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《第三章》あなたには前を向いていてほしい
第三十三話
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翌日遼子を伴い高崎の事務所へ行った。遼子は戸惑いの顔をしていたが、事務所の扉を開けてすぐ、出迎えてくれた女性の顔を見るやよほど驚いたのか目を大きく見開いていた。
「遼子先生……」
間宮は、嬉しそうな顔で遼子に抱きついた。抱きつかれた遼子は困惑していたが、肩を震わせた間宮の背中を優しくなで始める。
「……一人で頑張らせてしまってごめんね……」
遼子が湿った声で詫びると、間宮は彼女に抱きついたまま頭を横に振る。遼子と間宮、二人にどのような出来事があったのか間宮から聞かされているからか、耳に入ってくる言葉がとても重く感じた。
「麻生先生、お待ちしていました」
久しぶりの再会を果たしたであろう二人の姿を離れたところから眺めていたら高崎の声がした。オフィスフロアと入り口を仕切るパーティションへ目をやると、事務所の代表である高崎がほほ笑んでいる。
「別所さん、麻生先生を連れてきてくださって本当にありがとうございます」
目が合うと、高崎は深く頭を下げた。
「あとはお願いします」
別所は軽く頭を下げたあと、後ろ髪を引かれる思いで高崎事務所を出た。
ビルを出たとたん乾いた風が頬を掠めた。まっすぐ帰宅する気になれず、ひりひりする痛みを伴う風が吹き抜ける方へ足を向け、どこともつかないところを目指す。
今頃遼子は、間宮からすべてを聞かされているはずだ。それで彼女がどのような決断をするかはわからない。もう彼女の人生に関われないし、せいぜい自分が出来ることといえば、彼女が失ってしまったものを取り戻す手伝いだけだ。あとは高崎と間宮が支えてくれるはず。
『遼子先生が富沢事務所に戻られただけではダメなんです。高桑先生が関わっている限りクライアントは戻りません。だってクライアント同士でそう決めたからです』
間宮が言うには、クライアントが顧問契約を高桑と交わしたのは遼子を守るためだったという。そうすることで彼女の悪評が広がるのを阻止しようとしたのだ。しかしその契約には裏があった。
『高桑先生と契約を交わしましたが、それはあらかじめ打ち切る前提でした。三年という時間を掛けてクライアントは契約を打ち切ったのです』
一度にすべてのクライアントが契約を解除したら計画されていたと見られるかもしれないが、時間を掛けてひとつまたひとつと企業側が解約を申し出たら疑われる可能性は低くなる。それを狙ったのだろう。
間宮から聞かされた話を思い返し、別所は息を吐く。風はいつの間にか冷たい風になっていたらしい。立ち上がる白いもやを目で追いかけると真っ暗な空に行き着いた。
『遼子先生ともう一度仕事がしたい。クライアントの大半はそう思っていますし、そのときを待っています』
高崎はもともと企業法務を専門にしていた弁護士だ。民事で活躍していた父親のあとを継いだから仕方なく離れているが、本音を言えば企業法務のセクションを立ち上げたかったはず。そこに遼子と間宮が加われば高崎はすぐにでも部門を立ち上げるに違いないし、間宮が言ったように彼女がかつて担当していたクライアントがもう一度顧問契約を交わしたら高崎としては万々歳だ。それに遼子もかつてのように辣腕を振るえるだろう。これでよかったのだ。別所は心の中で自分に言い聞かせる。
大事にしたい相手を守る。それが男としてあるべき姿だと思っていた。しかし藤田は妻や娘を守るために努力し続けた結果、一番大切にしたい家族の心が離れてしまっていたという。自分もそうだ。別れた妻を安心させたくて頑張ったものの裏目に出てしまい離婚を切り出されたし、男が言う「守る」とは、悪友が言ったとおりただの一人相撲なのだろう。
よくよく考えてみれば、遼子を守りたい一心で彼女が知らないところで問題を解決しようとしたが、それは対処療法でしかないのに自己満足しかけていた。だが、岡田から「守るとはどういうことか」と問われて気づき、藤田から言われたもので自分が遼子のためにするべきことを見つけることができた。それが間宮に会わせることだった。
間宮の話を聞く限り、富沢と高桑さえ遠ざければすべて解決という単純な話ではない。彼らの動きを封じたところで遼子はきっと過去に捕らわれたままだ。
誰だって思い出したくもない過去と向き合うのは嫌だ。できることなら無理やりにでも避けて通りたいし、できることなら忘れてしまいたい。でも不思議なことに避け続けた時間が長ければ長いほど、心に負った傷は気づかないうちにどんどん深くなっていくものだ。深度を増した傷はいずれ心に根付いてしまう。そうなってしまう前に藤田に本音を吐露できたから良かったが、遼子は誰にも言えないまま一人で抱え続けている。
『どうすれば……、良かったんでしょう……』
腕の中で遼子が漏らした言葉はきっと、ずっと彼女自身が抱えていたものだ。かつての自分のように。
どうすればよかったのか。過去を振り返り後悔し続けるより、同じことを繰り返さないやり方を考えたほうがいい。頭ではわかっていても、あまりにも心の傷が深いと迷路に入り込んでしまうし、遼子は今まさにその状態だ。
できることなら、間宮と会って話をして未来を考えてくれたらいい。別所はかすかに瞬く星を見上げながらため息をついたのだった。
「遼子先生……」
間宮は、嬉しそうな顔で遼子に抱きついた。抱きつかれた遼子は困惑していたが、肩を震わせた間宮の背中を優しくなで始める。
「……一人で頑張らせてしまってごめんね……」
遼子が湿った声で詫びると、間宮は彼女に抱きついたまま頭を横に振る。遼子と間宮、二人にどのような出来事があったのか間宮から聞かされているからか、耳に入ってくる言葉がとても重く感じた。
「麻生先生、お待ちしていました」
久しぶりの再会を果たしたであろう二人の姿を離れたところから眺めていたら高崎の声がした。オフィスフロアと入り口を仕切るパーティションへ目をやると、事務所の代表である高崎がほほ笑んでいる。
「別所さん、麻生先生を連れてきてくださって本当にありがとうございます」
目が合うと、高崎は深く頭を下げた。
「あとはお願いします」
別所は軽く頭を下げたあと、後ろ髪を引かれる思いで高崎事務所を出た。
ビルを出たとたん乾いた風が頬を掠めた。まっすぐ帰宅する気になれず、ひりひりする痛みを伴う風が吹き抜ける方へ足を向け、どこともつかないところを目指す。
今頃遼子は、間宮からすべてを聞かされているはずだ。それで彼女がどのような決断をするかはわからない。もう彼女の人生に関われないし、せいぜい自分が出来ることといえば、彼女が失ってしまったものを取り戻す手伝いだけだ。あとは高崎と間宮が支えてくれるはず。
『遼子先生が富沢事務所に戻られただけではダメなんです。高桑先生が関わっている限りクライアントは戻りません。だってクライアント同士でそう決めたからです』
間宮が言うには、クライアントが顧問契約を高桑と交わしたのは遼子を守るためだったという。そうすることで彼女の悪評が広がるのを阻止しようとしたのだ。しかしその契約には裏があった。
『高桑先生と契約を交わしましたが、それはあらかじめ打ち切る前提でした。三年という時間を掛けてクライアントは契約を打ち切ったのです』
一度にすべてのクライアントが契約を解除したら計画されていたと見られるかもしれないが、時間を掛けてひとつまたひとつと企業側が解約を申し出たら疑われる可能性は低くなる。それを狙ったのだろう。
間宮から聞かされた話を思い返し、別所は息を吐く。風はいつの間にか冷たい風になっていたらしい。立ち上がる白いもやを目で追いかけると真っ暗な空に行き着いた。
『遼子先生ともう一度仕事がしたい。クライアントの大半はそう思っていますし、そのときを待っています』
高崎はもともと企業法務を専門にしていた弁護士だ。民事で活躍していた父親のあとを継いだから仕方なく離れているが、本音を言えば企業法務のセクションを立ち上げたかったはず。そこに遼子と間宮が加われば高崎はすぐにでも部門を立ち上げるに違いないし、間宮が言ったように彼女がかつて担当していたクライアントがもう一度顧問契約を交わしたら高崎としては万々歳だ。それに遼子もかつてのように辣腕を振るえるだろう。これでよかったのだ。別所は心の中で自分に言い聞かせる。
大事にしたい相手を守る。それが男としてあるべき姿だと思っていた。しかし藤田は妻や娘を守るために努力し続けた結果、一番大切にしたい家族の心が離れてしまっていたという。自分もそうだ。別れた妻を安心させたくて頑張ったものの裏目に出てしまい離婚を切り出されたし、男が言う「守る」とは、悪友が言ったとおりただの一人相撲なのだろう。
よくよく考えてみれば、遼子を守りたい一心で彼女が知らないところで問題を解決しようとしたが、それは対処療法でしかないのに自己満足しかけていた。だが、岡田から「守るとはどういうことか」と問われて気づき、藤田から言われたもので自分が遼子のためにするべきことを見つけることができた。それが間宮に会わせることだった。
間宮の話を聞く限り、富沢と高桑さえ遠ざければすべて解決という単純な話ではない。彼らの動きを封じたところで遼子はきっと過去に捕らわれたままだ。
誰だって思い出したくもない過去と向き合うのは嫌だ。できることなら無理やりにでも避けて通りたいし、できることなら忘れてしまいたい。でも不思議なことに避け続けた時間が長ければ長いほど、心に負った傷は気づかないうちにどんどん深くなっていくものだ。深度を増した傷はいずれ心に根付いてしまう。そうなってしまう前に藤田に本音を吐露できたから良かったが、遼子は誰にも言えないまま一人で抱え続けている。
『どうすれば……、良かったんでしょう……』
腕の中で遼子が漏らした言葉はきっと、ずっと彼女自身が抱えていたものだ。かつての自分のように。
どうすればよかったのか。過去を振り返り後悔し続けるより、同じことを繰り返さないやり方を考えたほうがいい。頭ではわかっていても、あまりにも心の傷が深いと迷路に入り込んでしまうし、遼子は今まさにその状態だ。
できることなら、間宮と会って話をして未来を考えてくれたらいい。別所はかすかに瞬く星を見上げながらため息をついたのだった。
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