国王陛下の大迷惑な求婚

市尾彩佳

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第三章 ディオファーン王侯貴族の複雑な事情

21、 〝存在しない〟者

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 男の子が姿を消したあとしばらくして、あたしは少しも身じろぎしない背中に声をかけた。

「陛下……どうしてここに?」

「……フォージが舞花の危険を報せてくれたのだ」

「それで助けに来てくれたのね。助けてくれてありがとう。フォージも、報せてくれてありがとうね」

 フォージは返事代わりに微笑んでみせる。その様子はぎこちない。雷の直撃を受けかけたショックがあとを引いているんだろう。あたし自身、微笑んでいるつもりだけどちゃんと微笑みを作れているか自信がない。

「陛下……今の方はもしや……」

 フラックスさんがいつになく真剣な声で言う。どうしたんだろうか。あれほど強力な力を目の前にしたら、【救世の力】の研究者魂が踊り狂いそうなものなのに。
 そんなことを考えているうちに遠くからわあわあと騒ぐ声が近付いてきた。小庭の周辺は騒然となる。でっかい音がしたもんね。侍従さんや侍女さんが、何が起こったのか調べに来るに決まってる。

 まもなく、侍従さんが小庭に飛び込んできた。

「失礼いたします! こちらは大丈夫ですか!? ──陛下!?」

 すっとんきょうな声を上げてしまった侍従さんは慌てて膝をつく。

「こちらにおいでとは存じ上げず、ご無礼いたしました」

 侍従さんの前に立つと、陛下は王様らしい口調で言った。

「緊急事態だ、許す。かしこまる必要はない。職務を果たせ」

「は!」

 侍従さんは、立ち上がって姿勢を正す。

「この近辺で発生した謎の爆発音について調査しています。こちらにいらっしゃるみなさま方は、何かお気付きのことはありますでしょうか?」

 お気付きどころか、ここがその爆発音の発生した場所なんだけどね。──ということを丁寧な言葉に置き換えて言おうとしたけれど、陛下が先に答えていた。

「爆発音の原因は余である。フラックスがまた舞花にちょっかいをかけたので、嫉妬に駆られてしまったのだ。爆発による被害はない。──そのように周知せよ」

「──は! そのように周知してまいります!」

 フラックスさんをこっそり見ていた侍従さんは、我に返ったように返事をして小庭から出て行く。
 侍従さんの困惑ももっともだ。あれほどの爆発音がしたのに、フラックスさんの身体にも服にも一切の乱れがないんだから。
 かく言うあたしも困惑してる。

 どうして陛下はそんな嘘をついたの?

 フラックスさんもコークスさんもヘマータサマもウェルティも、どうしてそんな気まずげな顔をしているの?

 さっきの男の子はいったい誰?

 訊きたいことだらけだけど、空気が重すぎて口を開けない。
 衛兵さんの足音が遠ざかると、小庭は再び静寂に包まれた。そこにまた、新たな足音が近付いてくる。忙しないその音の主はモリブデンサマだった。小庭に入ってきてすぐ、陛下に問いかけた。

「陛下。先ほどすれ違った侍従が、爆発音は陛下の悋気によるものだと報告してきましたが──そのご様子ですと違いますね?」

「……ああ。ラジアルだ」

 モリブデンサマは苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「またですか。あの方は、今度は何でかんしゃくを起こしたのですか? 友好国の王子王女方を招待しているこの時分にはた迷惑な」

 男の子一人が悪いみたいな言い方をするので、あたしは黙っていられなくなった。

「あたしが陛下の婚約者だって言われるのは迷惑だって言ったら、あの子が怒ったの! 大好きなお兄さんをバカにされたら、弟が怒るのは当たり前でしょ!? 陛下やフラックスさんが三階の壁を壊してもため息一つですませているのに、これくらいのことで目くじら立てないでください!」

 モリブデンサマはこめかみを押さえた。

「あなたは陛下をバカにしながら、それに怒ったラジアル様をかばうのですか。矛盾のかたまりですね」

「あたしの中では矛盾してないんですけど。それより、あんなにブラコンな子が今まで出てこなかったなんてびっくり。あの子、今までどこにいたんですか?」

 こう質問したときのあたしは、てっきり国外へ旅行か留学してたんだと思っていた。
 でも違った。
 顔を見合わせるコークスさんとフラックスさん。うつむくヘマータサマとウェルティ。陛下は沈鬱な顔をしてあたしから目をそらす。
 眉間にしわを寄せたモリブデンサマが、いまいましそうにあたしの問いに答えた。

「ラジアル様は〝奥〟と呼ばれている区画で生まれ、一生そこから出てはならないことになっている。ご両親──陛下の産みの親でもある前国王の王子夫妻とともに」



 前国王の王子夫妻──以前、陛下の補佐官であるロットさんから聞いている。
 前王のご子息である陛下のお父上は、【救世の力】が弱かったために貴族たちから「国王にふさわしくない」と言われていた。しかし、生まれてきた子である陛下は幼い頃から強力な【救世の力】を発揮し、これぞ国王の器だと賞賛されてきた。次期国王を決定する段になって貴族たちがもめて、それでお父上が身を退いてお母上と一緒にお城の奥深くに閉じこもった。──という話だったと思う。うろ覚えだけど。

 引きこもっている両親に子供が生まれて、陛下に弟ができたってことよね? ややこしい話になりそうな気配がぷんぷんする。陛下は爆発音を聞いて騒いでいるという王子様王女様たちへの説明に行っちゃったし、説明を任されたモリブデンサマは「ここでは話せない」と言うし、みんなは知ってる話みたいでさっさと帰っちゃうし。

 テルミットさんは後片付けのために小庭に残ることになり、あたしとフォージだけモリブデンサマの執務室に行くことにな──るかと思ったら、モリブデンサマはフォージに部屋へ帰るよう言った。
 フォージが瞬間移動で消えたあと、あたしはモリブデンサマに訊ねた。

「フォージには内緒の話があるんですか?」

「あとで話す。おまえと違って聞き分けがいいからな」

「それ、どーいう意味ですか?」

 むくれて言うと、モリブデンサマは冷ややかな一瞥をくれた。

「おまえが騒ぎ立てることは目に見えている。言い争いなどという醜い現場を、あの子に見せたくないだけだ」

 言うだけ言って、モリブデンサマはさっさと歩き出す。あたしは文句を呑み込んで、そのあとに続いた。ちょっとやそっとのことで騒ぎ立ててるつもりないんだけどな。ここに来てからちょっとやそっとじゃないことに遭遇しやすいから、騒ぐ頻度が増えてるのは自覚してるけど。
 執務室に到着し、向かい合ってソファに座ると、モリブデンサマはすぐさま切り出してきた。

「陛下のご両親のことについて、おまえはどのくらいのことを知っている?」

 ロットさんから聞いた話を伝えると、モリブデンサマはまた眉間にしわを寄せて重々しく言った。

「陛下のご両親は人々の前から姿を消しただけではない。お二人は〝亡くなった〟ことになっているのだ」

「ええっとそれは、陛下のお父上が身を退いただけでは、貴族たちの争いはおさまりそうになかったからということ?」

「そうだ。貴族たちは王孫派と王子派、つまり陛下と陛下のお父上それぞれに味方することを建前に、自分たちの地位の向上を図った。争乱はあっという間に激化しその余波は友好国にまで広がり、陛下のお父上が王位継承権を放棄するだけでは収拾がつかなくなった」

 あたしは顔をしかめた。私利私欲のために親子を引き裂くなんて反吐が出る。

「陛下のご両親が谷底へ身を投げたと公式に発表されてようやく、争乱は終息へ向かった。前国王の厳しい教育とご自身のたゆみない努力のおかげで、陛下は誰も文句をつけようがないほど立派にお育ちになり、十八歳という若さでありながらも国内外から多大な祝福を受けて即位あそばされたのだ」

「その陛下が、あたしのせいで残念な人になっちゃってごめんなさい」

 女一人に翻弄されて情けない姿をさらしたり、嫉妬しすぎて人を三階から突き落としたり。
 あたしが現れてからの陛下の行状を思い出したのか、モリブデンサマは忌々しげに顔を歪めた。
 モリブデンサマは咳払いして場を仕切り直した。

「陛下の御代となって一年が過ぎたころのことだった。陛下のお母上のご懐妊が発覚したのは。ご夫妻は、陛下が無事即位なさったことで気が緩んだと申し開きなさったが、問題は生まれてくる子どものことだった。ご夫妻は手元で育てたいと熱望した。おとなしく奥でひっそり暮らしているのだから、この願いはせめて叶えてくれ、と。その話を伝え聞いた陛下は、ご両親の願いを叶えてしまった。生まれてきた弟と対面することもできず、一生軟禁しなくてはならないとわかっていながら」

「どうして? ご両親は仕方ないにしても、ラジアル君だけは外に出してあげられる方法が何かあるでしょう?」

「生まれてすぐ信頼できる家に養子に出すことができ、ラジアル様にご自身の出自を秘密にしておけば可能だった。だが、物心ついた子どもが、兄上の邪魔をしないように決められた場所から出てはならないと言われて納得できると思うか? 【救世の力】を使えば出られるのに、外への好奇心を抑えられると思うのか?」

「ええっと、無理、かな?」

 できる子はできるんだろうけど、子どもに好奇心を抑えろというのは酷だ。

「ラジアル様はご両親の手元で育てられ、今ではご自身の出生のいきさつをご存じだ。ラジアル様はご両親と一緒にいることをお望みだが、ご自分の境遇を受け入れ切れないのか時折〝奥〟から抜け出して、ごくたまに騒ぎを起こす。先ほどのように目撃者が少人数なら強引にごまかすこともできるが、大人数だとそうはいかない。ラジアル様の正体に薄々勘付いている者もいるが、〝奥〟の秘密を守る者たちが決して口外しないため、憶測の域にとどまっている。城で働く者たちはラジアル様に関することには触れてはならないのだと察知し、今ではラジアル様の姿を見て見ぬふりをする。先ほどのような大騒ぎが起きれば衛兵たちが駆けつけるが、ラジアル様がからんでいると知ると一切追及してこない」

 あたしは憤りをこらえて問いかける。

「つまり、ラジアル君はみんなから無視されてるということですか?」

「厳密には違う。ラジアル様のことをみな〝存在しない者〟として扱っている」

「同じことじゃないですか! 年端もゆかない子どもでなくても、誰からも存在を認められずにいたらどれほど傷付くかわからないんですか!?」

 怒りを爆発させるあたしに、モリブデンサマは鋭く切り返してきた。

「ではどうしろと? 薄々勘付いている者がいる以上、ラジアル様を外にお連れするわけにはいかない。おまえも間近で見ただろう。ラジアル様のすさまじい【救世の力】を。ラジアル様の存在を公にすれば、ラジアル様こそ国王にふさわしいと言い出す貴族が必ず現れる。そうなれば、かつての騒乱が再び巻き起こるかもしれない。陛下のお父上は自殺に見せかけて表舞台から退いたが、今度はその手も通用しないだろう。一度騙された者たちは、二度目は強く疑ってかかるだろうからな。──陛下と絶対に結婚しないと主張し、我が国に関わることを極力避けようとするおまえに何ができる? 言いたいことだけ言って責任を取らないのであれば非常に迷惑だ。何かを主張したければ、責任を取る覚悟を持って主張してもらいたい」

 あたしは絶句した。その通りだ。責任を取れないのであれば口出しすべきじゃない。
 モリブデンサマたちだって、考えなかったわけじゃないはず。事情を知る人たちみんなで知恵を振り絞って、その上で今の状況を維持するしかないという判断を下したに違いないのだ。
 だというのに、数ヶ月前別の世界からぽっと現れただけのあたしが、求められたわけでもないのに意見を言うなんておこがましい。
 ラジアル君の存在を公にして、貴族たちが二分して国を揺るがす争乱になったとしたら、あたしにどんな責任が取れるというの? 取れるわけがないじゃない。
 あたしはおとなしく黙ってることしかできないんだ。
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