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薄幸の少女と森の賢者達
02-2:まじないの言葉
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「ふひぃ~…五臓六腑に染み渡るねぇ…」
全身が浸かるほどに大きな桶の中につかり、女が出すには低すぎる感嘆の声をあげるアザミ。
ふにゃふにゃに蕩け切った顔の彼女を、その膝の上に乗せられた少女がじっと見つめる。少女自身も、初めて感じる暖かさで、今にも眠りそうなほどに緩んだ様子になっている。
「汚れたまま風呂に入ると、お師匠ってば怒るんだよねぇ……自分は入んないくせにさ」
体を湯で濡らし、自身の手製の石鹸を使って少女の全身の汚れを落とし、なかなか落ちないことに四苦八苦しながら、なんとか流す湯が黒くならない程度にまで洗い切った。
一仕事終えた吐息をついた彼女は、その間ずっとされるがままだった少女に視線を戻す。
「ん~……洗ってみて分かったけど、君って結構可愛い顔してるんだね。いい拾い物したね、こりゃ」
「……かわ、いぃ?」
「うんうん、可愛いよ? 磨けば光る系の子だったんだね~」
首を傾げ、言われた言葉を鸚鵡のように繰り返す少女に、アザミは上機嫌に応える。
ニコニコと少女の顔を満足げに見つめていた彼女は、しばらくすると少女の体を前後でひっくり返し、後ろから抱きしめ出した。
「……ほんと、馬鹿なことしたもんだよ、君の親は。こんなにちっちゃくて可哀想な子を、こんなになるまでほっとくなんて」
少女の頭頂部に顎を乗せ、棘を持った声で呟くアザミ。少女には見えないが、その表情は寒気が走るほどの嫌悪が浮かび、虚空を睨みつけていた。
しかしアザミがそう呟いた時、少女がビクッと肩を震わせ、慌てた様子で少女に顔を向けた。
「おとぉ、さんは……わるく、なぃの。やくに、たたなぃから……くず、だから……」
少女の脳裏に浮かぶのは、恐ろしい形相で酒瓶を投げつけてくる父の姿。汚れた格好で、日に日に痩せていく彼が向ける暴力と罵声は、少女の胸に深々と突き刺さったままだ。
怯えと焦りがない混ぜになった、見ているだけで痛々しさが伝わる少女の表情に、アザミは思わずぐっと息を詰まらせる。
「…あー、うん。ごめんね? あたしは別に怒ってないよ……悪くないんだよね」
すぐさま微笑みを見せ、安心させようと少女の背中を叩くと、少女は徐々に落ち着きを見せる。
大人しくなった彼女を抱き直し、アザミは小さくため息をつく。その時ふと、今更思い出したというように「あ」と声を漏らし、少女の顔を覗き込んだ。
「そういえば、君の名前は? 今更なんだけど聞きそびれてたからさ」
「……な、まぇ?」
「うん。あ、さっきも言ったけど、あたしの名前はアザミね。師匠は……まだ知らないけど」
うっかりしていた、と舌を出して戯けるアザミの前で、問われた少女はキョトンとした様子でまた首を傾げる。
数秒経っても応える様子がなく、返答を待っていたアザミは次第に訝しげな顔になっていく。
しばらく続いた沈黙ののち、少女は首を不思議そうに問い返した。
「なまえって、なに…?」
「……っ!」
アザミの表情が強ばり、ぐっと息を呑む音があたりに響く。
少女はその反応に困惑し、黙り込んでしまった彼女を不安げに見上げる。まさか、また自分がやってはいけないことをやって、怒らせてしまったのではないかと。
父のように、自分を叱るのかもしれない。また、辛い思いをさせられるのかもしれない。
そんなことを思い、身を縮こまらせた少女だったが、返ってきたのは、先ほどと同じ柔らかさと暖かさだった。
「……どうして、こんな子が。だから……人間ってやつは」
声を震わせたアザミが、ぎゅっときつく少女を抱きしめる。腕の中の小さな存在を、他のどこにもやるものかと示すような、そんな力強さで。
若干息苦しさを覚えた少女だったが、拒絶することなどできるはずもなく、大人しくアザミの抱擁を受け入れる。しばらくして体を離したアザミは、真剣な眼差しで少女と目を合わせる。
「……お風呂から上がったら、名前をあげるよ。名前ってのはね、ものすごく大切で素晴らしいものなんだよ」
溢れ出る感情を無理矢理隠すような、ぎこちない引き攣った声で、アザミは少女に語りかける。
彼女の頬を伝う雫に気づいた少女が、困惑した様子で見上げてくるのも構わず、アザミはブルブルと肩を震わせ、強い視線で語りかけた。
「この世界に自分の存在を示す……ここに自分はいていいんだ、誰にも否定できないんだって証明する、魔法の言葉なんだよ」
少女よりもよほど苦しそうな表情でそう告げる、涙を溢れさせるアザミ。
少女はその意味をよく理解できないまま、目の前の彼女の圧に押され、コクリと戸惑ったまま頷いた。
全身が浸かるほどに大きな桶の中につかり、女が出すには低すぎる感嘆の声をあげるアザミ。
ふにゃふにゃに蕩け切った顔の彼女を、その膝の上に乗せられた少女がじっと見つめる。少女自身も、初めて感じる暖かさで、今にも眠りそうなほどに緩んだ様子になっている。
「汚れたまま風呂に入ると、お師匠ってば怒るんだよねぇ……自分は入んないくせにさ」
体を湯で濡らし、自身の手製の石鹸を使って少女の全身の汚れを落とし、なかなか落ちないことに四苦八苦しながら、なんとか流す湯が黒くならない程度にまで洗い切った。
一仕事終えた吐息をついた彼女は、その間ずっとされるがままだった少女に視線を戻す。
「ん~……洗ってみて分かったけど、君って結構可愛い顔してるんだね。いい拾い物したね、こりゃ」
「……かわ、いぃ?」
「うんうん、可愛いよ? 磨けば光る系の子だったんだね~」
首を傾げ、言われた言葉を鸚鵡のように繰り返す少女に、アザミは上機嫌に応える。
ニコニコと少女の顔を満足げに見つめていた彼女は、しばらくすると少女の体を前後でひっくり返し、後ろから抱きしめ出した。
「……ほんと、馬鹿なことしたもんだよ、君の親は。こんなにちっちゃくて可哀想な子を、こんなになるまでほっとくなんて」
少女の頭頂部に顎を乗せ、棘を持った声で呟くアザミ。少女には見えないが、その表情は寒気が走るほどの嫌悪が浮かび、虚空を睨みつけていた。
しかしアザミがそう呟いた時、少女がビクッと肩を震わせ、慌てた様子で少女に顔を向けた。
「おとぉ、さんは……わるく、なぃの。やくに、たたなぃから……くず、だから……」
少女の脳裏に浮かぶのは、恐ろしい形相で酒瓶を投げつけてくる父の姿。汚れた格好で、日に日に痩せていく彼が向ける暴力と罵声は、少女の胸に深々と突き刺さったままだ。
怯えと焦りがない混ぜになった、見ているだけで痛々しさが伝わる少女の表情に、アザミは思わずぐっと息を詰まらせる。
「…あー、うん。ごめんね? あたしは別に怒ってないよ……悪くないんだよね」
すぐさま微笑みを見せ、安心させようと少女の背中を叩くと、少女は徐々に落ち着きを見せる。
大人しくなった彼女を抱き直し、アザミは小さくため息をつく。その時ふと、今更思い出したというように「あ」と声を漏らし、少女の顔を覗き込んだ。
「そういえば、君の名前は? 今更なんだけど聞きそびれてたからさ」
「……な、まぇ?」
「うん。あ、さっきも言ったけど、あたしの名前はアザミね。師匠は……まだ知らないけど」
うっかりしていた、と舌を出して戯けるアザミの前で、問われた少女はキョトンとした様子でまた首を傾げる。
数秒経っても応える様子がなく、返答を待っていたアザミは次第に訝しげな顔になっていく。
しばらく続いた沈黙ののち、少女は首を不思議そうに問い返した。
「なまえって、なに…?」
「……っ!」
アザミの表情が強ばり、ぐっと息を呑む音があたりに響く。
少女はその反応に困惑し、黙り込んでしまった彼女を不安げに見上げる。まさか、また自分がやってはいけないことをやって、怒らせてしまったのではないかと。
父のように、自分を叱るのかもしれない。また、辛い思いをさせられるのかもしれない。
そんなことを思い、身を縮こまらせた少女だったが、返ってきたのは、先ほどと同じ柔らかさと暖かさだった。
「……どうして、こんな子が。だから……人間ってやつは」
声を震わせたアザミが、ぎゅっときつく少女を抱きしめる。腕の中の小さな存在を、他のどこにもやるものかと示すような、そんな力強さで。
若干息苦しさを覚えた少女だったが、拒絶することなどできるはずもなく、大人しくアザミの抱擁を受け入れる。しばらくして体を離したアザミは、真剣な眼差しで少女と目を合わせる。
「……お風呂から上がったら、名前をあげるよ。名前ってのはね、ものすごく大切で素晴らしいものなんだよ」
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彼女の頬を伝う雫に気づいた少女が、困惑した様子で見上げてくるのも構わず、アザミはブルブルと肩を震わせ、強い視線で語りかけた。
「この世界に自分の存在を示す……ここに自分はいていいんだ、誰にも否定できないんだって証明する、魔法の言葉なんだよ」
少女よりもよほど苦しそうな表情でそう告げる、涙を溢れさせるアザミ。
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