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第四章 望郷が招く勇者の新異名

4-2 屋根の上

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 明くる日、シルヴァはかなり寝坊した。
 昨晩の帰りが遅く、夜更かししたというのは勿論だが、どうにもアレクに対してしてしまった自分の失言が気にかかり中々寝付けず、そして夢見悪く半端な時間に起きてしまったからだ。
 寝直して、朝遅くに起きた時には、夢の内容はすっかり忘れてしまっていたが、漠然とした不快感だけは覚えていた。 

 午後遅くになってようやく、上着を返しに行くと称してお忍びで出かけたシルヴァは、アレクの館前でドアノッカーを手にして暫く迷い、結局そっと戻すと帰っていった。
 振り向きもせず去って行った師匠の後ろ姿を思いだすと、深い拒絶の意思を感じてしまい、あと少しの勇気が出ない。
 単に自分の罪悪感からの思い違いかもしれないが、どうしても。
 やはり代わりの者に届けさせようかと考えつつ歩く、重い足がふと止まる。

 何者かの気配を感じる。
 見上げた先の屋根には、片膝つく黒づくめの女の姿があった。
 見知った顔を見つけ、外出が全くの無駄に終わらなかったことが、少し嬉しい。
「なんじゃ、リューリではないか。久しぶりじゃの」
 身軽に飛び上がり声を掛けると、相変わらず表情に乏しい顔が頷く。
「久しぶりだな、ちびっこ勇者。少しは成長したか?」
 上から下まで見回した視線を感じ、シルヴァは精一杯の背伸びをして、腕を組み胸を持ち上げる。
「せ、成長期じゃからの、当然じゃっ!」
「あぁ……済まない、体ではなく腕前の方だ。以前アレクと修行してただろ?」
 リューリの返答に力が抜け、持ち上げていた踵と胸が下がる。
「体は少し縮んだか? ちゃんと食べているのか?」
 相変わらずの噛み合わなさに若干いらだちを覚え、先ほど感じた喜びが早くも失せた。
 出会って早々だが、用件を済ましてすぐに立ち去ろうと心に決め、質問を無視し尋ねる。

「それでリューリはここで何をしてるのじゃ? お師匠の監視かえ?」
「いや、そういうわけではないのだが、少し前に顔を出すなと言われてな……」
「ほう」
 短く答えた少女の青い瞳が輝きを増す。
 気まぐれにころころ変わる少女の感情は、立ち去ろうと思ったことをすでに遠い過去のものにしている。
 何事があったのかと好奇心をむき出しにして尋ねるシルヴァに対し、リューリはどう説明しようかと、顎に手をやりしばし思案した。
「知っているか? 顔を出すなというのは、会いに来るなという意味で――」
「知ってるから先を話すのじゃ」
「知ってたか、物知りだな。私はつい先日その意味を――」
「いいからっ! 早く先を話すのじゃーーーーーっ!」
「そ、そうか……」
 少女の勢いに押されたかのように、麗人は二度三度と長いまつ毛を上下させ、数瞬の思考の後に口を開いた。
「……実はこの前、アレクに押し倒された時に、その事を冗談にしたら怒ら――」

「ええええええええええええっっっっ!?」

 夕暮れの空にいきなり響き渡る大絶叫に、帰宅を急ぐ人々が何事かと顔を上げる。
 リューリは慌ててシルヴァの口を抑え、屋根に押し倒すよう共に伏せた。
「いきなりうるさいぞ、ちびっ子。アレクに見つかったらどうする」
 少女が頷くと、口からゆっくりと手が離れる。

 しかしよくよく考えると、妾は此奴と違い顔を出すなと言われたわけではない。何となく顔を合わせにくいと思っただけで、あちらから現れるならいっそ好都合ではないか。
 そう思うと何となく自分の方が優位に立っていると思え、シルヴァはその余裕から茶化すような口調でいった。
「気にするのはそこかえ? 通行人に屋根の上に居るところを見られる方が面倒臭そうじゃが」
 そうじゃよな、気にするべきはまずそこ。やはり此奴はちょっとズレておるの。
 どうせ押し倒されたというのも、今の妾たちのようなものじゃろ。きっと何か別のことの弾みじゃ。

 シルヴァ心の声の通り、またしてもリューリはズレた返事をする。
「臭いと言えば、アレクの煙草の臭いがするな。その包の中か?」
 今度は問われた少女は鼻高々、得意満面で応えた。
「昨晩の事じゃ、二人っきりで夜景を見ながら語り合ってる時、寒がる妾の肩に、脱いだ上着を紳士的に掛けてくれたのじゃ」
「そうか、良かったな。臭い方が寒いよりはマシだからな」
 眉をひそめるシルヴァを気にもかけずに「臭いのが好きならここにもあるぞ」と、どこからともなく吸い殻を取り出すリューリ。
「まぁ誰にでも変わった趣味はあるというし、気にするな。欲しいならやるぞ?」

 失礼なことを言いつつ一人頷くこの女に、お師匠の素晴らしさを教えてやらねばなるまい。そう思って提案する。
「どうじゃ、リューリ? 今晩は城へ来ぬか? 晩餐など共にしながら話の続きをしようぞ?」
「む、今日はあまり気は進まんが」
「無理にとは言わぬ。では他におもしろき話題がなければ妾は帰るぞよ」
 リューリは少し考えて話題を選んだ。
「面白いかはわからぬが、今度アレクを迎えに来る幼馴染とやらはどうやら女性らしいぞ」
「ほう」
 再び少女の瞳が輝く。
「よし決めた。姫様命令じゃ。今晩は城に付き合うのじゃ、話を聞かせてたも」
 今夜はお師匠話祭りじゃ。話題尽きるまで語って、聞こうぞ。シルヴァは徹夜も辞さぬ覚悟でそう決めた。
「……命令か。たしか以前、王の命令も拒否していいと許可された記憶があるぞ」
「命令がダメなら友達のお願いじゃ。お師匠の話を聞かせてたもれ」
「命令がダメだとお願いになるのか……」
 リューリはため息を付き髪をかき上げ、長いまつげを伏せ暫く考えたが、結局渋々ながら頷いた。


 ヘルンの王宮に、王都近郊で男女二人の死体が見つかったという知らせが届いたのは、シルヴァがリューリに抑えきれない嫉妬を感じた夜更かしの夜から三日後の朝だった。
 被害者二人は荷馬車でヘルンに向かって移動中、何者かに襲われて殺害されたようで、女性は持ち物から身元が判明したが、男性の方は特定に至らず、死体の損壊も激しい事からその場で埋葬された。

 この珍しい出来事に、王宮はにわかに騒然とした。
 王都近くで旅人が襲われるということは珍しい事ではあるが、騒ぎになるほどのことではない。
 この事件が珍しいのは、まず被害者の身元が特定されたという点にあった。一般に庶民は身元を特定できるような品を持たないので、隣近所であればさておき、自宅から遠く離れて客死などしたら、身元不明で処理されるのが当然なのだ。
 この女性は極稀なケースで、持っていた手紙からエクサ村のカトリという名である事が判明した。
 もう一点珍しいのは、旅人の死が王宮に届けられたという点で、普通、この程度の事件では衛兵詰所に一報されるぐらいが関の山だ。
 それがわざわざ王宮にまで報告が上がったというのは、手紙の差出人が勇者アレクであったからに他ならず、内容から既に、この女性が勇者の幼馴染だと判明している。

 知らせはアレクにも届けられ、悲報を聞いた勇者は身支度もそこそこに、短剣を掴んで飛び出した。
 血相を変えた剣聖勇者が現場近くの村に到着したのは正午過ぎの事であり、そこに安置されてたカトリの遺体を抱きかかえ、ヘルンの大聖堂に駆け込んだのは日没直後だった。
 馬車で二日の距離をあっという間に往復した、この驚異的なスピードは伝説となり、後日アレクには「疾風」の二つ名が新たに加わることになる。

 疾風の剣聖、勇者アレク。

 現在の日常を知るリューリが聞いたら鼻で笑いそうな大層な名だが、隠遁生活が幸いして一部の人以外には実像は未だ謎に包まれてるので世間的には問題はない。
 その当人、ミステリアスな疾風の勇者は、辿り着いた大聖堂で死者復活の儀式を依頼し、莫大な寄進を約束すると、遺体を預け自宅に舞い戻り、再び大聖堂に戻った時は大袋一杯の金貨を持参していた。
 そのせいか本来閉門時間後だと言うのに、出迎えた神官たちは皆にこやかに、揃いの禿頭を並べてみせた。
 翼の生えた美女の姿を持つ、御使いの像が立ち並ぶ間を、華麗な輿に乗せられ布を掛けられ丁重に運ばれていくカトリの遺体。
 奥にそびえ立つ巨大な空の女神像に向かい、丸を斜めに貫く流星の聖印を切り、祈ると、アレクは自宅へと戻っていった。

 念入りに時間をかけ、丁寧に準備された最高級の復活儀式により、成功は間違いなしと見られ、事情を知る人々は、三日後のカトリ復活を待って事件の事情聴取が行われるものと既定した。
 中には犯人像を巡っての賭け事をする不心者もいたらしい。
 そして事件は最高潮を迎える。
 復活がまたしても失敗したのだ。
 ありえない出来事に街は騒然とし、様々な出所不明の怪しい噂が流れた。

 曰く「勇者アレクは幸運を魔王との戦いで使い果たした」
 曰く「勇者アレクは魔王との戦いで呪われた」
 曰く「勇者アレクは女神に見放された」
 曰く「勇者アレクは女神の与えた試練の中にある」

 代表的なものはこのような、勇者にふさわしい一大叙事詩に発展しそうなものであったが、中には「大神殿に戻る前に床掃除してツキをうっかり一緒に捨ててしまった」という庶民的なものもあり、暫く世の人々に掃除をしない言い訳として使われることになる。
 何れにせよ、勇者アレクに不運のイメージが付くのは避けられないことであり、薄幸の二つ名もまた追加されることとなった。
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