玉の輿にもほどがある!

市尾彩佳

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第三話

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「あ、あの。何を言って……」

 “内縁の妻”? 何がどうなっていきなりそんな話が出てくるの???
 気が動転して、手首を捕まえる手をとっさに振り払おうとすると、セドルの手に逃すまいとする力がこもる。

「本当にわからなかったの? 男性が女性を手元に置きたがるのは、そういう意味なんだよ?」

「……そ、そういう意味って……?」

 聞いたらマズいとわかっているのに、緊張に耐えきれずつい口を開いてしまう。

 日はすっかり暮れ、部屋の中を照らすのは、外でゆらめく松明の明かりだけ。
 目をこらさなければ見えない薄暗闇の中で、セドルはゆっくり立ち上がり、カチュアと正面から向き合う。
 そして何故か酷薄な笑みを浮かべて、ゆっくりとカチュアに告げた。

「君が好きだってことだよ。カチュア」

「だって、それは──」

 カチュアが思わず一歩下がると、広がった距離をセドルが埋める。

「ホントに友達としての“好き”だと思った? 僕が君を姉みたいに慕ってたって? ……王妃陛下からどうやって聞いてるのか知らないけど、君を僕の侍女に欲しいって頼んだのは、“あの事件”が起こる前だったんだよ? 君と喧嘩するデインが妬ましくて、何とか君からデインを引き離したくて、君を僕の侍女に下さいって国王陛下と王妃陛下にお願いしたんだ」

 どういうこと? わからない。カチュアの愚痴を辛抱強く聞いてくれたセドルの口から“妬ましい”なんて言葉を聞くなんて……。

「で、でもあたしがセドル様の侍女になったのは、あれ以上悪い噂が立たないようにするためだったんじゃあ……」

「両陛下の考えはそうだったかもしれないけど、僕は違うよ。もちろんカチュアを悪い噂から守りたいとは思ったけど、本当の理由は君をデインから奪うことだったんだ」

 その時、靴のかかとが何かに当たって阻まれる。
 未だ強く掴まれたままの手首。
 迫ってくる“影”から逃れようとして身を引けば、背中がどこかの壁に押し付けられる。
 真っ暗で何も見えない。
 けれど前髪が重なる柔らかい感触と、口元にかかる微かな吐息だけは鮮明で。

「もちろん両陛下は、僕がこんなことを考えてるなんて知ったら、君を僕の侍女にするなんて考えもしなかったと思うよ? けど、両陛下は僕のことを子どもだと思ってるからね、君と同じように。……ねぇ、僕が君に子ども扱いされて、どれだけ悔し思いをしたか知ってる? 僕だって、もうすぐ十五歳なんだ。十八歳の君と三歳しか違わないんだよ? それでも、年下の僕じゃ相手にならない?」

「え……あ……」

 何か言おうと思って声を漏らしたカチュアは、その時になって自分が震えているのに気付いた。歯の根が凍りついたように声が出なくて、それ以前に頭の中が真っ白で何を言ったらいいのかわからなくて。

 息もできないような緊迫した時間は、そう長くは続かなかった。
 小さなため息とともに、セドルはカチュアの手首を離しゆっくりと離れていく。

「ごめん、急ぎ過ぎたよね」

 解放されたものの、体がかちこちに強張って動けない。
 セドルは廊下に顔を出して、護衛のために部屋の外に立っていた近衛隊士からランプを受け取ると、部屋の中央辺りに置かれたテーブルの上に置いた。

「カチュア、こっちに来て座って。──もう、何もしないから」

 カチュアの怯えをほぐそうとして、セドルは言葉を付け足して申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
 セドルが先にテーブルに着くと、カチュアはぎくしゃくと足を動かして、ようやくテーブルを挟んだ反対側の席に着いた。

「君が僕の力になってるって言ったのは、本当だよ。……母上は、僕が王城に連れていかれることを阻止できないとわかると、汚いものでも見るような目を僕に向けて、それから背を向けて二度と僕を見ようとはしなかった。邸を出る時も、見送りに出てきてくれることも、言伝の一つもなかったよ。だからその段階でもう、僕は公爵位を継げないって気付いてたんだ。──名目上、僕は公爵になるための勉強をするために、王城に滞在してるってことになってる。けど僕は公爵になれないってわかってたから、貴族たちとの面会もする気になれなかった。立派な公爵になるっていう将来の目的もなくなって、毎日を無為に過ごしていた時に、君に出会ったんだ」

 テーブルの上に置かれたランプの向こうから、セドルは真剣なまなざしを向けてくる。いつもの柔らかい視線じゃない。鋭くさえあるそれは、カチュアを傷つけるものではないはずなのに、何故か胸に深く突き刺さってくる。

「カチュア、君は貴族たちに反感を持たれても、侍女たちから嫌がらせを受けても、自分の信念を曲げることなく王妃陛下の味方をし、お側で仕え続けていた」

 賞賛するような言い方をされ、当時を思い出したカチュアは恥じ入って言い訳する。

「いえ、それは単に周りがよく見えてなかっただけで、王妃陛下やみんなにも心配をかけてしまったし、迷惑もたくさんかけてしまいました。ヘリオット様のように暗躍する手もあるんだから、我を張るばかりではなく、上手く立ちまわればよかったと反省してます」

「“暗躍”って、そういうところは見習わないほうがいいんじゃ……」

 セドルは苦笑しながら呟いて、それから話を戻す。

「確かに、わざわざ正面切る必要はなかったのかもしれないけど、自分の意思を貫き通そうとする君が、僕には眩しかったんだ。それまで僕は、自分の意思で何かをするってことがなくて、ただ言われた通り教養と知識を身につけ、お祖父様の罪を償うために王城に来た。望みも、将来の希望もなくて、ただ日々が流れていくままにしていた時、窓の外から君の声が聞こえた。嫌がらせをされて果敢に立ち向かう声も、仲のいい侍女たちと楽しく語り合う声も、デインとの応酬も。君の張りのある澄んだ声は他の人の声とは全然違うから、すぐに聞き分けられたよ。それを聞いてるうちに僕も君と話したくなって、庭を散歩したいって言ったんだ。……それが、初めて僕から言い出した望みだった」

 偶然じゃなかったんだ……。

 しつこいデインを振り切って、迷路のような北館前の庭園で迷っていた時、小道から表を確認しようとしてセドルとばったり出くわした。

 “何というタイミングの悪さ”と思っていたけれど、ホントはあたしを探してたの……?

 広い入り組んだ庭園の中を、セドルはどれだけさまよい歩いたんだろう。カチュアが“偶然”だと思っていた出会いは、その後何回もあった。カチュアはたいてい仕事中だったから、交わした言葉は毎回一言二言だったのに。

 たったそれだけのために、セドル様は何度も庭園に足を運んだの……?

「僕にとって、君は道しるべなんだ。君と話したくなって僕は部屋から外に出て、君を手に入れたかったから僕はその代わり貴族との面談に応じる約束をした。君がいたから、公爵にはなれないとわかっていても、面談の場でそれを態度に出さずにいられた。カチュアに側にいてくれるなら、僕は公爵になれなくても別の人生を歩むことができると思うんだ」

「あ、あたしはそんな風に想ってもらえるような、大した人間なんかじゃあ……」

 セドルから寄せられる想いが、カチュアの肩にのしかかる。重さに耐えられずうつむくカチュアに、セドルは気付いて視線を和らげた。

「カチュアに、特に何かしてほしいってわけじゃないんだ。ただ、側にいてくれれば。──公爵になれないことが正式に決まったら、僕は王城を出なくてはならなくなる。公爵家には戻れないけど、僕は君のためなら、下級貴族の子弟に交じって一から官司の道を歩むことになったって構わない。だから、王城を下がる時、君にもついて来てほしいんだ」

 セドルが公爵になれないわけがない。イドリックの息子が爵位を継げたのは、次に公爵位を継ぐセドルを王城に預けるという条件を呑んだからなのだから。
 けれど、思い詰めた様子のセドルにそれを話したところで、否定の言葉が返ってくるだけに決まってる。
 かける言葉を見つけられずにいると、セドルは困っているカチュアに気付くことなく話し続けた。

「僕は公爵家の人間だから、平民であるカチュアとの正式な結婚は認められないと思う。でも公爵位を継げなくなれば、嫡子をもうける義務もなくなる。ケヴィンさんと同じように、正式な妻を娶らなくても誰にも文句を言われなくなる。そうしたらカチュアただ一人を大事にできる。──すぐに返事がほしいとは言わないから、前向きに考えてほしいんだ」

 時間をもらったって、返事できるような気がしない。
 カチュアは、自分はそんなに鈍感だとは思っていない。けれど、セドルの気持ちには全く気付かなかった。
 正直、セドルのことを恋愛とか結婚とかの対象として考えたことがなかったから、突然言われても自分の気持ちがわからない。

 セドルのことは嫌いじゃない。むしろ好きだ。でもその感情は──。

 物思いに沈みかけたカチュアの意識を、セドルの声が引き上げる。

「降嫁したとはいえ王女であった母上の、貴族への影響力は未だ大きい。国王陛下、王妃陛下が現在貴族たちの支持を集めているとはいえ、血統至上主義の貴族たちからすれば歓迎できない状況なのは変わりない。母上が国王陛下と王妃陛下の血統について言及すれば、両陛下を中心に団結しつつある貴族社会に亀裂が入る。母上は国に対して影響力を持っていることを示すために何らかの要求をするだろうし、国王陛下は事を荒立てないためにその要求を呑まざるを得なくなる。そうなった時、一番害がなく影響が少ないのが、僕の廃嫡だと思う。──母上にも、父上にも見捨てられた僕には、もう君しかいないんだ」

 テーブルの上で両手を握り合わせていたセドルは、震えるそれに顔を伏せる。
 カチュアは、そんなセドルをただ見ていることしかできなかった。
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