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第一話
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「そうよ。悪い?」
カチュアの勝気な声が、王城の敷地内の、広大な庭の一角に響く。
「確かにあたしは、“本当のこと”をいろんな人に言って回ったわ。あんたたちが仕事しなくなってシュエラ様がお困りになったことや、あんたたちがシュエラ様に言った言葉も逐一ね。本当のことを言っただけなのに、何で責められなきゃならないの? 責められるべきは他人に言われて困ることをしたあんたたち自身でしょうが」
「……っ! 庶民のクセして! 貴族のわたしたちにそういう口の利き方をしていいと思ってるの!?」
カチュアの前に立ちふさがる四人の侍女のうちの一人が、顔を真っ赤にして怒鳴る。他の三人も、カチュアを怒りあらわににらんでいた。
そんな四人から視線と言葉で憎悪をぶつけられても、カチュアは動じるどころか余裕の笑みを浮かべて言い返す。
「あらぁ。貴族なら貴族らしく、与えられた職務をきちんと果たして、身分が上の方に言いがかりなんかつけないでいただきたかったわぁ」
この言葉に、四人は怯んだ。
彼女たちは、以前シュエラの侍女を勤めたことがある。シュエラが愛妾になってすぐのことだ。
それ以前にシュエラに仕えていた侍女たちは、シュエラの食事に下剤が盛られていたことに気付けなかったことを理由に侍女をクビになった。けれど詳しい事情を知らない人々は彼女たちが下剤を盛ったからクビになったのだと思い込み、下剤を盛ったのは官司の一人だと知ると侍女たちのクビは冤罪だと騒ぎ立て、クビを言い渡した国王と、それをさせたシュエラを影でこそこそ非難した。
そして王城内の間違った噂を真に受けて、クビになった侍女たちと入れ換わりにシュエラ付きの侍女になったのが彼女たち四人だ。何も知らなかったシュエラを責め、職務を放棄した。
その後国王は謝罪までしてクビを撤回し、シュエラの評判が好意的なものに変わる。すると、シュエラに抗議行動を起こしていた彼女たちは非難とまではいかなくとも批判的な目で見られるようになり、仕事を任せてもらえなくなっていって結果侍女を辞めざるを得なくなった。
そんな彼女たちが今侍女の制服を着てここにいるのは、シュエラのおかげだったりする。
ある出来事をきっかけに、実家に戻った彼女たちが肩身の狭い思いをしていると知ったシュエラは、彼女たちを再び侍女として雇い入れることを国王にお願いした。
シュエラの人がいいところは今に始まったことではないけど、彼女たちへの恩情はやりすぎだったとカチュアは思う。
ため息をつくカチュアにかちんときたのか、怒りの声を上ずらせながら一人が叫んだ。
「シュ、シュエラ様のお気に入りだからって、いい気になるんじゃないわよ!」
カチュアはもう一度ため息をつく。
「シュエラ様が“お気に入り”なんてつくるわけないじゃない。あの方は誰にだって平等だわ。根も葉もない噂を信じて仕事を放棄したあんたたちにも、名誉挽回の機会を与えてくださるくらいだもの。ていうか、今日がどういう日だかわかってる? こんな日にまで仕事をサボろうとするなんて、名誉挽回の機会を与えてくださったシュエラ様に対して恩を仇で返してるとしか思えないわ」
その自覚があるのだろう。彼女たちはぐっと言葉を詰まらせる。
そうなのだ。今日、ようやくシュエラは王妃となる。結婚式に戴冠式、晩さん会に舞踏会、さまざまなイベントが目白押しだ。昨日までも次々訪れる招待客たちを迎えるので大変だったけど、今日は会の準備やら何やらでもっと大変になる。
シュエラが式典に臨んでいる今も、このあとの準備のためにカチュアは奔走していた。今も、式典で緊張して喉をカラカラにしてるだろうシュエラのために、お茶の支度をもらいに行こうとしている最中だ。
その途中でばったり彼女たちと出会ってしまい、通せんぼされて嫌味を言われることになってしまった。
カチュアは怯んだ彼女たちにふふんと笑うと、その脇を通り過ぎようとする。
負けたままではいられないと思ったのか、さっきから一番わめいている侍女が、焦ったように言葉を投げかけてきた。
「エラそうなこと言ってるんじゃないわよ! ヘリオット様をセシールにとられたくせに!」
ずくん……とカチュアの胸が痛んだ。思わず足を止めてしまう。
それに気をよくして侍女はカチュアを嘲笑った。
「悪口を言いふらしてまでヘリオット様に尽くしておきながら、いいザマね」
カチュアは胸の痛みに耐え、気丈に振り返る。
「別にあたしはヘリオット様に尽くしてたわけじゃないわ。あんたたちのことは腹にすえかねてたから、あたしは見たまんまのことをしゃべって回ってただけ」
「よく言うわ。玉の輿狙いで王城に来ておきながら」
「身のほど知らずにヘリオット様を狙ったりするからよ」
「あんたなんかを本気で相手にする貴族なんているもんですか」
「せいぜい愛人止まりよね」
「この容姿じゃ、愛人も無理なんじゃない?」
高らかな笑い声が辺りに響く。
言い返したいのに、言葉が見つからなかった。
侍女たちは嫌味たらしくほくそ笑んで、カチュアの脇を通り過ぎていった。
カチュアはしばらくその場に立ち尽くす。
確かにヘリオットのことは好きだった。
かっこよくて、優しくて、調子のいいところもあるけど頼りになって。
でも、最初から叶わぬ恋だとわかっていた。
ヘリオットは子爵家の子息というだけでなく、国王の側近でもある。庶民のカチュアの手の届く相手じゃない。
だからあこがれに留めていた。
そのつもりだったのに、ヘリオットがセシールを選んだと知った時から、カチュアの胸はずっと苦しかった。
カチュアの一つ年上の17歳で、男爵家の娘で、一度は侍女をクビにされたけど冤罪を解かれたあと戻ってきて、いじめられてるところをシュエラに助けられて再びシュエラ付きの侍女になったセシール。噂に踊らされてシュエラに冷たくあたったことはあるけれど、美人で真面目で気立てのいい、同性のカチュアから見ても好ましい人柄をしていた。
ヘリオットが好きになるのもわからなくはない。けれどどうしても思ってしまう。
何でセシールなの?
セシールじゃない、カチュアの知らない誰かだったら、きっとここまで苦しくならなかった。
でも、ヘリオットが選んだのはセシールで、セシールはそれを受け入れた。
二人が結ばれたことに罪なんかない。だからカチュアは、この気持ちに折り合いをつけていかなくてはならないのだ。胸の内に秘め、一人で。
両手で頬を威勢よく叩き、カチュアは気持ちを切り替える。
「いつまでもクヨクヨしない! 元気だけがあたしのとりえでしょ!」
声を出して自分に言い聞かせると、カチュアは元気に歩き出した。
カチュアの勝気な声が、王城の敷地内の、広大な庭の一角に響く。
「確かにあたしは、“本当のこと”をいろんな人に言って回ったわ。あんたたちが仕事しなくなってシュエラ様がお困りになったことや、あんたたちがシュエラ様に言った言葉も逐一ね。本当のことを言っただけなのに、何で責められなきゃならないの? 責められるべきは他人に言われて困ることをしたあんたたち自身でしょうが」
「……っ! 庶民のクセして! 貴族のわたしたちにそういう口の利き方をしていいと思ってるの!?」
カチュアの前に立ちふさがる四人の侍女のうちの一人が、顔を真っ赤にして怒鳴る。他の三人も、カチュアを怒りあらわににらんでいた。
そんな四人から視線と言葉で憎悪をぶつけられても、カチュアは動じるどころか余裕の笑みを浮かべて言い返す。
「あらぁ。貴族なら貴族らしく、与えられた職務をきちんと果たして、身分が上の方に言いがかりなんかつけないでいただきたかったわぁ」
この言葉に、四人は怯んだ。
彼女たちは、以前シュエラの侍女を勤めたことがある。シュエラが愛妾になってすぐのことだ。
それ以前にシュエラに仕えていた侍女たちは、シュエラの食事に下剤が盛られていたことに気付けなかったことを理由に侍女をクビになった。けれど詳しい事情を知らない人々は彼女たちが下剤を盛ったからクビになったのだと思い込み、下剤を盛ったのは官司の一人だと知ると侍女たちのクビは冤罪だと騒ぎ立て、クビを言い渡した国王と、それをさせたシュエラを影でこそこそ非難した。
そして王城内の間違った噂を真に受けて、クビになった侍女たちと入れ換わりにシュエラ付きの侍女になったのが彼女たち四人だ。何も知らなかったシュエラを責め、職務を放棄した。
その後国王は謝罪までしてクビを撤回し、シュエラの評判が好意的なものに変わる。すると、シュエラに抗議行動を起こしていた彼女たちは非難とまではいかなくとも批判的な目で見られるようになり、仕事を任せてもらえなくなっていって結果侍女を辞めざるを得なくなった。
そんな彼女たちが今侍女の制服を着てここにいるのは、シュエラのおかげだったりする。
ある出来事をきっかけに、実家に戻った彼女たちが肩身の狭い思いをしていると知ったシュエラは、彼女たちを再び侍女として雇い入れることを国王にお願いした。
シュエラの人がいいところは今に始まったことではないけど、彼女たちへの恩情はやりすぎだったとカチュアは思う。
ため息をつくカチュアにかちんときたのか、怒りの声を上ずらせながら一人が叫んだ。
「シュ、シュエラ様のお気に入りだからって、いい気になるんじゃないわよ!」
カチュアはもう一度ため息をつく。
「シュエラ様が“お気に入り”なんてつくるわけないじゃない。あの方は誰にだって平等だわ。根も葉もない噂を信じて仕事を放棄したあんたたちにも、名誉挽回の機会を与えてくださるくらいだもの。ていうか、今日がどういう日だかわかってる? こんな日にまで仕事をサボろうとするなんて、名誉挽回の機会を与えてくださったシュエラ様に対して恩を仇で返してるとしか思えないわ」
その自覚があるのだろう。彼女たちはぐっと言葉を詰まらせる。
そうなのだ。今日、ようやくシュエラは王妃となる。結婚式に戴冠式、晩さん会に舞踏会、さまざまなイベントが目白押しだ。昨日までも次々訪れる招待客たちを迎えるので大変だったけど、今日は会の準備やら何やらでもっと大変になる。
シュエラが式典に臨んでいる今も、このあとの準備のためにカチュアは奔走していた。今も、式典で緊張して喉をカラカラにしてるだろうシュエラのために、お茶の支度をもらいに行こうとしている最中だ。
その途中でばったり彼女たちと出会ってしまい、通せんぼされて嫌味を言われることになってしまった。
カチュアは怯んだ彼女たちにふふんと笑うと、その脇を通り過ぎようとする。
負けたままではいられないと思ったのか、さっきから一番わめいている侍女が、焦ったように言葉を投げかけてきた。
「エラそうなこと言ってるんじゃないわよ! ヘリオット様をセシールにとられたくせに!」
ずくん……とカチュアの胸が痛んだ。思わず足を止めてしまう。
それに気をよくして侍女はカチュアを嘲笑った。
「悪口を言いふらしてまでヘリオット様に尽くしておきながら、いいザマね」
カチュアは胸の痛みに耐え、気丈に振り返る。
「別にあたしはヘリオット様に尽くしてたわけじゃないわ。あんたたちのことは腹にすえかねてたから、あたしは見たまんまのことをしゃべって回ってただけ」
「よく言うわ。玉の輿狙いで王城に来ておきながら」
「身のほど知らずにヘリオット様を狙ったりするからよ」
「あんたなんかを本気で相手にする貴族なんているもんですか」
「せいぜい愛人止まりよね」
「この容姿じゃ、愛人も無理なんじゃない?」
高らかな笑い声が辺りに響く。
言い返したいのに、言葉が見つからなかった。
侍女たちは嫌味たらしくほくそ笑んで、カチュアの脇を通り過ぎていった。
カチュアはしばらくその場に立ち尽くす。
確かにヘリオットのことは好きだった。
かっこよくて、優しくて、調子のいいところもあるけど頼りになって。
でも、最初から叶わぬ恋だとわかっていた。
ヘリオットは子爵家の子息というだけでなく、国王の側近でもある。庶民のカチュアの手の届く相手じゃない。
だからあこがれに留めていた。
そのつもりだったのに、ヘリオットがセシールを選んだと知った時から、カチュアの胸はずっと苦しかった。
カチュアの一つ年上の17歳で、男爵家の娘で、一度は侍女をクビにされたけど冤罪を解かれたあと戻ってきて、いじめられてるところをシュエラに助けられて再びシュエラ付きの侍女になったセシール。噂に踊らされてシュエラに冷たくあたったことはあるけれど、美人で真面目で気立てのいい、同性のカチュアから見ても好ましい人柄をしていた。
ヘリオットが好きになるのもわからなくはない。けれどどうしても思ってしまう。
何でセシールなの?
セシールじゃない、カチュアの知らない誰かだったら、きっとここまで苦しくならなかった。
でも、ヘリオットが選んだのはセシールで、セシールはそれを受け入れた。
二人が結ばれたことに罪なんかない。だからカチュアは、この気持ちに折り合いをつけていかなくてはならないのだ。胸の内に秘め、一人で。
両手で頬を威勢よく叩き、カチュアは気持ちを切り替える。
「いつまでもクヨクヨしない! 元気だけがあたしのとりえでしょ!」
声を出して自分に言い聞かせると、カチュアは元気に歩き出した。
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