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第二話
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彼女らを相手にしないと心に決めたものの、実行するのは簡単じゃなかった。
マントノンから注意を受けたことで、余計にカチュアが憎らしくなったのだろう。嫌がらせの手口が巧妙になってくる。
平民でありながら貴族を馬鹿にしているカチュアが王妃付きの侍女をしているのはおかしいと、吹聴して回る。そんなカチュアはクビにされるべきだと主張し、賛同を集めようとする。
今のところ賛同者はほんの一部だけど、それ以外の人たちからやっかいごとに巻き込まれたくないといわんばかりに避けられることのほうがツラかった。
シュエラ付きの侍女は彼女ら三人の他にもあと六人いるけれど、カチュアとは必要最低限の話しかしてくれない。話をする必要がある時以外は、まるでカチュアが存在しないかのように振る舞う。
食堂でも、カチュアが空いている席に座ると、そのテーブルに座っていた人たちはそそくさと席を立つ。他のテーブルに空きを見つけて移動したり、移動できないほど混んでいると食事を急いで食べたり、食事を中断してでもカチュアを避ける。
面と向かって嫌味を言われたり、洗濯物を汚されるほうがまだマシだわ……。
そんな日々の中で救いとなっているのは、避けられているのはカチュアだけでなく、彼女らもだということだった。
声高に人の悪口を言う人と仲良くしたいなんて人はあまりいない。彼女たちが近付いてくるのに気付いて慌てて立ち去る人たちを目撃したのは一度や二度ではないし、彼女たちに話しかけられた人が“何とかしてこの場から立ち去りたい”と言いたげに曖昧な笑みを浮かべているのも何度も見かけている。
そのことに気付いていないらしい彼女たちをおめでたいともいい気味だとも思うけれど、だからといってカチュアに対する敬遠の雰囲気が消えてなくなるわけじゃない。
応戦しないでいるのは、カチュアにとって相当のストレスだった。
鬱屈した思いのせいで心に余裕がなくなり、デインのことも適当にあしらうことができなくなる。
庭園に向かう通路を歩いていると、能天気な声がかけられた。
「カーチュアっ」
後ろから抱きつかれても、今までみたいにビンタを食らわせたり蹴りを入れたりしない。以前はそんな攻防もちょっとは楽しかったけれど、今は全くそう思えなかった。
「何だよ? 元気ないな」
「うっとおしいから離れて」
耳元に囁いてくるデインに、カチュアは冷たい声を投げつける。
カチュアが本当に不機嫌なのを感じてデインが手を離すと、カチュアはデインに一瞥もくれずにそのまま早足で立ち去る。
お腹すいたけど、ご飯食べに行きたくないな……。
そう思いながらとぼとぼと小道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「カチュア」
聞き馴染んだ声に振り返ると、少年が半分小道に入り込んでカチュアに向かって手を振っていた。
「セドル様……」
庭園内でばったり出くわしてしまってからというもの、セドルは待ち伏せしてまでカチュアの前に現れるようになった。
──カチュアだったら、身分とか立場を気にせずに話をしてくれるんじゃないかなって思って。
その時見せた寂しそうな笑顔。まだ14歳なのに家族から引き離され、そばにいるのは護衛の近衛隊士や使用人ばかりで、北館の片隅でひっそりと暮らす孤独な少年。
彼に同情したカチュアは、自分の時間が許す限り付き合ってあげている。
人目につかないように誰も来ないような庭園の奥まで移動してくれて、お付きの近衛隊士たちに人払いまで頼んでくれる心遣いは、本当にありがたい。
その上聞き上手で、何度か話をしているうちにいつの間にか、カチュアがセドルに愚痴を聞いてもらうようになっていた。
折角会えたんだけど……。
カチュアは残念に思いながら笑みを作る。
「ごめんなさい、今はちょっと時間がないんです。昼ごはんを食べにいかなくちゃいけなくて……」
お腹を鳴らしながら仕事をするわけにはいかない。
けれど、セドルは残念そうな顔はしなかった。
「うん。だから」
セドルはそう言って、カチュアの手を引き庭園に引っ張り出す。するとお付きの近衛隊士が、持っていたバスケットをちょっと持ち上げてカチュアに示した。
「一緒に昼食をとるのはどうかなって思って」
「えぇ!? いいんですか?」
「昨日、食堂に行くのも憂鬱だって言ってたでしょ?」
「うわーん! 嬉しいですぅ」
感激して泣きつく真似をするカチュアの頭を、14歳だけどカチュアと同じくらいの背丈のあるセドルはよしよしと撫でる。
デインより年下なのに、こういうところ大人だなぁと思う。
もともとこういう性格なのか、それとも家族から引き離されたことで大人にならざるを得なかったのか。
セドルが語ろうとしないから知らないし、カチュアもわざわざ聞き出そうとは思わない。セドルは単純に話し相手ができて嬉しそうだから、カチュアは水を差すような真似だけはすまいと思っている。
それからというもの、セドルはカチュアの昼休憩に合わせてくれて、北の庭園の奥まったところで、一緒に昼食を取るようになった。
「あ、お茶のおかわり入れましょうか?」
「カチュアも食事中なんだし、隊士にやってもらえば」
「近衛隊士の方に給仕していただくなんてとんでもない! あたしは侍女なんだから、任せてください!」
そうやって楽しく食事をしていた時、不意に大きな葉擦れの音がする。
驚いてそちらを見ると、デインが乱暴に庭木をかき分けて小道から出てくるところだった。
「何やってるんだよ、カチュア。そいつ、誰だ?」
デインのふてぶてしい言い方にかっとなって、カチュアはすっくと立ち上がって詰め寄る。
「失礼な口を聞くんじゃないわよ! この方はラダム公爵のご子息のセドル様! 知らないの?」
素性を教えたのに、デインはかしこまるどころか、聞く耳持たないというような様子でカチュアを詰った。
「最近、そいつと昼メシ食べてたのか? 前にオレが誘った時は思いっきり断ったじゃないか!」
「当たり前でしょ!? お互い食堂から持ち寄ってなんてめんどくさいことできますかっての!」
「そいつと隠れてこそこそして、そんなにオレと顔を合わせるのが嫌なのかよ!」
多少避けてたことは認めるけれど、別に隠れてたわけじゃない。事情も知らずに憩いの場に乱入してきて騒ぎ立てて。カチュアは腹が立って怒鳴り散らした。
「ええそうよ! あんたのそういう無神経なとこ、大っ嫌い! あんた、あたしの立場を考えてくれてないでしょ? おかげであたしがどれだけ迷惑してるかわかってるの!? あんたに言い寄られてることにやっかむ侍女たちに嫌味を言われたり嫌がらせされたりして、食堂でご飯を食べるのも憂鬱だった時に、セドル様はあたしを助けてくれたのよ!」
デインは一瞬怯んだように、語調を弱める。
「そんなこと一言も」
「あんたが聞く耳持たなかっただけじゃない! あたしはさんざん迷惑だって言ってきたのに!」
「そうかよ、わかったよ!」
語調が弱まったと思ったのは気のせいだったようで、デインは最後にそう言い捨てると、この庭園に入って来た時と同じように乱暴に小道に出て、葉擦れの音を立てながら駆け去っていった。
その音が遠くなり、カチュアはほっとして息をつく。
振り返って、セドルに申し訳なさそうに微笑んだ。
「お騒がせしてすみません」
「本当にいいの?」
「え……?」
何を言われているのかわからずに、カチュアは間の抜けた問い返しをする。
「カチュア、何だか泣きそうな顔してる」
そう言ったセドルこそ、何故か泣きそうな顔をしていた。
王城北館にある国王夫妻の寝室で、このところ毎夜繰り返されることがあった。
大きなベッドの中央で横になる王妃シュエラのお腹に、国王シグルドは飽きることなく耳を当てる。
まんまるなお腹が不意に形を変えて、耳を当てるシグルドを押しのけるように突っ張った。
「蹴られた」
シュエラのお腹から耳を離し、シグルドは嬉しそうに言う。そんなシグルドに、シュエラは肩をすくめて笑いかけた。
「そんな風に喜ぶから、シグルド様が耳を当てるとこの子も蹴ろうとするんですよ」
二人きりの時は、シュエラの口調も軽くなる。それは結婚前からの、二人の間の約束事。
シグルドは毛布を引っ張り上げてシュエラの肩までかけてやると、向かい合わせになるように毛布の中に横たわる。お腹が邪魔して抱きしめ合うことができないが、子どもを真ん中に挟んで眠るのも至福だ。
「生まれる前から親孝行な娘だな」
「女の子とは限らないですよ? よく動く子だから、男の子じゃないかしら?」
「最初は女がいいな。シュエラの家系は男系だから、一旦男が生まれると男しかできなくなりそうだ」
「わたしも男の子だけでなく女の子も欲しいですけど、今はただ、無事に産まれてくれさえすれば……」
「そうだな」
シグルドは毛布の下で、シュエラのお腹をそっと撫でる。
「……カチュアに対する嫌がらせが、ますますひどくなっているようだな」
お腹を撫でられる感触にうっとりとしていたシュエラは、それを聞いて憂いの目をシグルドに向けた。
「ええ、そうなんです。わたしやマントノン夫人の目のあるところでは普通にしているんですけど、ヘリオット殿が調べてくださったところによると、侍女たちを中心にカチュアについての悪い噂を広めようとしているとかで、よっぽど居心地が悪いんでしょう、カチュアは最近昼食時に食堂を訪れないそうですわ。……わたし、間違ってたんでしょうか? 昼食を取れずにお腹を空かせて働いていると思うと、カチュアに悪いことをしたような気がして……」
「昼食については心配しなくていい。最近セドルが、カチュアと一緒に北の庭の片隅で食べていると報告があった」
シュエラは驚いて目を丸くした。
「え……セドルさんと?」
人質同然に王城に連れてこられたことがショックだったのか、滅多に部屋の外に出ないという話を聞いていたから、シュエラはにわかに信じられなかった。シュエラやシグルドが誘ってもなかなか応じないので、それだけショックが大きかったのだろうかと思いあまり無理に外に連れ出さないようにしていたのに、一体いつの間にカチュアとそんなに親しくなったのか。
「あ、いや。俺も今日知ったんだ。セドルを預かってはいるが、監視しているわけじゃない。問題があった時にだけ報告するようにと言ってあるしな」
「では、何か問題が?」
「セドルとカチュアが一緒にいるところにデインが乱入して、セドルの前でカチュアと派手な口喧嘩をやらかしたそうだ」
「またデインがですか? 申し訳ありません、問題ばかり起こすような子で」
「おまえが謝ることはないさ。おまえの弟なら俺の弟でもあるし、デインをしつけられないことについては、俺も同罪だからな」
「同罪って……」
何だか疲れた様子でそう言うシグルドに、シュエラは思わず笑ってしまう。
「まあ、あいつらが喧嘩をするのはいつものことだから、別にいいんだ。それよりもな……」
シグルドは不意に言い淀む。
「まだ何かあるのですか?」
シュエラが表情を曇らせると、シグルドは取り繕った笑みを見せた。
「いや、そうではないんだが……」
少し言い淀み、それからシュエラに打ち明けた。
マントノンから注意を受けたことで、余計にカチュアが憎らしくなったのだろう。嫌がらせの手口が巧妙になってくる。
平民でありながら貴族を馬鹿にしているカチュアが王妃付きの侍女をしているのはおかしいと、吹聴して回る。そんなカチュアはクビにされるべきだと主張し、賛同を集めようとする。
今のところ賛同者はほんの一部だけど、それ以外の人たちからやっかいごとに巻き込まれたくないといわんばかりに避けられることのほうがツラかった。
シュエラ付きの侍女は彼女ら三人の他にもあと六人いるけれど、カチュアとは必要最低限の話しかしてくれない。話をする必要がある時以外は、まるでカチュアが存在しないかのように振る舞う。
食堂でも、カチュアが空いている席に座ると、そのテーブルに座っていた人たちはそそくさと席を立つ。他のテーブルに空きを見つけて移動したり、移動できないほど混んでいると食事を急いで食べたり、食事を中断してでもカチュアを避ける。
面と向かって嫌味を言われたり、洗濯物を汚されるほうがまだマシだわ……。
そんな日々の中で救いとなっているのは、避けられているのはカチュアだけでなく、彼女らもだということだった。
声高に人の悪口を言う人と仲良くしたいなんて人はあまりいない。彼女たちが近付いてくるのに気付いて慌てて立ち去る人たちを目撃したのは一度や二度ではないし、彼女たちに話しかけられた人が“何とかしてこの場から立ち去りたい”と言いたげに曖昧な笑みを浮かべているのも何度も見かけている。
そのことに気付いていないらしい彼女たちをおめでたいともいい気味だとも思うけれど、だからといってカチュアに対する敬遠の雰囲気が消えてなくなるわけじゃない。
応戦しないでいるのは、カチュアにとって相当のストレスだった。
鬱屈した思いのせいで心に余裕がなくなり、デインのことも適当にあしらうことができなくなる。
庭園に向かう通路を歩いていると、能天気な声がかけられた。
「カーチュアっ」
後ろから抱きつかれても、今までみたいにビンタを食らわせたり蹴りを入れたりしない。以前はそんな攻防もちょっとは楽しかったけれど、今は全くそう思えなかった。
「何だよ? 元気ないな」
「うっとおしいから離れて」
耳元に囁いてくるデインに、カチュアは冷たい声を投げつける。
カチュアが本当に不機嫌なのを感じてデインが手を離すと、カチュアはデインに一瞥もくれずにそのまま早足で立ち去る。
お腹すいたけど、ご飯食べに行きたくないな……。
そう思いながらとぼとぼと小道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「カチュア」
聞き馴染んだ声に振り返ると、少年が半分小道に入り込んでカチュアに向かって手を振っていた。
「セドル様……」
庭園内でばったり出くわしてしまってからというもの、セドルは待ち伏せしてまでカチュアの前に現れるようになった。
──カチュアだったら、身分とか立場を気にせずに話をしてくれるんじゃないかなって思って。
その時見せた寂しそうな笑顔。まだ14歳なのに家族から引き離され、そばにいるのは護衛の近衛隊士や使用人ばかりで、北館の片隅でひっそりと暮らす孤独な少年。
彼に同情したカチュアは、自分の時間が許す限り付き合ってあげている。
人目につかないように誰も来ないような庭園の奥まで移動してくれて、お付きの近衛隊士たちに人払いまで頼んでくれる心遣いは、本当にありがたい。
その上聞き上手で、何度か話をしているうちにいつの間にか、カチュアがセドルに愚痴を聞いてもらうようになっていた。
折角会えたんだけど……。
カチュアは残念に思いながら笑みを作る。
「ごめんなさい、今はちょっと時間がないんです。昼ごはんを食べにいかなくちゃいけなくて……」
お腹を鳴らしながら仕事をするわけにはいかない。
けれど、セドルは残念そうな顔はしなかった。
「うん。だから」
セドルはそう言って、カチュアの手を引き庭園に引っ張り出す。するとお付きの近衛隊士が、持っていたバスケットをちょっと持ち上げてカチュアに示した。
「一緒に昼食をとるのはどうかなって思って」
「えぇ!? いいんですか?」
「昨日、食堂に行くのも憂鬱だって言ってたでしょ?」
「うわーん! 嬉しいですぅ」
感激して泣きつく真似をするカチュアの頭を、14歳だけどカチュアと同じくらいの背丈のあるセドルはよしよしと撫でる。
デインより年下なのに、こういうところ大人だなぁと思う。
もともとこういう性格なのか、それとも家族から引き離されたことで大人にならざるを得なかったのか。
セドルが語ろうとしないから知らないし、カチュアもわざわざ聞き出そうとは思わない。セドルは単純に話し相手ができて嬉しそうだから、カチュアは水を差すような真似だけはすまいと思っている。
それからというもの、セドルはカチュアの昼休憩に合わせてくれて、北の庭園の奥まったところで、一緒に昼食を取るようになった。
「あ、お茶のおかわり入れましょうか?」
「カチュアも食事中なんだし、隊士にやってもらえば」
「近衛隊士の方に給仕していただくなんてとんでもない! あたしは侍女なんだから、任せてください!」
そうやって楽しく食事をしていた時、不意に大きな葉擦れの音がする。
驚いてそちらを見ると、デインが乱暴に庭木をかき分けて小道から出てくるところだった。
「何やってるんだよ、カチュア。そいつ、誰だ?」
デインのふてぶてしい言い方にかっとなって、カチュアはすっくと立ち上がって詰め寄る。
「失礼な口を聞くんじゃないわよ! この方はラダム公爵のご子息のセドル様! 知らないの?」
素性を教えたのに、デインはかしこまるどころか、聞く耳持たないというような様子でカチュアを詰った。
「最近、そいつと昼メシ食べてたのか? 前にオレが誘った時は思いっきり断ったじゃないか!」
「当たり前でしょ!? お互い食堂から持ち寄ってなんてめんどくさいことできますかっての!」
「そいつと隠れてこそこそして、そんなにオレと顔を合わせるのが嫌なのかよ!」
多少避けてたことは認めるけれど、別に隠れてたわけじゃない。事情も知らずに憩いの場に乱入してきて騒ぎ立てて。カチュアは腹が立って怒鳴り散らした。
「ええそうよ! あんたのそういう無神経なとこ、大っ嫌い! あんた、あたしの立場を考えてくれてないでしょ? おかげであたしがどれだけ迷惑してるかわかってるの!? あんたに言い寄られてることにやっかむ侍女たちに嫌味を言われたり嫌がらせされたりして、食堂でご飯を食べるのも憂鬱だった時に、セドル様はあたしを助けてくれたのよ!」
デインは一瞬怯んだように、語調を弱める。
「そんなこと一言も」
「あんたが聞く耳持たなかっただけじゃない! あたしはさんざん迷惑だって言ってきたのに!」
「そうかよ、わかったよ!」
語調が弱まったと思ったのは気のせいだったようで、デインは最後にそう言い捨てると、この庭園に入って来た時と同じように乱暴に小道に出て、葉擦れの音を立てながら駆け去っていった。
その音が遠くなり、カチュアはほっとして息をつく。
振り返って、セドルに申し訳なさそうに微笑んだ。
「お騒がせしてすみません」
「本当にいいの?」
「え……?」
何を言われているのかわからずに、カチュアは間の抜けた問い返しをする。
「カチュア、何だか泣きそうな顔してる」
そう言ったセドルこそ、何故か泣きそうな顔をしていた。
王城北館にある国王夫妻の寝室で、このところ毎夜繰り返されることがあった。
大きなベッドの中央で横になる王妃シュエラのお腹に、国王シグルドは飽きることなく耳を当てる。
まんまるなお腹が不意に形を変えて、耳を当てるシグルドを押しのけるように突っ張った。
「蹴られた」
シュエラのお腹から耳を離し、シグルドは嬉しそうに言う。そんなシグルドに、シュエラは肩をすくめて笑いかけた。
「そんな風に喜ぶから、シグルド様が耳を当てるとこの子も蹴ろうとするんですよ」
二人きりの時は、シュエラの口調も軽くなる。それは結婚前からの、二人の間の約束事。
シグルドは毛布を引っ張り上げてシュエラの肩までかけてやると、向かい合わせになるように毛布の中に横たわる。お腹が邪魔して抱きしめ合うことができないが、子どもを真ん中に挟んで眠るのも至福だ。
「生まれる前から親孝行な娘だな」
「女の子とは限らないですよ? よく動く子だから、男の子じゃないかしら?」
「最初は女がいいな。シュエラの家系は男系だから、一旦男が生まれると男しかできなくなりそうだ」
「わたしも男の子だけでなく女の子も欲しいですけど、今はただ、無事に産まれてくれさえすれば……」
「そうだな」
シグルドは毛布の下で、シュエラのお腹をそっと撫でる。
「……カチュアに対する嫌がらせが、ますますひどくなっているようだな」
お腹を撫でられる感触にうっとりとしていたシュエラは、それを聞いて憂いの目をシグルドに向けた。
「ええ、そうなんです。わたしやマントノン夫人の目のあるところでは普通にしているんですけど、ヘリオット殿が調べてくださったところによると、侍女たちを中心にカチュアについての悪い噂を広めようとしているとかで、よっぽど居心地が悪いんでしょう、カチュアは最近昼食時に食堂を訪れないそうですわ。……わたし、間違ってたんでしょうか? 昼食を取れずにお腹を空かせて働いていると思うと、カチュアに悪いことをしたような気がして……」
「昼食については心配しなくていい。最近セドルが、カチュアと一緒に北の庭の片隅で食べていると報告があった」
シュエラは驚いて目を丸くした。
「え……セドルさんと?」
人質同然に王城に連れてこられたことがショックだったのか、滅多に部屋の外に出ないという話を聞いていたから、シュエラはにわかに信じられなかった。シュエラやシグルドが誘ってもなかなか応じないので、それだけショックが大きかったのだろうかと思いあまり無理に外に連れ出さないようにしていたのに、一体いつの間にカチュアとそんなに親しくなったのか。
「あ、いや。俺も今日知ったんだ。セドルを預かってはいるが、監視しているわけじゃない。問題があった時にだけ報告するようにと言ってあるしな」
「では、何か問題が?」
「セドルとカチュアが一緒にいるところにデインが乱入して、セドルの前でカチュアと派手な口喧嘩をやらかしたそうだ」
「またデインがですか? 申し訳ありません、問題ばかり起こすような子で」
「おまえが謝ることはないさ。おまえの弟なら俺の弟でもあるし、デインをしつけられないことについては、俺も同罪だからな」
「同罪って……」
何だか疲れた様子でそう言うシグルドに、シュエラは思わず笑ってしまう。
「まあ、あいつらが喧嘩をするのはいつものことだから、別にいいんだ。それよりもな……」
シグルドは不意に言い淀む。
「まだ何かあるのですか?」
シュエラが表情を曇らせると、シグルドは取り繕った笑みを見せた。
「いや、そうではないんだが……」
少し言い淀み、それからシュエラに打ち明けた。
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