玉の輿にもほどがある!

市尾彩佳

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第三話

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 ヘリオットが早急に調べたところ、セドルが公爵位を継げないという噂はかなり前から密かに広まっていたようだった。その根拠となったのは、前国王の妹で、現ラダム公爵夫人の二男への溺愛ぶり。「公爵家の者として恥じないように」と厳しくしつけている様子を見た者たちの間で、まことしやかにささやかれているという。それが今まで表ざたにならなかったのは、噂が広まっていたのはラダム公爵派の貴族たちの中だけのことだったので、弱体化した派閥が更なるダメージを被らないよう、一様に口をつぐんでいたらしい。
 それが今になって知れ渡ったのは、シュエラの第二子懐妊を聞きつけた誰かが、セドルを哀れんだかららしい。
 王城に入ってから一度も母親が面会に訪れず、父親も滅多なことでは会おうとしない。その上母親の二男の溺愛振りは有名で、今までセドルは公爵位を継げないのではという噂が立たなかったほうが不思議なくらいだった。

 シグルドは早急にラダム公爵を呼び出し、公爵の後継ぎはセドルであるということを確認し合ったが、それでも噂は止まらない。何しろ、現ラダム公爵は王女であった夫人に頭が上がらず、前ラダム公爵イドリックが幽閉されている今、公爵家は夫人の意のままだというからだ。



 噂はセドルの耳にまで届いてしまい、面会の度に向けられる哀れみ同情の目に耐えかねて、面会を断る日が続いた。
 そんなある日の夕方、カチュアはシュエラの私室に呼び出される。人払いをしたシュエラは、セドルに何事もなかったような顔をして面会に応じるよう、カチュアから伝えてほしいと言った。

「こんな時こそ皆さんの前に顔を出さなければ、それこそセドルさんの立場がなくなってしまうわ。……カチュア、あなたも辛いでしょうけど、セドルさんを説得して欲しいの」

 そうカチュアに頼み込むシュエラのほうこそ辛そうだ。
 シュエラは、今回の騒ぎの責任の一端は自分にあると思っている。第二子をこんなに早く懐妊しなければ、セドルも辛い目に遭わなかったのではないかと。
 それは違うとカチュアは思う。単に早いか遅いかの違いしかなく、シュエラが懐妊しなくても、いずれは問題になっていたはずだ。
 人払いがされているのをいいことに、カチュアは椅子に座るシュエラの側に寄って、テーブルの上で握り合わされた手に手のひらを重ねた。

「そんなに気に病まないでください。大丈夫ですよ。セドル様はそんなにやわな方じゃありません。この程度の逆境は、きっと跳ね返してくださいます。お腹の御子に障りますから、どうかシュエラ様は心安らかにお過ごしください」



 励ますだけ励ましてシュエラのもとを辞したカチュアは、思い悩みながら廊下を歩き階段を上がる。
 シュエラには楽観的なことを言ったけれど、セドルを面会の席に引っ張り出すだけでも難しいと感じていた。
 セドルを苦しめるのは、廃嫡の件ばかりではない。
 母親が自分の存在を忘れたかのように弟を溺愛しているという噂と、王城に上がってから一度も母親が面会に訪れないという事実。もうすぐ15歳とはいえ、母親の愛情を失ったことがどれだけセドルの心にかげを落としたか、彼のここ数日の憔悴ぶりを見れば明らかだ。

 セドルの私室の扉を控えめにノックをして、そっと扉を開くと、セドルはカチュアが呼ばれて出ていった時と同じように、ぼんやりとした様子で椅子に座っていた。窓から入ってくる夕日に照らされ、その表情は痛々しいほどに陰鬱だ。
 声をかけられないまま側に寄ると、セドルは顔を上げないまま呟くように言った。

「王妃陛下のご用は何だったの……?」

「それは──」

 カチュアが適当な言い訳を思い付く前に、セドルは皮肉げに口元を歪める。

「面会に応じるよう説得しろって言われたんじゃない? そうだよね。カチュアはそのために僕の侍女になったんだから」

 セドルらしくない投げやりな口調に、カチュアは胸が締め付けられるような思いがする。

 今回の事の起こりは、セドルが王城に上がるずっと以前にさかのぼる。
 ラウシュリッツ王国の王女として生まれたセドルの母は、ラダム公爵家へと降嫁した。それと時を前後して、彼女の兄は侍女の一人と関係し男児──シグルドをもうける。自分は臣下の身に落とされたのに、自分より身分がずっと低い娘が生んだ兄の息子が国王となり、自分はその国王にかしずかなくてはならない立場にある。
 それがよほどの屈辱だったのか、シグルドが即位してからというもの、彼女は一度も王城を訪れたことがないのだという。その決意を、セドルが祖父の罪の代償に王城に上がってからも覆すことはなく、それどころかセドルのことを口にしたある人物に“あれは現国王の意に染まった敵”というようなことをほのめかしさえしたのだという。
 母親に敵意を向けられたことさえ耳にしてしまったセドルを、何と言って慰めたらいいかわからない。

「ごめんね……ホントはセドル様のお母様の首根っこをひっつかんで王城まで連れてきて、“あんたの息子は公爵家のためにこんなにも苦しんでるのに、あんたは息子の助けになってやろうって少しも思わないのか”って言ってやりたい。でも、そんなことしたらセドル様とお母様の仲を悪化させるだけで、何の役にも立たないよね。だから、あたしにはどうしてあげることもできない。ごめんね、力になってあげられなくて……」

 カチュアは涙をこらえ、自らの無力さを噛みしめながら言葉を紡ぐ。

 セドルの側に立ったまま、どのくらいの時間が経ったのか。
 部屋の中を染めていた夕日が暗い影に変わり始めた頃、セドルはかろうじて聞き取れる声で言った。

「……力になってるよ」

「え……?」

 どういう意味かわからなくて、カチュアは思わず呟く。それと同時にセドルはカチュアの手首を掴む。

「カチュアは、力になってくれているよ」

「そ、そう? ならよかった」

 ほっとしてカチュアは顔をほころばす。

「カチュアがいたから、僕はこの部屋の外に出ようと思ったし、カチュアを手に入れるためなら貴族たちとの面会に応じる条件も飲むことができた」

 セドルから注がれる真剣なまなざしを見て、何故か掴まれた手をひっこめたくなって、それを寸でのところで堪える。
 逃げ出したい衝動を覚えるのは何故?
 カチュアの混乱をよそに、セドルは話を続ける。

「カチュアが側にいてくれるなら、僕は公爵になれなくたって構わない。むしろ本望なんだ。──だって、爵位を継いで後継者をもうける義務がなくなれば、カチュアを内縁の妻に迎えることができるから」
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