らっきー♪

市尾彩佳

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第三章 シグルド18歳 ケヴィン24歳 アネット23歳(?)

三章-1

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 二度目のキスは、唇と唇がただ触れ合っただけの、不器用なものだった。
 「君にも約束する。必ず生きて帰ってくると」
  長い長いキスのあと、ケヴィンはそう言い残して戦地へと旅立っていった。
  この言葉さえあれば、不安にも寂しさにも耐えていける。
  そう思ったのに。
 

  ──・──・──
 

 ケヴィンがシグルドに付き従って王都に帰ってこれたのは、旅立って三年後のことだった。
  王城に到着し国王に謁見をたまわったシグルドは、その場で発言の許可を取り、戦場にいた頃から考えていた意見を口にした。
  ──これ以上の進軍は、いたずらに軍を消耗させるだけで何の利にもなりません。軍を止め、現在占領している地の守りを固めるべきです。
  謁見に参列していた主だった貴族たちは、シグルドの“進言”に激昂した。王子であり王国軍の総指揮官とはいえ、国王に意見するなどもっての他だと言うのだ。
  戦場を自らの目で見て軍をまとめてきたシグルドが進言できなくて、誰が戦場について国王に進言できるというのか。
  シグルドはケヴィンら戦場から戻って来た者たちと一緒に、議論の場から追い出された。議会に参加する資格を持っていないからという理由で。
  ここで進軍を止めるのは、侵略を推進してきた者たちにとって都合が悪いのだ。広大な盆地に国を構える隣国レシュテンウィッツ。ラウシュリッツ王国軍は国境から坂を下った先の、八つの村と二つの街しか手に入れていない。一人が手に入れるには十分な広さだが、大勢の貴族たちが分けあうにはあまりに狭かった。多くの富を投じて利がろくに得られないというのはおさまりがつなかいのだろう。また、ここで今まで虐げ続けてきたシグルドの言葉通りに国が動くと不都合な者たちがいる。王妃や、ラダム公爵が。
  安全な王都でのうのうと暮らす貴族たちの思惑について論じていられるような状況ではない。手に入れた地は常に他国の軍がねつらっていて、守りに徹するよう命令を置いてきてあっても断続的に続く攻防戦に消耗は免れない。だが、国王より進軍はこれ以上行わない、占領地の守備に専念せよという命令が下るだけで、兵士たちの心持は大きく変わり無駄な消耗を防げる。
 
 議会の決定をただ待つというのは落ち付かない。
  近衛隊士たちとの約束もあって、下街の酒場へと繰り出した。
  近衛隊士たちの酒がずいぶん進み部屋の隅に寝転がる者が現れるようになった頃、カウンターの片隅で酒を飲むフリをしながら馬鹿騒ぎに興じるシグルドを見守っていたケヴィンに、ヘリオットが酒の杯を持って近付いてきた。
 「おまえ、こんなとこにいてもいーのか?」
  ヘリオットが何を言わんとしているのかは、すぐに察せられた。ケヴィンはかすかに眉をひそめ無言でシグルドに目をやる。ケヴィンの反応は予測済みなのだろう。ヘリオットは気にした様子なく、ケヴィンの隣に並んだ。
 「そういや昨日の晩って手もあったか」
  ヘリオットに気付かれてしまった通り、確かに昨夜彼女のもとを訪れた。だが。
 「あ、もしかして“他にいい人ができたからもう来ないで”とか言われたとか?」
  ぎろりにらむと、ヘリオットはおどけた様子で肩をすくめる。
  ……そうであったほうがどれだけ楽だったことか。
  昨夜のことを思い出したケヴィンは、これまでなめる程度にとどめていた杯をぐっとあおった。
 
 邸に帰り着いたのは昨日のことだ。逸る気持ちを押さえ、邸が寝静まったのを見計らって、アネットの部屋を訪れた。
  三年の歳月が流れた。決して短くない期間。年頃であったアネットには劇的な変化があってもおかしくない。結婚してしまっているかもしれない。そのために部屋が変わり、今はもう洗濯室の隣には住んでいないかもしれない。
  そんな怖れを抱きながら、裏庭に回って井戸の脇に立ち、何度も通った扉を見つめた。
  今あの部屋に住んでいるのは、彼女なのか、それとも別の誰かなのか。
  扉に近寄ることもためらっていたら、かすかな光の漏れる小窓に人影が現れ、あまり間を置かずに扉が開かれた。
  ランプを掲げて近付いてくるのは、間違いなく彼女だった。
  ケヴィンに気付いて出てきてくれたのだろう。忘れられてしまってはいないのかもしれない。そんな期待に胸が打ち震える。
 が。
  ──そんなところに立ってないでくださいよ。誰かに見られたらどーするんですか。
  予想外の第一声に、ケヴィンは反応できずに固まった。
  戦場から帰ったのだから、もう少し感動があってもよさそうなものなのに、彼女はそう言ってケヴィンを自分の部屋へと追い立てる。今でもベッド代わりにしているだろうベンチにケヴィンを座らせると、そこでようやくこう言った。
  ──そうそう。おかえりなさい、ケヴィン様。お疲れ様でした。
  そう言って深々と頭を下げる彼女に対し、あたりさわりのない会話をするしかなかった。彼女が口にするのはここ二年間の邸の様子ばかりで、ケヴィンのしたい話を差しはさめる雰囲気はとうとうつくれなかった。
  五年ほど前、ヘリオットが言っていたことを思い出す。まさに閉め出されてしまったような気分だった。結婚したとか恋人ができたと言って拒絶するよりたちが悪い。
  会って確かめたいという焦燥を抑えつつ入った部屋から、確かめられなかった落胆とすっきりしないものを抱えて出るはめになった。
 

 あとになって思えば、その時は足らなかったのかもしれない。どうしても伝えなければという思いが。
  議会の決定を待つという状況に置かれながら、心のどこかでシグルドの進言は通り、これまでの労がねぎらわれて、あるいはこれ以上活躍させまいとする勢力に阻まれる形で、シグルドは総指揮官の任を解かれ再び戦地に赴くことはないと思っていたのかもしれない。
 
 ところが、事態は急変する。
 「俺はそんなこと言ってない!」
  議会の決定を経緯とともに知らされたシグルドは、それを伝えた父クリフォード公爵につかみかからん勢いで怒鳴った。
  “これ以上の進軍は国王の威光をもってしてでしか不可能”──シグルドの進言は、このように言いかえられ、侵略反対派の強硬な抵抗もむなしく、議会で賛成が上回り、国王の遠征とさらなる侵略推進が決定された。その数日後、なおも国王に進言を続ける反対派がそのことを罪に取られ、謹慎、罷免の厳罰に処せられる。
  シグルドは、国王遠征の準備が整うまで戦場を維持せよとの命令を受けて、国王に先駆けて戦場に戻ることとなった。
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