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終章 冬晴れと煙草と黒い嫌煙者

冬晴れと煙草と黒い嫌煙者

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 正午を告げる鐘が澄み切った冬晴れの空に響く。
 街外れの小高い丘の名は聖女の丘。魔王討伐の英雄、エミリアの眠る地だ。
 丘にそびえる五階建ての尖塔、その最上階でアレクは鐘の音色を聞いていた。
 勇者は朝一番に墓参りを済ませ、その後いつものように窓枠に腰掛けて、外の景色をかれこれ数時間も眺めている。
「探したぞアレク、ここに居たのか」
 背後から無遠慮にかけられた言葉に右手を上げて応えるが、目は青空にやったままだ。
 石床をカツカツと鳴らすヒールの音が傍まで来て止まった。
「今日はいい天気だな、空が青い」
 背を向けたまま呟かれた一言に、リューリは驚きを露わにし、そしてにこやかに笑った。
「……本当に青いな」
 アレクが投げ出した脚を跨ぐように窓枠に手をついて、少し眩しそうに空を見上げる黒い瞳。
「あぁ、青空だ」
 咥えた紙巻きを右手に取り、答え、目をやると、そこにはいつもどおりの黒づくめの姿があった。
「もう動いて良いのか?」
「問題ない。だいじょうぶだ」
 柔和に微笑む端正な顔。そこには先日の戦いの傷はもう無かった。

 外に目を転じれば、傷ついた石畳や芝生の修繕は開始されている。
 横たわっていた巨人は既に運ばれていったが、地面の大穴は地下の調査終了まで開いたままだ。
 戦いの痕跡は残されていたが、全て未来に向けて動き出していた。

「それで今日は何か用か? まさか快気の報告ではないんだろ?」
 問われたリューリは珍しく、少し動揺をにじませる。
「用事というか……その、なんだ……少し話が……」
 歯切れ悪く答えかけ、しばらく言葉を探し、結局沈黙した。
 これほど答えにくそうにするとなると、アレクにはひとつしか思い当たることがなかった。
 待てども口を開かない黒髪の相棒の姿に、仕方なく自分から探りを入れる事にする。
「それで結局、エミリアの最後の命令ってのは何だったんだ?」
 ちらりとアレクに目を流し、すぐに窓の外の青空に視線を逃してリューリは答える。
「自分にもしものことがあったら、代わりにお前を見守ってやってくれと。それだけだ」
「なるほどな。……解放されたんだな」
「あぁ、私はもう自由だ、何でもできるし、どこだって行ける」
 少し芝居臭さも感じるほど、晴れ晴れとした風で大きく伸びをする、リューリの背中を横目で見る。
 今は隠しているが、彼女は既に背中の翼を取り戻した。
 もはやこの地に縛られる理由はないのだろう。

「それでお前、これからどうするんだ?」
 半ば予想しながらも、何気ない風を装い尋ねた。
 沈黙が流れる。
 口を開くのが、ためらわれるような。
 アレクは短くなった煙草を揉み消す。
 まるで静寂を嫌うかのように。
 穏やかな表情でそれを見守っていたリューリは、やがてひとつうなずいて決意の面持ちで花唇を開く。
「私に最後の煙草を味わわせてくれないか?」
「最後、か?」
「ああ、これで最後にしよう」
 アレクは穏やかにリューリの表情を見つめると、目を瞑りため息を付き、やがて小さく頷いた。
「わかった」

 胸ポケットから煙草を取り出し、一本伸ばして差し出し、紅唇が咥えるのを見て指を弾く。
 眼前に現れた炎が消えると、リューリは火の着いてない紙巻きを手にとり、突き返す。
「上手くつかん、やってくれ」
 アレクは右手を伸ばして受け取り咥えると、頭をかきかけた左手をおろし、指を弾く。
 息を吸い、着火すると、白い指が伸びて摘んでいった。
 アレクの口から漏れた煙が、寄ってきた秀麗な顔を曇らせた。
「やっぱりこの臭いは好きになれないな」
「……そうか」

 見つめ合う二人の視線が絡み合う。
 赤く形の良い唇が、ためらいがちに近寄り、触れ合い、別れを惜しむように離れていく。
 そして僅かに間を置き、言葉を紡ぐ。
「約束通り禁煙してくれよ。今のは私が味わった最後の煙草なんだからな」
「…………そう来たか」
 苦笑する口元を切れ長の目が見つめる。
 上がる口角に満足そうに微笑む。

「冗談だ」

 左手が頬に添えられる。
 右手の紙巻きが落ちて火花を散らす。
 笑みをたたえた二人の唇が、静かに優しく重なった。 
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