俺が異世界で勇者にならなくてはならなかった理由

市尾彩佳

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3、最初はそのチート能力を楽しんだが、

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 結果的に言えば、寝る前に心の中で唱えた祈りは叶わなかった。
 スマホのアラームが鳴り出してぼんやり音のほうに顔を向けたら、昨日のドレスに着替え直したちんまいのが元気一杯挨拶してきた。
「おはようございます! 早速魔王討伐に向かいましょう!」

 ……俺はまだ夢を見てるのか?
 頭がまだ半分眠っている俺は、のろのろとベッドを降りつつテキトーに答えた。
「まずは腹拵えだな」
 食パンを二枚トースターに放り込み、湯を沸かす。沸いた湯でインスタントコーヒーを作って、焼き上がったトーストと一緒にちゃぶ台に運ぶ。めんどくさいから、朝食といえばいつもこれだ。

 ちゃぶ台の前にあぐらをかいて座り、トーストを食べようとしたその時、興味津々に見つめてくるちんまいのと目が合った。
「……これでよかったら食べるか?」
 ちんまいのは、ぱあっと顔を輝かせた。
「いただけるのですか!? ありがとうございます!」
 ちんまいのにパンの耳は重いだろう。耳をちぎってよけて、柔らかい部分をひとつまみ渡す。

 受け取ったちんまいのは、さっそくかじり付いた。
「おいしーです! ありがとうございます、勇者様!」
 だから勇者じゃないっつーの。
 ちまちま食べるちんまいのを横目にトーストを食べ終えると、俺は会社に行く準備を始めた。

 スーツを一着取り出して着てみる。一昨年前に買ったものだ。当時は今より少し痩せていたからか、今着るとちょっと……いやかなりキツい。それでも着回しのローテーションに入れてるのは、スーツを買う余裕がないからだ(趣味に金をかけてるので)。

 ちんまいのはまだ存在していたが、あの魔法もまだ有効だろうか。
 半信半疑で着てみると、いつもの着にくさは全くなく、身体はスーツにフィットした。
「おおお! ぴったり!」
 感激して、俺はちょっと大きな声を出す。近所に文句を言われないよう、ほんのちょっとだけだ。
 そろそろアウトかと思っていたけど、昨日ちんまいのからもらった能力があればノープロブレムだ!

 スーツを着込んだ俺を見上げて、ちんまいのが言った。
「それは勇者様の戦闘服ですか?」
「ああ、そうとも言えるな」
 スーツはビジネスマンの戦闘服だ。
「ではいよいよ魔王討伐に向かわれるのですね!」
 まだ言うか。
 俺はまたテキトーに答えた。
「いや、これからレベル上げに行ってくる」
「レベル上げ、ですか?」
 ちんまいのの故郷には、レベルという概念がないらしい。それをいいことに、俺は更にテキトーに言った。
「レベルが上がると強くなる。強くなればそれだけ魔王に勝てる確率が上がる」
 ちんまいのは両手を胸の前で組んで、目をきらきらさせながら言った。
「なるほど! 強くなってから魔王に挑むという作戦ですね! さすがです、勇者様! 行ってらっしゃいませ!」
 ……ちょろいな、ちんまいの。
 俺は鞄を持って会社に向かった。

 会社に入ると、普段挨拶しか交わさない女子社員に、すれ違いざま呼び止められた。
「ちょっと痩せた?」
「お、おお。ちょっとな」
「痩せたほうがちょっとかっこいいよ」
 俺はぽかんとして、しゃなりしゃなりと歩いていく(注:主人公フィルターかかってるだけで、女子社員は普通に歩いてます)女子社員を見送った。
 その姿が廊下の角を曲がって見えなくなったところで、俺は我に返る。
 こういう余録もあったのか!
 きつい服が身体に合う → その分痩せる → 痩せると俺はかっこよく見える → かっこいいと女子に注目される!
 ハラショー!!!!! 
 なんて素晴らしい能力をくれたんだ、ちんまいの!

 営業先でも、受付やお茶出ししてくれるおばちゃんたちにちやほやされた。おかげで気分がいいものだから営業トークがノリにノッて、難しいかと思っていた顧客のところで取引成立。
 成果を持って帰れば、営業課内にどよめきが広がる。
「おまえ、よくあの顧客を口説き落としたな!」
「すごいじゃない!」
 ちやほやされてまんざらでもない。

 帰りがけ、夕飯を買いにスーパーに立ち寄った時に、ついでに安いプリンを買った。

 帰宅すると、ちんまいのはまだいた。
「お帰りなさい。我が世界にお越しいただくための準備は整いましたか?」
 あ、そう言い訳して出勤したんだっけ。
「いや、そう簡単には整わないよ。もっとレベル上げしないと」
「そうですよね。そう簡単には整わないですよね。ご納得できるまで、十分準備なさってくださいね」
 俺が異世界に行くための準備をしてたって本気で思ってる。……ホントちょろいな。

 弁当をレンジにかけてから、ちんまいののところにプリンを持っていった。
「これ、食べるか?」
「何ですか?」
「プリン」
「プリン?」
 ふたを取って、ちんまいのの前に置く。
「スプーン持ってるか?」
「これはスプーンで食べるものですか!」
 ちんまいのは指の一振りでスプーンを空中から取り出す。

 マッチ一本よりも小さいそれで、プリンを一口口にしたちんまいのは、何も言わずに猛然と食べ始めた。
 お、気に入ったみたいだ。
 俺は自分の夕飯を運んできてちゃぶ台の前に座った。
「デザートだけで大丈夫か? 飯も食うか?」
「いえ、これでいいです。これがいいです!」
 そんなに気に入ったのか。
 自分のチョイスが間違ってなかったのが何だか嬉しくて、俺はうきうきした気分でチンした弁当のふたを開ける。中身はいつもよく食べる格安弁当だが。

 弁当を黙々と食べていると、食べるのをいったん止めて「はふっ」と息をついたちんまいのが、俺を見てにこっと笑った。
「おいしーです! ありがとうございます、勇者様!」
「お、おう。そりゃよかった」
 美味しいと言ってもらうと、自分の食べてるものもいつもより美味しく感じるから不思議だ。
 またせっせとプリンを食べ始めたちんまいのを眺めながら、俺も弁当をかき込んだ。


 翌土曜日。
 妹が選んだ服も戦闘服だとごまかしながら、俺は少し早めに待ち合わせ場所に向かった。

 待ち合わせていた駅前広場に到着すると、先に来ていた妹がきょろきょろと周りを見回していた。
 俺の妹は可愛い。身内の贔屓目がなくても可愛いのは、通りかかる男の何人かが妹に目を向ける様子からわかる。
 そんな妹と待ち合わせしてると思うとちょっと鼻高々だ。

 だが、視界に入っているはずなのに、妹は俺に気付く様子がない。
 俺が目の前まで行って「よっ」と声を掛けると、妹は目を丸くした。
「……お兄?」
「おう」
「え……えええええ!? びっくりした! ぜんぜん別人じゃん!」
「俺、かっこよくなった?」
「うん! かっこいいかっこいい!」
「で、おまえのカレシは?」
「お兄がホントに痩せたか確かめてから会わせようと思って、別のとこで待ち合わせしてる」
「……」
「今のお兄なら、あたしのカレシにも負けないよ! 行こ!」
 ………………いろいろ思うことはあったが、それはともかくとして、俺は妹に引っ張られてカレシとの待ち合わせ場所に向かった。

 妹のカレシは、ちょっとチャラい感じだったが、礼儀正しい青年だった。
「オニーサン、ぜんぜん太ってないじゃないか。筋肉質なカンジ? がっしりしてて男として憧れるっすよ」
 妹が俺のことを普段どんなふうにカレシに言っているか気になったが、憧れると言われるのは悪くない。
 兄貴がカレシにホメられて、妹も鼻高々のようだった。
「でしょー! あたしもびっくりしたもん。ちょっと会わないでいるうちにかっこよくなっちゃって!」
「こらこら。カレシの前で兄貴をホメるんじゃねーよ」
 ちょっとムッとしたカレシを見て、俺は口元のゆるみを引き締めながら妹をたしなめてやった。

 この日は、妹オススメのケーキ屋でプリンを買って帰った。
 フタを開けて渡すと、ちんまいのは指先くるりでスプーンを出して大喜びで食べ始めた。
「おいしーです! おいひーです!」
「そんなにがっつかなくったって、取らねーって。てか、プリンばっかだと身体に悪いんじゃね?」
「身体に悪い?」
「ほら、栄養のバランスとか」
 連日プリンを土産に買う俺の言うことじゃないかもしれないが。
 ちんまいのは何を言われたのかようやくわかったというような顔をして、それから俺に嬉しそうに言った。
「大丈夫です。わたくしは周囲に満ちている力を糧にして生きているので、本当は食事をしなくてもいいんです」

 なんだ、だったらプリンなんて買ってこなくてもよかったんじゃないか。今日のケーキ屋プリンなんて、一個で200円以上したんだぞ。──なんてケチくさいことを思っていると、ちんまいのは満面の笑みになった。
「ですけど、勇者様がわたくしに食事を分け与えてくださるのがとても嬉しいんです。ありがとうございます!」

 これは慕われているのか? カノジョいない歴イコール年齢の俺が?
「……やっぱり、こっちも食べてみるか?」
 ためらいがちに言うと、ちんまいのは元気よく返事をした。
「はい!」
 俺は小皿を取りに行くために立ち上がる。

 ちなみに、俺が食べていたのは駅地下で売ってた特盛り焼き肉弁当だ。以前から食べたい食べたいと思っていたが、体重増加に歯止めがかからなくなるのが怖くて手を出せなかった逸品だった。
 だが、ちんまいのがくれた能力があれば、体重を心配する必要がない。何しろ、どんなに太ったって、どんな服も着れるのだから!

 席に戻った俺は、小皿に肉を一切れ乗せて、ちんまいのの前に置いた。身長三十センチに満たないちんまいのの腕一本分の重さくらいにはなるんじゃないだろうか。大奮発だ。
 ちんまいのはフォークとナイフを取り出してお上品に食べながら、「おいしーです」を連呼していた。
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