糸ノ神様

春風駘蕩

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第5章 暗闇に堕ちる

三十六、あめあめ ふるふる

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 午後の前半の授業は、体育だった。

 一通りの準備運動を終えたあと、体育館をネットで分け、男女それぞれで半分ずつ使用する。
 男子はバスケットボール、女子はバレーボールに分かれ、さらにそれぞれで数人の班に分かれ、軽い試合形式をとりつつ体を動かす。

 運動部に所属する者や身体を動かす事が好きな者にとっては楽しい時間であろうが……深月にしてみればより一層憂鬱な時間だ。


「はっ……はっ……!」


 何せ……揺れる。
 きちんと下着で支えているつもりなのに、飛んだり走ったりするだけで只管に揺れる。

 重い塊に引っ張られ、体勢を崩す度に鬱陶しさが募るのだが、周りの女子からすると単なる自慢にしか見えないようで、舌打ちがそこら中から聞こえてくる。


【……ふざけんなよ陰キャの分際で】
【自慢かくそが】
【見せつけてんじゃねーしブスが】
【思い切り引きちぎりたい、あの脂肪】


 ……ついでに〝声〟も聞こえてくるのだが、なんというか、今日この時間におけるそれらはあまり心に傷をつけてこない。
 単なる妬みや嫉み、悔し紛れの罵倒ばかりで、聞くたびに罪悪感やら哀れみやらが湧いてくる種類のものだ。

 かといって、いい気味だとも思わないし、得意げになったりもしない。只々、鬱陶しいとしか思わない。


「……おい、すげぇぞ不動の。思った通りすげぇ揺れ」
「ボールよりよっぽど跳ねてるよな、触ったらどんだけ柔らけぇんだ…?」
「二次元でしか見れねぇよな、あんな爆乳」
「俺、このクラスでよかったぁ」


 境目越しに来る男子の視線もまた面倒臭い。
 人試合を終えた後の休憩中、わざわざ境目に集まって女子の運動する姿を凝視しに来る。当然、大半の視線が深月に集中していた。

 体育教師も注意するどころか、興味がないと言う風を装いながらちらちらと横目を向けてくる始末。


「っ……ほら、ふどーさん! さぼってないでしっかりレシーブしてよ!」


 その状況が気に入らない他の女子達がさらに苛立ちを募らせ、深月を睨む視線を強めると言う悪循環。

 目立ちたくないな、と動きを鈍らせる深月なのだが、こういった状況に限って女子達は執拗に深月を狙って球を叩き込んできて、それを受け止め返さなければならなくなる。
 受け止める側の事をまるで考えない雑な軌道の所為で、深月は右へ左へ振り回されまくり、その為にまた胸が揺れる。そして男子が盛り上がる。


「……最悪、本当に最悪」


 誰にも聞こえないよう小さく呟き、滝のように流れる汗を二の腕で乱暴に拭う。
 付き合いきれない、心の底からそう思うのに、勝手に嫉妬した女子達の攻撃が立て続けに襲い掛かり、休む暇もない。

 さっさと試合が終われば休めるのに、味方と相手で球を交換するだけとなっていてまるで終わる気配がない。

 延々と、それこそ授業の終わりが来るまで止まりそうにない。止められる教師が全く頼りにならない為、深月は只管に時を待つ他になかった。


「ほらー! へばってんじゃないわよ! ……死ねばいいのに」
「帰宅部なんかしてるから体力ついてないのよー! ……生きてるだけでほんと目障りだわ」


 最早、例の〝声〟なのか実際に発されている声なのか、区別がつかないほどに多く、女子達の口から悪態が溢れる漏れる。

 そこまでされてなお……不思議な事に、深月の心に悲しみは湧かなかった。


「っ……早く、終わんないかな」


 次々に飛んでくる球を受け止め、自陣の女子に渡して。
 自分一人だけが、全国大会に向けて猛練習に励んでいる気分に陥りながら、独言る。その合間に、ちらりと視線を男子の空間の隅に向ける。


 ……案の定、環一人だけが本気で関心がなさそうに球と戯れている。
 独りが過ぎて、逆に目立っている気もしたが、今の所男子の誰一人として彼に注意を向けている者はいない。


(……あれが、縁を切った効果、なのかな)


 誰からも関心を向けられず、気付かれず。
 まるで透明人間にでもなっているかのように、彼の周りには何者もいない。音さえ聞こえていないように見える。

 実に悲しい姿なのに、本人はいたって平然としている。独りである事が本当に心地が良いらしい。

 それを見て、深月は思う……いつからいつまで、彼はそう在り続けるのだろう。
 未だ自らは人であると言いつつ、人ならざる者とだけ縁を保ち、人の世界では独りのまま。心変わりする時が決してないと、果たして言い切れるのか。

 現在における唯一の話し相手となっている所為か、余計なお世話だと自覚しながら……少年のこの先を案じずにはいられない深月だった。


「……あ、雨」


 ふと、誰かが窓の方を見やって呟く。
 いつの間にか外が暗くなり始め、ぱたぱたと小さな雨粒が降り注ぐ音が聞こえてきている。

 今朝にあった予報通り、明日の朝に至るまで降るらしい、生憎の天気だ。折り畳みで十分か、そこそこ不安になる雨量だと聞いている。

 じめりと湿気を孕み出した空気に憂鬱な気分になりながら、深月は勢いよく飛んでくる球を見据え、疲弊した体に鞭を打って迎えに動いた。
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