糸ノ神様

春風駘蕩

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第3章 交わらぬ少年

十八、はずむあしどり おもくしずむ

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 初めての感覚だった。
 重く沈みがちな心が、ふわふわと羽根のように軽く、暖かい。

 体が浮きそうになるこれは、噂に聞く『浮足立つ』という感覚だろうか……戸惑うが、決して嫌じゃない。


【何あれ、ニヤついて気持ち悪い】
【ブスが浮かれてんじゃないわよ、昼休みも結局どこにもいないし、つまんない真似してんじゃないっての】
【うっは…なんかいつもより胸でかくない?】
【背筋伸びてるから胸が張られて……えっろ。ほんとはあんなデカかったんだ、やば】


 いつも通り、悪意の〝声〟はそこら中から聞こえてくる。授業中も休憩時間中も、時間を問わず遠慮もなく。
 しかし、普段なら聞こえる度に傷付き、俯いていたというのに、今日に限っては然程気にならない。

 きっと―――楽しみができたから、だろう。

 今日と明日、もっとも憂鬱な時間が過ぎれば、その時がやって来る。
 物心ついた頃から記憶にない、他人の家に招かれる……生まれて初めての事かもしれない。

 他人の悪意の〝声〟が聞こえる所為で、関わる事を避けてきたこれまでの人生。
 聞こえない相手も何人かいたものの、どうしても恐ろしくて踏み込めなかった……その相手からあの〝声〟が聞こえたらどうしよう、そう思ってしまうから。

 一度あったのだ。心を許しかけた相手から、悪意の〝声〟が聞こえた事が。
 すでに人間不信になりかけた幼少期、仲良くなったと思い込んでいた同年代の少女が、ふとした言い争いになった時に、あの〝声〟を発した。

 ――【最初から、嫌いだった。最初から友達なんかじゃないくせに、鬱陶しい】

 衝撃を受けた深月。心に傷を負い、その少女とも距離を取るようになり、やがて互いに顔も合わせなくなった。
 皮肉にも、関わりを断った事でその少女の〝声〟も聞こえなくなり、悲しみに苛まれ事はなくなった。

 それ以来、深月は他人と積極的に関われなくなった。
 隣人から友人へ、一歩踏み出そうとすると……その時の恐怖が蘇り、足が竦むようになった。

 家の近所、学校、店にやって来る同学年の客。
 誰も彼もが、心の内に悪意を宿し、いつか些細なきっかけでそれを表に出すようになったら。

 そんな不安な想像が先に出るようになり、深月は必要最低限の場合を除き、他人と関われなくなった。
 そうでなくとも、顔を合わせる人間の殆どから悪意の〝声〟を突き付けられ、より一層の人間不信に陥っていた。

 友情も愛情も、自分には縁がないものだ。
 たった一人の家族以外、この世の人間は自分を疎む者ばかりなのだ―――いつしかそう思うようになっていた。


 だが、。何故だかそう思えた。


 人ではない所為だろう、他人と明らかに異なる体質の所為だろう。
 だけど、彼らからあの〝声〟が聞こえてくる事はなかった。あの鎌鼬は一応雄のようだったが、妖であるがゆえにがないのかもしれない。

 にもきっと……何かあるのだろう。漠然とそう思えた。


「……どうしたの、なんか今日はご機嫌だね?」


 授業と授業の間の休憩時間。
 小用を足しに教室を出て、女子トイレに入ったところ、不意に人目を気にしながら同じくトイレにやってきた樹希が話しかけてくる。


「えっ、と……そう、かな。うん、良い事、だと、思う。……そんなに、わかり、やすい?」
「うん。めっちゃ浮かれてる。……あんまり露骨だと、あいつらに目ぇ付けられるんじゃない? 気を付けなよ?」
「う、うん。……あ、ありがとう、樹希」


 樹希に指摘され、自分の頬をぐにぐに揉んで緩んでいる事を確かめ、すぐに気を引き締める。

 親友の言う通りだ。今の自分を見て、自分が嫌っている者達が面白く思うはずがない。
 せっかくの楽しみな気分が、台無しになるような事をされるに決まっている。やや手遅れかもしれないが、気を付けなければ。


「……マジで何があったの? 初めて見るぐらい嬉しそうだけど」
「あ、えと、その……お、お昼、食べるのに、ちょうどいい所、見つけた、から……つい」
「ふーん……まぁ、そうね。ご飯ぐらい平和に食べたいわよね。便所飯なんて現実にしたくないだろうし」


 咄嗟の誤魔化し、半ば本当の事を交えつつ返すと、樹希は然して訝しむ事なく納得する。深月の事情を知るが故の信頼だ。


「まぁ、とにかく気をつける事よ。あいつらはあんたが苦しむ姿を楽しんでるんだから、下手に幸せな顔見せたら即攻撃してくるわよ」
「う、うん……き、気をつける」
「よろしい。……じゃあ、また時間あったら」


 深月の雰囲気がいつもの不安げなものに戻ると、樹希は満足げに頷いてその場を後にする。
 浮かれる深月の姿に気付き、わざわざ忠告しにきてくれたようだ。本当に親切でお節介な親友である。

 彼女のすぐ後に出て、関わりを知られるわけにはいかないため、小用を足してからトイレを出て教室に戻る。

 その際に……親友への罪悪感を思い出し、深月は本当に気分を落ち込ませる。


 樹希はいわば、例外中の例外だ。
 細心に細心の注意を重ね、気を遣い続けてきたただ一人……親友という名の、精神安定剤だ。

 敵意を持たれないように、悪意を持たれないように、誰よりも発言に気をつけてきたただ一人。
 そして……親友と称しながら、一緒に遊んだり笑ったりと、最後の境界線をあえて超えずに付き合い続けてきた相手だ。

 自分でも吐き気がする程に、その在り方は歪だろう。
 何の気兼ねもなく本音で語り合える存在が、世間一般で言う所の親友。自分と樹希はその真逆、本音を隠して関わり続けている相手。

 自分にもちゃんと同学年の知り合いがいるのだーーーそんな慰めの為にいる人物、それが樹希だった。


「……ごめんなさい」


 何よりも、誰よりも利己的な思いで繋がる偽りの友情。
 そんな繋がりで縛り付けておいて、自分は本物に限りなく近いものとか変わろうとしている。

 そんな醜い自分への嫌悪感で、深月は自分の胸に手を当て、ぐっと指先を食い込ませた。
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