糸ノ神様

春風駘蕩

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第3章 交わらぬ少年

十六、しゅれでぃんがーのねこ

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「わいら妖に始まりも終わりもない……人間さんの誰かがそこに在ると想像する事でそこに現れる。生まれるんとは違うな、すでにそこに在るんよ」


 ぐしぐしと後ろ足で頭を掻き、転が言う。
 鍵尻尾をくねらせ、ただの獣と変わらない仕草で、己の存在についてを語る。


「昔どっかの誰かが言うとったな。『我思う、故に我あり』やとか……わいらはその逆や。誰かが居ると思うた……その結果、わいらは居った事になるんや」
「……ごめんなさい、よく、わかりません」
「そらぁ、しゃあないわ。わいらもわいら自身の事はよぉわからへん。気付いたらこの世に居ったんやから」
「難しゅう考える必要はないで。そういうもんやと適当に感じてくれるだけでええんや」


 けらけら笑う治に合わせ、斬が頷く。転が面倒臭そうに肩を竦め、三体一緒に溜息を吐く。
 棒で繋がった人形のように息のあった動作で、頭から煙を上げかけている深月の前で寛ぎ、好きに喋り続ける。


「わいらに親はおらん。親子として生まれる妖もおるにはおるけど、そこから増えたりはせぇへん。鎌鼬は鎌鼬として、ずっとわいらが居るだけや」
「成長もせぇへんな……一つ目小僧は小僧のまんま。死にもせぇへんから、砂かけ婆は砂かけ婆のまんま。忘れられるまで在り続けるだけ」
「因果とかから外れとるんよ、わいら妖は。科学とは対極にあるもんなんや……理屈で説明できへんねん」


 深月の脳裏に、子供の頃から度々耳にしてきた有名な歌が浮かぶ。

 お化けは死なない、病気もない。

 生物としての範疇を大きく逸脱している……いや、そもそも生物として存在していない。
 今対面しているこの状況も、自分の夢か妄想の中で話をしているような感覚だ。

 しかし、と深月は手を伸ばし、鎌鼬達の喉をもう一度擽ぐる。触れる、滑らかな手触りを確かに感じる。


「でも、あの……触れ、ます、よね?」
「深月はんにはな? せやけど触れん者もおるし、そもそも見えも聞こえん者もおる。その辺は人によりけりや……その人の頭が、どんだけわいらを受け入れられるようにできてるかによって違うんよ」
「昔に比べて随分減ったけどな。最近の人間さんが、小難しい事ばっかり考えるようになったからや……頭に余裕がのうなってきとんのや」
「悲しい話やで……わいらの居場所はどんどん減ってくばっかりや」


 深月は三体の腹を擽り、愛でながら複雑な思いを抱く。

 類い稀な体質の持ち主、という事になるのだろうか。
 覚えはある。〝声〟が聞こえる事といい、昨日今日の未知との遭遇といい、自分が特殊な人間だったのだ、という事実に驚愕はしても拒否感はない。

 むしろ、いつかこうなって当然だったのかも知れない……そう思えた。


「せやから、見える人には見えて見えへん人には見えん。どんで……見ようとしても見えるし見えへん。見ようとせんでも見えるし見えへん……矛盾だらけなんよ、わいらは」


 徹頭徹尾、曖昧な答え。
 現代文明に浸りきった他の人間なら一笑にふしそうな話だが、日頃から不思議な現象に悩まされる深月はなるほどと頷いた。


「……『シュレディンガーの猫』、みたい、ですね」


 ふと浮かんだ言葉を口にすると、突如鎌鼬達の動きが止まる。
 三体一斉に顔を上げ、互いに顔を見合わせると、次いで困惑の眼差しを深月に向ける。きょとん、と丸い目を大きく見開いていた。


「ん? え、何?」
「猫がどないしたん?」
「あ、えっと……量子力学の……物質は観測された時点で状態が収束する、その観測の時点はどこになるのか、っていう研究で……」


 間違っているかも知れない、と深月はやや頬を熱くしながら話す。昔、何かの本で聞き齧っただけの知識で、早まったかと自分の迂闊さを恥じながら語る。


「シュレディンガーの猫というのは、思考実験で実際にした事じゃないんですけど……一定の確率で毒ガスが発生する装置を設置した箱の中に猫を入れて、猫の状態がどうなっているのかを観測する、っていう内容です」
「……」
「箱の中身が見えず、猫の生死が確認できないのなら、生きている状態と死んでいる状態、両方が存在しているという矛盾が生じて……」
「……」
「だ、だからその、つ、つまり……!」


 じ、と自身に集中する三つの視線。
 先ほどまで騒がしかったのに、急に黙り込んでしまった三体の前で顔を赤くしながら、しどろもどろで見失った話の終着点を探す。

 一言も発さず、目も向けてこない環の存在も気にしつつ、咳払いをしてから、結論づける。




「在るといえば在る、無いといえば無い。人の観測が、現実を左右するーーーそういう事、です、かね…?」




 どきどきとうるさく騒ぐ心臓の上に手を当て、言い切る深月。
 最後に「あくまで私の解釈ですけど……」と自信なさげに付け加え、無言のままの鎌鼬達の反応を窺う。

 少女と三体の獣が見つめ合い、微妙な緊張感の漂う時間が無為に過ぎて……やがて、三体がにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「「「うん、まぁ、そういう事にしとこか!」」」


 威勢良く頷き、ぐっと親指を立てる鎌鼬達……そんな三体の目は、焦点が合っていない。
 肯定も否定もなく、諦めたように笑う三体を前に、深月はより羞恥に苛まれ、呻き声と共に項垂れるのだった。
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