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第二話
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カチュアを別室に連れていったマントノンは、いつもの淡々とした調子で訊ねた。
「前に王妃陛下もお尋ねになったことですが、もう一度聞きます。侍女を辞めて、実家に帰るつもりはありませんか?」
「嫌です!」
カチュアは即答する。
前回は、フィーナが侍女を辞めることになった時だった。デインのことだけでなく、平民でありながら王妃陛下の侍女を務めていることもあって、カチュアへの風当たりは強い。平民であっても貴族を祖父に持つフィーナのそばにいることで、被害を多少軽減できていたけれど、フィーナがいなくなったらどうなるかわからない。それを心配してシュエラがそう勧めてくれた。
──シュ、じゃなかった、王妃陛下は、わたくしのことがいらなくなったのですか?
──そういうことではないのだけど……。
──だったらわたくし、辞めたくないです。わたくしがいらなくなるまで、王妃陛下のおそばで働かせてください。
侍女を辞めてしまったら、シュエラとは二度と会えなくなる。カレンやマチルダとなら、商人として出会える可能性もまだ少しはあるけれど、王妃であるシュエラに平民相手に商売を広げる実家が、お目通り叶うことはない。
それもホンネだけれど、カチュアにはそれよりもっと強い動機があった。
ここで辞めたりなんかしたら、彼女らに負けたのと同じじゃない!
フィーナと一緒に王城から下がるのはタイミング的に悪くないように見えるけど、カチュアに嫌味を言ったり嫌がらせをしたりしてきた侍女たちにはタイミングなんて関係ないだろう。カチュアが尻尾巻いて逃げたと大喜びするに違いない。想像するだけでも腹が立つのに、それを現実にするようなことはカチュアのプライドが許さなかった。
返事に予想がついていたのだろう。マントノンは諦めたようなため息をついて言う。
「だったら相応の振る舞いをなさい。喧嘩をするなど、侍女にあるまじき行為です」
頭ごなしに言われたと感じ、カチュアは一瞬かっとなる。
「でも、彼女たちが」
口答え仕掛けたところを、マントノンは自分の言葉で遮った。
「彼女たちがあのような振る舞いに出るのは、あなたの態度も原因だと思わないのですか? わたくしの目には、あなたが彼女たちをあおっているように見えます」
「でも! 先に仕掛けてくるのはいつも彼女ら」
「仕掛けられたからといってやりかえすのは、愚か者のすることです。穏便にやり過ごすということを覚えなさい」
それって、負ける屈辱を甘んじて受けろってこと? 厳しいけれど公正な人だと思ってたのに……。
カチュアが不服に思って口をつぐむと、マントノンはまたため息をついた。
「……王妃陛下に口止めされていたのですが、話さなければわからないようですね。あなたが残れたのは、王妃陛下のご温情あってのことです。平民の出であるあなたが王妃陛下付きであることに、異論を唱える声が一部の貴族の方々から上がっていることは知っていますね? 王妃陛下は、以前からあなたを辞めさせるべきという助言を受けてこられたのですが、あなたの意思を尊重して、そうした助言をお断りなさってお手元に留めてくださったのです。──王妃陛下は、あなたのことをとても心配して、大事に思われています。侍女として王城に残るのならば、王妃陛下のお立場を考えて、王妃陛下の侍女としてふさわしい振る舞いをなさい」
カチュアは、俯いて唇を噛みしめた。
今さらだけど、ショックだった。シュエラの温情がなければ、王城に残れなかったと聞かされて。
貴族の身分を尊重し、平民を軽んじる貴族が多いことは知っている。
でも、カチュアは与えられた仕事はきちんとこなしていた。
仕事の出来に貴族も平民もない。なのに仕事をサボった貴族の令嬢が厚遇されて、嫌がらせにも耐えて通常の務め以上の仕事をこなしてきたカチュアを辞めさせろという話が来るなんて理不尽だ。
ショックが冷めてくると、今度は怒りが込み上げてくる。そんなカチュアに、マントノンは更に言った。
「作法や立ち居振る舞いを身に付けることは、自分自身の品格を上げるために重要なことです。人は相手の品格を見て、相手に取るべき態度を決めます。あなたも愚かな言動をしている人を尊敬したりはできないでしょう。人間誰とでも深い付き合いができるわけではないのですから、表面上のことを基準にして相手を評価するしかないのです。あなたの飾らない態度を王妃陛下は好ましいと思ってらっしゃいますが、あなたを引き立ててくださった王妃陛下のためにも、自らを貶める言動を慎むよう心がけることも考えなさい」
マントノンはここで話を終わらせた。
マントノンに呼ばれたのは、カチュアだけではなかった。
一緒に応接室に戻ったマントノンは、今度はカチュアに喧嘩をふっかけてきた侍女たちを呼び、再び出ていく。
それをこっそり見遣りながら、カチュアは多少溜飲を下げた。
三人がマントノンについて出ていってしまうと、応接室にはシュエラとカチュアの二人だけになる。
あれ? 他の二人は……?
カチュアの心の中の疑問に気付いて、シュエラが教えてくれた。
「二人には、新しいお湯を取りに行ってもらっているの。次のお約束の方が早くいらしたら、早めに面談を始めたいから」
シュエラは、王妃になってからも敬語を使う。この国で国王の次に偉い身分におさまったのだからもうちょっと偉ぶってもいいように思うのだけど、以前と変わらず謙虚で、相手を立てる話し方をする。
マントノンは最初の頃「王妃らしく威厳をお持ちください」と注意していたけれど、シュエラのその態度を多くの貴族たちが好意的に受け取っていると知って注意するのを止めた。
王妃になった経緯を考えれば、シュエラは自らを驕ってもおかしくない。そう考える人々には、シュエラの謙虚さがより好感のあるものに映ったんだと思う。
「だったら、あたしはここで待機ですね。シュエラ様のそばから侍女が一人もいなくなっちゃマズいですから」
他に誰もいないのをいいことに、カチュアは以前の口調で気安くシュエラに話しかける。
すると、シュエラは嬉しそうに顔をほころばせた。
伯爵の娘でありながら庶民と変わらない生活を営んだ経験のあるシュエラには、やはり王城の生活を窮屈に思うことがあるのだろう。あまり堅苦しくない言葉を聞けて、ほっとしたのかもしれない。
けれど、シュエラはすぐに表情を曇らせた。
「カチュア、マントノン夫人から何の話があったの?」
心配そうに揺れる瞳と、ほんのわずかに詰問口調。口止めしていたことがバレていなければいいと思うのと同時に、もし話してしまったのならマントノンを責めるつもりだという雰囲気が見て取れる。
そんなシュエラを見て、カチュアは慌ててごまかした。
「挑発に乗るなって諭されただけですよ」
そう言ってにっこりと笑う。
話を聞かされて一度は腹を立てたけれど、それからここに戻ってくる間によくよく考えているうちに、カチュアは教えてもらえてよかったのだという結論に達していた。
──あなたを引き立ててくださった王妃陛下のためにも、自らを貶める言動を慎むよう心がけることも考えなさい。
マントノンに言われたこの言葉を反芻しているうちに、カチュアはようやく気付いた。
自分の言動が自らを貶めているなんて、今まで思ったことがなかった。自分の考えを素直に口に出して何が悪い、我慢しなければ得られないものなど欲しくない、と。でもその結果、カチュアは王城内で敵を作り、フィーナやカレンやマチルダ、そしてシュエラを心配させてきた。
カチュアは、自分に気にしなければならないような体面も立場もないと思ってきたけれど、それは違った。カチュアには王妃付きの侍女という立場があり、王妃であるシュエラが体面を保てるような振る舞いが求められている。
侍女を辞める気がないのなら。
これからは侍女にふさわしい振る舞いをするために、多少の我慢はしていかなければ。
嫌味や嫌がらせに対して真っ向から立ち向かったりせず、彼女らを相手にしないという我慢を。
「マントノン夫人の話を聞いて、気付いたんですよ。嫌味を言われたり嫌がらせされたからって、同じようなことをし返すなんてオトナげないですよね。これからは彼女らの相手をしないことで、あたしのほうがオトナだってことを見せつけてやります!」
力強く言い切ると、シュエラは申し訳なさそうに微笑む。
「ええ、その意気で頑張ってちょうだい。──ごめんなさいね。わたくしが彼女たちの名誉を回復させたいと言い出したばかりに、カチュアに辛い思いをさせてしまって……」
「シュエラ様は王妃になられたんだから、どんなにイヤな相手でも国民である限り気を配らなければならないってことはわかってます。──王妃になるって決まってないうちから国のことを考えてらしたシュエラ様にお仕え出来たことは、あたしの自慢です」
「わたくしは、カチュアを侍女にできて幸せだわ」
一層微笑んだシュエラの瞳が、少し潤んでいるように見えた。
「前に王妃陛下もお尋ねになったことですが、もう一度聞きます。侍女を辞めて、実家に帰るつもりはありませんか?」
「嫌です!」
カチュアは即答する。
前回は、フィーナが侍女を辞めることになった時だった。デインのことだけでなく、平民でありながら王妃陛下の侍女を務めていることもあって、カチュアへの風当たりは強い。平民であっても貴族を祖父に持つフィーナのそばにいることで、被害を多少軽減できていたけれど、フィーナがいなくなったらどうなるかわからない。それを心配してシュエラがそう勧めてくれた。
──シュ、じゃなかった、王妃陛下は、わたくしのことがいらなくなったのですか?
──そういうことではないのだけど……。
──だったらわたくし、辞めたくないです。わたくしがいらなくなるまで、王妃陛下のおそばで働かせてください。
侍女を辞めてしまったら、シュエラとは二度と会えなくなる。カレンやマチルダとなら、商人として出会える可能性もまだ少しはあるけれど、王妃であるシュエラに平民相手に商売を広げる実家が、お目通り叶うことはない。
それもホンネだけれど、カチュアにはそれよりもっと強い動機があった。
ここで辞めたりなんかしたら、彼女らに負けたのと同じじゃない!
フィーナと一緒に王城から下がるのはタイミング的に悪くないように見えるけど、カチュアに嫌味を言ったり嫌がらせをしたりしてきた侍女たちにはタイミングなんて関係ないだろう。カチュアが尻尾巻いて逃げたと大喜びするに違いない。想像するだけでも腹が立つのに、それを現実にするようなことはカチュアのプライドが許さなかった。
返事に予想がついていたのだろう。マントノンは諦めたようなため息をついて言う。
「だったら相応の振る舞いをなさい。喧嘩をするなど、侍女にあるまじき行為です」
頭ごなしに言われたと感じ、カチュアは一瞬かっとなる。
「でも、彼女たちが」
口答え仕掛けたところを、マントノンは自分の言葉で遮った。
「彼女たちがあのような振る舞いに出るのは、あなたの態度も原因だと思わないのですか? わたくしの目には、あなたが彼女たちをあおっているように見えます」
「でも! 先に仕掛けてくるのはいつも彼女ら」
「仕掛けられたからといってやりかえすのは、愚か者のすることです。穏便にやり過ごすということを覚えなさい」
それって、負ける屈辱を甘んじて受けろってこと? 厳しいけれど公正な人だと思ってたのに……。
カチュアが不服に思って口をつぐむと、マントノンはまたため息をついた。
「……王妃陛下に口止めされていたのですが、話さなければわからないようですね。あなたが残れたのは、王妃陛下のご温情あってのことです。平民の出であるあなたが王妃陛下付きであることに、異論を唱える声が一部の貴族の方々から上がっていることは知っていますね? 王妃陛下は、以前からあなたを辞めさせるべきという助言を受けてこられたのですが、あなたの意思を尊重して、そうした助言をお断りなさってお手元に留めてくださったのです。──王妃陛下は、あなたのことをとても心配して、大事に思われています。侍女として王城に残るのならば、王妃陛下のお立場を考えて、王妃陛下の侍女としてふさわしい振る舞いをなさい」
カチュアは、俯いて唇を噛みしめた。
今さらだけど、ショックだった。シュエラの温情がなければ、王城に残れなかったと聞かされて。
貴族の身分を尊重し、平民を軽んじる貴族が多いことは知っている。
でも、カチュアは与えられた仕事はきちんとこなしていた。
仕事の出来に貴族も平民もない。なのに仕事をサボった貴族の令嬢が厚遇されて、嫌がらせにも耐えて通常の務め以上の仕事をこなしてきたカチュアを辞めさせろという話が来るなんて理不尽だ。
ショックが冷めてくると、今度は怒りが込み上げてくる。そんなカチュアに、マントノンは更に言った。
「作法や立ち居振る舞いを身に付けることは、自分自身の品格を上げるために重要なことです。人は相手の品格を見て、相手に取るべき態度を決めます。あなたも愚かな言動をしている人を尊敬したりはできないでしょう。人間誰とでも深い付き合いができるわけではないのですから、表面上のことを基準にして相手を評価するしかないのです。あなたの飾らない態度を王妃陛下は好ましいと思ってらっしゃいますが、あなたを引き立ててくださった王妃陛下のためにも、自らを貶める言動を慎むよう心がけることも考えなさい」
マントノンはここで話を終わらせた。
マントノンに呼ばれたのは、カチュアだけではなかった。
一緒に応接室に戻ったマントノンは、今度はカチュアに喧嘩をふっかけてきた侍女たちを呼び、再び出ていく。
それをこっそり見遣りながら、カチュアは多少溜飲を下げた。
三人がマントノンについて出ていってしまうと、応接室にはシュエラとカチュアの二人だけになる。
あれ? 他の二人は……?
カチュアの心の中の疑問に気付いて、シュエラが教えてくれた。
「二人には、新しいお湯を取りに行ってもらっているの。次のお約束の方が早くいらしたら、早めに面談を始めたいから」
シュエラは、王妃になってからも敬語を使う。この国で国王の次に偉い身分におさまったのだからもうちょっと偉ぶってもいいように思うのだけど、以前と変わらず謙虚で、相手を立てる話し方をする。
マントノンは最初の頃「王妃らしく威厳をお持ちください」と注意していたけれど、シュエラのその態度を多くの貴族たちが好意的に受け取っていると知って注意するのを止めた。
王妃になった経緯を考えれば、シュエラは自らを驕ってもおかしくない。そう考える人々には、シュエラの謙虚さがより好感のあるものに映ったんだと思う。
「だったら、あたしはここで待機ですね。シュエラ様のそばから侍女が一人もいなくなっちゃマズいですから」
他に誰もいないのをいいことに、カチュアは以前の口調で気安くシュエラに話しかける。
すると、シュエラは嬉しそうに顔をほころばせた。
伯爵の娘でありながら庶民と変わらない生活を営んだ経験のあるシュエラには、やはり王城の生活を窮屈に思うことがあるのだろう。あまり堅苦しくない言葉を聞けて、ほっとしたのかもしれない。
けれど、シュエラはすぐに表情を曇らせた。
「カチュア、マントノン夫人から何の話があったの?」
心配そうに揺れる瞳と、ほんのわずかに詰問口調。口止めしていたことがバレていなければいいと思うのと同時に、もし話してしまったのならマントノンを責めるつもりだという雰囲気が見て取れる。
そんなシュエラを見て、カチュアは慌ててごまかした。
「挑発に乗るなって諭されただけですよ」
そう言ってにっこりと笑う。
話を聞かされて一度は腹を立てたけれど、それからここに戻ってくる間によくよく考えているうちに、カチュアは教えてもらえてよかったのだという結論に達していた。
──あなたを引き立ててくださった王妃陛下のためにも、自らを貶める言動を慎むよう心がけることも考えなさい。
マントノンに言われたこの言葉を反芻しているうちに、カチュアはようやく気付いた。
自分の言動が自らを貶めているなんて、今まで思ったことがなかった。自分の考えを素直に口に出して何が悪い、我慢しなければ得られないものなど欲しくない、と。でもその結果、カチュアは王城内で敵を作り、フィーナやカレンやマチルダ、そしてシュエラを心配させてきた。
カチュアは、自分に気にしなければならないような体面も立場もないと思ってきたけれど、それは違った。カチュアには王妃付きの侍女という立場があり、王妃であるシュエラが体面を保てるような振る舞いが求められている。
侍女を辞める気がないのなら。
これからは侍女にふさわしい振る舞いをするために、多少の我慢はしていかなければ。
嫌味や嫌がらせに対して真っ向から立ち向かったりせず、彼女らを相手にしないという我慢を。
「マントノン夫人の話を聞いて、気付いたんですよ。嫌味を言われたり嫌がらせされたからって、同じようなことをし返すなんてオトナげないですよね。これからは彼女らの相手をしないことで、あたしのほうがオトナだってことを見せつけてやります!」
力強く言い切ると、シュエラは申し訳なさそうに微笑む。
「ええ、その意気で頑張ってちょうだい。──ごめんなさいね。わたくしが彼女たちの名誉を回復させたいと言い出したばかりに、カチュアに辛い思いをさせてしまって……」
「シュエラ様は王妃になられたんだから、どんなにイヤな相手でも国民である限り気を配らなければならないってことはわかってます。──王妃になるって決まってないうちから国のことを考えてらしたシュエラ様にお仕え出来たことは、あたしの自慢です」
「わたくしは、カチュアを侍女にできて幸せだわ」
一層微笑んだシュエラの瞳が、少し潤んでいるように見えた。
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