17 / 36
第三章 シグルド18歳 ケヴィン24歳 アネット23歳(?)
三章-1
しおりを挟む
二度目のキスは、唇と唇がただ触れ合っただけの、不器用なものだった。
「君にも約束する。必ず生きて帰ってくると」
長い長いキスのあと、ケヴィンはそう言い残して戦地へと旅立っていった。
この言葉さえあれば、不安にも寂しさにも耐えていける。
そう思ったのに。
──・──・──
ケヴィンがシグルドに付き従って王都に帰ってこれたのは、旅立って三年後のことだった。
王城に到着し国王に謁見をたまわったシグルドは、その場で発言の許可を取り、戦場にいた頃から考えていた意見を口にした。
──これ以上の進軍は、いたずらに軍を消耗させるだけで何の利にもなりません。軍を止め、現在占領している地の守りを固めるべきです。
謁見に参列していた主だった貴族たちは、シグルドの“進言”に激昂した。王子であり王国軍の総指揮官とはいえ、国王に意見するなどもっての他だと言うのだ。
戦場を自らの目で見て軍をまとめてきたシグルドが進言できなくて、誰が戦場について国王に進言できるというのか。
シグルドはケヴィンら戦場から戻って来た者たちと一緒に、議論の場から追い出された。議会に参加する資格を持っていないからという理由で。
ここで進軍を止めるのは、侵略を推進してきた者たちにとって都合が悪いのだ。広大な盆地に国を構える隣国レシュテンウィッツ。ラウシュリッツ王国軍は国境から坂を下った先の、八つの村と二つの街しか手に入れていない。一人が手に入れるには十分な広さだが、大勢の貴族たちが分けあうにはあまりに狭かった。多くの富を投じて利がろくに得られないというのはおさまりがつなかいのだろう。また、ここで今まで虐げ続けてきたシグルドの言葉通りに国が動くと不都合な者たちがいる。王妃や、ラダム公爵が。
安全な王都でのうのうと暮らす貴族たちの思惑について論じていられるような状況ではない。手に入れた地は常に他国の軍がねつらっていて、守りに徹するよう命令を置いてきてあっても断続的に続く攻防戦に消耗は免れない。だが、国王より進軍はこれ以上行わない、占領地の守備に専念せよという命令が下るだけで、兵士たちの心持は大きく変わり無駄な消耗を防げる。
議会の決定をただ待つというのは落ち付かない。
近衛隊士たちとの約束もあって、下街の酒場へと繰り出した。
近衛隊士たちの酒がずいぶん進み部屋の隅に寝転がる者が現れるようになった頃、カウンターの片隅で酒を飲むフリをしながら馬鹿騒ぎに興じるシグルドを見守っていたケヴィンに、ヘリオットが酒の杯を持って近付いてきた。
「おまえ、こんなとこにいてもいーのか?」
ヘリオットが何を言わんとしているのかは、すぐに察せられた。ケヴィンはかすかに眉をひそめ無言でシグルドに目をやる。ケヴィンの反応は予測済みなのだろう。ヘリオットは気にした様子なく、ケヴィンの隣に並んだ。
「そういや昨日の晩って手もあったか」
ヘリオットに気付かれてしまった通り、確かに昨夜彼女のもとを訪れた。だが。
「あ、もしかして“他にいい人ができたからもう来ないで”とか言われたとか?」
ぎろりにらむと、ヘリオットはおどけた様子で肩をすくめる。
……そうであったほうがどれだけ楽だったことか。
昨夜のことを思い出したケヴィンは、これまでなめる程度にとどめていた杯をぐっとあおった。
邸に帰り着いたのは昨日のことだ。逸る気持ちを押さえ、邸が寝静まったのを見計らって、アネットの部屋を訪れた。
三年の歳月が流れた。決して短くない期間。年頃であったアネットには劇的な変化があってもおかしくない。結婚してしまっているかもしれない。そのために部屋が変わり、今はもう洗濯室の隣には住んでいないかもしれない。
そんな怖れを抱きながら、裏庭に回って井戸の脇に立ち、何度も通った扉を見つめた。
今あの部屋に住んでいるのは、彼女なのか、それとも別の誰かなのか。
扉に近寄ることもためらっていたら、かすかな光の漏れる小窓に人影が現れ、あまり間を置かずに扉が開かれた。
ランプを掲げて近付いてくるのは、間違いなく彼女だった。
ケヴィンに気付いて出てきてくれたのだろう。忘れられてしまってはいないのかもしれない。そんな期待に胸が打ち震える。
が。
──そんなところに立ってないでくださいよ。誰かに見られたらどーするんですか。
予想外の第一声に、ケヴィンは反応できずに固まった。
戦場から帰ったのだから、もう少し感動があってもよさそうなものなのに、彼女はそう言ってケヴィンを自分の部屋へと追い立てる。今でもベッド代わりにしているだろうベンチにケヴィンを座らせると、そこでようやくこう言った。
──そうそう。おかえりなさい、ケヴィン様。お疲れ様でした。
そう言って深々と頭を下げる彼女に対し、あたりさわりのない会話をするしかなかった。彼女が口にするのはここ二年間の邸の様子ばかりで、ケヴィンのしたい話を差しはさめる雰囲気はとうとうつくれなかった。
五年ほど前、ヘリオットが言っていたことを思い出す。まさに閉め出されてしまったような気分だった。結婚したとか恋人ができたと言って拒絶するよりたちが悪い。
会って確かめたいという焦燥を抑えつつ入った部屋から、確かめられなかった落胆とすっきりしないものを抱えて出るはめになった。
あとになって思えば、その時は足らなかったのかもしれない。どうしても伝えなければという思いが。
議会の決定を待つという状況に置かれながら、心のどこかでシグルドの進言は通り、これまでの労がねぎらわれて、あるいはこれ以上活躍させまいとする勢力に阻まれる形で、シグルドは総指揮官の任を解かれ再び戦地に赴くことはないと思っていたのかもしれない。
ところが、事態は急変する。
「俺はそんなこと言ってない!」
議会の決定を経緯とともに知らされたシグルドは、それを伝えた父クリフォード公爵につかみかからん勢いで怒鳴った。
“これ以上の進軍は国王の威光をもってしてでしか不可能”──シグルドの進言は、このように言いかえられ、侵略反対派の強硬な抵抗もむなしく、議会で賛成が上回り、国王の遠征とさらなる侵略推進が決定された。その数日後、なおも国王に進言を続ける反対派がそのことを罪に取られ、謹慎、罷免の厳罰に処せられる。
シグルドは、国王遠征の準備が整うまで戦場を維持せよとの命令を受けて、国王に先駆けて戦場に戻ることとなった。
「君にも約束する。必ず生きて帰ってくると」
長い長いキスのあと、ケヴィンはそう言い残して戦地へと旅立っていった。
この言葉さえあれば、不安にも寂しさにも耐えていける。
そう思ったのに。
──・──・──
ケヴィンがシグルドに付き従って王都に帰ってこれたのは、旅立って三年後のことだった。
王城に到着し国王に謁見をたまわったシグルドは、その場で発言の許可を取り、戦場にいた頃から考えていた意見を口にした。
──これ以上の進軍は、いたずらに軍を消耗させるだけで何の利にもなりません。軍を止め、現在占領している地の守りを固めるべきです。
謁見に参列していた主だった貴族たちは、シグルドの“進言”に激昂した。王子であり王国軍の総指揮官とはいえ、国王に意見するなどもっての他だと言うのだ。
戦場を自らの目で見て軍をまとめてきたシグルドが進言できなくて、誰が戦場について国王に進言できるというのか。
シグルドはケヴィンら戦場から戻って来た者たちと一緒に、議論の場から追い出された。議会に参加する資格を持っていないからという理由で。
ここで進軍を止めるのは、侵略を推進してきた者たちにとって都合が悪いのだ。広大な盆地に国を構える隣国レシュテンウィッツ。ラウシュリッツ王国軍は国境から坂を下った先の、八つの村と二つの街しか手に入れていない。一人が手に入れるには十分な広さだが、大勢の貴族たちが分けあうにはあまりに狭かった。多くの富を投じて利がろくに得られないというのはおさまりがつなかいのだろう。また、ここで今まで虐げ続けてきたシグルドの言葉通りに国が動くと不都合な者たちがいる。王妃や、ラダム公爵が。
安全な王都でのうのうと暮らす貴族たちの思惑について論じていられるような状況ではない。手に入れた地は常に他国の軍がねつらっていて、守りに徹するよう命令を置いてきてあっても断続的に続く攻防戦に消耗は免れない。だが、国王より進軍はこれ以上行わない、占領地の守備に専念せよという命令が下るだけで、兵士たちの心持は大きく変わり無駄な消耗を防げる。
議会の決定をただ待つというのは落ち付かない。
近衛隊士たちとの約束もあって、下街の酒場へと繰り出した。
近衛隊士たちの酒がずいぶん進み部屋の隅に寝転がる者が現れるようになった頃、カウンターの片隅で酒を飲むフリをしながら馬鹿騒ぎに興じるシグルドを見守っていたケヴィンに、ヘリオットが酒の杯を持って近付いてきた。
「おまえ、こんなとこにいてもいーのか?」
ヘリオットが何を言わんとしているのかは、すぐに察せられた。ケヴィンはかすかに眉をひそめ無言でシグルドに目をやる。ケヴィンの反応は予測済みなのだろう。ヘリオットは気にした様子なく、ケヴィンの隣に並んだ。
「そういや昨日の晩って手もあったか」
ヘリオットに気付かれてしまった通り、確かに昨夜彼女のもとを訪れた。だが。
「あ、もしかして“他にいい人ができたからもう来ないで”とか言われたとか?」
ぎろりにらむと、ヘリオットはおどけた様子で肩をすくめる。
……そうであったほうがどれだけ楽だったことか。
昨夜のことを思い出したケヴィンは、これまでなめる程度にとどめていた杯をぐっとあおった。
邸に帰り着いたのは昨日のことだ。逸る気持ちを押さえ、邸が寝静まったのを見計らって、アネットの部屋を訪れた。
三年の歳月が流れた。決して短くない期間。年頃であったアネットには劇的な変化があってもおかしくない。結婚してしまっているかもしれない。そのために部屋が変わり、今はもう洗濯室の隣には住んでいないかもしれない。
そんな怖れを抱きながら、裏庭に回って井戸の脇に立ち、何度も通った扉を見つめた。
今あの部屋に住んでいるのは、彼女なのか、それとも別の誰かなのか。
扉に近寄ることもためらっていたら、かすかな光の漏れる小窓に人影が現れ、あまり間を置かずに扉が開かれた。
ランプを掲げて近付いてくるのは、間違いなく彼女だった。
ケヴィンに気付いて出てきてくれたのだろう。忘れられてしまってはいないのかもしれない。そんな期待に胸が打ち震える。
が。
──そんなところに立ってないでくださいよ。誰かに見られたらどーするんですか。
予想外の第一声に、ケヴィンは反応できずに固まった。
戦場から帰ったのだから、もう少し感動があってもよさそうなものなのに、彼女はそう言ってケヴィンを自分の部屋へと追い立てる。今でもベッド代わりにしているだろうベンチにケヴィンを座らせると、そこでようやくこう言った。
──そうそう。おかえりなさい、ケヴィン様。お疲れ様でした。
そう言って深々と頭を下げる彼女に対し、あたりさわりのない会話をするしかなかった。彼女が口にするのはここ二年間の邸の様子ばかりで、ケヴィンのしたい話を差しはさめる雰囲気はとうとうつくれなかった。
五年ほど前、ヘリオットが言っていたことを思い出す。まさに閉め出されてしまったような気分だった。結婚したとか恋人ができたと言って拒絶するよりたちが悪い。
会って確かめたいという焦燥を抑えつつ入った部屋から、確かめられなかった落胆とすっきりしないものを抱えて出るはめになった。
あとになって思えば、その時は足らなかったのかもしれない。どうしても伝えなければという思いが。
議会の決定を待つという状況に置かれながら、心のどこかでシグルドの進言は通り、これまでの労がねぎらわれて、あるいはこれ以上活躍させまいとする勢力に阻まれる形で、シグルドは総指揮官の任を解かれ再び戦地に赴くことはないと思っていたのかもしれない。
ところが、事態は急変する。
「俺はそんなこと言ってない!」
議会の決定を経緯とともに知らされたシグルドは、それを伝えた父クリフォード公爵につかみかからん勢いで怒鳴った。
“これ以上の進軍は国王の威光をもってしてでしか不可能”──シグルドの進言は、このように言いかえられ、侵略反対派の強硬な抵抗もむなしく、議会で賛成が上回り、国王の遠征とさらなる侵略推進が決定された。その数日後、なおも国王に進言を続ける反対派がそのことを罪に取られ、謹慎、罷免の厳罰に処せられる。
シグルドは、国王遠征の準備が整うまで戦場を維持せよとの命令を受けて、国王に先駆けて戦場に戻ることとなった。
0
お気に入りに追加
145
あなたにおすすめの小説


蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。

貴妃エレーナ
無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」
後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。
「急に、どうされたのですか?」
「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」
「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」
そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。
どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。
けれど、もう安心してほしい。
私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。
だから…
「陛下…!大変です、内乱が…」
え…?
ーーーーーーーーーーーーー
ここは、どこ?
さっきまで内乱が…
「エレーナ?」
陛下…?
でも若いわ。
バッと自分の顔を触る。
するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。
懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

愛は全てを解決しない
火野村志紀
恋愛
デセルバート男爵セザールは当主として重圧から逃れるために、愛する女性の手を取った。妻子や多くの使用人を残して。
それから十年後、セザールは自国に戻ってきた。高い地位に就いた彼は罪滅ぼしのため、妻子たちを援助しようと思ったのだ。
しかしデセルバート家は既に没落していた。
※なろう様にも投稿中。
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。


(完結)伯爵令嬢に婚約破棄した男性は、お目当ての彼女が着ている服の価値も分からないようです
泉花ゆき
恋愛
ある日のこと。
マリアンヌは婚約者であるビートから「派手に着飾ってばかりで財をひけらかす女はまっぴらだ」と婚約破棄をされた。
ビートは、マリアンヌに、ロコという娘を紹介する。
シンプルなワンピースをさらりと着ただけの豪商の娘だ。
ビートはロコへと結婚を申し込むのだそうだ。
しかし伯爵令嬢でありながら商品の目利きにも精通しているマリアンヌは首を傾げる。
ロコの着ているワンピース、それは仕立てこそシンプルなものの、生地と縫製は間違いなく極上で……つまりは、恐ろしく値の張っている服装だったからだ。
そうとも知らないビートは……
※ゆるゆる設定です

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる