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閑話2 フィーナのお嫁入り
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フィーナは、いわゆる内弁慶。
カチュアを叱りつけることはできるけれど、カチュア以外、特に自分の家族にははっきりと物を言えない。
厳しすぎて、フィーナの意見を全く聞こうとしない父親のせいかもしれない。以前のフィーナはいつもおどおどしていて、人の言うことに何でも“はい”と答える子どもだった。
そんなフィーナが変わるきっかけとなったのは、カチュアの存在だった。
親同士が商売をするようになったことで、フィーナはカチュアと出会い、たまに一緒に遊ぶようになった。
──だからあんたは何がしたいの!?
最初の頃、カチュアによくこう怒られた。でもカチュアは大人たちのように、フィーナが出すべき答えを勝手に考えたりはしなかった。いらいらしながらも根気強く、フィーナが答えを出すのを待ってくれて。そのおかげでフィーナは自分のことを自分で考えられる力を身につけていくことができたのだと思う。
そんなカチュアは、フィーナにとって自分よりも大事な人だった。
だから、ウィンダー男爵嫡男ジェイクに「結婚を前提に付き合ってほしい」と言われた時、フィーナの返事は一つしかなかった。
「──ごめんなさい」
昼下がり、ジェイクに連れられてやってきた王城北館前の小庭の一つで、フィーナは申し訳なさに視線を合わせられないまま謝る。
灰色の髪と瞳をした十八歳の青年は、一瞬驚いたように目を見開いたものの、フィーナの返答を半ば予想できていたかのように、残念そうに目尻を下げた。
「……“あの時”から俺、けっこう待ったと思うんだけど、まだダメなの?」
失望と懇願の入り混じった声に、フィーナはついすがってしまいたくなる。
ジェイクの言う“あの時”とは、シグルドの異母兄ウィルフレッドをシュエラの部屋にかくまった時のことだ。たった6人でシュエラの世話とウィルフレッドの看病の当番を回していたため、少しでも負担を減らすためにケヴィンが外で待機する衛兵に用事を頼むことができるようにしてくれた。
その時、フィーナが一番用事を頼みやすかったのがジェイクだった。彼はフィーナが部屋から顔を出すと、すぐに用事を聞きくために近付いてきて、どんな些細な用事も笑顔で引き受けてくれた。そのため彼の姿を見ると、フィーナはほっとして自然に笑顔になった。
──今が大変なのはわかってる。だからシュエラ様が病から回復されてからでいいんだ。俺と付き合ってくれないか?
嬉しかったけれども、困りもした。こんな風に告白されるのは初めてで、どうしたらいいかわからなくて。
カチュアに相談したかった。でもあの時のカチュアに、自分の恋の相談なんてできるわけがなかった。
──返事は、落ち着いてからでいいから。
フィーナの困惑を察してくれたのか、ジェイクは少し残念そうにそう言った。少しの間はぎくしゃくしてしまったけれど、ジェイクが告白前と変わらぬ笑顔を見せてくれたので、フィーナも安心して元のようにふるまうことができた。
そうした関係に終わりが来たのは、西館で火事が起きた日だった。火はボヤ程度で消し止められ、シュエラの居室にもさして被害はなかった。だが、それを機にシュエラの居室は北館に移され、衛兵がフィーナたちシュエラ付きの侍女の用事を引き受ける役目もなくなった。
ジェイクとの接点もそれでなくなったと思い、フィーナは寂しい思いをしたものだ。
しかしジェイクは配置換えにより北館の正面入り口を守るようになり、再びフィーナと笑顔を交わす間柄となった。
二度目の告白は、エミリアが旅立った日のこと。
シュエラが倒れて寝込んでしまったこともあって今は考えられない、と断った。
三度目はシュエラの結婚式の少し後。渦中の人になってしまったカチュアのことが心配で、フィーナは自分のことを考えていられる余裕がなかった。
そして四度目。
セシールとヘリオットが国王陛下から王城内に新居をいただいて、移り住んだ頃のことだった。
その頃カチュアはデインに追いかけ回されて、嫌そうにしながらもそれなりに楽しそうだった。けれどフィーナは心配だった。デインのことで頭の中がいっぱいというフリをすることで、ヘリオットのことはもう気にしていないと見せかけようとしてやしないかと。
「気になるのは、カチュアのこと?」
ジェイクの言葉にフィーナは物思いから覚め、はっと顔を上げる。
彼の瞳に、辛抱強さと苛立ちが見え隠れした。
「そんなにカチュアのことが気になる……?」
「……カチュアは、結婚相手を見つけてこいって言われてお父さんに王城に放り込まれたって言ってるけど、多分わたしを気に病ませないようにそう言ってるんだと思うんです。父に言われて侍女になることが決まった時、わたしはそれが嫌で、でも父に反抗する勇気もなくて。わたしはカチュアに何も言わなかったけれど、カチュアはわたしの不安や恐れに気付いてくれていたんだと思うんです。だからカチュアは自分のお父さんからわたしの父に頼み込んでもらって侍女の推薦状をもらって、わたしについてきてくれたんだと思います。──カチュアがいてくれたおかげで、わたしは何とか侍女の仕事を続けられたんです。だから、カチュアがしあわせになるまで、わたしは自分のしあわせを考えられない。……もっと早く言えばよかったです。ごめんなさい」
カチュアの名誉のために口に出して言えないけれど、侍女になったせいでカチュアはいろいろとつらい目に遭った。フィーナが弱いせいでカチュアを苦しめたと思えば、自分だけしあわせになるなんて考えられない。
侍女の制服のエプロンを握りしめ、うつむいて謝ると、フィーナの頭上にため息が落ちてきた。
「そういうことなら、仕方ないね」
自分から断っておきながら見捨てられたような気分になり、顔を上げすがるような目で見つめてしまう。
彼のことは好きなんだと思う。会えれば嬉しいし、目が合えばどきどきする。他の男性に言い寄られれば怖くなって逃げ出してしまうけれど、彼に誘われればどこまでもついていきたくなる。
だから彼からの告白を断るのはつらかった。けれど今告白を受け入れたら、フィーナは一生自分を許せなくなる。
ジェイクは肩をすくめ、苦笑した。
「そんな目で見ないでほしいな。……今すぐさらっていきたくなっちゃうから」
彼の穏やかな灰色の目に熱っぽいものが宿るのを見て、フィーナは顔を真っ赤にする。
「俺もまだやらなくちゃならないことがあるし、また改めるよ」
見つめていられなくなって再度うつむいたフィーナに、ジェイクはそう声をかけて小庭から出ていった。
四度目の告白を断ったのは、一カ月余り前のことだった。
フィーナは子爵家の血筋を引いているとはいえ平民だ。ジェイクがいくら寛容でも、貴族である彼の告白を平民でしかないフィーナが四度も断ってしまったのだから、さすがに次はないだろう。彼の“また改めるよ”という言葉に期待はしていない。四度目の告白のあと、ジェイクは更なる配置換えによって、北館正面入り口からいなくなり、姿もあまり見なくなった。
けれどシュエラの内輪だけのお茶会の最後に、久しぶりに彼とのことを尋ねられ、フィーナは彼のことをあきらめ切れていないことを痛感した。
その夜のこと。
カチュアと一緒に侍女棟三階にある共同の部屋に戻ったフィーナは、寝支度を整えている最中にカチュアに声をかけられてぎくっとした。
「フィーナ、あんたあたしに気兼ねしてないで、さっさと結婚しちゃいなさいよ」
誰にも言ってないのに、どうして──?
怖々と振り返ると、そんなフィーナを見てカチュアは口をぽかんと開けた。
「まさか、ホントにプロポーズされて断ったんじゃないでしょうね?」
どうやらカマをかけられたらしい。図星を指されて顔をひきつらせると、カチュアは目を吊り上げて怒りだした。
「どーせあたしがしあわせになってから、とか考えてるんでしょ!?」
カチュアの怒った顔の中に、痛みをこらえる表情が浮かぶ。
傷つけてしまった──。
遠慮するような気遣いをすれば、カチュアが傷つくとわかっていたのに。内緒にしておけば傷つけることはないと思っていたのに、このありさまだ。
「カチュア、違うの。わたしはただ、まだそんな気になれないだけで……」
「あたしがかわいそうで心配だから? それ、あたしに対して失礼だと思わないの!?」
その時、扉が苛立たしげに叩かれた。
「ちょっと! うるさいわよ!」
ノックに続けて怒鳴られて、フィーナとカチュアは同時に首をすくめる。
「ごめんなさーい」
扉越しに謝って、二人はごそごそとベッドに入る。フィーナが枕もとのランプを消すと、部屋の中は一気に真っ暗になる。
暗闇の中、ぼそぼそとカチュアの声がした。
「あたしはあたし、あんたはあんた。あたしたちは親友だけど、お互いの顔色をうかがって人を好きになったり結婚を考えるなんておかしいから。今度プロポーズを断ったりしたら絶交だからね」
「……わたし、彼と結婚したいなんて言った覚えないんだけど」
「でも結婚するなら彼しか考えられないんでしょ? あんたは一生に一人しか好きにならないし、好きな男しか側に寄せ付けないタイプ。親友のあたしが言うんだから間違いないわよ」
フィーナは口の中でくすっと笑う。
絶交という言葉を使ったすぐそばから、親友だと断言する。
そんなカチュアは、フィーナと本当に絶交すると言ったとしても、フィーナがすがれば絶交し切れないのだろう。だからフィーナは、安心してカチュアを好きでいられる。
カチュアはきっと、どうにかしてジェイクにもう一度プロポーズさせるだろう。
その時どうやって返事しようか。カチュアにどう報告しようか。
悩みながらフィーナは眠りについたのだった。
翌日の休憩時間、カチュアは短いその時間を使って、衛兵の練兵場へと急いだ。
人の姿がないのをいいことに北館から練兵場へと下る坂を駆け降りていると、坂の下に現れた人影がカチュアに向かって駆け上がってくる。
それがデインだとわかったカチュアは、一層足を速めた。
「ちょうどよかった。話があるのよ」
「オレも」
衝突しそうな勢いでお互い側に寄ると、息を整える間も惜しんで話し始める。
「フィーナにプロポーズOKするように言ってやってくれないか?」
「あたしもその話をしたかったの。──てか、あんたは何で知ってんの?」
「昨日のお茶会でフィーナが“付き合ってない”って言ったもんだから、どうしたのかってジェイクを問い詰めたんだ。そうしたら、プロポーズして断られたって言ってたから」
「じゃあ、そもそも二人が好き合ってるってこと、知ってたの? 二人とも隠してるみたいだったのに」
だからカチュアは気付けなかったのだ。そしてカレンがそのことに気付いていたと聞いて、カチュアは親友が恋しているのに気付けなかったことが悔しく、自分の友達がいのなさに内心落ち込んだ。
こうしたカチュアの内心にまるで気付いた様子なく、デインはけろりと言う。
「そんなの、二人を見てればバレバレじゃん?」
カチュアはデインを殴り倒したくなった衝動をとっさに抑えた。
デインは人の機微に聡いのか疎いのか、さっぱりわからない。カチュアがヘリオットに振られたことを揶揄されてつらい思いをしていることには気付いて助けてくれたクセに、その助けのせいでカチュアの立場がさらに厳しくなったことは説明しても理解しなかったし。
ともあれ、その“バレバレ”にカチュアが気付けなかったのはデインのせいじゃないし、デインはカチュアを故意に馬鹿にしたわけでもないのだから八つ当たりをしてはいけない。
それに休憩の時間もあまり残っていない。
のんびりにやにや笑うデインをにらみつけて、用件を伝えた。
「ともかくそのジェイクとやらに、もう一度プロポーズするよう伝えて。次断ったりしたら絶交だってフィーナに言ってあるから、今度こそ大丈夫だから。じゃ、よろしくね!」
言うだけ言って、カチュアは来た道を駆け上がっていった。
お膳立ては成功し、ジェイクとやらはすぐさまフィーナにプロポーズし直し、フィーナはそれにOKしたとカチュアにぼそぼそと報告した。
「プロポーズじゃなくて、結婚を前提にお付き合いするって話なの」
「“結婚を前提に”って言ってる段階で、プロポーズと変わんないじゃない。家族には報告するのよね? あの高慢ちきでフィーナのことを見下してばっかの親父が、フィーナが自力でお貴族様との結婚の約束を取り付けたと知って驚く様が見られないのが残念だわ!」
ところがフィーナが手紙を出して数日後、フィーナの父親から結婚を認めない旨を記した手紙が届いた。
カチュアを叱りつけることはできるけれど、カチュア以外、特に自分の家族にははっきりと物を言えない。
厳しすぎて、フィーナの意見を全く聞こうとしない父親のせいかもしれない。以前のフィーナはいつもおどおどしていて、人の言うことに何でも“はい”と答える子どもだった。
そんなフィーナが変わるきっかけとなったのは、カチュアの存在だった。
親同士が商売をするようになったことで、フィーナはカチュアと出会い、たまに一緒に遊ぶようになった。
──だからあんたは何がしたいの!?
最初の頃、カチュアによくこう怒られた。でもカチュアは大人たちのように、フィーナが出すべき答えを勝手に考えたりはしなかった。いらいらしながらも根気強く、フィーナが答えを出すのを待ってくれて。そのおかげでフィーナは自分のことを自分で考えられる力を身につけていくことができたのだと思う。
そんなカチュアは、フィーナにとって自分よりも大事な人だった。
だから、ウィンダー男爵嫡男ジェイクに「結婚を前提に付き合ってほしい」と言われた時、フィーナの返事は一つしかなかった。
「──ごめんなさい」
昼下がり、ジェイクに連れられてやってきた王城北館前の小庭の一つで、フィーナは申し訳なさに視線を合わせられないまま謝る。
灰色の髪と瞳をした十八歳の青年は、一瞬驚いたように目を見開いたものの、フィーナの返答を半ば予想できていたかのように、残念そうに目尻を下げた。
「……“あの時”から俺、けっこう待ったと思うんだけど、まだダメなの?」
失望と懇願の入り混じった声に、フィーナはついすがってしまいたくなる。
ジェイクの言う“あの時”とは、シグルドの異母兄ウィルフレッドをシュエラの部屋にかくまった時のことだ。たった6人でシュエラの世話とウィルフレッドの看病の当番を回していたため、少しでも負担を減らすためにケヴィンが外で待機する衛兵に用事を頼むことができるようにしてくれた。
その時、フィーナが一番用事を頼みやすかったのがジェイクだった。彼はフィーナが部屋から顔を出すと、すぐに用事を聞きくために近付いてきて、どんな些細な用事も笑顔で引き受けてくれた。そのため彼の姿を見ると、フィーナはほっとして自然に笑顔になった。
──今が大変なのはわかってる。だからシュエラ様が病から回復されてからでいいんだ。俺と付き合ってくれないか?
嬉しかったけれども、困りもした。こんな風に告白されるのは初めてで、どうしたらいいかわからなくて。
カチュアに相談したかった。でもあの時のカチュアに、自分の恋の相談なんてできるわけがなかった。
──返事は、落ち着いてからでいいから。
フィーナの困惑を察してくれたのか、ジェイクは少し残念そうにそう言った。少しの間はぎくしゃくしてしまったけれど、ジェイクが告白前と変わらぬ笑顔を見せてくれたので、フィーナも安心して元のようにふるまうことができた。
そうした関係に終わりが来たのは、西館で火事が起きた日だった。火はボヤ程度で消し止められ、シュエラの居室にもさして被害はなかった。だが、それを機にシュエラの居室は北館に移され、衛兵がフィーナたちシュエラ付きの侍女の用事を引き受ける役目もなくなった。
ジェイクとの接点もそれでなくなったと思い、フィーナは寂しい思いをしたものだ。
しかしジェイクは配置換えにより北館の正面入り口を守るようになり、再びフィーナと笑顔を交わす間柄となった。
二度目の告白は、エミリアが旅立った日のこと。
シュエラが倒れて寝込んでしまったこともあって今は考えられない、と断った。
三度目はシュエラの結婚式の少し後。渦中の人になってしまったカチュアのことが心配で、フィーナは自分のことを考えていられる余裕がなかった。
そして四度目。
セシールとヘリオットが国王陛下から王城内に新居をいただいて、移り住んだ頃のことだった。
その頃カチュアはデインに追いかけ回されて、嫌そうにしながらもそれなりに楽しそうだった。けれどフィーナは心配だった。デインのことで頭の中がいっぱいというフリをすることで、ヘリオットのことはもう気にしていないと見せかけようとしてやしないかと。
「気になるのは、カチュアのこと?」
ジェイクの言葉にフィーナは物思いから覚め、はっと顔を上げる。
彼の瞳に、辛抱強さと苛立ちが見え隠れした。
「そんなにカチュアのことが気になる……?」
「……カチュアは、結婚相手を見つけてこいって言われてお父さんに王城に放り込まれたって言ってるけど、多分わたしを気に病ませないようにそう言ってるんだと思うんです。父に言われて侍女になることが決まった時、わたしはそれが嫌で、でも父に反抗する勇気もなくて。わたしはカチュアに何も言わなかったけれど、カチュアはわたしの不安や恐れに気付いてくれていたんだと思うんです。だからカチュアは自分のお父さんからわたしの父に頼み込んでもらって侍女の推薦状をもらって、わたしについてきてくれたんだと思います。──カチュアがいてくれたおかげで、わたしは何とか侍女の仕事を続けられたんです。だから、カチュアがしあわせになるまで、わたしは自分のしあわせを考えられない。……もっと早く言えばよかったです。ごめんなさい」
カチュアの名誉のために口に出して言えないけれど、侍女になったせいでカチュアはいろいろとつらい目に遭った。フィーナが弱いせいでカチュアを苦しめたと思えば、自分だけしあわせになるなんて考えられない。
侍女の制服のエプロンを握りしめ、うつむいて謝ると、フィーナの頭上にため息が落ちてきた。
「そういうことなら、仕方ないね」
自分から断っておきながら見捨てられたような気分になり、顔を上げすがるような目で見つめてしまう。
彼のことは好きなんだと思う。会えれば嬉しいし、目が合えばどきどきする。他の男性に言い寄られれば怖くなって逃げ出してしまうけれど、彼に誘われればどこまでもついていきたくなる。
だから彼からの告白を断るのはつらかった。けれど今告白を受け入れたら、フィーナは一生自分を許せなくなる。
ジェイクは肩をすくめ、苦笑した。
「そんな目で見ないでほしいな。……今すぐさらっていきたくなっちゃうから」
彼の穏やかな灰色の目に熱っぽいものが宿るのを見て、フィーナは顔を真っ赤にする。
「俺もまだやらなくちゃならないことがあるし、また改めるよ」
見つめていられなくなって再度うつむいたフィーナに、ジェイクはそう声をかけて小庭から出ていった。
四度目の告白を断ったのは、一カ月余り前のことだった。
フィーナは子爵家の血筋を引いているとはいえ平民だ。ジェイクがいくら寛容でも、貴族である彼の告白を平民でしかないフィーナが四度も断ってしまったのだから、さすがに次はないだろう。彼の“また改めるよ”という言葉に期待はしていない。四度目の告白のあと、ジェイクは更なる配置換えによって、北館正面入り口からいなくなり、姿もあまり見なくなった。
けれどシュエラの内輪だけのお茶会の最後に、久しぶりに彼とのことを尋ねられ、フィーナは彼のことをあきらめ切れていないことを痛感した。
その夜のこと。
カチュアと一緒に侍女棟三階にある共同の部屋に戻ったフィーナは、寝支度を整えている最中にカチュアに声をかけられてぎくっとした。
「フィーナ、あんたあたしに気兼ねしてないで、さっさと結婚しちゃいなさいよ」
誰にも言ってないのに、どうして──?
怖々と振り返ると、そんなフィーナを見てカチュアは口をぽかんと開けた。
「まさか、ホントにプロポーズされて断ったんじゃないでしょうね?」
どうやらカマをかけられたらしい。図星を指されて顔をひきつらせると、カチュアは目を吊り上げて怒りだした。
「どーせあたしがしあわせになってから、とか考えてるんでしょ!?」
カチュアの怒った顔の中に、痛みをこらえる表情が浮かぶ。
傷つけてしまった──。
遠慮するような気遣いをすれば、カチュアが傷つくとわかっていたのに。内緒にしておけば傷つけることはないと思っていたのに、このありさまだ。
「カチュア、違うの。わたしはただ、まだそんな気になれないだけで……」
「あたしがかわいそうで心配だから? それ、あたしに対して失礼だと思わないの!?」
その時、扉が苛立たしげに叩かれた。
「ちょっと! うるさいわよ!」
ノックに続けて怒鳴られて、フィーナとカチュアは同時に首をすくめる。
「ごめんなさーい」
扉越しに謝って、二人はごそごそとベッドに入る。フィーナが枕もとのランプを消すと、部屋の中は一気に真っ暗になる。
暗闇の中、ぼそぼそとカチュアの声がした。
「あたしはあたし、あんたはあんた。あたしたちは親友だけど、お互いの顔色をうかがって人を好きになったり結婚を考えるなんておかしいから。今度プロポーズを断ったりしたら絶交だからね」
「……わたし、彼と結婚したいなんて言った覚えないんだけど」
「でも結婚するなら彼しか考えられないんでしょ? あんたは一生に一人しか好きにならないし、好きな男しか側に寄せ付けないタイプ。親友のあたしが言うんだから間違いないわよ」
フィーナは口の中でくすっと笑う。
絶交という言葉を使ったすぐそばから、親友だと断言する。
そんなカチュアは、フィーナと本当に絶交すると言ったとしても、フィーナがすがれば絶交し切れないのだろう。だからフィーナは、安心してカチュアを好きでいられる。
カチュアはきっと、どうにかしてジェイクにもう一度プロポーズさせるだろう。
その時どうやって返事しようか。カチュアにどう報告しようか。
悩みながらフィーナは眠りについたのだった。
翌日の休憩時間、カチュアは短いその時間を使って、衛兵の練兵場へと急いだ。
人の姿がないのをいいことに北館から練兵場へと下る坂を駆け降りていると、坂の下に現れた人影がカチュアに向かって駆け上がってくる。
それがデインだとわかったカチュアは、一層足を速めた。
「ちょうどよかった。話があるのよ」
「オレも」
衝突しそうな勢いでお互い側に寄ると、息を整える間も惜しんで話し始める。
「フィーナにプロポーズOKするように言ってやってくれないか?」
「あたしもその話をしたかったの。──てか、あんたは何で知ってんの?」
「昨日のお茶会でフィーナが“付き合ってない”って言ったもんだから、どうしたのかってジェイクを問い詰めたんだ。そうしたら、プロポーズして断られたって言ってたから」
「じゃあ、そもそも二人が好き合ってるってこと、知ってたの? 二人とも隠してるみたいだったのに」
だからカチュアは気付けなかったのだ。そしてカレンがそのことに気付いていたと聞いて、カチュアは親友が恋しているのに気付けなかったことが悔しく、自分の友達がいのなさに内心落ち込んだ。
こうしたカチュアの内心にまるで気付いた様子なく、デインはけろりと言う。
「そんなの、二人を見てればバレバレじゃん?」
カチュアはデインを殴り倒したくなった衝動をとっさに抑えた。
デインは人の機微に聡いのか疎いのか、さっぱりわからない。カチュアがヘリオットに振られたことを揶揄されてつらい思いをしていることには気付いて助けてくれたクセに、その助けのせいでカチュアの立場がさらに厳しくなったことは説明しても理解しなかったし。
ともあれ、その“バレバレ”にカチュアが気付けなかったのはデインのせいじゃないし、デインはカチュアを故意に馬鹿にしたわけでもないのだから八つ当たりをしてはいけない。
それに休憩の時間もあまり残っていない。
のんびりにやにや笑うデインをにらみつけて、用件を伝えた。
「ともかくそのジェイクとやらに、もう一度プロポーズするよう伝えて。次断ったりしたら絶交だってフィーナに言ってあるから、今度こそ大丈夫だから。じゃ、よろしくね!」
言うだけ言って、カチュアは来た道を駆け上がっていった。
お膳立ては成功し、ジェイクとやらはすぐさまフィーナにプロポーズし直し、フィーナはそれにOKしたとカチュアにぼそぼそと報告した。
「プロポーズじゃなくて、結婚を前提にお付き合いするって話なの」
「“結婚を前提に”って言ってる段階で、プロポーズと変わんないじゃない。家族には報告するのよね? あの高慢ちきでフィーナのことを見下してばっかの親父が、フィーナが自力でお貴族様との結婚の約束を取り付けたと知って驚く様が見られないのが残念だわ!」
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