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第0章(お試し版) 黒猫少女と仮面の師

12.問題児

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 突如鳴り響いた轟音に、魔女も同じく気付き、足を止めていた。

 音の振動からして、炎の砲弾を放った事で起こった爆発。それも過剰に魔力を注ぎ込んで、威力が数倍に高まっている危険な行使。
 学園で普及させている杖の規格ではまず起こらない筈のそれが発する音が、二回、三階と響き渡る。

「……驚いたな、まだこんな馬鹿がいるのか」

 魔術を安全に使用し、他者を危険にさらさない事を目的に学びの門を開いているこの魔術学園。
 国庫から資金を支出し経営されているこの場所で、その理念を真っ向から否定するような行いをする輩が、近日にもまだ生き延びている事にひたすらに呆れる。

 無出逢った魔女の表情に、微かに苛立ちのしわが刻まれた。

(この国で革命が起きて20年……危険思想を持つ者は粗方粛清されたと聞いたが、長く過ごせば汚れもまた出てくるか。まぁ、予想通りといったところ)

 内心で吐き捨て、魔女はその愚者達を―――過去のある時点を境に減少の一途を辿った、とある種類の猿人達について思い出す。


 かつてこの国が共和国ではなく王国であった頃、吐いて捨てるほどにいた過激な思想を持つ者達。
 自分達こそが万物の種の頂点であり、他の全ては自らに媚び諂い、死ねと言われれば素直に死ぬのが義務である―――などと豪語する者までいた、頭の痛くなる悪夢の時代。

 多くの他人種……獣の耳や尾、尖った耳などの外見の異なりを持つ者達を嫌悪し、気持ち悪いの一言で殺害したり、見た目のいい者は奴隷にしたりと、やりたい放題にやっていた時代が、この土地にはあったのだ。

 そんな輩は、20年前に起きた革命により大半が排除された。
 偏見を持たぬ者、あまりに過ぎた差別行為に義憤に駆られ、虐げられる者達と手を組んで、大元である王族に反旗を翻したのだ。
 
 以来、王政は廃止され、どのような人種であっても政治に関わる権利を持つ共和制が採用された。
 その後は目立った事件もなく、平穏と呼ぶに相応しい時間が続けられた―――


 と、魔女は旅の途中で聞いていたのだが、どうやらその認識を改めなければならないようだ、とげんなりと内心で肩を落とすほかにない。

(この時世に、表立って喚き散らすような事をすればどうなるか、考えずともわかるだろうに……何処の馬鹿か、少し様子見でもしてくるか)

 本音を言えば、騒ぎに巻き込まれないようにさっさとこの場から、学園からも去りたい。
 しかし、弟子が今現在試験の真っ最中であり、ほったらかしにしていけば後でどれだけ泣き喚かれるか。

 どちらが面倒かを天秤にかけ、アザミはため息をつきながら試験会場に向かう。奇しくも音がする方は、試験が行われているはずの中庭だった。
 そこからは、試験に挑む筈だったのであろう制服を纏った少年少女や、他所の魔術師の弟子であろう若者達が我先にと逃げ出してくる姿が目に映る。

「あ、あんた……い、いや魔女様! そっちは危険ですよ!」
「……何処の馬鹿がこれを?」
「ジェダの馬鹿が…! 普段から危ない事ばかり言ってた奴が、ついに本当に手を出しやがったんだ! 受験者の女の子に絡んで、罵って……そんで魔術まで使い始めちまって…」

 脇目もふらず走っていた男子が、中庭に向かう魔女に気付いて止めにかかる。
 構わずアザミが問えば、男子は日頃からこの事態を懸念していたのか、頭を掻きむしりながら説明をしてくれる。

 魔女はまた深くため息をつき、今なお爆音が続く方を見やって目を細めた。

「……なるほど、大体わかった」
「だから危ないんで早く逃げ……」

 男子の制止を無視し、アザミは爆音の元へ向かう。
 視線を向ければ、確かに背の高い男……それも既に成人を迎えてかなり経っているような者と、黒髪の少女が互いに杖を手にしている様が目に入る。

 男が自分の身の丈ほどもある杖を掲げ、炎の砲弾を発射するのに対し、少女の方が水や風の壁を作ってそれらを防いでいる。
 どちらにどう非があるのか、一目でわかる構造であった。

「……あ?」

 騒ぎの中心へ向かうアザミだったが、不意にその歩みが止まる。
 炎を操り、歪んだ笑みを浮かべてまた何か罵声を浴びせている男、あれがおそらくジェダという生徒であろう。

 そして、威力に乏しい魔術で懸命に応戦している黒髪の少女―――彼女の頭部に生えている猫の耳や、尻から生えている尾が目に入り。
 アザミは思わず、目元を手で覆って天を仰いでしまった。

「……騒ぎの中心はやはりお前か、馬鹿弟子」




 目の前に迫る火球に、咄嗟に周囲の水分を凝縮して作った水の弾丸をぶつける。
 それにより、炎の砲弾はいくらか勢いが削がれ、しかし水が一気に蒸発して爆発のような衝撃を放つ。

 シオンは風圧で吹き飛ばされるも、持ち前の身体能力を使って体勢を整え、宙返りをしながら足で降り立つ。
 そこへ二発目、三発目と次々に砲弾が撃ち込まれ、即座に飛び退き窮地を凌ぐ。

「は、ははははははは! 何だ、でかい口を叩いておいて防戦一方じゃないか! やはり野良猫! 私の前で生きている資格すらない!」

 哄笑をあげる男。宝玉を咥えた大蛇が巻き付いた大きな杖を片手に、醜悪な笑顔を浮かべて見下ろしてくるその男を、シオンはキッと鋭く睨みつけながらも、悔しげに歯噛みするしかない。

 すでに数十回は繰り返されている攻防。自慢の魔力の量に頼った男の弾幕は、シオンに休む間を与えない。

 シオンの着ている服は所々が焦がされ、火傷を負った肌が露出してしまっている。荒く息をつき、晒されかけた急所を隠す姿は扇情的に見えたが、男がそれに欲情の目を向ける事はない。
 いや、シオンの向ける気の強い眼差しが、怯えで強張っていることそのものに対し、男は心底心地よさそうな表情を見せていた。

「そうだ! そうやって怯えろ、畏れろ! 貴様等亜人が、我々人間に逆らう事など許されない! 貴様等は我々に奉仕するために、玩具にされる為に存在しているのだ! 貴様等が人権を主張するなど、あってはならない事なのだよ!」
「あぅっ!?」

 男の放った炎の砲弾が、シオンの右肩に炸裂し弾ける。熱と衝撃で吹き飛ばされ、シオンの衣服の右側が破け胸元まで露出させられる。
 ゴロゴロと地面を転がったシオンは、痛みに呻きながらも、鴉の杖を握りしめたまま男を睨みつける。

 だが、散々魔術を行使させられた今の彼女に魔力は残っておらず、精々先端を向けて威嚇の唸り声をあげる事しかできなくなっていた。

「ははは、はははははは! 無様! 実に無様! 私に逆らうからそうなるんだ! 私の思い通りにならないからそうなるんだ! あの時素直に死んでいれば、こうも苦しまずに済んだのだ!」
「……誰が、お前の言う事、なんか……!」
「喋るなといっているだろうが、雌猫が!」

 どっ、とシオンの腹に蹴りが入れられ、シオンの喉に胃液が込み上げる。
 男は執拗に足を落とし、シオンの全身を踏みつける。骨がぶつかる鈍い音が何度も響き、男はそのたびに恍惚とした、愉悦に満ちた表情に変わっていく。

「死ね! 死ね! 死ね! 私の手で浄化されろ! そうすれば来世は人間になれるかもな! そうなりたければここで苦しめ! 私をここまで不快にさせた罪を全人全霊で償え!!」

 男の足元で、シオンは頭と腹を抱えて丸くなる。雨のように襲い掛かる痛みに耐え、歯を食いしばる。
 いつまでも続きそうな暴力に、もう開いて気が済むまで我慢するしか、今の彼女に抵抗する術はなかった。

 次第に、男の体力が持たなくなり始めたらしい。荒く息をつき、蹴りつける足を止めてしまった。

「はぁ……はぁ……ふ、ふん。ここまでやってもまだ抗うか。いいだろう」

 肩を揺らし、ややふらついた足取りで、男は自前の大蛇の杖を構える。
 大蛇が咥える宝玉が光を放ち、先端に火炎が集まっていく。じりじりと髪を焦がす炎を目に映しつつも、シオンは顔を上げる余力すら残っていない。

「まぁまぁ楽しませてもらった……褒美にここで潔く楽にしてやろう。何、心配するな。お前の師とかいう奴も後で探し出して、いっしょに同じ所へ送ってやろう。私は慈悲深いからな、はははははは!」

 轟々と渦を巻く炎を前に、シオンは悔し気に唇をかみしめ、しかし不意にはっと目を見開く。
 男はそれに気づかず、悪魔のように歪めた口で最後の言葉を口にする。


「さらばだ、薄汚い雌ね―――こっ!?」


 男が火炎を放とうとした、その瞬間。
 男の身体が横向きにくの字に折れ曲がり、シオンの視界の端から消え去る。同時に彼の杖に集まっていた炎が呆気なく消え去りってしまう。

 男は突然横腹に衝撃を受け、呆然となりながら、大きく宙を撥ね飛ばされ手から地面に落下する。
 汚い悲鳴をあげ、全身を強かに打ち付けた彼は、ごろごろと地面を転がって悶絶する羽目になる。

「……師匠」

 シオンは悶え苦しむ男を見る事なく、新たに自分を見下ろしている人物に―――呆れた視線を向けてくる自分の師を凝視していた。
 振り上げていた片足を下げ、やれやれと肩を竦めた師は、シオンの背に片手を回して抱き起こす。

「師匠、その……あ、ありがと―――」
「何やってんのよ、この馬鹿弟子が」

 命の危機を救われ、帆と安堵の息をついて感謝の言葉を吐こうとした刹那。

 ゴッ!と、シオンの脳天に魔女の拳が落とされ、衝撃が全身を駆け回る。
 シオンはぐらりと体を傾がせ、激痛に苦しむシオンは、冷たく見下ろしてくる師を涙目で見上げる。

「何でぇ~…!?」
「妙な騒ぎを起こすな。危険な物があるなら逃げろ。碌でもない奴に遭遇したら離れろ。お前にいつも言っている事だが……お前、何一つ守っていないだろうが」

 抗議の眼差しを送る弟子に、師は淡々と告げる。
 はぁ、と大きくため息をこぼし、冷めた目で焼け焦げた弟子の衣服や、灼けた辺りの地面を見やるだけ。ボロボロの弟子を気遣う素振りはまるでなかった。

「だっ―――」
「あの糞餓鬼が馬鹿みたいに暴言を吐いてくるのなら、聞こえない場所に行けばいいだけの事。わざわざ相手にする方が面倒でしょうに」
「で……」
「先に向こうが手を出してきたのだとしても、応戦したらお前も同罪よ。防御しか使わなかったのは褒めるけど、半分は反撃の機会を伺っていたでしょうが。それも、明らかに格上の力を持つ相手に」
「そっ…――」
「私に対する暴言も同じよ。無視しなさい。戯言と受け取らなければ、そういう評価が実際にあると認めているようなもの。認めたくない言葉があるなら、ないものとして扱いなさい、馬鹿者」
「っ…! ~~…!」

 口にしようとした言い訳の数々を邪魔され、真っ向から否定され、シオンは口をパクパクと開閉する。
 やがて彼女は涙目で目を逸らし、不満げに唇を尖らせた。無駄だと悟ったらしい。

「……しかし、よくもまぁここまで暴れたもの―――」
「これはこれは……眼帯の魔女殿ではありませんか! このような場所でお会いできるとは実に運がいい!」

 焼き焦がされた中庭に、気だるげな目を向ける魔女の元に不意に届く、丁寧ながら悪意に満ちた声。
 魔女が振り向けば、先程蹴り飛ばした男―――生徒から問題児と聞いているジェダが、恭しく児戯をする姿が目に入る。

「申し遅れました、私はディスフロイ家の嫡男、ジェダ・ディスフロイ。この国で商売を行う家のものです、以後お見知りおきを」
「……」
「よもや、そこな雌猫が魔女殿の弟子だったとは! あまりに薄汚い亜人の雌ゆえ、想像だにしませんでしたよ! 野良猫には勿体のない肩書ですな!」

 シオンの時とは打って変わって、貴族らしい気品を見せつけようとするジェダ。
 しかし、先程の一部始終を見た後でなくともわかる底意地の悪さで、格式ばった挨拶が完全に無駄になって見えた。

「しかし、魔女殿も人が悪い。そんな塵屑を弟子にして、私のような優れた人材を放ったらかしするなど……呼んでくだされば、私は喜んで貴女の弟子になったというのに。そんな塵など相手にせずとも!」
「……」
「こいつ……」
「見ての通り、その雌猫は私に牙を剥くような性悪、魔女殿の教えを受けるには相応しくなさすぎる! 魔術を修める者は、然るべき品と叱るべき格を有しているべきです! ……今からでも遅くはありません。私の家に来てください。貴方程の実力と美しさがあれば、父もきっと喜びます! そんな野良猫など棄てて―――」

 ニタニタと、品のない笑みを浮かべたまま近付き、手を差し出そうとするジェダ。
 自分の誘いを断るはずがない、そんな自信に満ちた態度で、魔女の手を無遠慮に取ろうとした時だった。


「…………おい、汚ぇ手で触るんじゃねぇ」


 そんな彼の喉元に、ギラリと鋭い輝きが迫る。
 予想せぬ返答に一瞬呆けたジェダは、自分のすぐ目の前に伸びる刃―――いや、氷の切先に気付き、ハッと息を呑んで尻餅をついた。

「ヒッ……ヒィイ!?」
「さっきから臭ぇ口で好き勝手喚きやがったが……己が一番嫌いな事を教えてやろう。てめぇのような気色の悪い笑顔を向けてくる奴ぁ、この手で殺しちまいたくなるんだよ」

 目を見開き、顔中から血の気を引かせるジェダの前で、魔女はゆらりと立ち上がってそう告げる。
 絶句する男の前で、陽炎のように周囲の景色を歪ませる魔女―――いや、魔女の姿をした何かが、ぎろりと恐ろしい眼光を向ける。

「わかったらとっとと失せろ。己は然して気が長くない…」
「…! こ、この……亜人の雌が! 薄汚い野良魔術師の分際で……僕っ……私に何度も泥をつけおってぇえ!!」

 向けられる冷たい視線、極寒の冷気のような目を向けられ、ジェダは途端に激昂する。
 見下す立場にあるはずの自分が、見下されていいはずがない。男の小さな矜持が怒号を上げ、自慢の大蛇の杖を魔女に向けて構える。
 再び、魔女の弟子を襲った炎の砲弾が放たれようとしたその瞬間。

 ぼしゅっ、と大蛇の吐く炎が消え失せ、さらには杖が粉々に砕け散り、魔女を囲う氷の棘がより大きさと鋭さを増して広がっていく。
 ジェダの全身を貫く寸前まで伸び、中庭全域にまで広がる氷の中心で、魔女が冷気混じりの息を吐き出す。

「―――聞こえなかったか、失せろと言ったんだ。糞餓鬼が」

 響き渡る、子供のような老人のような、男のような女のような、形容し難い奇妙な響きの声。

 魔女は不意に、パチンと指を掻き鳴らす。
 直後、中庭全域に生えた氷の棘が、一瞬のうちに粉々に砕け散り、跡形もなくなってしまう。

 それが、命令を破った自分の未来を示しているようで、ジェダは這う這うの体で背を向け、逃げ出す。
 よたよたと見っともない姿で消えていく男の背を眺め、魔女はその全てを凍り付かせるような殺気を修め、心底面倒臭そうに肩を落とした。

「……いかんな、つい素が出てしまった」
「し、師匠…」

 小さく呟く師に、傍らでへたり込むシオンが怯えた声をこぼす。
 そんな彼女の前で、魔女はぎろりと冷めた目を向けていたが、やがて……ぐっ、と固く拳を握りしめた。

「だから面倒事を起こすなと言ったのだ、馬鹿者が」
「ふぎゃ」

 再び脳天に直撃する、魔女の拳骨。
 思っていたものと異なる痛みに襲われ、シオンは目の前に大量の火花が散ったのだった。
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