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亡霊たちの夜

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「俺の働き方を真似するなよ。ロクなことにならねえぞ」

 とっくにシフトが終わったオフィス。
 まだ残っていたのはいつもの3人だった。
 そのうちの1人、グリーンのデスクに歩み寄り、俺はそう声をかけた

「ちょっと! 私のことは心配してくれないの?」

 ワーカホリック組のもう1人、女刑事のモラレスが自分のデスクから声をかけてきた。

「お前はもう手遅れだろ」

 俺がそういうと、モラレス「まったく」と言わんばかりに両手を広げた。
 そのやり取りを見ていたグリーンは、黒い肌から綺麗に磨かれた白い歯をみせて爽やかに笑い、言った。

「いえ、あなたみたいになりたいんです。真似させてください」

 なんてナイスガイだ。
 グリーンは、最近、風紀取締特別班から移って来たまだ若い刑事だ。
 ハーレムの荒んだ家庭で育ち、苦労して刑事になったそうで、
 職務熱心なのも当然なのかもしれない。

 そう、幼いころにドミニカから移民してきたモラレスも、
 子供の頃は相当に苦労したらしい。
 ニューヨークに生まれ、ごく普通の家庭に育った俺と2人には、
 刑事をやっていることを除けば共通点などないに等しい。
 だが、いつも遅くまで顔を合わせているこの2人には不思議と親近感を感じていた。

 物思いに耽りつつ自分のデスクに戻ると、俺は溜まった書類に手を付け始めた。
 すると、隣のデスクのモラレスが溜息交じりに言った。

「ねえ、ケーヒル。愛ってなんだろうね?」

 彼女が「愛」という単語を含んで何か話すとき、それは男にふられた時と決まっている。

 モラレスが男にふられるのは不思議じゃない。
 デートになると、必ず趣味の登山の話で熱くなり、大半の男はついていけなくなるからだ。
 彼女は10000フィート級以上の山以外には登らないという主義を掲げるバリバリの本格派で、長期休暇を取ると、アジアや南米の発音しづらい名前の山によく登りに行っていた。

 モラレスは良い奴だが、登山の話と恋愛の話をしているときはこの上なく厄介な存在になる。
 特に登山の話のときが厄介だ。
 ひとたび「登山」という単語が飛び出すと、アイゼンやピッケルについてとめどなく語り続け、それはこちらが「もう止めてくれ」と言っても止まらない。

 こんな話をされて喜ぶ男はよっぽどの登山マニアだけだろう。
 俺は800万人の人口を抱えるこのニューヨークで生まれ育ったが、
 残念ながら彼女のような筋金入りの登山マニアを他に知らない。

 それにしても不思議なのは彼女がデートの時間をどうやって捻出しているかだ。
 モラレスは俺と大差ないレベルのワーカホリックで、シフトが終わるとさっさと帰るなんていう姿を見たことがない。
 彼女から魔力を感じたことはないが、俺の知らない何か特殊な方法で時を操っているのだろうか。

「モラレス」

 俺は言った。

「そいつは30がらみの独身男にする質問じゃないぜ」
「いいから何か答えてみてよ」

 俺は少し考えるフリをして答えた。

「金と妥協じゃないか?」

 モラレスはため息をつくと、予想通りの言葉を返した。

「聞く相手間違えたよ」
「だから言っただろ」
「ねえ、あんたはどうなのよ?」
「知ってるだろ。俺にそんなプライベートはねえよ」
「あら、よく一緒にいるあの赤毛のモデル風美人は?」
「コンサルタントだよ。ボスに聞いてみろ」
「コンサルタント?専門は何なの?」

 アンナの専門か――答えは明らかに「魔術」なのだが言ったところで信じてもらえないだろう。
 そもそも、ボスもアンナが何のコンサルタントなのかよく分かっていない。
 知っているのはソサエティの息がかかった上層部の一部の人間だけだ。
 どう答えようか思案していると、ボスのウィンタース警部――警部はすでに孫がいる年齢だが現役のワーカホリックだ―が俺を呼ぶ声が聞こえた。
 やれやれ助かった。
 俺は「あいよ、ボス」と答え、ボスのオフィスに向かう。
 こうやって俺が1人で呼ばれるときは、間違いない"こちら側"の世界の用件だ。
 さて、また不思議の国に冒険と洒落込むか。

「お前に名指しで、相談が来ててな」

 ボスのウィンタース警部は禿げあがった頭をなでながら言った。

「はい」
「セントラルパークでここ2、3週間に人が昏倒する現象が相次いでるそうだ」
「……ボス、ここは殺人課だったと思うんですが?」
「お前に言われなくともわかってるよ。森で熊がクソを垂れるのと同じぐらい確かなことだ」
「だったらどうして……」

 「俺が呼ばれたんですか」と言いかけたところで、警部は遮って言った

「殺人課の管轄じゃない、お前の管轄だよ」
「……俺はいったい何の担当なんですか?」
「さあな。不思議の国に逃げ込んだウサギの捜索ってとこじゃないか?」
「そのあとはみんなでお茶会ですか?」

「必要ならばな。話を続けてもいいか?」

「イエス」と俺は答えるしかなかった。

「じゃあ、続けるが、衛生局が立ちいって入念に検査したにも関わらず、
健康に被害を及ぼすような物質は何一つ検出されなかったそうだ」
「他には?」
「いや、以上だ。……どうだ、不思議の国に逃げ込んだウサギは探せそうか?」

 ハア、とため息をついて俺は言った。

「相棒に相談して、一緒に調べてみます。ボス」
「ああ、頼んだ。いいか、上からのご指名だ。頑張れよ」

××××××××××××

「霊体酔いだね。」

 翌朝、俺はこっち側の世界の相棒の元を訪れていた。
 俺から事件のあらましを聞いたわが相棒、アンナ・ロセッティは開口一番そう答えた。
 彼女の父でビジネスパートナーのマシューは留守だった。
 ボルティモアに出張しているらしい。

「霊体酔い?」
「知ってると思うけど、セントラルパークはニューヨーク徴兵暴動の時の死体置き場だ。
ニューヨークは神秘とは縁の薄い土地だけど、あそこには今でも事件で死んだ数千人の霊体が漂ってる。
あんたも時々、背筋に嫌なものを感じることがあるだろ?」
「ああ、そうだ。」

 俺の能力は生まれつきではない。
ここ数年―能力が発現して以来―セントラルパークに行くのは必要な時以外、極力避けている。
あそこにいると、常に背筋にうすら寒いものを感じるからだ。

「霊体の正体はエーテルと残留思念の合成物だ。
霊体は時間ととも儚く消えてしまうけど、無念な最期を遂げた人物や根っから頭のネジが飛んでたような
悪党の場合、死の瞬間の思念がしぶとく残り続ける場合がある」
「ああ、そうだったな。そういうのがいわゆる、悪魔とか、悪霊とか巷で呼ばれてるものになるんだったな」
「そう。そういう手合いは死の瞬間の感情を強烈な残留思念として抱えこんで、時に生きている人間には精神的な干渉を及ぼすことがある。
私たち魔術師は霊体に対する感度が高い分、霊体から受ける刺激に抵抗力もあるから、寒気を感じる程度で済むけど、
感度の低い一般人の場合、刺激に抵抗力がないから、精神的干渉が原因で昏倒する場合がある」

 そう言ってアンナはタバコを揉み消した。
 灰皿にはいつしかタバコの吸い殻でアパラチア山脈が出来上がっていた。

「とは言え、魔術と無縁な一般人が次々と昏倒する何ていうのは明らかに異常だね」
「どういうことだ?」
「私たち魔術師をラジオだとするなら、一般人は言ってみればなんの電波も受信しないギターのアンプだ。
でも、ギターのアンプでも時々何かの拍子に電波を拾うことがある。だから、時々ならば霊体酔いの現象が起きるのもわかる。」
「セントラルパークの残留思念がとんでもなく強烈って可能性は?」
「暴動で死んだ人間の霊体なら相当強烈な思念を残しているだろうけど、それでもニューヨーク徴兵暴動は150年以上前の話だ。
どんな強烈な思念だって、時間が経てば徐々に薄くなる。
次々と人が昏倒するなんてことにはならないよ。
恐らく、今のセントラルパークは一帯のマナが濃くなってる。
……誰かが何かをしたせいで」

 やっぱりこういう展開か――
俺は髪を掻き毟って――俺の癖だ――アンナに言った

「で、どうすればいい?」
「行くしかないね」 
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