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第一話
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報せを聞いたカチュアは、シュエラの許可をもらって仕事を抜け、近衛隊舎に急いだ。
二週間おとなしかったと思ったのに、案の定これだ。
あいつは馬鹿よ! 馬鹿すぎるわ……っ!
ヘリオットに殴りかかったのだという。地位が上の人間に殴りかかれば、懲罰は免れない。せっかく入れてもらった近衛隊で何をやらかしているんだか。
『ヘリオット様との試合の後、デインが突然ヘリオット様に殴りかかりまして。現在近衛隊舎にて尋問しているのですが、理由を話そうとしません』
シュエラと午後のひとときを過ごしていたシグルドに、近衛隊士からこのような報告が入ったのだが、王妃の弟ということあって通常通り鞭打ちにしてもいいのかどうか、判断に困ったらしい。
『王妃の弟だからといって特別扱いすることはない。だが、何故殴りかかったのか、きっかけもわからないのか?』
『それが、近くで聞いていた者の話によると、殴りかかる直前、ヘリオット様とカチュアについて何らかの話をしていたらしいです。ヘリオット様は何かご存知のご様子でしたが、何も説明してくださらず、ただ“フツーに罰を与えておいて”とおっしゃって行ってしまわれて……』
カチュアにちらっと視線を向けながら、近衛隊士は話す。それを聞いて、カチュアはいてもたってもいられなくなった。
『すみません、シュエラ様。少し仕事を抜けてもいいでしょうか?』
『お願いするわ、カチュア。デインのこと、よろしくね。ヘリオット殿にちゃんと謝ってしっかり罰を受けなさいって言ってやって』
『わかりました』
デインは知っていたのだろうか。カチュアがヘリオットに恋心を抱いていたことを。それで恋敵であるヘリオットに殴りかかった? だとしたら大馬鹿だ。カチュアがヘリオットに片思いしたのはヘリオットのせいではなく、カチュアが恋を自覚した時には、すでに二人は恋仲だったのだから。
「カチュア!」
近衛隊舎の近くまで走っていくと、顔見知りの近衛隊士が手を上げて声をかけてくれる。
「デインのこと聞いたのか?」
「あの馬鹿はどこですか?」
「とりあえず応接室にいるよ。案内する」
「ありがとうございます!」
木造の隊舎に入り、玄関ホールから廊下に入ってすぐの扉を、案内してくれた隊士がノックした。
「誰だ?」
「王妃陛下の侍女カチュアが、話を聞いて来てくれました。入室許可を願います」
「許可する」
隊士が扉を開けてくれ、中に入るよう促す。カチュアは小さくお礼を言って、中に滑り込んだ。
中には簡素な木の椅子に縛られて座っているデインと、デインの前に近衛隊の制服を着た中年の男性とヘリオットと同じくらいの年齢の男性が立っていた。
男性二人は、部屋に入ったカチュアを遠慮なくじろじろ見つめてくる。身分がありそうな中年のほうの男性が、にやにやしながら口を開いた。
「ほう……君がデインの噂の彼女か」
「あたしはデインの彼女じゃありません」
むっとしながら、カチュアは即座に否定する。年上で身分のある人物に対して失礼な態度だったが、男性は怒ることはしなかった。
「隊士にデインの処遇をどうしたらいいか国王陛下にお伺いしてくるよう言いつけたのだが、君はそのことを知っているか?」
「はい。国王陛下は、“王妃陛下の弟だからといって特別扱いすることはない”とおっしゃっておいででした。王妃陛下も、デインにしっかり罰を受けるようにと。それで、その前にデインと話をさせてもらってもいいですか?」
中年の男性はにやっと笑う。
「いいだろう。この馬鹿にしっかり説教してやってくれ。我々は席を外そう」
「ありがとうございます」
二人が出ていって扉が閉まったところで、カチュアは小走りにデインの前に回り込んだ。
「今の年上のほうの人、近衛隊の隊長さん? 隊長さんにまで馬鹿って言われるなんて、あんたホントに馬鹿ね」
「……」
デインがしゃべらないと調子が狂う。デインと会うと、いつも怒鳴り合いみたいになっていたから。
「そ、それで、何でヘリオット様を殴ったりなんかしたのよ?」
カチュアはまごつきながら本題に入った。
「そんなことをしたら罰を受けるって、わからなかったの?」
「……わかってたけど、腹が立ってしょうがなかったんだ」
聞きとりにくかったけど、デインのつぶやきはかろうじてカチュアの耳に届く。
「は?」
意味がわからず身をかがめながら聞き返すと、デインはいきなり顔を上げた。
「カチュアがひどい目に遭ってたのは、あいつのせいじゃないか!」
叫んだデインに、カチュアはぽかんとする。
「はぁ?」
何のことかわからない。うろんげに眉をひそめると、デインは気まずげに顔をそらした。
「俺、見たんだ。カチュアがいじめられてるところ……」
カチュアはギクッとする。いつ、どんな場面を見られたんだろう。
デインはちらっとカチュアを見て、それから下を向く。
「偶然だったんだ。姉ちゃんの結婚式の日、庭を探検してたらケンカする声が聞こえてきてさ。その、興味本位で近づいたんだけど、一方がカチュアだって気付いたらその場を離れられなくなって……」
「それって一カ月も前のことじゃない。何でそんなこと覚えてるのよ……」
てか、立ち聞きされてたの? あのときは何て言われてたんだっけ……?
カチュアのほうが気まずくなって、視線を泳がせてしまう。
デインはカチュアに悪いと思っているのか、うなだれたまま話し始めた。
「それ聞いてるうちに、ヘリオットが許せなくなったんだ。カチュアに何かの協力を頼んでおきながらあっさり振って、よりにもよってカチュアの仕事仲間とくっつくなんてさ。そんなことしておきながら、あいつカチュアが困ってるのに助けもしないじゃないか! ひどすぎるよ! なのに、俺にプロポーズを撤回しろって言いやがって、てめーが動かないからオレが動いたんじゃないか!」
何だ、そういうこと……。
ずっと疑問に思っていたのだ。何故デインは自分にプロポーズしてきたのかと。
言っちゃなんだけど一目ぼれされるような容姿をしてるわけじゃないし、シュエラが愛妾の頃に一度だけ会ってるけどプロポーズされた時は初対面と変わらなかった。
好きになるような時間がどこにあったのかとずっと考えていたのだけど、そういうことだったのだ。
口に出したことで腹立ちを新たにしたのか、デインは憤慨して顔を真っ赤にしている。
カチュアはあきれてため息をついた。
「ヘリオット様があたしをかばったりしたら、あいつらの嫌がらせが余計にひどくなるじゃない。あたしがシュエラ様の侍女をしていて、ヘリオット様と仲がいいのをやっかんでるの。ヘリオット様が“カチュアちゃんをいじめるな”なんて言ったとしたら、あいつらはヘリオット様の目につかないところで、もっとひどい嫌がらせをしてきたと思うわ。だからヘリオット様は何もしなくて正解なのよ」
デインは顔を上げ、納得いかないといった表情でカチュアを見た。そんなデインにカチュアは苦笑する。
「それにね。あたしが今いじめられてるのは、あんたのせいなのよ? あんたのせいで洗濯物をぐちゃぐちゃに汚されたわ。──でも、あんたのおかげでいじめてくるヤツらの口からヘリオット様のことを聞かなくなった。そのことには感謝してる」
カチュアは、とびっきりの笑顔をデインに向ける。
「あたしは平気。だからもういいわ。今までありがとう」
デインは案外頭がいいのかもしれない。
身分の高い相手から熱烈にプロポーズされていれば、カチュアをいじめたい奴らはヘリオットに振られたことを言い出しにくくなる。
カチュアはデインのおかげで失恋の傷をえぐられることがなくなり、デインに気をとられることでいつの間にか心の痛みは和らいでいた。
カチュアは屈めていた腰を伸ばし、デインを見下ろす。
「シュエラ様からの伝言よ。ヘリオット様にちゃんと謝って、しっかり罰を受けなさい、だそうよ。まったく、ひとの心配をするよりまず自分の心配をしなさいよね。近衛隊から放り出されても知らないから」
ひらひらと手を振って、カチュアは部屋を出る。廊下で待機していた近衛隊士に礼を言って、仕事に戻るべく北館に向かった。
デインはカチュアのことが好きなわけではなかった。
そのことをちょっと残念に思う。
迷惑はしたけれど、あそこまで熱烈にプロポーズされるのは悪い気しなかったことは否定しない。
でもこれでおしまい。
騒々しくも、ちょっとばかり楽しかった日々は終わる。
名残惜しさを覚えながらも、カチュアの気分は久しぶりに晴れ晴れとしていた。
デインはその後、鞭打ち30回の刑罰を受けた。そればかりか近衛隊も除隊したと聞いて、カチュアは驚く。
やり方は間違っていたけど、カチュアのことを心配してくれたからこそだった。自分にも責任があると感じ、カチュアはヘリオットに頼み込む。
「お願いです! あいつにもう一度チャンスを与えてやってください!」
ヘリオットは困ったような顔をした。
「除隊は罰じゃなくて、デインの希望だったんだよ」
「せっかく近衛隊に入れたのにわざわざ自分から除隊するなんて、あいつは本気で馬鹿ですか!?」
あきれ返って声を上げると、ヘリオットは言葉をにごしながら説明してくれる。
「いや、そうじゃなくてね……」
それを聞いて、カチュアはある場所へと駆けつけた。
「デイン!」
カチュアが駆けつけたのは、衛兵の訓練場。近衛隊の訓練場の北西に位置する。カチュアを自分の仕事場から遠く離れたこの場所に駆けつけさせた少年は、すっかり衛兵たちになじみ、訓練場の端っこで楽しそうに仲間たちとしゃべりながら休憩している。
デインはカチュアに気付くと話をやめて、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「来てくれたんだ」
「“来てくれた”じゃないでしょ! あんた何考えてんの!?」
カチュアの剣幕にきょとんとしながら、デインはけろっと答える。
「この間ヘリオットと試合をして気付いたんだ。オレは近衛隊士になっていいだけの実力がないって。だから衛兵になって、基礎の基礎からやりなおそうと思うんだ」
「それはさっきヘリオット様から聞いた! だったら近衛隊ですればよかったじゃないの! 二度とないかもしれないチャンスをフイにするなんて、あんた馬鹿よ!」
遠慮なく怒鳴りつけてやる。するとデインはふてくされたように口をとがらせた。
「他人からひょいひょい与えられたチャンスに乗っかってなんかいられるかよ。オレは自分の実力で近衛隊に入りたいんだ。実力がついたら、衛兵長から近衛隊に推薦してもらえるよう約束を取り付けた。今度は実力でのし上がってみせる」
そう言い終えたデインの表情が大人びて見えて、カチュアは思わずどきっとする。
顔立ちは悪くないと思ってたけど、けっこうかっこいいかも……?
不意に芽生えたカチュアのときめきは、デインの次の言葉にかき消される。
「もう一度近衛隊士になれて一人前になったら、今度こそオレのプロポーズを受けてくれよな」
その話は、とっくに終わったものだとばかり思ってた。
「あ、あんた、あたしの話を聞いてなかったの?」
唖然とするカチュアに、デインは自信満々に言う。
「聞いてたよ。ヘリオットより強くなっていい男になるから、期待しててくれ」
「そんな話、ひとっことも口にしてないっての! あたしはあんたが迷惑だと」
同情も、過ぎれば害にしかならなくなると何故わからない!? こんなことが知れ渡ったら、嫌がらせがエスカレートすることに……!
あわあわするカチュアの気持ちを察することなく、デインは満面の笑顔になる。
「しあわせにするからな!」
「ひとの話を聞けーー!!!」
カチュアの悲鳴に近い叫び声が、雲ひとつない青空に響き渡った。
二週間おとなしかったと思ったのに、案の定これだ。
あいつは馬鹿よ! 馬鹿すぎるわ……っ!
ヘリオットに殴りかかったのだという。地位が上の人間に殴りかかれば、懲罰は免れない。せっかく入れてもらった近衛隊で何をやらかしているんだか。
『ヘリオット様との試合の後、デインが突然ヘリオット様に殴りかかりまして。現在近衛隊舎にて尋問しているのですが、理由を話そうとしません』
シュエラと午後のひとときを過ごしていたシグルドに、近衛隊士からこのような報告が入ったのだが、王妃の弟ということあって通常通り鞭打ちにしてもいいのかどうか、判断に困ったらしい。
『王妃の弟だからといって特別扱いすることはない。だが、何故殴りかかったのか、きっかけもわからないのか?』
『それが、近くで聞いていた者の話によると、殴りかかる直前、ヘリオット様とカチュアについて何らかの話をしていたらしいです。ヘリオット様は何かご存知のご様子でしたが、何も説明してくださらず、ただ“フツーに罰を与えておいて”とおっしゃって行ってしまわれて……』
カチュアにちらっと視線を向けながら、近衛隊士は話す。それを聞いて、カチュアはいてもたってもいられなくなった。
『すみません、シュエラ様。少し仕事を抜けてもいいでしょうか?』
『お願いするわ、カチュア。デインのこと、よろしくね。ヘリオット殿にちゃんと謝ってしっかり罰を受けなさいって言ってやって』
『わかりました』
デインは知っていたのだろうか。カチュアがヘリオットに恋心を抱いていたことを。それで恋敵であるヘリオットに殴りかかった? だとしたら大馬鹿だ。カチュアがヘリオットに片思いしたのはヘリオットのせいではなく、カチュアが恋を自覚した時には、すでに二人は恋仲だったのだから。
「カチュア!」
近衛隊舎の近くまで走っていくと、顔見知りの近衛隊士が手を上げて声をかけてくれる。
「デインのこと聞いたのか?」
「あの馬鹿はどこですか?」
「とりあえず応接室にいるよ。案内する」
「ありがとうございます!」
木造の隊舎に入り、玄関ホールから廊下に入ってすぐの扉を、案内してくれた隊士がノックした。
「誰だ?」
「王妃陛下の侍女カチュアが、話を聞いて来てくれました。入室許可を願います」
「許可する」
隊士が扉を開けてくれ、中に入るよう促す。カチュアは小さくお礼を言って、中に滑り込んだ。
中には簡素な木の椅子に縛られて座っているデインと、デインの前に近衛隊の制服を着た中年の男性とヘリオットと同じくらいの年齢の男性が立っていた。
男性二人は、部屋に入ったカチュアを遠慮なくじろじろ見つめてくる。身分がありそうな中年のほうの男性が、にやにやしながら口を開いた。
「ほう……君がデインの噂の彼女か」
「あたしはデインの彼女じゃありません」
むっとしながら、カチュアは即座に否定する。年上で身分のある人物に対して失礼な態度だったが、男性は怒ることはしなかった。
「隊士にデインの処遇をどうしたらいいか国王陛下にお伺いしてくるよう言いつけたのだが、君はそのことを知っているか?」
「はい。国王陛下は、“王妃陛下の弟だからといって特別扱いすることはない”とおっしゃっておいででした。王妃陛下も、デインにしっかり罰を受けるようにと。それで、その前にデインと話をさせてもらってもいいですか?」
中年の男性はにやっと笑う。
「いいだろう。この馬鹿にしっかり説教してやってくれ。我々は席を外そう」
「ありがとうございます」
二人が出ていって扉が閉まったところで、カチュアは小走りにデインの前に回り込んだ。
「今の年上のほうの人、近衛隊の隊長さん? 隊長さんにまで馬鹿って言われるなんて、あんたホントに馬鹿ね」
「……」
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「そ、それで、何でヘリオット様を殴ったりなんかしたのよ?」
カチュアはまごつきながら本題に入った。
「そんなことをしたら罰を受けるって、わからなかったの?」
「……わかってたけど、腹が立ってしょうがなかったんだ」
聞きとりにくかったけど、デインのつぶやきはかろうじてカチュアの耳に届く。
「は?」
意味がわからず身をかがめながら聞き返すと、デインはいきなり顔を上げた。
「カチュアがひどい目に遭ってたのは、あいつのせいじゃないか!」
叫んだデインに、カチュアはぽかんとする。
「はぁ?」
何のことかわからない。うろんげに眉をひそめると、デインは気まずげに顔をそらした。
「俺、見たんだ。カチュアがいじめられてるところ……」
カチュアはギクッとする。いつ、どんな場面を見られたんだろう。
デインはちらっとカチュアを見て、それから下を向く。
「偶然だったんだ。姉ちゃんの結婚式の日、庭を探検してたらケンカする声が聞こえてきてさ。その、興味本位で近づいたんだけど、一方がカチュアだって気付いたらその場を離れられなくなって……」
「それって一カ月も前のことじゃない。何でそんなこと覚えてるのよ……」
てか、立ち聞きされてたの? あのときは何て言われてたんだっけ……?
カチュアのほうが気まずくなって、視線を泳がせてしまう。
デインはカチュアに悪いと思っているのか、うなだれたまま話し始めた。
「それ聞いてるうちに、ヘリオットが許せなくなったんだ。カチュアに何かの協力を頼んでおきながらあっさり振って、よりにもよってカチュアの仕事仲間とくっつくなんてさ。そんなことしておきながら、あいつカチュアが困ってるのに助けもしないじゃないか! ひどすぎるよ! なのに、俺にプロポーズを撤回しろって言いやがって、てめーが動かないからオレが動いたんじゃないか!」
何だ、そういうこと……。
ずっと疑問に思っていたのだ。何故デインは自分にプロポーズしてきたのかと。
言っちゃなんだけど一目ぼれされるような容姿をしてるわけじゃないし、シュエラが愛妾の頃に一度だけ会ってるけどプロポーズされた時は初対面と変わらなかった。
好きになるような時間がどこにあったのかとずっと考えていたのだけど、そういうことだったのだ。
口に出したことで腹立ちを新たにしたのか、デインは憤慨して顔を真っ赤にしている。
カチュアはあきれてため息をついた。
「ヘリオット様があたしをかばったりしたら、あいつらの嫌がらせが余計にひどくなるじゃない。あたしがシュエラ様の侍女をしていて、ヘリオット様と仲がいいのをやっかんでるの。ヘリオット様が“カチュアちゃんをいじめるな”なんて言ったとしたら、あいつらはヘリオット様の目につかないところで、もっとひどい嫌がらせをしてきたと思うわ。だからヘリオット様は何もしなくて正解なのよ」
デインは顔を上げ、納得いかないといった表情でカチュアを見た。そんなデインにカチュアは苦笑する。
「それにね。あたしが今いじめられてるのは、あんたのせいなのよ? あんたのせいで洗濯物をぐちゃぐちゃに汚されたわ。──でも、あんたのおかげでいじめてくるヤツらの口からヘリオット様のことを聞かなくなった。そのことには感謝してる」
カチュアは、とびっきりの笑顔をデインに向ける。
「あたしは平気。だからもういいわ。今までありがとう」
デインは案外頭がいいのかもしれない。
身分の高い相手から熱烈にプロポーズされていれば、カチュアをいじめたい奴らはヘリオットに振られたことを言い出しにくくなる。
カチュアはデインのおかげで失恋の傷をえぐられることがなくなり、デインに気をとられることでいつの間にか心の痛みは和らいでいた。
カチュアは屈めていた腰を伸ばし、デインを見下ろす。
「シュエラ様からの伝言よ。ヘリオット様にちゃんと謝って、しっかり罰を受けなさい、だそうよ。まったく、ひとの心配をするよりまず自分の心配をしなさいよね。近衛隊から放り出されても知らないから」
ひらひらと手を振って、カチュアは部屋を出る。廊下で待機していた近衛隊士に礼を言って、仕事に戻るべく北館に向かった。
デインはカチュアのことが好きなわけではなかった。
そのことをちょっと残念に思う。
迷惑はしたけれど、あそこまで熱烈にプロポーズされるのは悪い気しなかったことは否定しない。
でもこれでおしまい。
騒々しくも、ちょっとばかり楽しかった日々は終わる。
名残惜しさを覚えながらも、カチュアの気分は久しぶりに晴れ晴れとしていた。
デインはその後、鞭打ち30回の刑罰を受けた。そればかりか近衛隊も除隊したと聞いて、カチュアは驚く。
やり方は間違っていたけど、カチュアのことを心配してくれたからこそだった。自分にも責任があると感じ、カチュアはヘリオットに頼み込む。
「お願いです! あいつにもう一度チャンスを与えてやってください!」
ヘリオットは困ったような顔をした。
「除隊は罰じゃなくて、デインの希望だったんだよ」
「せっかく近衛隊に入れたのにわざわざ自分から除隊するなんて、あいつは本気で馬鹿ですか!?」
あきれ返って声を上げると、ヘリオットは言葉をにごしながら説明してくれる。
「いや、そうじゃなくてね……」
それを聞いて、カチュアはある場所へと駆けつけた。
「デイン!」
カチュアが駆けつけたのは、衛兵の訓練場。近衛隊の訓練場の北西に位置する。カチュアを自分の仕事場から遠く離れたこの場所に駆けつけさせた少年は、すっかり衛兵たちになじみ、訓練場の端っこで楽しそうに仲間たちとしゃべりながら休憩している。
デインはカチュアに気付くと話をやめて、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「来てくれたんだ」
「“来てくれた”じゃないでしょ! あんた何考えてんの!?」
カチュアの剣幕にきょとんとしながら、デインはけろっと答える。
「この間ヘリオットと試合をして気付いたんだ。オレは近衛隊士になっていいだけの実力がないって。だから衛兵になって、基礎の基礎からやりなおそうと思うんだ」
「それはさっきヘリオット様から聞いた! だったら近衛隊ですればよかったじゃないの! 二度とないかもしれないチャンスをフイにするなんて、あんた馬鹿よ!」
遠慮なく怒鳴りつけてやる。するとデインはふてくされたように口をとがらせた。
「他人からひょいひょい与えられたチャンスに乗っかってなんかいられるかよ。オレは自分の実力で近衛隊に入りたいんだ。実力がついたら、衛兵長から近衛隊に推薦してもらえるよう約束を取り付けた。今度は実力でのし上がってみせる」
そう言い終えたデインの表情が大人びて見えて、カチュアは思わずどきっとする。
顔立ちは悪くないと思ってたけど、けっこうかっこいいかも……?
不意に芽生えたカチュアのときめきは、デインの次の言葉にかき消される。
「もう一度近衛隊士になれて一人前になったら、今度こそオレのプロポーズを受けてくれよな」
その話は、とっくに終わったものだとばかり思ってた。
「あ、あんた、あたしの話を聞いてなかったの?」
唖然とするカチュアに、デインは自信満々に言う。
「聞いてたよ。ヘリオットより強くなっていい男になるから、期待しててくれ」
「そんな話、ひとっことも口にしてないっての! あたしはあんたが迷惑だと」
同情も、過ぎれば害にしかならなくなると何故わからない!? こんなことが知れ渡ったら、嫌がらせがエスカレートすることに……!
あわあわするカチュアの気持ちを察することなく、デインは満面の笑顔になる。
「しあわせにするからな!」
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