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第一話
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昼間シュエラの更衣室として使った部屋も含めた広間周りの部屋は、舞踏会の最中、休憩室として解放される。休憩室では飲み物や軽食をふるまうため、カチュアたちも給仕に加わることになっていた。
舞踏会が始まって間もなく、会場となっている広間から、数人の参加者たちが連れだって休憩室にやってきた。招待客が多いため、全員が一斉に踊れるわけではなく、舞踏会そのものより、各国から訪れた招待客と親交を持つことのほうを目的にしている人々もいるからだ。
とはいえ、始まって早々やってくる人は少ない。壁際に立って待機していなくてはならないけれど、このひとときが怒涛のような一日の数少ない休憩の時間のようなものだ。
「あー早く終わんないかな」
「カチュア、そういうことは口にしちゃダメ」
カチュアのぼやきを、フィーナが小声でたしなめる。
「“口にしちゃダメ”ってことは、フィーナもそう思ってるワケだ」
「カチュア、だから」
フィーナの苦言を、カチュアは言葉でさえぎった。
「シュエラ様も結構疲れてるみたいだったから、早く舞踏会が引けたほうがいいんじゃないかなって思っただけ。今晩はいわゆる“新婚一日目の夜”になるわけだし?」
「……っ! カチュアっっ!」
うっかり叫んでしまったフィーナは、慌てて自分の口を押さえる。それから強くカチュアをにらみつけた。
それを見てカチュアは口をとがらせる。別に直接“初夜”と口にしたわけじゃないんだから、目くじら立てることないと思うのに。
本当の意味での初夜はとっくに済んでいるけど、あの国王がこういうシチュエーションを見過ごすとは思えない。とにかく、何でもかんでも理由を見付けてきてはシュエラに迫っているのだ。見方を変えれば、理由がなければ迫れない辺り、シグルドのヘタレっぷりは健在だ。ヘタレにヘタレにヘタレを重ねた人だったことを考えれば、今の状況はずいぶん進歩したとも言える。──という考えはもちろん口にしたことはない。さすがに、国王をこきおろしてはならないという分別くらいはある。
「確かに、シュエラ様の体力が心配よね」
ノリのいいマチルダがカチュアの台詞に迎合すると、シュエラ付きの侍女の中で最年長にあたるカレンが「めっ」とマチルダを叱りつけた。
そうしてこそこそと内緒話をしているうちに、舞踏会会場から人が流れてくる。
「軽めの酒と、つまみになるものを」
「紅茶にお菓子を少々いただきたいわ」
次々言いつけられて、待機していた侍女たちは順々に動き出す。昼間通せんぼしてきた四人もいたけど、待機している時は離れたところにいたし、給仕に忙しい今、人目もあるから、大したいじわるはしてこないだろう。
テーブルに座った人々は、頼んだ飲み物や食べ物を目の前にして、舞踏会などそっちのけで話し込む。
親交のある多くの国から招待客の集まった今回の式典は、招待された側にも大きなメリットをもたらす。各国を訪れるには馬車で数週間から数カ月かかることがある。一つひとつの国を回ろうとすればとんでもない時間がかかるので、よっぽどのことがない限り連絡は書簡を使者に持たせて済ませるのが通例だ。しかし結婚式といった祝い事となると、高い身分を持った者や国の要職にある者が招待される。すなわち、それらの人々が一堂に会することになる。一国に出向くだけで諸国の要人と面会できる絶好の機会であるため、今までにも親交のあった国々と関係の再確認をするだけでなく、新たな国交を結ぶため目当ての国の要人と面会できるつてを得ようと奔走する。
それに一役買うのが、招待した国の役目だ。親交を持ちたい相手との面会の機会を作り、そのことで恩を売ってこちらの望む取引を持ちかける。そのためにここに訪れる人々の三分の一はラウシュリッツ王国の公爵や侯爵といった主だった貴族たちだ。国王側近のケヴィンや、身分が低いため側近であっても今まであまり表に出なかったヘリオットまでが、国王の側を離れて各国要人の接待を行っている。
二人の招待客を伴って休憩室の一つに入ろうとしているヘリオットを遠目に見つけたカチュアは、そのヘリオットに早歩きで近付いたセシールに気付いた。セシールはシュエラの御用聞のために広間の裏口で待機していたはずだ。シュエラがヘリオットに用があるとは考えられないが、今日は近衛隊士も侍従も自分の役目でいっぱいいっぱいなので、比較的手の空いているセシールが代わりに伝言をもってきたのだろう。ヘリオットは二人に一度顔を向け、それからセシールと一緒に少し離れる。頭を少し低くしたヘリオットの耳元に、セシールが何事か話しかける。
その親密な様子に、カチュアはわずかに顔を歪めた。
失恋が決定的になってからかなり経つのに、未だにこうした光景を見ると胸が痛くなる。
二人から目をそらそうとしたその時、背後から小さな声をかけられた。
「国王側近と女官長候補。素敵なカップルが誕生したものよねぇ?」
聞き覚えのある声。それもそのはずだ。昼間、この声に散々罵られた。
しくったわ……。
カチュアは心の中でつぶやく。ヘリオットのことを言われた時の動揺に気付かれてしまったのだろう。相手は、カチュアを傷つけたくて仕方ないのだ。効果的だと思ったネタは、きっと容赦なく使ってくる。
これからのことを思うと気が重くなりながら、相手を無視して次に案内すべき人々を探した。が、間が悪いことに、ちょうど人波が途切れてしまったようだ。カチュアに話しかけてきた侍女は厭味ったらしくほくそ笑む。
「どこかの玉の輿狙いの身のほど知らずに、ヘリオット様がたぶらかされなくてよかったわね」
辛辣な言葉が胸に突き刺さる。
耐えなくちゃ……。
カチュアは表情に出さないようにしながら、歯をくいしばる。
これは想定の範囲内。
“人を呪わば穴二つ”
悪いことをしたつもりはないけど、彼女たちを陥れた自覚はある。これはその報い。人を傷つけたら、傷つけ返されるのはごく当たり前のことだ。その覚悟もなく、カチュアは噂を広めたつもりはない。
だからこれは、耐えるべきもの。
とはいえ、このまま彼女の嫌味を聞いていなくてはならないわけでもない。
どうやってかわしてやろうかと考えていた時、カチュアは自分に真っ直ぐな視線を向けて近づいてくる人物に気がついた。
見知った人物だけど、本当ならここにいるはずのない人。シュエラの十四人いる弟のうちの一人だ。社交界に出るような年齢に達していないので、客室にいるはずだったのだけど。
カチュアは目をぱちくりさせる。
何番目だっけ……?
一番目は性格に特徴があるので違うとわかるけど、その他はとてもよく似ていてあまりに人数が多いので、いちいち名前を覚えていない。背の高さからして、多分二番目か三番目あたり。
不意に様子の変ったカチュアを怪訝に思った侍女は、背後を振り返った。その侍女を押しのけるようにして、何故か侍従の制服を身にまとったシュエラの何番目だかの弟が、カチュアの目の前に立つ。
そして今いるこの場所、廊下中に響き渡る大きな声でカチュアに言った。
「オレと結婚してくれ!」
舞踏会が始まって間もなく、会場となっている広間から、数人の参加者たちが連れだって休憩室にやってきた。招待客が多いため、全員が一斉に踊れるわけではなく、舞踏会そのものより、各国から訪れた招待客と親交を持つことのほうを目的にしている人々もいるからだ。
とはいえ、始まって早々やってくる人は少ない。壁際に立って待機していなくてはならないけれど、このひとときが怒涛のような一日の数少ない休憩の時間のようなものだ。
「あー早く終わんないかな」
「カチュア、そういうことは口にしちゃダメ」
カチュアのぼやきを、フィーナが小声でたしなめる。
「“口にしちゃダメ”ってことは、フィーナもそう思ってるワケだ」
「カチュア、だから」
フィーナの苦言を、カチュアは言葉でさえぎった。
「シュエラ様も結構疲れてるみたいだったから、早く舞踏会が引けたほうがいいんじゃないかなって思っただけ。今晩はいわゆる“新婚一日目の夜”になるわけだし?」
「……っ! カチュアっっ!」
うっかり叫んでしまったフィーナは、慌てて自分の口を押さえる。それから強くカチュアをにらみつけた。
それを見てカチュアは口をとがらせる。別に直接“初夜”と口にしたわけじゃないんだから、目くじら立てることないと思うのに。
本当の意味での初夜はとっくに済んでいるけど、あの国王がこういうシチュエーションを見過ごすとは思えない。とにかく、何でもかんでも理由を見付けてきてはシュエラに迫っているのだ。見方を変えれば、理由がなければ迫れない辺り、シグルドのヘタレっぷりは健在だ。ヘタレにヘタレにヘタレを重ねた人だったことを考えれば、今の状況はずいぶん進歩したとも言える。──という考えはもちろん口にしたことはない。さすがに、国王をこきおろしてはならないという分別くらいはある。
「確かに、シュエラ様の体力が心配よね」
ノリのいいマチルダがカチュアの台詞に迎合すると、シュエラ付きの侍女の中で最年長にあたるカレンが「めっ」とマチルダを叱りつけた。
そうしてこそこそと内緒話をしているうちに、舞踏会会場から人が流れてくる。
「軽めの酒と、つまみになるものを」
「紅茶にお菓子を少々いただきたいわ」
次々言いつけられて、待機していた侍女たちは順々に動き出す。昼間通せんぼしてきた四人もいたけど、待機している時は離れたところにいたし、給仕に忙しい今、人目もあるから、大したいじわるはしてこないだろう。
テーブルに座った人々は、頼んだ飲み物や食べ物を目の前にして、舞踏会などそっちのけで話し込む。
親交のある多くの国から招待客の集まった今回の式典は、招待された側にも大きなメリットをもたらす。各国を訪れるには馬車で数週間から数カ月かかることがある。一つひとつの国を回ろうとすればとんでもない時間がかかるので、よっぽどのことがない限り連絡は書簡を使者に持たせて済ませるのが通例だ。しかし結婚式といった祝い事となると、高い身分を持った者や国の要職にある者が招待される。すなわち、それらの人々が一堂に会することになる。一国に出向くだけで諸国の要人と面会できる絶好の機会であるため、今までにも親交のあった国々と関係の再確認をするだけでなく、新たな国交を結ぶため目当ての国の要人と面会できるつてを得ようと奔走する。
それに一役買うのが、招待した国の役目だ。親交を持ちたい相手との面会の機会を作り、そのことで恩を売ってこちらの望む取引を持ちかける。そのためにここに訪れる人々の三分の一はラウシュリッツ王国の公爵や侯爵といった主だった貴族たちだ。国王側近のケヴィンや、身分が低いため側近であっても今まであまり表に出なかったヘリオットまでが、国王の側を離れて各国要人の接待を行っている。
二人の招待客を伴って休憩室の一つに入ろうとしているヘリオットを遠目に見つけたカチュアは、そのヘリオットに早歩きで近付いたセシールに気付いた。セシールはシュエラの御用聞のために広間の裏口で待機していたはずだ。シュエラがヘリオットに用があるとは考えられないが、今日は近衛隊士も侍従も自分の役目でいっぱいいっぱいなので、比較的手の空いているセシールが代わりに伝言をもってきたのだろう。ヘリオットは二人に一度顔を向け、それからセシールと一緒に少し離れる。頭を少し低くしたヘリオットの耳元に、セシールが何事か話しかける。
その親密な様子に、カチュアはわずかに顔を歪めた。
失恋が決定的になってからかなり経つのに、未だにこうした光景を見ると胸が痛くなる。
二人から目をそらそうとしたその時、背後から小さな声をかけられた。
「国王側近と女官長候補。素敵なカップルが誕生したものよねぇ?」
聞き覚えのある声。それもそのはずだ。昼間、この声に散々罵られた。
しくったわ……。
カチュアは心の中でつぶやく。ヘリオットのことを言われた時の動揺に気付かれてしまったのだろう。相手は、カチュアを傷つけたくて仕方ないのだ。効果的だと思ったネタは、きっと容赦なく使ってくる。
これからのことを思うと気が重くなりながら、相手を無視して次に案内すべき人々を探した。が、間が悪いことに、ちょうど人波が途切れてしまったようだ。カチュアに話しかけてきた侍女は厭味ったらしくほくそ笑む。
「どこかの玉の輿狙いの身のほど知らずに、ヘリオット様がたぶらかされなくてよかったわね」
辛辣な言葉が胸に突き刺さる。
耐えなくちゃ……。
カチュアは表情に出さないようにしながら、歯をくいしばる。
これは想定の範囲内。
“人を呪わば穴二つ”
悪いことをしたつもりはないけど、彼女たちを陥れた自覚はある。これはその報い。人を傷つけたら、傷つけ返されるのはごく当たり前のことだ。その覚悟もなく、カチュアは噂を広めたつもりはない。
だからこれは、耐えるべきもの。
とはいえ、このまま彼女の嫌味を聞いていなくてはならないわけでもない。
どうやってかわしてやろうかと考えていた時、カチュアは自分に真っ直ぐな視線を向けて近づいてくる人物に気がついた。
見知った人物だけど、本当ならここにいるはずのない人。シュエラの十四人いる弟のうちの一人だ。社交界に出るような年齢に達していないので、客室にいるはずだったのだけど。
カチュアは目をぱちくりさせる。
何番目だっけ……?
一番目は性格に特徴があるので違うとわかるけど、その他はとてもよく似ていてあまりに人数が多いので、いちいち名前を覚えていない。背の高さからして、多分二番目か三番目あたり。
不意に様子の変ったカチュアを怪訝に思った侍女は、背後を振り返った。その侍女を押しのけるようにして、何故か侍従の制服を身にまとったシュエラの何番目だかの弟が、カチュアの目の前に立つ。
そして今いるこの場所、廊下中に響き渡る大きな声でカチュアに言った。
「オレと結婚してくれ!」
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