日聞いてる音じゃねぇか」
 鳥の声、虫の音、風の音、動物の鳴き声。
 いや、そんな音を立てる妙なモノは見た事も聞いた事もない。大体がどこの星なのだここは?
「星? お星さまたぁ空にあるもんで……」
 屋根に開いた大穴の向こうの星空を眺め、茂吉は大きく目を開いた。
 昨日まで無かった屋根の大穴。
 振り返れば水瓶はなみなみと水を湛えている。
 外に飛び出せば、井戸のあった場所にツルツルとした黒い岩が無数の星を取り込んだようにキラキラと光を放っていた。
「夢じゃ、無かった、のか?」
『あれは、脱出ポットだ』
「ぁあ?」
 聞きなれない言葉に声を上げるが、そこには自分以外誰もいない。
 ヒュッ、と茂吉は息を飲んだ。
「ああああの、もしや、あの岩の神様ですかね?」
 やおら、岩に向かって平伏し、地面に頭を擦り付ける。
「こ、この通りだ! 悪気は無かったんです!! 夢ん中だと思っちまって、あっしぁ、楽しくなっちまって……」
 グリグリと頭を地面に擦り付けるが、痛みが無い。ふと、強く瞑っていた目を開けると己の身体が地面からほんの少し浮いているではないか。
「天狗の力っ! まだ使えるってぇのかい」
『そうか。私は今、お前の中に居るのか』
「ひぃ! あっしの中に神様が!」
『お前の脳とリンクした』
「の、脳?」
『お前の記憶も考えも全てわかるようになった』
「ひぃ!」
 高いような低いような柔らかいような固いような声が頭の中で響き、茂吉は震え上がった。
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