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第一話
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結婚式の翌日のこと。
あー……頭が痛い。
カチュアは渋い顔をしながら、シグルドとシュエラの食事の給仕をしていた。
今は昼過ぎだが、二人の本日の食事はこれが最初だ。カチュアとマチルダの予想通り、昨晩は 熱い夜になったようだ。用意周到にも本日の公務を休みにして、起こしに来るなと指示を出したシグルドは、シュエラとともに昼まで寝室から出てこなかった。
国王と王妃の仲がいいのはいいことだ。
なのでカチュアの頭痛の種はそのことではない。
シュエラの何番目だかの弟にいきなりプロポーズされたカチュアは、内心冷汗をかきながらも集めてしまった注目を散らそうと、にっこり笑って返事をした。
『光栄にございます。ですが今は、あなたの大切な姉君様の祝いの宴の真っ最中。侍従の制服をお召しなら、姉君様のために一働きしてくださいませ』
そう言って、近くの侍従に『彼に仕事を教えてあげて』と頼んで、自分はそそくさとその場を離れた。
本来なら、今日の話題はシュエラとシグルドの結婚式の話題一色になるはずが、昨晩に発生したこの珍事件の話で王城中もちきりだ。いたたまれないのと同時に、本当なら昨日に引き続き話題の主役になるはずだったシュエラに申し訳なくて、カチュアは縮こまってしまう。
「何か騒ぎになっちゃって、すみませんでした」
主役二人の食事の席にまでかの話が出てきてしまい、給仕の手を止めてカチュアは殊勝に頭を下げる。
そんなカチュアに、シュエラこそ申し訳なさそうに目尻を下げた。
「謝らなくていいのよ。デインが一方的に迫ったそうじゃないの。カチュアが悪いんじゃないわ」
あの弟はデインというのか。……結局何番目なんだろ?
内心首をひねっていると、シグルドが面白そうに話しかけてくる。
「シュエラの言う通りだ。むしろそなたが上手くかわしてくれたおかげで、大した騒ぎにはならなかったそうじゃないか。それに各国の招待客たちは、面白い余興だったとみな言っていたぞ」
余興って……。
「見世物になったつもりはないんですけど……」
眉間に痛みを覚えながらぼそぼそと文句をつぶやくカチュアに、シュエラは肩をすぼめながら謝った。
「ごめんなさいね、カチュア。デインはきつく叱っておくから。でもね、カチュアさえよければ、真剣に考えてやってほしいのよ」
「は?」
思わぬ言葉にカチュアはぽかんとする。シュエラは両手の指先を軽く合わせて、何だかわくわくした様子で話を続けた。
「時と場所をわきまえなかったのはいけないけど、デインは冗談でプロポーズしたりする子ではないわ。だから本気なのは間違いないと思うの。カチュアはお婿さんを見付けるために親御さんに侍女になるよう言われたと言っていたじゃない? まだ心に決めた人がいないのだったら、是非に。ね?」
……この様子からして、シュエラは良縁だと思っているのだろう。
カチュアは更に痛くなる頭を押さえながら答える。
「無理です。謹んでお断りいたします」
残念そうな笑顔になりながらシュエラは言った。
「そう……わかったわ。デインにもそう伝えておくわね。カチュアにこれ以上迷惑をかけないようにちゃんと言い聞かせておくわね。── 一応……」
シュエラにしては珍しい歯切れの悪い言葉に首をかしげたけれど、話はそこで終わったので“この件はこれで終わった”と安心する。
が、歯切れの悪さの理由を知るのは、間もなくのことだった。
「カチュア! いい加減に返事をくれよ」
「返事なら差し上げてるじゃないですか。謹んでお断りいたします!」
同じやり取りを、もう何回、何十回繰り返していることやら。あれから一週間、日に数回同じやり取りをしている。
なるべく穏便に済まそうと余計なことは言わないようにしていたけど、もう我慢の限界だった。
しつこくつきまとってくるデインを振り返り、にらみつけながら説明する。
「ご自分の立場をわかってるんですか? 伯爵家のご子息で、今をときめく王妃陛下の弟君。侍女として王城に勤めているとはいえ、庶民出身のあたしとじゃ釣り合いが取れません」
するとデインはむっとして言った。
「おまえ、身分で俺のこと差別するつもりか?」
「身分が上のあんたがそれを言うか!?」
カチュアは思わず言い返してしまう。
もっと言えば、デインはカチュアのタイプじゃないのだ。カチュアのタイプはヘリオットのような年上で頼もしいタイプの人。聞けばデインはシュエラの二番目の弟で十五歳。数カ月だけだけど、現在十六歳のカチュアの年下なのだ。頼りないというだけでもカチュアの好みから外れているのに、これだけ本気で嫌がっていても、それを理解できないようなおつむの足らない人は願い下げだ。
だいたい、まだ十五の子どもなのに、付き合うことをすっとばしてプロポーズってどういうこと!?
正直なところを話してみれば、デインからはこんな返事が返ってくる。
「わかった。善処する」
「そういう問題じゃない!」
ああ言えばこう言う。その繰り返しでらちが明かない。
“様”付けするのも敬語を使うのもやめて全力で拒絶するのに、どうして懲りないのか。
「カーチュア!」
「んぎゃあ!」
後ろから抱きつかれて、思わず腕を振り上げパンチ!
「カチュア~!」
書物を持っていて手が空かなかったのでキック!
上手い具合に廊下に転がせて、満足げにふふんと笑うと、転がったデインはぽつんとつぶやく。
「あ、スカートの中が」
気付けば足を振り上げた際にまくれあがったスカートが、ゆっくりと元に戻っていく最中。
「いやーーー!!!!!」
「痛い! 痛いって!」
カチュアが我を忘れて底の固い靴でげしげしと踏み倒すと、さすがのデインも悲鳴を上げる。
「あ、カチュア発見!」
遠くから突進してくるデインに気付き、押していたワゴンから離れてカチュアもデインに接近。積極的なカチュアにデインがうれしそうにするのもつかの間、カチュアは片方の腕を持ち上げ喉仏に狙いを定めてラリアット!
「ぐえ!」
同じくらいの背丈のおかげもあって、見事に命中。仰向けに転がったデインを今度こそふふんと笑い飛ばす。しかし、通りがかりの人々に足を止めてぽかんと注目され、拍手する人まで現れると、さすがのカチュアも恥ずかしさに真っ赤になる。
このやり取りを面白がって、式典の日からそろそろ二週間経つのに、一部の招待客たちはなかなか帰ろうとしない。
「こんな面白いことの結末を見ずに帰れないですわよ」
「ねー」
シュエラと仲良くなった他国の王女たちが、楽しげに顔を見合わせる。カチュアの様子を見たいがために、シュエラとのお茶会を希望するのだからタチが悪い。
シュエラとシグルドの夕食の席でそのことが話題になり、カチュアは恨みがましくシュエラを見る。
「シュエラ様……」
シュエラはフォークとナイフを皿の縁に置いて、申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「ごめんなさいね。一応言って聞かせてはいるのだけど、あの子わたくしの言うこと聞いてくれたためしがないのよ」
歯切れの悪い言い方だったのはそのせいか……。
がっくりしつつもカチュアは言う。
「いいですよ。あいつがシュエラ様の言うことを聞かないっていうのもわかる気がしますし。ごきょうだいっていうつながりがあっても、シュエラ様はシュエラ様、あいつはあいつなんですから」
「そう言ってもらえると助かるわ」
シュエラはあからさまにほっとした表情で、小さくため息をつく。自分が大変な目に遭っていることを思えば、シュエラの苦労も忍ばれるというものだ。
けれど何とかしてもらわないことには仕事にも支障が出る。移動の最中に足止めされて、結構時間を取られてしまっているのだ。
「他にあいつを止める手立てはないんでしょうか?」
「父にも王城に連れてこないようにお願いしてあるんだけど、あの子ったらどうやってか知らないけど入りこんじゃうのよ」
他国からの招待客がいるために常より警戒が厳重な王城に入り込めるなんて……。
「才能の無駄遣いをしてますね。密偵とかになったら、いい働きしそうです」
カチュアが率直な意見を述べると、シグルドがナイフを持った手の甲で口元を押さえ、くっくと笑い声を立てる。
「確かにな。── ヘリオット、デインをとっとと近衛隊に放り込んでやるか」
シグルドの背後に立っていたヘリオットが、一歩前に出てにこやかに答える。
「そうですね。暇でなくしてやれば、彼も大人しくなるでしょう。明日にでも手続きを済ませます」
「え!? あいつが近衛隊ですか?」
王族を守る名誉ある職務にあんなのを就けちゃっていいんだろうか……。
カチュアの懸念を察してか、ヘリオットがにやっと笑って答えた。
「デインを近衛隊に放り込もうって話が以前からあったんだよ。本当ならもっと早くから入隊するべきところなんだけど、特例としてね。運動神経はいいし、すぐに訓練に追いつけるだろうってことで」
シグルドが、苦笑しながらヘリオットの後に言葉を続けた。
「密偵にするにしても、あいつは躾けてやらないと使い物にならん。近衛隊でしごけば少しは常識を身に付けるだろう」
「拘束できて常識も叩きこめるなんて一石二鳥ですね! 是非お願いします!」
おおっぴらによろこんで頭を下げると、一緒に給仕をしているフィーナとマチルダがぷっと吹き出す。
「よっぽど困ってるのね」
マチルダにくすくす笑いながら言われ、カチュアは肩をそびやかして答えた。
「そりゃあそうよ。外に出るたび仕事の邪魔されるし、他の侍女たちにやっかまれるし、迷惑極まりないわ。あー、やっかんでくる奴らに聞いてみたい! 迫ってくるのがあんなのでも、それでもあんたらはうれしいのかって」
こぶしを握って力説したカチュアは、すぐに気付いてシュエラに謝る。
「すみません。あんなのでも、シュエラ様の弟なんですよね……」
「いいのよ。迷惑をかけているのはこっちだし、デインはデイン、わたくしはわたくしなんでしょう?」
さっきのカチュアの台詞を持ってきて、シュエラはいたずらっぽくほほえむ。
つられて笑っていると、ヘリオットが優しい笑顔をカチュアに向けた。
「俺も仕事に余裕ができてきて、近衛隊に顔を出せるようになってきたからね。カチュアちゃんに言い寄る余裕がないくらい、徹底的にしごいてやるよ」
この顔が曲者なのだ。ただでさえ優しい顔立ちをしているのに、こうして邪気のない笑顔を向けられると、ついついのぼせてしまう。一体、この笑顔にやられた女性は何人いることやら。
あたしも、ヘリオット様にその気がないってわかっていながらのぼせた一人だけど……。
思わず苦笑いがもれる。
そんな自分を、カチュアは不思議に思った。つい最近まで、こんな些細なことにも胸が痛かったのに、今は多少痛みを覚えても、以前ほど苦しくない。
デインに付きまとわれて、傷心に浸っている暇もなかったせいかもしれない。
こうして失恋の痛手を忘れていけるのなら、迷惑だったけれどデインも役に立つことがあったらしい。
「カチュアちゃん?」
声をかけられて、カチュアははっと物思いから我に返る。
いけないいけない。話の最中だった。
「ありがとうございます。頼りにしてますよ、ヘリオット様!」
カチュアはおどけて返事をした。
あー……頭が痛い。
カチュアは渋い顔をしながら、シグルドとシュエラの食事の給仕をしていた。
今は昼過ぎだが、二人の本日の食事はこれが最初だ。カチュアとマチルダの予想通り、昨晩は 熱い夜になったようだ。用意周到にも本日の公務を休みにして、起こしに来るなと指示を出したシグルドは、シュエラとともに昼まで寝室から出てこなかった。
国王と王妃の仲がいいのはいいことだ。
なのでカチュアの頭痛の種はそのことではない。
シュエラの何番目だかの弟にいきなりプロポーズされたカチュアは、内心冷汗をかきながらも集めてしまった注目を散らそうと、にっこり笑って返事をした。
『光栄にございます。ですが今は、あなたの大切な姉君様の祝いの宴の真っ最中。侍従の制服をお召しなら、姉君様のために一働きしてくださいませ』
そう言って、近くの侍従に『彼に仕事を教えてあげて』と頼んで、自分はそそくさとその場を離れた。
本来なら、今日の話題はシュエラとシグルドの結婚式の話題一色になるはずが、昨晩に発生したこの珍事件の話で王城中もちきりだ。いたたまれないのと同時に、本当なら昨日に引き続き話題の主役になるはずだったシュエラに申し訳なくて、カチュアは縮こまってしまう。
「何か騒ぎになっちゃって、すみませんでした」
主役二人の食事の席にまでかの話が出てきてしまい、給仕の手を止めてカチュアは殊勝に頭を下げる。
そんなカチュアに、シュエラこそ申し訳なさそうに目尻を下げた。
「謝らなくていいのよ。デインが一方的に迫ったそうじゃないの。カチュアが悪いんじゃないわ」
あの弟はデインというのか。……結局何番目なんだろ?
内心首をひねっていると、シグルドが面白そうに話しかけてくる。
「シュエラの言う通りだ。むしろそなたが上手くかわしてくれたおかげで、大した騒ぎにはならなかったそうじゃないか。それに各国の招待客たちは、面白い余興だったとみな言っていたぞ」
余興って……。
「見世物になったつもりはないんですけど……」
眉間に痛みを覚えながらぼそぼそと文句をつぶやくカチュアに、シュエラは肩をすぼめながら謝った。
「ごめんなさいね、カチュア。デインはきつく叱っておくから。でもね、カチュアさえよければ、真剣に考えてやってほしいのよ」
「は?」
思わぬ言葉にカチュアはぽかんとする。シュエラは両手の指先を軽く合わせて、何だかわくわくした様子で話を続けた。
「時と場所をわきまえなかったのはいけないけど、デインは冗談でプロポーズしたりする子ではないわ。だから本気なのは間違いないと思うの。カチュアはお婿さんを見付けるために親御さんに侍女になるよう言われたと言っていたじゃない? まだ心に決めた人がいないのだったら、是非に。ね?」
……この様子からして、シュエラは良縁だと思っているのだろう。
カチュアは更に痛くなる頭を押さえながら答える。
「無理です。謹んでお断りいたします」
残念そうな笑顔になりながらシュエラは言った。
「そう……わかったわ。デインにもそう伝えておくわね。カチュアにこれ以上迷惑をかけないようにちゃんと言い聞かせておくわね。── 一応……」
シュエラにしては珍しい歯切れの悪い言葉に首をかしげたけれど、話はそこで終わったので“この件はこれで終わった”と安心する。
が、歯切れの悪さの理由を知るのは、間もなくのことだった。
「カチュア! いい加減に返事をくれよ」
「返事なら差し上げてるじゃないですか。謹んでお断りいたします!」
同じやり取りを、もう何回、何十回繰り返していることやら。あれから一週間、日に数回同じやり取りをしている。
なるべく穏便に済まそうと余計なことは言わないようにしていたけど、もう我慢の限界だった。
しつこくつきまとってくるデインを振り返り、にらみつけながら説明する。
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するとデインはむっとして言った。
「おまえ、身分で俺のこと差別するつもりか?」
「身分が上のあんたがそれを言うか!?」
カチュアは思わず言い返してしまう。
もっと言えば、デインはカチュアのタイプじゃないのだ。カチュアのタイプはヘリオットのような年上で頼もしいタイプの人。聞けばデインはシュエラの二番目の弟で十五歳。数カ月だけだけど、現在十六歳のカチュアの年下なのだ。頼りないというだけでもカチュアの好みから外れているのに、これだけ本気で嫌がっていても、それを理解できないようなおつむの足らない人は願い下げだ。
だいたい、まだ十五の子どもなのに、付き合うことをすっとばしてプロポーズってどういうこと!?
正直なところを話してみれば、デインからはこんな返事が返ってくる。
「わかった。善処する」
「そういう問題じゃない!」
ああ言えばこう言う。その繰り返しでらちが明かない。
“様”付けするのも敬語を使うのもやめて全力で拒絶するのに、どうして懲りないのか。
「カーチュア!」
「んぎゃあ!」
後ろから抱きつかれて、思わず腕を振り上げパンチ!
「カチュア~!」
書物を持っていて手が空かなかったのでキック!
上手い具合に廊下に転がせて、満足げにふふんと笑うと、転がったデインはぽつんとつぶやく。
「あ、スカートの中が」
気付けば足を振り上げた際にまくれあがったスカートが、ゆっくりと元に戻っていく最中。
「いやーーー!!!!!」
「痛い! 痛いって!」
カチュアが我を忘れて底の固い靴でげしげしと踏み倒すと、さすがのデインも悲鳴を上げる。
「あ、カチュア発見!」
遠くから突進してくるデインに気付き、押していたワゴンから離れてカチュアもデインに接近。積極的なカチュアにデインがうれしそうにするのもつかの間、カチュアは片方の腕を持ち上げ喉仏に狙いを定めてラリアット!
「ぐえ!」
同じくらいの背丈のおかげもあって、見事に命中。仰向けに転がったデインを今度こそふふんと笑い飛ばす。しかし、通りがかりの人々に足を止めてぽかんと注目され、拍手する人まで現れると、さすがのカチュアも恥ずかしさに真っ赤になる。
このやり取りを面白がって、式典の日からそろそろ二週間経つのに、一部の招待客たちはなかなか帰ろうとしない。
「こんな面白いことの結末を見ずに帰れないですわよ」
「ねー」
シュエラと仲良くなった他国の王女たちが、楽しげに顔を見合わせる。カチュアの様子を見たいがために、シュエラとのお茶会を希望するのだからタチが悪い。
シュエラとシグルドの夕食の席でそのことが話題になり、カチュアは恨みがましくシュエラを見る。
「シュエラ様……」
シュエラはフォークとナイフを皿の縁に置いて、申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「ごめんなさいね。一応言って聞かせてはいるのだけど、あの子わたくしの言うこと聞いてくれたためしがないのよ」
歯切れの悪い言い方だったのはそのせいか……。
がっくりしつつもカチュアは言う。
「いいですよ。あいつがシュエラ様の言うことを聞かないっていうのもわかる気がしますし。ごきょうだいっていうつながりがあっても、シュエラ様はシュエラ様、あいつはあいつなんですから」
「そう言ってもらえると助かるわ」
シュエラはあからさまにほっとした表情で、小さくため息をつく。自分が大変な目に遭っていることを思えば、シュエラの苦労も忍ばれるというものだ。
けれど何とかしてもらわないことには仕事にも支障が出る。移動の最中に足止めされて、結構時間を取られてしまっているのだ。
「他にあいつを止める手立てはないんでしょうか?」
「父にも王城に連れてこないようにお願いしてあるんだけど、あの子ったらどうやってか知らないけど入りこんじゃうのよ」
他国からの招待客がいるために常より警戒が厳重な王城に入り込めるなんて……。
「才能の無駄遣いをしてますね。密偵とかになったら、いい働きしそうです」
カチュアが率直な意見を述べると、シグルドがナイフを持った手の甲で口元を押さえ、くっくと笑い声を立てる。
「確かにな。── ヘリオット、デインをとっとと近衛隊に放り込んでやるか」
シグルドの背後に立っていたヘリオットが、一歩前に出てにこやかに答える。
「そうですね。暇でなくしてやれば、彼も大人しくなるでしょう。明日にでも手続きを済ませます」
「え!? あいつが近衛隊ですか?」
王族を守る名誉ある職務にあんなのを就けちゃっていいんだろうか……。
カチュアの懸念を察してか、ヘリオットがにやっと笑って答えた。
「デインを近衛隊に放り込もうって話が以前からあったんだよ。本当ならもっと早くから入隊するべきところなんだけど、特例としてね。運動神経はいいし、すぐに訓練に追いつけるだろうってことで」
シグルドが、苦笑しながらヘリオットの後に言葉を続けた。
「密偵にするにしても、あいつは躾けてやらないと使い物にならん。近衛隊でしごけば少しは常識を身に付けるだろう」
「拘束できて常識も叩きこめるなんて一石二鳥ですね! 是非お願いします!」
おおっぴらによろこんで頭を下げると、一緒に給仕をしているフィーナとマチルダがぷっと吹き出す。
「よっぽど困ってるのね」
マチルダにくすくす笑いながら言われ、カチュアは肩をそびやかして答えた。
「そりゃあそうよ。外に出るたび仕事の邪魔されるし、他の侍女たちにやっかまれるし、迷惑極まりないわ。あー、やっかんでくる奴らに聞いてみたい! 迫ってくるのがあんなのでも、それでもあんたらはうれしいのかって」
こぶしを握って力説したカチュアは、すぐに気付いてシュエラに謝る。
「すみません。あんなのでも、シュエラ様の弟なんですよね……」
「いいのよ。迷惑をかけているのはこっちだし、デインはデイン、わたくしはわたくしなんでしょう?」
さっきのカチュアの台詞を持ってきて、シュエラはいたずらっぽくほほえむ。
つられて笑っていると、ヘリオットが優しい笑顔をカチュアに向けた。
「俺も仕事に余裕ができてきて、近衛隊に顔を出せるようになってきたからね。カチュアちゃんに言い寄る余裕がないくらい、徹底的にしごいてやるよ」
この顔が曲者なのだ。ただでさえ優しい顔立ちをしているのに、こうして邪気のない笑顔を向けられると、ついついのぼせてしまう。一体、この笑顔にやられた女性は何人いることやら。
あたしも、ヘリオット様にその気がないってわかっていながらのぼせた一人だけど……。
思わず苦笑いがもれる。
そんな自分を、カチュアは不思議に思った。つい最近まで、こんな些細なことにも胸が痛かったのに、今は多少痛みを覚えても、以前ほど苦しくない。
デインに付きまとわれて、傷心に浸っている暇もなかったせいかもしれない。
こうして失恋の痛手を忘れていけるのなら、迷惑だったけれどデインも役に立つことがあったらしい。
「カチュアちゃん?」
声をかけられて、カチュアははっと物思いから我に返る。
いけないいけない。話の最中だった。
「ありがとうございます。頼りにしてますよ、ヘリオット様!」
カチュアはおどけて返事をした。
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