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閑話1 妻たちのお茶会
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シグルドとシュエラの結婚式から二カ月後のこと。
北館の外がにわかに騒がしくなり、それから少しして廊下をばたばたと走ってくる音がする。
有事でもないのに北館の廊下を走っても咎められないのは、この国ではただ一人しかいない。足音が聞こえてきた段階で何があったか察したシュエラは、立ち上がって扉の近くへと出迎えに向かう。
その時ノックもなしに大きな音を立てて、王妃の──シュエラの応接室の扉が大きく開け放たれた。
「シュエラ!」
国王シグルドは大きく肩で息をしながら、食い入るようにシュエラを見つめる。シュエラはちょっと残念そうにシグルドに言った。
「報告がいってしまったのですね。わたくしが直接お伝えしたかったのに……」
「では、本当なんだな?」
「……はい」
頬を染めシュエラが答えると、シグルドは焦燥の面持ちを見る見る満面の笑みに変え、勢いよくシュエラを抱きしめた。
「やった! シュエラ、よくやった!」
大喜びしているシグルドの声を聞いていると、シュエラもようやく実感がわいてくる。
「おめでとうございます。国王陛下」
「おめでとうございます。陛下」
「おめでとうございます!」
シュエラが王妃になったことで女官長となったマントノンが、控えめに祝いの言葉を述べる。するとその場にいた侍女たちも祝いの言葉を口々にする。
シグルドにようやく追い付いたケヴィンとヘリオットも、開け放たれたままの扉から顔をのぞかせた。
「ご懐妊の話は本当だったようですね。おめでとうございます」
「待望の第一子ですね。おめでとうございます──って聞こえてなさそうですね」
子どものようにはしゃいでシュエラを抱き上げるシグルドを見ながら、二人は苦笑する。
この日、王妃懐妊の話で城内はわき上がり、その話はまたたく間に国中へと広まっていった。
それから数日後。
シュエラの体調を案じ、忙しい政務の合間をぬって北館に戻るシグルドの姿が頻繁に見られるようになった。
数ヶ月前の妊娠騒ぎの時、シュエラを居室に閉じ込め物々しい警備を敷いたことを考えれば、今回は何とも微笑ましいことだ──と、城内の者たちからそのような目で見られていることに全く気付かず、シグルドは今日もいそいそと北館への長く緩やかな坂道を上がる。
日に何度も足を運ぶシグルドに、最初のうちは「ご政務は大丈夫なのですか?」と尋ねていたシュエラも、そのうちあきらめて訪れを歓迎するようになった。
この日の午後も早々に政務を片付けたシグルドが、貴族との面談を行っているシュエラのもとを訪れ、見学することで貴族をいたたまれなくして早々に辞去させてしまう。
「座ってお話をしているだけなのですから、大丈夫ですのに……」
「何が負担になるかわからないからな。用心するに越したことはない」
「追い出す気満々で同席したわけですね……」
ヘリオットが呆れまじりにつぶやいた。それは聞こえなかったようで、シグルドはいそいそとシュエラの隣に椅子を移動させる。
まだ平らなシュエラのお腹に熱い視線を送り、子が育つのを今か今かと待ちわびている様子は子どものようだ、とシュエラは思うのだが、本人には内緒にしている。
ヘリオットが苦笑しながら、シグルドに指摘した。
「陛下、陛下。お顔がゆるくなってます」
シグルドは頬を赤らめ、照れ隠しに話題を振る。
「そういうおまえは、妻に子ができたというのにあまり変わった様子はないな」
ヘリオットの傍らに立つ新米女官のセシールは、シグルドにちらっと視線を向けられ、恥じらうように視線を下げた。
ヘリオットとセシールは、シグルドとシュエラの婚礼のあとに北館脇の管理棟に部屋をもらった。そして一緒に暮らし始めてすぐセシールの妊娠が判明して、「どう計算しても一緒に暮らし始める前にできた子よね?」とからかわれてセシールが盛大に赤くなったのは、一カ月余り前のことだ。その時もヘリオットはひょうひょうとしたものだったが、今も全く照れた様子なくさらっと答える。
「ええ、まあ計画通りですから。妻がシュエラ様より先に妊娠出産を経験すれば、多少なりともお役に立てるのではと思いまして」
「……そう言っておまえが妻を丸めこむ様子が、手に取るようにわかるような気がするよ」
「いやだなぁ。丸めこむなんて人聞きの悪い」
顔を真っ赤にするセシールの隣で、ヘリオットは悪びれた様子なくへらへらと笑う。あきれ顔をしていたシグルドも、そのうちに苦笑を漏らした。
「一頃とはえらい違いだな。変われば変わるもんだ。──ケヴィン。おまえはどうなんだ? 公爵家の跡取りの問題もあることだし、そろそろ結婚したらどうだ?」
そう言ったとたん、ヘリオットは笑みをひきつらせそろりケヴィンに視線を送る。ケヴィンは相変わらずの無表情ながらもどこか緊張して見えた。
シグルドは不審げに眉根を寄せる。
「どうかしたのか?」
二人を交互に見遣って尋ねると、ヘリオットがため息をついてケヴィンに言った。
「いい機会だから話せよ、ケヴィン」
「? 何をだ?」
シグルドはケヴィンに顔を向ける。ケヴィンはどこか後ろめたそうに視線をわずかにさまよわせていたが、やがて観念したように目を伏せた。
「国が安定せず陛下も大変でいらっしゃった折、わたくし事で煩わせては申し訳ないと思い黙っておりましたが──わたしには内縁の妻がおり、娘は5歳、妻は第二子を妊娠しています」
一瞬、場が静まり返る。
硬直してしまったシグルドをちらちらと案じながら、シュエラはケヴィンにおそるおそる尋ねた。
「あの……ケヴィン様、嘘ですよね……?」
「本当です」
そのとたん、侍女たちから「えー!?」という驚きの声が上がる。
「嘘っ! 信じらんない! ケヴィン様に内縁の妻!」
「娘さんが5歳ってことは、少なくとも6年間相手の女性との内縁関係を内緒にしてたってこと!?」
カチュアに続いてマチルダが叫ぶと、侍女の中で最年長で比較的冷静なカレンも割って入る。
「ちょっと待ってよ! 6年前っていったらまだ戦争中よ!? 戦場にいたケヴィン様がどうやって???」
そんな中、フィーナがぽつっとつぶやいた。
「セシールはあんまり驚いてないようだけど、もしかして知ってたの?」
「う、うん……」
それを聞き付けて、マチルダとカチュアが詰め寄る。
「それってヘリオット様情報!?」
「ずっるーい! そういう面白い話は共有するのが友達ってもんじゃないの!?」
しばし呆然としてしまっていたマントノンは、はっと我に返って注意した。
「あなた方、うるさいですよ!」
「も、申し訳ありません!」
侍女たちは整列し直し、一斉に頭を下げる。
静まり返った中、シュエラの声だけが広い部屋の中に響いた。
「あの、陛下……陛下?」
シグルドはケヴィンからの爆弾発言に硬直した状態のまま、しばらく動こうとしなかった。
北館の外がにわかに騒がしくなり、それから少しして廊下をばたばたと走ってくる音がする。
有事でもないのに北館の廊下を走っても咎められないのは、この国ではただ一人しかいない。足音が聞こえてきた段階で何があったか察したシュエラは、立ち上がって扉の近くへと出迎えに向かう。
その時ノックもなしに大きな音を立てて、王妃の──シュエラの応接室の扉が大きく開け放たれた。
「シュエラ!」
国王シグルドは大きく肩で息をしながら、食い入るようにシュエラを見つめる。シュエラはちょっと残念そうにシグルドに言った。
「報告がいってしまったのですね。わたくしが直接お伝えしたかったのに……」
「では、本当なんだな?」
「……はい」
頬を染めシュエラが答えると、シグルドは焦燥の面持ちを見る見る満面の笑みに変え、勢いよくシュエラを抱きしめた。
「やった! シュエラ、よくやった!」
大喜びしているシグルドの声を聞いていると、シュエラもようやく実感がわいてくる。
「おめでとうございます。国王陛下」
「おめでとうございます。陛下」
「おめでとうございます!」
シュエラが王妃になったことで女官長となったマントノンが、控えめに祝いの言葉を述べる。するとその場にいた侍女たちも祝いの言葉を口々にする。
シグルドにようやく追い付いたケヴィンとヘリオットも、開け放たれたままの扉から顔をのぞかせた。
「ご懐妊の話は本当だったようですね。おめでとうございます」
「待望の第一子ですね。おめでとうございます──って聞こえてなさそうですね」
子どものようにはしゃいでシュエラを抱き上げるシグルドを見ながら、二人は苦笑する。
この日、王妃懐妊の話で城内はわき上がり、その話はまたたく間に国中へと広まっていった。
それから数日後。
シュエラの体調を案じ、忙しい政務の合間をぬって北館に戻るシグルドの姿が頻繁に見られるようになった。
数ヶ月前の妊娠騒ぎの時、シュエラを居室に閉じ込め物々しい警備を敷いたことを考えれば、今回は何とも微笑ましいことだ──と、城内の者たちからそのような目で見られていることに全く気付かず、シグルドは今日もいそいそと北館への長く緩やかな坂道を上がる。
日に何度も足を運ぶシグルドに、最初のうちは「ご政務は大丈夫なのですか?」と尋ねていたシュエラも、そのうちあきらめて訪れを歓迎するようになった。
この日の午後も早々に政務を片付けたシグルドが、貴族との面談を行っているシュエラのもとを訪れ、見学することで貴族をいたたまれなくして早々に辞去させてしまう。
「座ってお話をしているだけなのですから、大丈夫ですのに……」
「何が負担になるかわからないからな。用心するに越したことはない」
「追い出す気満々で同席したわけですね……」
ヘリオットが呆れまじりにつぶやいた。それは聞こえなかったようで、シグルドはいそいそとシュエラの隣に椅子を移動させる。
まだ平らなシュエラのお腹に熱い視線を送り、子が育つのを今か今かと待ちわびている様子は子どものようだ、とシュエラは思うのだが、本人には内緒にしている。
ヘリオットが苦笑しながら、シグルドに指摘した。
「陛下、陛下。お顔がゆるくなってます」
シグルドは頬を赤らめ、照れ隠しに話題を振る。
「そういうおまえは、妻に子ができたというのにあまり変わった様子はないな」
ヘリオットの傍らに立つ新米女官のセシールは、シグルドにちらっと視線を向けられ、恥じらうように視線を下げた。
ヘリオットとセシールは、シグルドとシュエラの婚礼のあとに北館脇の管理棟に部屋をもらった。そして一緒に暮らし始めてすぐセシールの妊娠が判明して、「どう計算しても一緒に暮らし始める前にできた子よね?」とからかわれてセシールが盛大に赤くなったのは、一カ月余り前のことだ。その時もヘリオットはひょうひょうとしたものだったが、今も全く照れた様子なくさらっと答える。
「ええ、まあ計画通りですから。妻がシュエラ様より先に妊娠出産を経験すれば、多少なりともお役に立てるのではと思いまして」
「……そう言っておまえが妻を丸めこむ様子が、手に取るようにわかるような気がするよ」
「いやだなぁ。丸めこむなんて人聞きの悪い」
顔を真っ赤にするセシールの隣で、ヘリオットは悪びれた様子なくへらへらと笑う。あきれ顔をしていたシグルドも、そのうちに苦笑を漏らした。
「一頃とはえらい違いだな。変われば変わるもんだ。──ケヴィン。おまえはどうなんだ? 公爵家の跡取りの問題もあることだし、そろそろ結婚したらどうだ?」
そう言ったとたん、ヘリオットは笑みをひきつらせそろりケヴィンに視線を送る。ケヴィンは相変わらずの無表情ながらもどこか緊張して見えた。
シグルドは不審げに眉根を寄せる。
「どうかしたのか?」
二人を交互に見遣って尋ねると、ヘリオットがため息をついてケヴィンに言った。
「いい機会だから話せよ、ケヴィン」
「? 何をだ?」
シグルドはケヴィンに顔を向ける。ケヴィンはどこか後ろめたそうに視線をわずかにさまよわせていたが、やがて観念したように目を伏せた。
「国が安定せず陛下も大変でいらっしゃった折、わたくし事で煩わせては申し訳ないと思い黙っておりましたが──わたしには内縁の妻がおり、娘は5歳、妻は第二子を妊娠しています」
一瞬、場が静まり返る。
硬直してしまったシグルドをちらちらと案じながら、シュエラはケヴィンにおそるおそる尋ねた。
「あの……ケヴィン様、嘘ですよね……?」
「本当です」
そのとたん、侍女たちから「えー!?」という驚きの声が上がる。
「嘘っ! 信じらんない! ケヴィン様に内縁の妻!」
「娘さんが5歳ってことは、少なくとも6年間相手の女性との内縁関係を内緒にしてたってこと!?」
カチュアに続いてマチルダが叫ぶと、侍女の中で最年長で比較的冷静なカレンも割って入る。
「ちょっと待ってよ! 6年前っていったらまだ戦争中よ!? 戦場にいたケヴィン様がどうやって???」
そんな中、フィーナがぽつっとつぶやいた。
「セシールはあんまり驚いてないようだけど、もしかして知ってたの?」
「う、うん……」
それを聞き付けて、マチルダとカチュアが詰め寄る。
「それってヘリオット様情報!?」
「ずっるーい! そういう面白い話は共有するのが友達ってもんじゃないの!?」
しばし呆然としてしまっていたマントノンは、はっと我に返って注意した。
「あなた方、うるさいですよ!」
「も、申し訳ありません!」
侍女たちは整列し直し、一斉に頭を下げる。
静まり返った中、シュエラの声だけが広い部屋の中に響いた。
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