この美しくも残酷な世界で 〜薄幸少女が手にしたかけがえのない幸せな日々〜

春風駘蕩

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薄幸の少女と森の賢者達

03-3:好きに選べ

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「え……」
「その男がお前を責めたとしても、お前が自らを責める必要はない……それはその男の戯言に過ぎん」

 今現在のシェラの心境の全てを否定する様な言葉に、シェラは思わず呆気に取られた様子で師を見つめる。
 生まれた時からそばにいて、絶対的上位に位置していた者が親ではないと言われ、少女は混乱したままその場で立ち尽くす。

「なん、で…おとぉさん、は…おとぉさんで……」
「血の繋がりがあるだけだ。生物としての根本的な摂理を全うできぬ者に、その当たり前は通用しない」
「ほん、のぅ…?」
「生物が誕生した時から、自ら学ぶ前に覚えていることだ」

 初めて聞く単語、父が口にしたのを聞いたことがないそれに、シェラは不思議そうに首を傾げる。
 師の言葉は難しいが、仮面の奥から真っ直ぐに見つめてくる赤い目に、一切を聞き逃すことが憚られる。聞いて必ず覚えろと、言葉にしないまま命じられている様な気分だ。
 師は小さく頷くと、身じろぎ一つせずに、さらに静かに言葉を重ねた。

「生物が子を成すのは、種を存続させる為。他者を害する事を禁じているのも同じ事……故に子を為せぬ弱き雌雄は群れを追い出され、種を害しかねない存在は排斥される……それを全うできぬその男は、そこらの獣畜生にも劣る低俗な愚者ということだ」
「ぐしゃ……」
「どうしようもない馬鹿者だということだ」

 ふつふつと、火にかけた鍋が音を立てた頃合いに、師が立ち上がって暖炉の方に移動する。
 呆けたまま立ち尽くすシェラを置き、湯だった鍋の中にパラパラと不思議な色合いの木の葉を入れていく師。奇妙な匂いが立ち込めるそれをかき混ぜ、師は続けてシェラに語りかける。

「逆に、自ら不利益を被る事を分かっていながら、血の繋がりもない存在を守ろうとする阿呆もいるがな……それを素直に受け止めるか、裏があると疑うかはお前次第だ」
「シェラが……?」
「少なくとも、信用はしているのだろう。己がやった名を名乗るぐらいならな」

 師に指摘され、シェラは思わず目を見開く。言われるまで気づかなかった自分の変化に、愕然となる。
 そして同時に、不思議な気持ちになる。父だけしかいなかったあの家では、名前というこの魔法の言葉は何も意味がなかった。
 父と自分しかいない世界が、途端にガラガラと崩れ落ち、見たことのない景色が広がった気がした。

「それでもあれのそばにいることが苦痛なら、行くがいい。拾ったのはあれで、己はそれを見届けるのみ。止めはしない」
「……」

 死はもう、背を向けたままシェラに顔を見せようとはしなかった。黙々と鍋をかき混ぜ、葉や茎や根を細かく刻んだ何かを放り込む作業に没頭している。
 引き止める者は誰もいない。アザミが目を覚さないうちにこの家を出れば、最初に望んだ通りに誰にも迷惑をかけることなく、父のいる場所に戻れる。
 理不尽な暴力と罵倒を浴びせかけられる、地獄に。

「……かぇ、る」

 朝の光を注ぎ込んでくる、師の家の扉。鍵などなく、容易に開けられる簡素な扉がそこにある。
 あと一歩踏み出せば、取手に手が届いてシェラの細腕でも簡単に開けられる。ここまでずっとアザミに背負われ、道は覚えていなくとも、歩き続け得ていればいつかはあそこに辿り着くかもしれない。
 何より、自分がいなくなることで、この家の者達に父がひどい事をすることはなくなるだろう。

 これでいいのだ。何も迷うことはない。
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