この美しくも残酷な世界で 〜薄幸少女が手にしたかけがえのない幸せな日々〜

春風駘蕩

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薄幸の少女と森の賢者達

18-3:罪なき逃亡者

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「ヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒ…俺が、俺がこんな目に遭ってるのは全部お前のせいだ……だからお前が償うんだよ! ブクブクに太った貴族のものになって、その金で俺はまた這い上がるんだ! 俺の考えは間違っちゃいなかった、俺の商売は金の卵を産むと証明されたのさ!」

 後退るシェラを追うように、父は店主の拘束を少しずつ抜け出しながら近づいていく。
 時が経てば、この場に集った兵士がこの娘を捉える寸法になっている。だが念には念を入れて、そしてこれまでの鬱憤晴らしも兼ね、自らの手で捕らえておくつもりのようだ。

「最後の最後で、よくぞ俺の役に立ってくれたよ! お前は本当に馬鹿で間抜けな、俺の金蔓だ! ヒャハハハハ―――」

 涎を撒き散らし、周りから凄まじく引いた視線を集め、それでも一切気にせず哄笑をあげる男。
 だが次の瞬間、耳障りな笑い声が途切れるのと同時に、ごぎっ!と鈍く痛々しい音が響き渡った。

「ぶっ…」
「この……ろくでなしの屑野郎が!!」

 シェラの父の顔面に突き刺さる、何者かの膝。愉悦と狂気に満ちた凄まじい形相を見せていたそれを叩き潰す、頭蓋骨を陥没させるほどの強烈な一撃が、少女の怒号と共に放たれる。

 呆気にとられ、その場に棒立ちになる周りの商人や客達を放置したまま、シェラの父は衝撃で倒れ込み、彼を捕らえたままの店主もろとも後方に吹き飛ばされる。
 大柄な店主の身体が緩衝材の役目を果たすものの、顔面に食らった渾身の一撃はその程度では死なず、シェラの父は鼻血や欠けた歯を撒き散らした。

「ぐはっ!?」
「きゃ…きゃあああっ!!」

 背中に走る痛みに店主は悶絶し、一拍を挟んでから周りの人々の間から悲鳴が上がる。目の前で起こった突然の暴力事件に、恐怖が迸ったようである。
 シェラはそんな中、先ほど抱いていた恐怖も忘れてただ立ち尽くすばかりだった。状況の急変について行けなかったからというのもあるが、迫り来る父の魔の手が突然離れた安堵で、思考が急停止してしまったせいでもあった。

 呆然となるシェラの前でふわりとローブを翻し、少女が―――アザミが着地する。
 そしてシェラの方に振り向き、晒された妹分の顔を見つめた後、即座に手を取り一気に駆け出した。

「ね…ねえ様!?」
「あんの糞野郎…! 何て真似してくれたんだ! 人が折角今日までこっそり慎重にやってきたってのに…これで全部パーだコンチクショウ!」

 何が何だかわからず、ただ引っ張られるままのシェラに構うことなく、アザミは大きな声で悪態をつき、人ごみの中を疾走する。
 しかし、走り出す前に見えた姉貴分の表情は明らかに焦りを抱いて見えたため、シェラは何やら胸中に大きな不安が陰り始めるのを感じた。

「ねえ様…ごめんなさい、私のせいでこんなところで正体を…!」
「あんたが謝る事じゃない! 言っちゃああれだけど、これも全部あんたの糞親父のせい! あんた自身は一切関係ない! だから謝んないの!!」
「でも…でも、私がさっさと逃げていれば…!」

 道行く人が、全力疾走する少女達に驚き自ら道を開けてくれる中を駆け抜けていく。
 まるで風のように鋭い速さで道を走るアザミとシェラだが、どこからともなく金属音と足音が聞こえてきて途切れる様子がないため、思わず姉が舌打ちをこぼす。

 途中に何度も横道に入り、追っ手を攪乱させようと試みるものの、足音は近付くばかりで撒ける様子がない。
 まるで、アザミとシェラがどこに逃げようとしているのかわかっているような不気味さで、アザミの眉間にはより深いしわが刻まれた。

「くそっ…あいつら、魔術かなにかでこっちの動きを探ってるの? でも、この国で魔術技術は詳しく研究されていないはず……だったらなんで」

 逃亡がうまくいかない事を奇妙に思い、険しい表情でぶつぶつと考え込むアザミ。
 口を挟まず、手を引かれるままのシェラは、どうしてこんなことになったのかと思わず天を仰ぐ。

 幸せだった、姉と共に買い物に出て、贈り物をされ、楽しい時間を過ごしていた。
 ずっとこんな時間が続く者だと思っていた矢先に―――かつての悪夢の根源が姿を現し、シェラにさらなる地獄を見せようとした。
 どうして、幸福を手にしたと思った瞬間、突き落とされなければならないのだろうか、そう思わずにはいられない。

 その時、シェラの視界の中で、鋭く光る何かが映った。

「! ねえ様、上!」
「うおお!? 何するの…っ!」

 瞬時の判断で、シェラは思考の渦にありながら走り続ける姉の手を引っ張り、引き留める。
 いきなり加わった力で我に返り、何事かと振り向き立ち止まったアザミ。

 そのすぐ前の足元に、どすどすと幾本もの矢が突き刺さり、ビーンと震動する音をたてた。

「なっ…」
「これはこれは……長年我が国に巣食っていた害虫が二匹も」

 危うく貫かれかけ、愕然となるアザミとシェラの元に、そんな気の抜けた朗らかな声が聞こえてくる。
 ハッと顔を上げ、目を凝らした姉妹の目に映ったのは、左右の建物の屋根の上に立ち、矢のような奇妙な機械を腕につけた兵士達―――以前、亜人の少年を連れ去っていった、男達の姿があった。

「今日はずいぶんいい日になりそうですね…」
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