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第275話 手当と気付き
しおりを挟む「しーちゃん?大丈夫?入ってもいい?」
やっぱり、来たのはあっくんだった。
「入って来ないで!!!」
完全なる拒絶を大声で示す。
「……しーちゃん?」
酷く動揺した声が扉の向こうから聞こえてくる。
でも今は少しでも早く1人になりたかった。
「ハンスも早く出てって!1人になりたいの!」
「出ていきません!」
「ハンス!出てこい!聞こえなかったのか!?しーちゃんは1人になりたいって言ってるだろ!!」
あっくんの怒鳴り声での命令が下される。
ハンスはあっくんに促され扉へと移動する。
やっと出ていく……と思いきや、ハンスは扉を少し開け、部屋の外にいるあっくんに話しかけた。
「川端様、紫愛様がお怪我をされました。治療を拒否されております。どうか私と共に説得をお願い申一一一一」
バンッ
あっくんが力任せに開けたであろう扉が部屋の内側の壁に叩きつけられる。
ハンスも同じく扉に吹っ飛ばされ、強かに壁に背中を打ち付け
「ぐっ……はっ……………うぅ…」
と唸りながら床に転がる。
そんなハンスを一顧だにせず2歩、3歩と部屋に踏み入りながら
「しーちゃん怪我し、たって………」
私の両太腿の内側の赤を視界に捉え、口籠った。
「入っていいなんて1言も言ってない。」
「足……どうしたの?」
「大したことない。出てって。」
「駄目だ。手当しないと…」
「いらないって。」
「駄目だ!そんなに血が出てる!」
「はぁー。わかったから出てって。」
過保護なあっくんに見つかったらずっと言われ続けるだけ。
適当に返事を返す。
もうこのやり取りすら面倒で堪らない。
「しーちゃん!!!!!!!」
ここに鏡でもあったらそれがあっくんの声量で割れたんじゃないかと感じるような、全身の肌が痺れヒリつくような、そんなとんでもない声量で名前を叫ばれ、怒りも悲しみも何もかも飛んでいってしまった。
「手当しないつもりでしょ?そんなに自分でやりたくないなら俺がやる。包帯くらいあるでしょ?持ってくるから待ってて。」
あっくんの声に温度がない。
多分、相当怒っている。
あっくんは扉の方へ向かうと、床に転がるハンスの胸ぐらを掴み上げ、引き摺りながら廊下へ投げ捨てた。
「ニルス!こいつどっかに転がしとけ!怪我の治療がしたい。薬と包帯持って来い!」
「はい!ここに準備してあります!」
「使い方は?」
「こちらは化膿止めです。傷にこれを塗り、痛みが引いてきたら当て布をしてから包帯を巻きます。ですが………その…」
「なんだ?ハッキリ言えっ!」
「はいっ!大人が泣き叫ぶほどに痛みを伴います!」
「傷に滲みるってことか?」
「はい。」
「……これ以外にないのか?」
「ございません。ご存知かとは思いますが、傷が悪化するとそこから腐って「もういい。」
あっくんはニルスから一式を受け取る。
その全てが部屋の出入り口で行われたため、私は全てのやり取りを目にした。
泣き叫ぶって何よ…
ハンスがあんなに粘らなきゃこんなことにならなかったのに!
あっくんは
「ハンス、てめぇ後で覚悟しとけよ。」
と、低い声で吐き捨て扉を閉めた。
私にゆっくり近付き、立ち竦む私の目の前に両膝をつきながら
「しーちゃん、怪我を見せて。」
そう懇願してきた。
さっきの温度のない声ではない。
悲しみと心配が入り混じった声。
自分が情けなさ過ぎて泣きたくなった。
「いい。自分でやる。」
「聞いてたでしょう?泣き叫ぶくらい滲みるって。自分じゃ無理だ。」
「痛みには慣れてるから。問題ないよ。」
「そんなものに慣れてほしくない。1人で我慢してほしくないんだ。」
「自己責任だからしょうがないよ。ハンスを叱らないで。」
「それはわかった。だから怪我を見せて。」
いつもの絶対引き下がらないあっくんだ。
傷は太腿。
ズボンを捲り上げるのは不可能。
私は腰で縛っていたズボンの紐を解いた。
足首までストンとズボンが落ちる。
実際に傷を確認してみて自分でも驚いた。
親指以外の爪を立てた箇所全てからも血が滲んでいたから。
あっくんは暫く絶句し、傷を凝視し続ける。
やがて
「どうして………なんで……」
と呟く声が聞こえてきた。
「自分でやったの。ハンスは関係ない。」
「これ………爪で…?」
「そう。」
「どうやったらここまで酷く……こんなに出血してたら傷はかなり深いはず。相当痛いんじゃないの?」
「最初は気がつかなかった。多分出血は傷つけた後だいぶ走ったからじゃない?」
「気がつかなかったって…………」
「あっくん、やるなら早くして。本当に1人になりたいの。」
「……座ってやろう。歩ける?」
「平気。」
足首で一塊になっているズボンからそっと足を抜き、ソファに座る。
あっくんはソファに座る私の前で片膝をつき、私の膝に手を乗せる。
「痛みが凄いと無意識に身体を動かしちゃうから、膝を抑え込みながらやるよ?痛みで暴れたくなったら俺の身体のどこでも殴りつけていいからね。頭だけはやめてほしいかな。意識飛んだら手当できないから。」
「そんなことしないよ。我慢する。」
「我慢しなくていいんだ。泣いても叫んでも暴れても……じゃあやるよ?」
「うん。」
私はソファの肘置きをしっかり握り、痛みに備える。
あっくんはその大きな手で私の膝を包み込みながら上から強く抑えつけ、傷に緑の薬草をすり潰したようなものを手早く塗る。
その痛みは想像を遥かに上回るものだった。
痛みで腰が浮き、自然と涙がこぼれ落ち、全身から脂汗をかき、叫び出したいのを抑え込めず、くぐもった唸り声が止められない。
あっくんが俺を殴れと言った理由がわかった。
痛みから逃れたくて私を抑え込んでいるあっくんを力づくでも排除したくなったから。
僅かな理性をかき集め、なんとかあっくんを殴らずに済んだ。
薬草が傷に馴染むと殆ど痛みは感じなくなり、私が苦しまなくなってから当て布をし包帯を巻いてくれた。
問題は、まだ片足しか終わっていないということ。
痛みを知ってからのもう1度はかなりキツイ。痛みに慣れているはずの私が耐えられるか不安なほどの痛み。
心が折れそうだ。
「しーちゃん、右足もやるよ。時間が経てばそれだけ恐怖が増す。恐怖が増せば痛みももっと感じるんだ。」
「……私、あっくんのこと殴っちゃうかもしれない。」
「殴っていいって言ったよね?座った状態のしーちゃんの拳くらいなんでもないさ。さぁやるよ!」
手当は全く同じなはずなのに、さっきよりも痛い。
力が入り過ぎて、木で造られたソファの肘置きを破壊してしまった。
痛みが引くまでの数分がとても長く感じる。
どうにかあっくんを殴るのだけは回避したけど、痛みが引いても涙が止まらない。
そんな私の身体の力が抜けてきたのを確認して包帯を巻いてくれるあっくん。
治療の時に殴っていいなんて言えるのは、殴りたくなるのを知ってるからだ。
そういう世界で生きてきたあっくんだから躊躇うことなく言えること。
私の怪我であっくんのトラウマを刺激してしまったかもしれないことに今更気がついた。
私のそんな心の内なんて知る由もないあっくんが
「しーちゃん、よく頑張ったね。」
と、穏やかに言ってくれる。
「ありがヒッ…と……自分、じゃヒッ、むりだっ、た…ヒック、よ。」
あっくんは泣きながらお礼を言う私の手をぎゅっと握り
「しーちゃん、お願いだから自分を粗末にしないで。俺はしーちゃんが大切だ。それに、みんなも俺としーちゃんが無事に帰ってくるのを待ってるよ。笑顔で絢音にただいまって言うんでしょ?それに、何かあったら地球に帰れない。」
あっくんのその言葉で、私は自分自身で誤魔化し隠し、目を背けていた現実と向き合わなければならなくなってしまった。
「帰りたい。」
「うん。」
「帰りたい!」
「うん。」
「帰り、たい!のに!!!」
「うん。」
「もうっ、どこ、かで!帰れ…ないって、あ、あ…諦めてる自分も!いて!私が、大切って、大切だっておもヒック、思う人、は……みんな守れなくて!みんな!みんなっ!いなくなっ…どうして…っく、どうして!!!」
その瞬間、あっくんは強く私を抱きしめた。
どれくらいそうしていただろう。
やがてあっくんは口を開いた。
「俺がそばにいるよ。絶対いなくなったりしない。何に誓えば信じられる?」
誓うなんて、軽々しく使ってほしくない。
だって、信じられない。
「そんっ……そんなの!わかっ、ない!」
「じゃあ俺の身体中のタトゥーにでも誓おうかな。それとも新しく入れればいい?」
努めて明るく言うあっくん。
前にタトゥーは意味を込めて彫るって言ってたのを思い出す。
「なにそっ、れ!ヒッ…クッ…」
「それくらいの気持ちってこと。まだ少しの目処も立たないから不安で堪らなくなる時もあるよね?そういう時はこうやって気持ちをぶつけてくれたらいいんだ。いくらでも聞くし、どれだけでも抱きしめるし、いつまでだってそばにいるよ。そして、気持ちに整理がついたらまた頑張ろう。みんなで地球に帰るんだ。」
「う、ん……うんっ!」
私はあっくんにしがみつきながら泣いた。
私は心のどこかで、もう地球には帰れないんじゃないかとずっと薄っすら思っていた。
払っても払っても振り切れないそれを、目を逸らし気が付いていないフリをしていた。
帰れないとわかったらどんな努力も無意味だから。
生きることすら放棄したくなるから。
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そんな約束をしてしまえるほど、もう帰れない、愛流にも紫流にも会えないという思いが濃く厚く降り積もっていた。
愛流と紫流の顔が横切ってしまうと、私は感情で動いてしまう。
だから会いたいとはずっと思っていても、顔を思い浮かべることは極力しないよう努めていた。
でも、結局そんなことに意味はない。
それこそ無駄な努力だ。
だって、どうしたって会いたい。
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落ち着いて話をすること。
やれることは全力で。
それくらい?
それで良いじゃないか。
2人を大切に思う気持ちを捨ててまでやることじゃないと気がつくことができ、とても心が軽くなった。
そして、言葉を尽くして支えてくれたあっくんにも心から感謝した。
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