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第三章 シグルド18歳 ケヴィン24歳 アネット23歳(?)
三章-4
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いつから、と言ったら、きっと最初からだろう。
けんめいに支えてくれる小さな体。
かいがいしい手。
文句のようなものを言いながらも、その声は責めるわけではなく優しさにあふれていて。
それらすべてに誘われて、酔いで自制が効かないまま、彼女を抱き込んでベッドに倒れた。
酔いが深かったために未遂に終わったが、もう少し飲んでいなかったらあのときに自分のものにしていただろうか。いや、そのようなことができるだけの自分が残っていたら、押し倒したりなどしない。彼女に礼を言って、それで終わりになっていただろう。
彼女は大切にしているものを落とすことはなく、ケヴィンはそれを拾うこともなければ償わなくてはならないと思うこともなく、そのまま同じ邸に住みながらも二度と会うこともなかったはずだった。
お互いに先のない想いだとわかっていたから、一度は離れようとした。だが、常にはない状況に心の戒めは解け、今こうしてここにいる。
彼女の頭に腕を貸し、抱き込むように肩に手を回して、もう一方の手で彼女の髪をもてあそんだ。綿毛のような柔らかな感触は心地よく、いつまでも触っていたい気分にさせる。この指は、ケヴィンより先にこの感触に気付いたから、あの夜ほどこうとしているかのように髪の網目に差し込まれたのだろうか。
ケヴィンのほうを向いて眠る彼女は、ランプのわずかな明かりの中、口元に笑みをたたえていた。念願のベッドに眠れて、至福を思っているのだろう。──この部屋に連れて来た時“もう一度ふかふかなベッドで眠れるなんて”と言われて当初の目的を忘れてやしないかと焦ったが、そのあとに彼女の表情に恥じらいが見えて、それでケヴィンは安心することができた。
ベッドの中で、彼女は今まで見せてくれたことのない表情をいくつも見せてくれた。その一つひとつがいとしくて、大事に、大切にしていきたいと心の底から思う。
窓にかけられた厚いカーテンが早朝のわずかな光を透かしはじめたころ、彼女は目を覚ました。間近にケヴィンの顔があることに一瞬動揺し、それから照れたような笑顔になる。
「おはようございます。ケヴィン様」
「……おはよう」
彼女とは今まで交わしたことのないあいさつに動悸を覚え、うろたえた。
ケヴィンはこんな些細なことにも心揺り動かされるというのに、アネットは先程の動揺が嘘のように抱き込むケヴィンの腕を押しのけて元気よく起き上がる。
その動きがしばし止まった。
痛みをこらえるように丸まった背中。
心配になりながらケヴィンは少し身を起こした。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。ちょっと痛かっただけですから」
押し殺したようなその声は、あまり大丈夫そうではない。
「すまない」
「そっ、そおいうことは言わなくていいです」
体が痛む原因は自分だと自覚するから謝るのに、彼女は何故か謝罪を拒絶する。
痛む体をかばうようにベッドから降りようとする彼女に、ケヴィンは声をかけた。
「もう少し休んでいくといい」
「そーいうわけにはいきませんよ。仕事もあるし、早く戻らないとみなさん起き出してきちゃいます」
ケヴィンに顔を向けることなく足を降ろし、体をかがめてベッドの下に落とした衣類に手を伸ばす。
長くて豊かな髪が背中から流れ落ちて、隠されていた肌をのぞかせた。カーテンを透かして入ってくる光はほんのわずかで薄暗いのに、その白さがまぶしくて、ケヴィンは思わず目を細める。
「わたしははずみで君を抱いたつもりはない。責任を取るつもりでいる」
自分の立場からすると、彼女との結婚は望めない。だが、結婚しなくとも彼女と共に未来を歩む道はある。
二年間、ずっと考えてきたことを口にしようとすると、彼女はやけに明るい口調でさえぎった。
「責任なんて、そんなこと考えないでいいんですよ」
背を向けたまま、下着を身に付けはじめる。それを止めたものか迷いながら、ケヴィンはベッドの上に体を起こした。
「しかし、子どもができていたら」
「あ、それなら大丈夫です。ヘリオット様から避妊薬をいただいてますから。安いものじゃないでしょうに、気前がいいですよね」
「ヘリオットのヤツ……っ」
ケヴィンは頭を抱えてうめいた。
なんてものを女性に渡すのか。それを受け取る彼女も彼女だ。恥じらいというものがないのか!?
すっかり身支度を整えた彼女は、ベッドに膝で乗って、素肌をさらすケヴィンの肩にシャツを羽織らせた。
「先にもらっててらっきーでしたよ。避妊薬がなければ、さすがにあたしもケヴィン様の望みを叶えて差し上げようなんて思わなかったですから」
それは関係を持ったとしても、続けるつもりはなかったということか?
ケヴィンは顔を上げて、彼女の二の腕をつかむ。せっかく彼女がかけてくれたシャツが背中をすべり落ちていったが、そんなことはどうでもよかった。
「わたしはようやく手に入れた君を手放すつもりはない」
彼女の瞳が見開かれて、揺れる。それはほんのわずかな間のことで、彼女はすぐにいつものにこにこした笑顔を見せた。
「あはは。ケヴィン様って意外とジョーネツテキだったんですね」
「笑い飛ばしてごまかさないでくれ。悩み抜いて覚悟した上で話しているんだ」
にらみ付けるようにして強く言うと、アネットはおどけた笑みを表情から消した。
残るのは、やさしいほほえみだけ。
「あたしはケヴィン様の子を産みません。愛人の座におさまるつもりもありません。だって、ケヴィン様はあたしを囲ったりしたら、もう奥さまを持とうとはなさらないでしょ? それはダメです。ケヴィン様は公爵様のご子息で、いずれは公爵様になられるお方です。そんなお方が奥さまを持たないわけにはいかないじゃないですか。結婚なさるとしても、愛人がいたりなんかしたら、奥さまとなられる方がいい顔をなさるはずがありません。奥さまとあたしの板挟みになって、ケヴィン様が苦しい思いをなさるだけです。だからダメです」
やわらかな表情とはうらはらに、口調は頑がんとしていて、考えを変えるつもりは一切ないという意思の強さがあった。
そんなつもりでわたしに抱かれてくれたのか……。
きっと彼女は、ケヴィンが結論にたどり着く前から知っていた。ケヴィンが彼女を選んだら、他の誰も選ばなくなるということを。
家を継ぐことを定められた貴族が結婚せずにいることは難しい。家族だけでなく親類縁者までもが相手選びと後継ぎ誕生を固唾をのんで見守り、そこに滞りがあれば我がことのように心配して世話をしようとする。自分のことでありながら、自分のことだけを考えていられないのが貴族社会のありかただ。
彼女はそのことまで理解し、ケヴィンの行く末を案じてくれている。
案じてくれるのなら、別のことに心砕いてほしいのに。
落胆した自分がどんな顔をしたかわからない。
彼女はなぐさめるかのように目尻を下げて、言い聞かせるようにケヴィンに言った。
「あたしはずっとあの部屋にいます。だから、奥さまをお持ちになるまでは部屋に入れて差し上げますから」
おどけて言う彼女の目をじっと見つめていたケヴィンは、視線をそらすように目を閉じて小さくため息をついた。
見つめ返してくる彼女の瞳は揺るぎがなく、簡単には説得に応じてくれそうもない。
それに時間もない。出立の日は迫っている。
「……渡した指輪は、まだ持っているか?」
「え? そりゃあもちろん」
「何かあったら、それを持ってこの邸から西に二ブロック行った先にある邸に向かってくれ。そこで指輪を見せれば便宜を図ってもらえるよう、話をつけておく」
「……わかりました」
少々ためらいを見せたが、彼女はうなずいてくれた。
それにほっとしていると、不意に彼女の視線が泳ぎ出す。
いぶかしく思い目をすがめると、彼女は横に視線をそらして言った。
「あの、できたらシャツを着てもらえませんか? さっきからその、目のやり場にこ、困ってるんです」
「──これは失礼した」
頬を赤くする彼女につられて目元を赤くしたケヴィンは、背後に落としてしまったシャツを拾い、そでに腕を通して胸板を隠した。
けんめいに支えてくれる小さな体。
かいがいしい手。
文句のようなものを言いながらも、その声は責めるわけではなく優しさにあふれていて。
それらすべてに誘われて、酔いで自制が効かないまま、彼女を抱き込んでベッドに倒れた。
酔いが深かったために未遂に終わったが、もう少し飲んでいなかったらあのときに自分のものにしていただろうか。いや、そのようなことができるだけの自分が残っていたら、押し倒したりなどしない。彼女に礼を言って、それで終わりになっていただろう。
彼女は大切にしているものを落とすことはなく、ケヴィンはそれを拾うこともなければ償わなくてはならないと思うこともなく、そのまま同じ邸に住みながらも二度と会うこともなかったはずだった。
お互いに先のない想いだとわかっていたから、一度は離れようとした。だが、常にはない状況に心の戒めは解け、今こうしてここにいる。
彼女の頭に腕を貸し、抱き込むように肩に手を回して、もう一方の手で彼女の髪をもてあそんだ。綿毛のような柔らかな感触は心地よく、いつまでも触っていたい気分にさせる。この指は、ケヴィンより先にこの感触に気付いたから、あの夜ほどこうとしているかのように髪の網目に差し込まれたのだろうか。
ケヴィンのほうを向いて眠る彼女は、ランプのわずかな明かりの中、口元に笑みをたたえていた。念願のベッドに眠れて、至福を思っているのだろう。──この部屋に連れて来た時“もう一度ふかふかなベッドで眠れるなんて”と言われて当初の目的を忘れてやしないかと焦ったが、そのあとに彼女の表情に恥じらいが見えて、それでケヴィンは安心することができた。
ベッドの中で、彼女は今まで見せてくれたことのない表情をいくつも見せてくれた。その一つひとつがいとしくて、大事に、大切にしていきたいと心の底から思う。
窓にかけられた厚いカーテンが早朝のわずかな光を透かしはじめたころ、彼女は目を覚ました。間近にケヴィンの顔があることに一瞬動揺し、それから照れたような笑顔になる。
「おはようございます。ケヴィン様」
「……おはよう」
彼女とは今まで交わしたことのないあいさつに動悸を覚え、うろたえた。
ケヴィンはこんな些細なことにも心揺り動かされるというのに、アネットは先程の動揺が嘘のように抱き込むケヴィンの腕を押しのけて元気よく起き上がる。
その動きがしばし止まった。
痛みをこらえるように丸まった背中。
心配になりながらケヴィンは少し身を起こした。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。ちょっと痛かっただけですから」
押し殺したようなその声は、あまり大丈夫そうではない。
「すまない」
「そっ、そおいうことは言わなくていいです」
体が痛む原因は自分だと自覚するから謝るのに、彼女は何故か謝罪を拒絶する。
痛む体をかばうようにベッドから降りようとする彼女に、ケヴィンは声をかけた。
「もう少し休んでいくといい」
「そーいうわけにはいきませんよ。仕事もあるし、早く戻らないとみなさん起き出してきちゃいます」
ケヴィンに顔を向けることなく足を降ろし、体をかがめてベッドの下に落とした衣類に手を伸ばす。
長くて豊かな髪が背中から流れ落ちて、隠されていた肌をのぞかせた。カーテンを透かして入ってくる光はほんのわずかで薄暗いのに、その白さがまぶしくて、ケヴィンは思わず目を細める。
「わたしははずみで君を抱いたつもりはない。責任を取るつもりでいる」
自分の立場からすると、彼女との結婚は望めない。だが、結婚しなくとも彼女と共に未来を歩む道はある。
二年間、ずっと考えてきたことを口にしようとすると、彼女はやけに明るい口調でさえぎった。
「責任なんて、そんなこと考えないでいいんですよ」
背を向けたまま、下着を身に付けはじめる。それを止めたものか迷いながら、ケヴィンはベッドの上に体を起こした。
「しかし、子どもができていたら」
「あ、それなら大丈夫です。ヘリオット様から避妊薬をいただいてますから。安いものじゃないでしょうに、気前がいいですよね」
「ヘリオットのヤツ……っ」
ケヴィンは頭を抱えてうめいた。
なんてものを女性に渡すのか。それを受け取る彼女も彼女だ。恥じらいというものがないのか!?
すっかり身支度を整えた彼女は、ベッドに膝で乗って、素肌をさらすケヴィンの肩にシャツを羽織らせた。
「先にもらっててらっきーでしたよ。避妊薬がなければ、さすがにあたしもケヴィン様の望みを叶えて差し上げようなんて思わなかったですから」
それは関係を持ったとしても、続けるつもりはなかったということか?
ケヴィンは顔を上げて、彼女の二の腕をつかむ。せっかく彼女がかけてくれたシャツが背中をすべり落ちていったが、そんなことはどうでもよかった。
「わたしはようやく手に入れた君を手放すつもりはない」
彼女の瞳が見開かれて、揺れる。それはほんのわずかな間のことで、彼女はすぐにいつものにこにこした笑顔を見せた。
「あはは。ケヴィン様って意外とジョーネツテキだったんですね」
「笑い飛ばしてごまかさないでくれ。悩み抜いて覚悟した上で話しているんだ」
にらみ付けるようにして強く言うと、アネットはおどけた笑みを表情から消した。
残るのは、やさしいほほえみだけ。
「あたしはケヴィン様の子を産みません。愛人の座におさまるつもりもありません。だって、ケヴィン様はあたしを囲ったりしたら、もう奥さまを持とうとはなさらないでしょ? それはダメです。ケヴィン様は公爵様のご子息で、いずれは公爵様になられるお方です。そんなお方が奥さまを持たないわけにはいかないじゃないですか。結婚なさるとしても、愛人がいたりなんかしたら、奥さまとなられる方がいい顔をなさるはずがありません。奥さまとあたしの板挟みになって、ケヴィン様が苦しい思いをなさるだけです。だからダメです」
やわらかな表情とはうらはらに、口調は頑がんとしていて、考えを変えるつもりは一切ないという意思の強さがあった。
そんなつもりでわたしに抱かれてくれたのか……。
きっと彼女は、ケヴィンが結論にたどり着く前から知っていた。ケヴィンが彼女を選んだら、他の誰も選ばなくなるということを。
家を継ぐことを定められた貴族が結婚せずにいることは難しい。家族だけでなく親類縁者までもが相手選びと後継ぎ誕生を固唾をのんで見守り、そこに滞りがあれば我がことのように心配して世話をしようとする。自分のことでありながら、自分のことだけを考えていられないのが貴族社会のありかただ。
彼女はそのことまで理解し、ケヴィンの行く末を案じてくれている。
案じてくれるのなら、別のことに心砕いてほしいのに。
落胆した自分がどんな顔をしたかわからない。
彼女はなぐさめるかのように目尻を下げて、言い聞かせるようにケヴィンに言った。
「あたしはずっとあの部屋にいます。だから、奥さまをお持ちになるまでは部屋に入れて差し上げますから」
おどけて言う彼女の目をじっと見つめていたケヴィンは、視線をそらすように目を閉じて小さくため息をついた。
見つめ返してくる彼女の瞳は揺るぎがなく、簡単には説得に応じてくれそうもない。
それに時間もない。出立の日は迫っている。
「……渡した指輪は、まだ持っているか?」
「え? そりゃあもちろん」
「何かあったら、それを持ってこの邸から西に二ブロック行った先にある邸に向かってくれ。そこで指輪を見せれば便宜を図ってもらえるよう、話をつけておく」
「……わかりました」
少々ためらいを見せたが、彼女はうなずいてくれた。
それにほっとしていると、不意に彼女の視線が泳ぎ出す。
いぶかしく思い目をすがめると、彼女は横に視線をそらして言った。
「あの、できたらシャツを着てもらえませんか? さっきからその、目のやり場にこ、困ってるんです」
「──これは失礼した」
頬を赤くする彼女につられて目元を赤くしたケヴィンは、背後に落としてしまったシャツを拾い、そでに腕を通して胸板を隠した。
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