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30 番外編⑤ それからのふたり〜育てています〜
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そろそろかな。
私はリビングの壁掛け時計に目をやる。夜の七時。
今日は予定通りに、マンションのインターホンが鳴った。
よいしょと立ち上がり、まとわりついて来るあったかで柔らかい女の子を気合いで抱き上げて一緒にモニター画面を見ると、そこには矢坂さんの姿があった。
身近な人となった矢坂さんの笑顔。今ではこんなにも心穏やかに見ることができている。あの切なかった想いも今となっては懐かしい。
モニターの中にいる矢坂さんを食い入るように見ているマシュマロのような甘いほっぺたの持ち主は、慣れた手つきで通話ボタンを押す。
「パパ! おかぇーりぃ」
『ただいま。なるちゃん! 迎えに来たよ』
愛娘の成実ちゃんに呼びかけるインターホン越しの父親の声は、弾んでいる。
『葉摘さん、今日もお世話さまです』
「おかえりなさい、ヒロさん。なるちゃん、鍵のボタンを押してあげてね」
「はーい」
プクッとした小さな指が、モニター下のオートロック解除ボタンを上手にポチッと押す。
『ありがとう、なるちゃん』
自動ドアの開閉音と、靴音を残して画面から矢坂さんの姿は消えた。
抱いていた成実ちゃんをその場に静かに降ろすと、廊下の洗面所のドアがカチャリと開いた。
「ヒロさん帰って来たの?」
濡れたままの髪の毛をタオルでゴシゴシと拭きながら、シャワーを浴びていたコウさんが出て来た。
「コーちゃんパパ! ちゃんとガーしなさいよ」
ガーというのは、成実ちゃん言葉でドライヤーのこと。ガーガーと音がうるさいかららしい。
「うわ、アネキそっくりな言い方になって来た。なるがガーしてくれる?」
「やだ。ガーこわい」
成実ちゃんは、ドライヤーが苦手。お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かすのは一苦労。今日はお風呂はおうちに帰ってから。
成実ちゃんはコウさんにぷいっとして、矢坂さんを出迎えにパタパタと玄関にかけて行く。彼女のオムツをした後ろ姿はなんとも言えず愛らしい。
カフェ〈サン・ルイ〉を切り盛りしながらの矢坂さんと瑠伊さんの子育てに、私たちも少なからず協力している。近所の保育園は、どこも夜六時半まで。おじいちゃんおばあちゃんたちの家はお手伝いをお願いするには少し遠い。会社勤めの私かコウさんが成実ちゃんを迎えにいって、〈サン・ルイ〉の上のうちで六時半以降、矢坂さんか瑠伊さんが戻るまでの時間預かることにしている。
ーーふたりで育てますか?
コウさんは、それを有言実行している。自らすすんで成実ちゃんのオムツ交換をしたり、お風呂に入れたり、頼もしいかぎり……。
「なるに拒否られた。葉摘さん、ガーして」
だけど……ふふっ、私の旦那さまは、たまにわざと甘えて来る。
「はーちゃんママ!! あけてー!」
まだ玄関ドアの鍵に手の届かない成実ちゃんの必死の声。
「今行くから、待ってて! コウさんたら……」
「なるが帰るの待ってたら、乾きそう」
大袈裟に肩をすくめる大きな子どもの呟きを背に、ゆっくり玄関に向かう。
私の方にパッと振り向いた成実ちゃん。
「はーちゃんママ!」
「なあに?」
最近目立って大きくなってきた私のおなかの膨らみに注目している。
「なりゅには、いもうとができゅーの?」
「そう。いもうとみたいなんだけど、いとこっていうの。なるちゃんは、おねえちゃんになるのよ。はーちゃんママのおなかから、もう少しでこんにちはって出てくるから、かわいいかわいいしてね」
「うん、かあいいかあいいって、のにのにしゅゆ! いとこちゃーん!」
そう言いながら、成実ちゃんはポカポカする小さい手で私のおなかを優しくのにのにしてくれた。
のにのに、というのは成実ちゃん言葉でなでなでのこと。
預かった当初は成実ちゃんに泣かれることも度々あって、お世話も緊張したけれど、すぐにお互い慣れた。成実ちゃんは思いのほか私に懐いてくれて、お喋りができるようになって来ると、瑠伊さんが私を呼ぶのと同じように〈はーちゃんママ〉と呼んでくれるようになった。本当に子どもの成長は早い。そしてこんなにも柔らかくてあったかい。
「のにのにしてくれてありがとう、なるちゃん」
私はふわふわヘアーの成実ちゃんの頭を撫でる。瑠伊さんそっくりの小さな女の子が、私を見上げて無邪気にニコニコと笑いかけてくれている。
胸の中が温かく優しい感情でいっぱいに満たされる。
そして、私の背後には、大きくて安心できる温かい気配。抱きしめられるのは嬉しいけれど、頬に当たる髪はまだひんやり。
髪を乾かすのは、できれば自分でして欲しいんですけど、旦那さま。
ーーーーーーーーーーーーーー
このエピソードで完結です。
長いお話を最後までお読みくださった皆さま、本当にどうもありがとうございました!
私はリビングの壁掛け時計に目をやる。夜の七時。
今日は予定通りに、マンションのインターホンが鳴った。
よいしょと立ち上がり、まとわりついて来るあったかで柔らかい女の子を気合いで抱き上げて一緒にモニター画面を見ると、そこには矢坂さんの姿があった。
身近な人となった矢坂さんの笑顔。今ではこんなにも心穏やかに見ることができている。あの切なかった想いも今となっては懐かしい。
モニターの中にいる矢坂さんを食い入るように見ているマシュマロのような甘いほっぺたの持ち主は、慣れた手つきで通話ボタンを押す。
「パパ! おかぇーりぃ」
『ただいま。なるちゃん! 迎えに来たよ』
愛娘の成実ちゃんに呼びかけるインターホン越しの父親の声は、弾んでいる。
『葉摘さん、今日もお世話さまです』
「おかえりなさい、ヒロさん。なるちゃん、鍵のボタンを押してあげてね」
「はーい」
プクッとした小さな指が、モニター下のオートロック解除ボタンを上手にポチッと押す。
『ありがとう、なるちゃん』
自動ドアの開閉音と、靴音を残して画面から矢坂さんの姿は消えた。
抱いていた成実ちゃんをその場に静かに降ろすと、廊下の洗面所のドアがカチャリと開いた。
「ヒロさん帰って来たの?」
濡れたままの髪の毛をタオルでゴシゴシと拭きながら、シャワーを浴びていたコウさんが出て来た。
「コーちゃんパパ! ちゃんとガーしなさいよ」
ガーというのは、成実ちゃん言葉でドライヤーのこと。ガーガーと音がうるさいかららしい。
「うわ、アネキそっくりな言い方になって来た。なるがガーしてくれる?」
「やだ。ガーこわい」
成実ちゃんは、ドライヤーが苦手。お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かすのは一苦労。今日はお風呂はおうちに帰ってから。
成実ちゃんはコウさんにぷいっとして、矢坂さんを出迎えにパタパタと玄関にかけて行く。彼女のオムツをした後ろ姿はなんとも言えず愛らしい。
カフェ〈サン・ルイ〉を切り盛りしながらの矢坂さんと瑠伊さんの子育てに、私たちも少なからず協力している。近所の保育園は、どこも夜六時半まで。おじいちゃんおばあちゃんたちの家はお手伝いをお願いするには少し遠い。会社勤めの私かコウさんが成実ちゃんを迎えにいって、〈サン・ルイ〉の上のうちで六時半以降、矢坂さんか瑠伊さんが戻るまでの時間預かることにしている。
ーーふたりで育てますか?
コウさんは、それを有言実行している。自らすすんで成実ちゃんのオムツ交換をしたり、お風呂に入れたり、頼もしいかぎり……。
「なるに拒否られた。葉摘さん、ガーして」
だけど……ふふっ、私の旦那さまは、たまにわざと甘えて来る。
「はーちゃんママ!! あけてー!」
まだ玄関ドアの鍵に手の届かない成実ちゃんの必死の声。
「今行くから、待ってて! コウさんたら……」
「なるが帰るの待ってたら、乾きそう」
大袈裟に肩をすくめる大きな子どもの呟きを背に、ゆっくり玄関に向かう。
私の方にパッと振り向いた成実ちゃん。
「はーちゃんママ!」
「なあに?」
最近目立って大きくなってきた私のおなかの膨らみに注目している。
「なりゅには、いもうとができゅーの?」
「そう。いもうとみたいなんだけど、いとこっていうの。なるちゃんは、おねえちゃんになるのよ。はーちゃんママのおなかから、もう少しでこんにちはって出てくるから、かわいいかわいいしてね」
「うん、かあいいかあいいって、のにのにしゅゆ! いとこちゃーん!」
そう言いながら、成実ちゃんはポカポカする小さい手で私のおなかを優しくのにのにしてくれた。
のにのに、というのは成実ちゃん言葉でなでなでのこと。
預かった当初は成実ちゃんに泣かれることも度々あって、お世話も緊張したけれど、すぐにお互い慣れた。成実ちゃんは思いのほか私に懐いてくれて、お喋りができるようになって来ると、瑠伊さんが私を呼ぶのと同じように〈はーちゃんママ〉と呼んでくれるようになった。本当に子どもの成長は早い。そしてこんなにも柔らかくてあったかい。
「のにのにしてくれてありがとう、なるちゃん」
私はふわふわヘアーの成実ちゃんの頭を撫でる。瑠伊さんそっくりの小さな女の子が、私を見上げて無邪気にニコニコと笑いかけてくれている。
胸の中が温かく優しい感情でいっぱいに満たされる。
そして、私の背後には、大きくて安心できる温かい気配。抱きしめられるのは嬉しいけれど、頬に当たる髪はまだひんやり。
髪を乾かすのは、できれば自分でして欲しいんですけど、旦那さま。
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このエピソードで完結です。
長いお話を最後までお読みくださった皆さま、本当にどうもありがとうございました!
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