糸ノ神様

春風駘蕩

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第7章 変わる世界

五十二、こたえさがし

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「……どうかしたの? さっきからずっと黙り込んで」


 定食屋の一人席に着き、黄昏ていた深月。
 賄いとして出された料理を平らげた後、空になった皿を見下ろし、頬杖をついたまま虚空を見つめていた時。

 何やら物思いに耽る娘の隣に腰掛け、登紀子が問いかけてくる。


「環君にお釣りを渡しに行ってからずっとそんな感じだけど……あ、もしかして喧嘩した? それで落ち込んでるの?」
「……違う、けど。大体そんな感じ……かも」
「あらあら……友達自体少ないもんね、喧嘩してどうしたらいいのかもわからないのか」


 困り顔で笑い、肩を竦める母に思わず溜息をこぼす。

 話はそう、母が想像している程単純ではない。
 一人の少年の人生、存在そのものに関わる重大な問題だ。

 意見がぶつかった、とか。
 相手の嫌なところが見つかった、とか。
 よくある自分と他人の間の、性格や考え方の違いから起こる擦れ違いに原因があるわけではない。

 人ですらなくなった相手と、この先どう関わればいいのかーーー他に同じ内容で悩む者はそういないであろう問題に、静かに頭を抱えていた。

 こればかりは、心配をかけたくないとか迷惑になるとかという理由で母に話せないのではなく。
 母に聞いて、答えが返ってくるとは思えない悩みだった。


「あんたって、本当に自分の悩みを離したりしてくれないからね……そんなに、母さんは頼りない?」
「そうじゃ、なくて」
「だったら話してくれていいでしょ? 解決できなくってもね、胸の中に詰まってるもやもやしたものを一度全部吐き出して、すっきりした気持ちで考え直せる事だってあるのよ。人に相談するって、そういう面もあるのよ?」


 つんつんと側頭部をつついてくる母。頼らない娘を咎めるように、じっと強い眼差しを向けて唇を尖らせる。

 子供のような可愛らしい仕草だ。深月より遥かに年上のくせに、美人がする所為で妙に似合っている。
 こういう態度を見せるからこその店と本人の人気なのだから、ずるいと強く思ってしまう。

 顔が良くて明るい母に比べて、暗く引っ込み思案な自分は実に情けなく思える。

 普段なら、そんな劣等感やら敗北感やらで口が重くなり、何も言えなくなる深月。
 しかし今回の悩み事は自分一人ではどうしようもないものでーーー放置する気にも、逃げる気にもなれないもので、気づけば恐る恐る、母に尋ねていた。


「母さんは……その、友達が、大変な目に遭ってたり、したら、どうする?」
「助けるわね」
「うん、だろうね。……それでその、その、友達本人が、助けを、必要としてなかったら、どうする?」
「助けるわよ?」
「……必要ない、って、真正面から、言われても?」
「助けるわ」


 ……聞いた事を激しく後悔した。
 善意の塊のような母に、こんな悩みを打ち明けたところで解決するはずがなかった。

 確かに胸の内に詰まっていたものが吐き出されてすっきりしたが……それ以上に何か、激しい疲れに苛まれた気分になった。


「それ、前より拒否される流れじゃん……」
「それって、もしかしなくても環君の事でしょ? そんなに気難しい子だったかしら?」
「あの時は……うん、母さんが相手だった、し?」


 大嶋の一件の際、助けてくれたのはあくまで、深月の身に何かあれば、実家の店で料理が食べられなくなって困るから、という利己的な理由だった。
 深月自身への感情はまず存在していなかった。悪く言えば、もののついでに一緒に問題を片付けた、というだけの話だ。

 先程の一件に関しても、彼女が環を邪魔者として見て、排除を目論んだから……本人がそう口にしたのだ。


 その結果、環は人の身を捨てたーーー深月が悔やみ、詫び、何を想おうと、どうでもいいと彼はその場を去るだけだった。

 何かができたのではないかと、そう思う事自体邪魔に思われる……そんな気がした。


 深月のそんな陰鬱とした気持ちに気付いているのかいないのか、登紀子は自分の顎に人差し指を当てて何やら考え込み。
 やがて意味深な笑みを浮かべ、娘に向き直った。


「んー……まず、母さんから深月に伝えられる助言アドバイスは、一つだけかな」
「何?」
「取り繕うの、やめようか?」


 くすっ、と。
 見た目はいつも通りの綺麗な笑顔で……しかし同時に得体の知れぬ威圧感を伴わせた表情で、母が告げる。


「……え、な、何? 何の、話?」
「深月って、ずっと周りに流されてっていうか、自分の意見とか気持ちとか全部引っ込めて、他人の顔色ばっかり伺って生きてるじゃない? それ、やめなさい」


 笑っているのに、笑っていない。有無を言わさぬ雰囲気に深月が気圧されていると、母の指が深月の頬に突き立てられ、ぐにっと無理矢理に笑みを作らされる。


「昔っからあれが欲しいとかこれがしたいとか、全然言ってくれなかったじゃない? それが一番心配だったの、どんどんあんたらしさがなくなっててさ」
「そんな、事、は」
「気を遣ってんのか、何を怖がってるのかわからないけど、自分の心に鍵をしてるっていうか、心に鑢をかけて無理矢理他人に合わせてる感じがして、お母さん、もやもやしてました」
「で、でも、それは……」


 自分の心の全てを見透かされた気分で、深月はあわあわと言葉にならない声を漏らして慌てる。
 あの〝声〟が……ごく最近の力によるものであったと発覚した現象が、自分の暗さの原因なのだから。

 それを説明も証明もできなくなった今、母の叱責はある意味的外れなのだが……次の母の言葉で、深月は絶句する事となる。




「ーーー私だってね、いろんな他人に悪口とか嫌な事言われて落ち込む時もあるわよ。だけどね、だからって自分を押し殺して大人しくしていればいいって話じゃないのよ?」
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