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ピグマリオンの願い

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 その女は音もなく戸口に立っていた。
 マイセンの陶磁器のような白い肌に、美しい銀髪をなびかせ、琥珀色の眼は
神秘的な輝きを放っていた。

 着ている服は一目で高級とわかる代物だったが、成金趣味などという言葉からはほど遠く、身に着けた黒い古風なドレスは生まれた瞬間から死のその最期の時まで彼女が着るために誂えられたのではないかと思えるほど完璧にその身体と一体化していた。

「フロイライン・ロセッティにヘル・ケーヒルですね」

 女はドイツ語の混ざった、明瞭だがどこの国の発音ともつかない正体不明のアクセントの英語でそう言った。

 俺は非番のこの日、昼過ぎに起きるとアンナに呼び出されていた。
 彼女は要件を言わなかったが、ロクな要件ではないだろうと思っていた。

 ロセッティ宅に着くと、マシューの旦那は留守だった。
 今度はチェコに行っているという。
 旦那が留守の時に呼び出されたということは、"仕事"を手伝えと言われるということだ。
 それは、接戦の終盤になると、ジョー・ジラルディがあわててデリン・ベタンセスの名前をコールするのと同じぐらい確かな事だった。

 そして、女の浮世離れした風貌とまとったオーラは俺の予感がbingo大正解であることを雄弁に物語っていた。

「見たところ……」

 アンナは言った。

「あんた、ホムンクルスみたいだね。」

 銀髪の女は、喉の奥に楽器でもあるような浮世離れした声で答えた。

「ええ、お察しの通りです、フロイライン。
主、トマス・フォン・ホーエンハイム様の使者として参りました。
ジークリンデと申します」

 女はそう言うと、恭しく古風なお辞儀をした。

 "ホムンクルス"?

「噂に名高いホーエンハイムのホムンクルスがお使いとは。随分演出過多なデモンストレーションだね」

 アンナはこの日、何本目かわからない煙草に火をつけて言った。

「それは褒め言葉ですか?それとも皮肉でしょうか?生憎と私は人の感情の機微には疎いもので」

 ジークリンデと名乗った女は眉ひとつ動かさずに言った。

「で?あんたのご主人は、どういう類の人に知られたくないトラブルに巻き込まれたのかな?」
「なぜ、そう思われるのですか?」
「あんたのご主人様はわざわざお使いをよこして直接、コンタクトを取ってきた。しかも、事前に要件を伝えずにね。
それはつまり、ここだけの話で済ませたい有事があったって事だ」

 女は眉ひとつ動かさずに言った。

「ええ、ご明察のとおりです。フロイライン」
「そうかい。じゃあ、早速だけど要件を伺おうか。まずは、座ったらどうだい?
ビーフジャーキーみたいに硬いカウチしかないけどね」
「なあ、一体何なんだ?」

 状況の異様さに追いつけていなかった俺は、ようやく気を取り直し、その一言を発した。

「さあ、実は詳しくは私も知らないんだ。でも、先方が"あんたも一緒に"って言うもんだからね」

 頭痛がしてきた。
 起き抜けにテレビで見たアスピリンのCMが頭の中でリフレインしていた。

「頼むよ。相棒」

 俺はため息をついて言った。

「ああ、わかったよ。相棒」


××××××××××


「ホーエンハイムの近親者に大変遺憾な事態が発生しました」

 女は何のスモールトークもなく、本題に入った。

 魔術の家系の出身ではない俺でも、ホーエンハイムの名前は知っている。
 嘘か真か、パラケルスス直系の子孫と言われる魔術の名門。

 スイスの主産業がまだ傭兵業だったころ、ホーエンハイムの戦闘用ホムンクルスは重宝された。
 いまもヴァチカンのスイス衛兵隊は実は全員、魔術師なのだが、
その中にはホーエンハイムのホムンクルスが密かに紛れているといわれている。

 ホーエンハイムの一族は現在、ザルツブルグの某所に居を構えている。
 研究の中心である工房には強力な結界を張られており、ホーエンハイム家の技術について詳細を知る者は一族の関係者以外いない。

「遺憾な事態とは?」
「クリストフ・フォン・シュタウフェンベルク様をご存知ですか?」
「ああ、ドイツのシュタウフェンベルク伯爵家の次男坊だね。ホーエンハイムと親戚関係だったね」
「あなたならばご存じのことと思いますが、トマス様は、ホムンクルスの組成について日夜研究を続けております」
「それで?」
「精製したホムンクルスの経過観察のため、錬金術に通じた魔術師の協力が必要になり、トマス様はご親戚であるシュタウフェンベルク伯爵に協力を要請されました。
要請を受けた伯爵はご子息のクリストフ様を派遣し、クリストフ様は1年ほど前からホーエンハイム邸に逗留するようになりました。
クリストフ様は大変仕事熱心な方で、トマス様もその仕事ぶりには大変感心されていました。
……ところが1か月前」
「当ててみよう。
伯爵さまとホムンクルスが消えた?」
「ええ、その通りです。」
「失踪した時の状況を聞かせてもらえるかい?」
「ホーエンハイム家には有事に備え、私以外にも戦闘用のホムンクルスが数体配備されています。
その日も、平常通り各自が任についておりましたが、館内の魔力に異常を感じました。
私が異常を察知した時にはもう、そのホムンクルスとクリストフ様のお姿はありませんでした」
「外部から誰かが侵入した可能性は?」
「ありえません。ホーエンハイムの敷地には強固な結界が張り巡らされています。特別に招かれた方以外は入れません」
「2人が居なくなった理由について何か心当たりはある?」
「私にはわかりません。クリストフ様の熱心過ぎる研究意欲が原因とトマス様は推定されております」

「そうかい」

そう言うとアンナは、腕を組んで眼を閉じ、考え込んだ。

「俺からも聞いていいかい?」
「ええ、どうぞ。ヘル・ケーヒル」
「どうしてニューヨークなんだ?
ここは魔術に向かない場所だ。
そんなバリバリの研究者がくると思えねえ」
「3週間ほど前に、ドイツ系の男性と銀髪に琥珀色の眼の二人組をJFK国際空港で見たとの情報が、この国に住む、あるハンターから入りました」
「ちなみにそいつの名前は?」
「ヘル・キンケイドという方です。」

 キンケイド。
 セントラルパークの一件で会った。
 たしか、ボストン訛りの大男だ。

 キンケイドの名前が出ると、無言で考え込んでいたアンナが口を開いた。

「ああ、その話なら私もキンケイドから聞いたよ。
『スイス衛兵隊以外のホーエンハイムのホムンクルスが外出なんて珍しいから、何かアメリカで仕事があるのかと思ってホーエンハイムに一報を入れた』
ってね。ホーエンハイム側は『そんな事実はない』と否定したそうだけど、まさかホムンクルスの家出とはね。」
「じゃあ、話をまとめると……」

 俺はぼさぼさの髪をかき上げると―俺の癖だ―言った。

「ニューヨークで家出したホムンクルスとご主人さまの魔術師らしい2人組の目撃情報が入ったから、ソサエティやほかの魔術師連中に知られないようにこっそり探して見つけてくれってのがあんた達の要望か?」
「ええ、御察しが良く大変助かります、ヘル・ケーヒル。
あなたは魔術師としては2流にも満たない存在と伺っていますが、俗世のこういっ
た仕事については大変有能な存在と伺っていますので」

褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ。
俺が使い手として2流もいいところだというのは事実だが。

「分かってると思うけど、パトリックはともかく私はこれで生計を立ててるプロだ。
ホーエンハイムのご当主は、報酬についてはどうお考えになってるか聞きたいね」
「トマス様は、あなたの働きに金銭で応じる準備が出来ています。
ご存じの事と推察しますが、ホーエンハイムは魔術だけでなく財力についても非常に強力な力を持っています。
あなたの技能が優秀であることは、すでに良く知られた事実です。
相応の御礼は提供することをお約束します。
どうか、お2方とも、ご協力をお願いいたします。」

 そういうと、ジークリンデと名乗ったそのホムンクルスは立ち上がって恭しく礼をした。

 ――やれやれだ。

「わかった。受けよう。あんたはどうする?」
「――そうさな。お前には今までも散々助けられてるからな。
お前が手を貸せって言うなら手を貸すよ」
「そうかい。ありがとう、パトリック」
「お話はまとまったようですね。では、私はこの件が解決するまでニューヨークに滞在します。
滞在先はこちらですので、何か進展があればご連絡をください」

 そう言って、ジークリンデは一枚のメモをよこした。
 住所はプラザホテルのものだった。
 金持ちめ。

「では、よろしくお願いいたします。」

 そう言って、ジークリンデは立ち去ろうとした。

「待った。最後に一つ聞いていいかい?」
「はい。何でしょうか。フロイライン」
「そのホムンクルスに名前は?あんたに名前があるんだから、そのホムンクルスにもあるんだろ?」
「はい。エーファと名乗らせております。」
「そうかい」
「ほかに何かご質問は?」
「いや。以上だ。進捗は連絡する」
「左様ですか。では、私は本日はこれで失礼します。」

 そう言うと、ジークリンデは来た時と同じように音もなく出て行った。

「――さて、どうする?」

「そうだね。まずは、貴族の家系出身の魔術師が滞在しそうなところを探してみよう。
このニューヨークでも、伯爵様のご子息を満足させるような場所はそんなにないはずだ。
虱潰しに探したとしてもそこまでの手間じゃないだろう」
「わかった。じゃあ、早速始めるか」
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