上 下
50 / 172

50. 青いサンゴ礁

しおりを挟む
 店に戻ると、鍵が開いていた。俺は眉をひそめ、大きく息をつくとそっと中をのぞき込んだ。薄闇うすやみに包まれた店内で、一つの影が静かに佇んでいる。

 目を凝らすと……、それはドロシーだった。

 彼女の姿に、俺は心臓をめ付けられるような息苦しさを覚えた。いつもの明るさが消え失せ、暗闇に溶け込むかのように静かに座っている。

 何度か深呼吸をし、俺は明るい調子を装ってバーンとドアを開けた。

「あれ? ドロシーどうしたの? 今日はお店開けないよ」

 ドロシーは俺の方をチラリと見上げ、静かにため息をつく――――。

「税金の書類とか……書かないといけないから……」

 力なく立ち上がる彼女の動作は、どこか無理している感じだった。

「税金は急がなくていいよ。無理しないでね」

 俺は優しく諭すように言ったが、ドロシーはうつむいたまま黙り込んでしまった。

 重苦しい沈黙が部屋を満たす。俺は彼女に近づき、中腰になってその顔を覗き込んだ。

「何かあった?」

 ドロシーはそっと俺の袖をつかんだ。その指先が微かに震えている。

「怖いの……」

 つぶやくような、か細い声。

「え? 何が……怖い?」

「一人でいると、昨日のことがブワッて浮かぶの……」

 ドロシーの目から、大粒の涙がポトリと落ちた。その瞬間、俺の胸に鋭い痛みが走る。

 俺は思わず彼女を優しく抱きしめた。ふんわりと立ち上る甘く優しいドロシーの香りが、鼻腔をくすぐる。

「大丈夫、もう二度と怖い目になんて絶対わせないから」

 俺はそう言って、彼女をぎゅっと抱きしめた。

「うぇぇぇぇ……」

 こらえてきた感情が堰を切ったように溢れ出す。俺は優しく彼女の背中をトントンと叩いた。

 さらわれ、男たちに囲まれ、服を破られた恐怖。その絶望は、想像を絶するものだっただろう。簡単に忘れられるはずがない。

 俺はドロシーが泣き止むまで、ずっとゆっくりと背中をさすり続けた。

「うっうっうっ……」

 ドロシーの嗚咽が、静かに暗い店内に響く。その悲しみの波が、俺の胸に深く刻まれていく――――。


       ◇


 嗚咽が少しずつ和らぎ始めた頃、俺はドロシーをそっとテーブルへと導いた。

「コーヒーでも入れよう」

 俺は優しく微笑んで、ドロシーも涙を手のひらで拭いながらうなずいた。

 店内に香ばしいコーヒーの香りがただよい始める。その香りが、緊張した空気を少しずつ和らげていく。

「ねぇ、今度海にでも行かない?」

 俺は湯気の立つカップをドロシーに差し出しながら、明るい口調で提案した。

「海?」

 ドロシーの瞳に、小さな好奇心の光が宿る。

「そうそう、南の海にでも行って、綺麗な魚たちとたわむれながら泳ごうよ」

 俺は優しく微笑みかける。

「海……。私、行ったことないわ……。楽しいの?」

 ドロシーの表情に、少しずつ明るさが戻ってくるのが分かった。


「そりゃぁ最高だよ! 真っ白な砂浜、青く透き通った海、真っ青な空、沢山のカラフルな熱帯魚、居るだけで癒されるよ」

 俺は身振り手振りを交えながら、海の素晴らしさを熱心に説明した。その様子に、ドロシーの唇が僅かに緩む。

「ふぅん……」

 ドロシーはコーヒーを一口すすり、立ち昇る湯気をぼんやりと見つめる。

「どうやって行くの?」

 ドロシーが顔を上げ、興味深そうに尋ねる。

「それは任せて、ドロシーは水着だけ用意しておいて」

「水着? 何それ?」

 ドロシーの首を傾げる仕草に、俺は我に返った。この世界に水着という概念がないことを忘れていたのだ。

「あ、れても構わない服装でってこと」

 俺は慌てて言い直す。

「え、洗濯する時に濡らすんだから、みんな濡れても構わないわよ」

 ドロシーの純粋な返答に、俺は思わず赤面してしまう。

「いや、そうじゃなくて……濡れると布って透けちゃうものがあるから……」

 俺の言葉に、ドロシーの頬が瞬く間にあかく染まる。

「あっ!」

 二人の間に、甘く柔らかな空気が流れる。

「ちょっと探しておいてね」

「う、うん……」

 ドロシーはうつむきながら、照れ臭そうに答えた。その仕草に、俺は胸が温かくなるのを感じる。

 窓の外では、夕暮れの街並みが茜色あかねいろに染まり始めていた。俺たちの前には、新たな冒険への期待が広がっている。海への旅は、きっとドロシーの心の傷を癒すだろう。そして、俺自身にとっても、この世界の不思議を解き明かす大きなヒントになるかもしれない。

 俺はコーヒーを口に運びながら、昔行った南の島の青い海を思い出していた。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

愛人がいらっしゃるようですし、私は故郷へ帰ります。

hana
恋愛
結婚三年目。 庭の木の下では、旦那と愛人が逢瀬を繰り広げていた。 私は二階の窓からそれを眺め、愛が冷めていくのを感じていた……

家ごと異世界ライフ

ねむたん
ファンタジー
突然、自宅ごと異世界の森へと転移してしまった高校生・紬。電気や水道が使える不思議な家を拠点に、自給自足の生活を始める彼女は、個性豊かな住人たちや妖精たちと出会い、少しずつ村を発展させていく。温泉の発見や宿屋の建築、そして寡黙なドワーフとのほのかな絆――未知の世界で織りなす、笑いと癒しのスローライフファンタジー!

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

処理中です...