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20 恋せよ乙女
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心尽くしのおもてなしを受けると、人は心が満たされるみたいだ。
よそ行きの華やいだ香りの紅茶に美しいティーカップ、綺麗に盛り付けられた美味しい軽食とお菓子。
たまにマダムが寄ってきては、紅茶や古い映画についてのお話を楽しそうにしてくれた。マダムは、実はフランスには行ったことがなくて、趣味で十年以上フランス語講座に通っていらっしゃるらしい。
室岩さんはマダムのご主人さまの弟さんで未だ独身だとか。余計なお世話です、と室岩さんからマダムがたしなめられていたのが印象的で微笑ましかった。きっと何度もこの会話がなされている予想がつく。おふたりの実際の関係が気になるところだけど、それ以上のお話は無かった。
コウさんは、ホスト時代はそれらしく金髪にしてたそうだ。矢坂さんも茶髪だったらしい。
コウさんが金髪!? 驚いて、思わずその時の写真があったら見てみたいとねだったら、笑いながら今度ね、と言われてしまった。
今度ねって、そう言われる度、甘さと苦さが胸の奥に積み重なっていく。
矢坂さんの親戚が経営していたお店は、よくあるホストクラブというより外国の社交界をイメージした高級クラブのような店だったらしい。ホストはみんな基本フォーマル、女性は服装は自由。女性が好みの男性を指名するのは同じだが、お酒を飲みながら比較的静かな店内で、時間制で会話重視だったそうだ。有名なシャンパンタワーも、盛り上げて大騒ぎなどせずに上品に行われたらしい。シャンパンタワーは、制作専門の業者さんに発注するというのは初めて知った。
お店の客層はさまざま、〈ナチュール〉のマダムほどの年配の女性から、大学生までいたらしい。あまり、詳しくは聞かなかったけれど、コウさんはナンバー2になったこともあるらしい。ちなみにナンバーワ1は矢坂さん。ずいぶんとモテたわけで……。美しい女性もたくさん見てきて、女性を見る目がかなり肥えているんじゃないかと思うと、私は自信をなくす。
コウさんの趣味は、意外にも読書と散歩。文庫本を片手に知らない道でもブラブラしているらしい。そして仕事? いつもパソコンに向かって何をしているのか訊ねたら、秘密、と濁された。
今日も持っていると見せられた文庫本は、詩集だった。
バイロン?
詩集は薄いのが多く軽いし、どこで文章を中断しても平気だから持ち歩くには良いらしい。
コウさんからは、カフェ巡りの話、仕事先の話、旅行の話、学生の頃のクラブの話などを聞かれた。私が話しやすいような話題だったこともあるけれど、コウさんが興味深そうに耳を傾けてくれているのが嬉しくて、つい話しすぎたかもしれない。いつの間にか二時間が過ぎていた。
心もおなかも満足すると、幸せな気分になる。私は案外単純な人間の方なのかもしれない。
私を喜ばせようと、わざわざ瑠伊さんに聞いてまで、こんなに素敵なティールームをこっそり予約してくれていたコウさんの細やかな心遣い。こんな素敵な人には、きっともうめぐり会えないと思うと、切なさが募る。
ホストクラブには行ったことはないけれど、ハマる人の気持ちがわかる。コウさんみたいに上手に話を聞いてくれて、心配りのできるホストさんがいるなら……行きたいと思うもの。
テーブルの向こうのコウさんは、私と視線が合うと、親しい間柄のように優しげに口元を綻ばせてくれた。
「オレ、結構腹一杯です。見た目でも満足したからかな。葉摘さんは、まだまだ余裕がありそうな顔してますよね」
「わっ、私もおなか一杯ですよ!」
「ふっ。まあまあ、誰も食いしん坊だなんて言ってませんから」
コウさんにまた笑われた。
私も笑う。そして、呼吸を整えながら、考えながら伝えたい言葉を口にする。
「私、わかったんです。私の悩みって、相談するほど深刻なことじゃなかったって。淋しくないと言いましたが、やっぱり色々なことが積み重なってきていて淋しかったんだと思います。私の相談のために、これほど楽しくて素敵なプランを考えてくれて、とても嬉しかった。荒んでいた心もこの素敵な時間を過ごしたおかげで、潤って満たされて落ち着きました。ありがとうございます。もう大丈夫です……」
私は、コウさんに頭を下げてお礼の気持ちも込めた。コウさんは、私をジッと見つめながらなぜか眉を寄せている。でも、優しい目だった。
「淋しいのも立派な悩みのひとつですから。油断は禁物ですよ。……オレの方は全然大丈夫じゃないですけど、まあ、良いです。今日はまだあなたの傍にいられますし」
全然大丈夫じゃない? まだ私の傍にいられるって、それって……。このあとも、まだコウさんと一緒にいて良いの?
期待に胸を膨らませている自分に呆れてしまう。
「葉摘さんは、今日は何時までいいですか?」
「あの、予定は無いんですけど、夕方五時か六時くらいまでで。〈サン・ルイ〉さんでコーヒーでも飲んで帰りますから、そこで降ろして下さい」
コウさんに、川平駅まで送って貰うのは申し訳ないものね。
「……そうですか……」
え? 口先だけで吐かれた言葉。
コウさんの表情がさらに硬くなった気がした。
「あの、すみません。もっと早くても良いんですよ。コウさんがそうなさりたいなら……」
「オレのことは気にしないで、葉摘さんが望む時間で大丈夫です。五時から六時の間に〈サン・ルイ〉に送ります。まだ時間ありますね。葉摘さんは、どこか行きたいところはありませんか?」
「あの、よければ、北上北上アラタ現代美術館という所に行ってみたいです。ご存知ですか?」
「いや、知らないです」
「北上アラタさんという現代作家さんのアトリエを美術館として公開しているところです。絵画ではなくモダンなオブジェ作品が飾られている所で、オブジェも面白いんですけど、美術館の建物自体も小さいお城みたいで素敵なので一度見てみたいんです。今、画像をお見せしますね。……ここです」
私がスマホで検索してコウさんの方へ画面を向けると、コウさんの温かく大きな手のひらが私の手に添えられた。おそらくコウさんにとっては些細なことだろうけれど、私の鼓動はうるさくなる。
「すごい、本当だ。蔦に覆われた白い城だ! 良い感じのところですね。じゃあ、ここへ行きましょう!」
良かった。コウさんが嬉しそうに弾んだ声を出してくれた。私の心は着実に元通りに修復されていく。最後の仕上げみたいに。
「またのお越しをお待ちしておりますね」
「はい、是非また伺います」
コウさんが室岩さんと会計のやり取りをしている時にマダムから、
『素敵だと思える殿方に出会える確率は、極わずかよ。逃しちゃ駄目。恋せよ乙女……』
と、耳元で囁かれて、ドキリとした。
乙女と言われる年齢でもないのに。
マダムからすれば、私でもまだ乙女?
〈ナチュール〉のマダムと室岩さんが、お店の外までお見送りに出て来てくれた。
緑の美しい庭に佇むおふたりは、仲睦まじいご夫婦のようだった。その姿は、いつまでも目に焼き付いていた。
よそ行きの華やいだ香りの紅茶に美しいティーカップ、綺麗に盛り付けられた美味しい軽食とお菓子。
たまにマダムが寄ってきては、紅茶や古い映画についてのお話を楽しそうにしてくれた。マダムは、実はフランスには行ったことがなくて、趣味で十年以上フランス語講座に通っていらっしゃるらしい。
室岩さんはマダムのご主人さまの弟さんで未だ独身だとか。余計なお世話です、と室岩さんからマダムがたしなめられていたのが印象的で微笑ましかった。きっと何度もこの会話がなされている予想がつく。おふたりの実際の関係が気になるところだけど、それ以上のお話は無かった。
コウさんは、ホスト時代はそれらしく金髪にしてたそうだ。矢坂さんも茶髪だったらしい。
コウさんが金髪!? 驚いて、思わずその時の写真があったら見てみたいとねだったら、笑いながら今度ね、と言われてしまった。
今度ねって、そう言われる度、甘さと苦さが胸の奥に積み重なっていく。
矢坂さんの親戚が経営していたお店は、よくあるホストクラブというより外国の社交界をイメージした高級クラブのような店だったらしい。ホストはみんな基本フォーマル、女性は服装は自由。女性が好みの男性を指名するのは同じだが、お酒を飲みながら比較的静かな店内で、時間制で会話重視だったそうだ。有名なシャンパンタワーも、盛り上げて大騒ぎなどせずに上品に行われたらしい。シャンパンタワーは、制作専門の業者さんに発注するというのは初めて知った。
お店の客層はさまざま、〈ナチュール〉のマダムほどの年配の女性から、大学生までいたらしい。あまり、詳しくは聞かなかったけれど、コウさんはナンバー2になったこともあるらしい。ちなみにナンバーワ1は矢坂さん。ずいぶんとモテたわけで……。美しい女性もたくさん見てきて、女性を見る目がかなり肥えているんじゃないかと思うと、私は自信をなくす。
コウさんの趣味は、意外にも読書と散歩。文庫本を片手に知らない道でもブラブラしているらしい。そして仕事? いつもパソコンに向かって何をしているのか訊ねたら、秘密、と濁された。
今日も持っていると見せられた文庫本は、詩集だった。
バイロン?
詩集は薄いのが多く軽いし、どこで文章を中断しても平気だから持ち歩くには良いらしい。
コウさんからは、カフェ巡りの話、仕事先の話、旅行の話、学生の頃のクラブの話などを聞かれた。私が話しやすいような話題だったこともあるけれど、コウさんが興味深そうに耳を傾けてくれているのが嬉しくて、つい話しすぎたかもしれない。いつの間にか二時間が過ぎていた。
心もおなかも満足すると、幸せな気分になる。私は案外単純な人間の方なのかもしれない。
私を喜ばせようと、わざわざ瑠伊さんに聞いてまで、こんなに素敵なティールームをこっそり予約してくれていたコウさんの細やかな心遣い。こんな素敵な人には、きっともうめぐり会えないと思うと、切なさが募る。
ホストクラブには行ったことはないけれど、ハマる人の気持ちがわかる。コウさんみたいに上手に話を聞いてくれて、心配りのできるホストさんがいるなら……行きたいと思うもの。
テーブルの向こうのコウさんは、私と視線が合うと、親しい間柄のように優しげに口元を綻ばせてくれた。
「オレ、結構腹一杯です。見た目でも満足したからかな。葉摘さんは、まだまだ余裕がありそうな顔してますよね」
「わっ、私もおなか一杯ですよ!」
「ふっ。まあまあ、誰も食いしん坊だなんて言ってませんから」
コウさんにまた笑われた。
私も笑う。そして、呼吸を整えながら、考えながら伝えたい言葉を口にする。
「私、わかったんです。私の悩みって、相談するほど深刻なことじゃなかったって。淋しくないと言いましたが、やっぱり色々なことが積み重なってきていて淋しかったんだと思います。私の相談のために、これほど楽しくて素敵なプランを考えてくれて、とても嬉しかった。荒んでいた心もこの素敵な時間を過ごしたおかげで、潤って満たされて落ち着きました。ありがとうございます。もう大丈夫です……」
私は、コウさんに頭を下げてお礼の気持ちも込めた。コウさんは、私をジッと見つめながらなぜか眉を寄せている。でも、優しい目だった。
「淋しいのも立派な悩みのひとつですから。油断は禁物ですよ。……オレの方は全然大丈夫じゃないですけど、まあ、良いです。今日はまだあなたの傍にいられますし」
全然大丈夫じゃない? まだ私の傍にいられるって、それって……。このあとも、まだコウさんと一緒にいて良いの?
期待に胸を膨らませている自分に呆れてしまう。
「葉摘さんは、今日は何時までいいですか?」
「あの、予定は無いんですけど、夕方五時か六時くらいまでで。〈サン・ルイ〉さんでコーヒーでも飲んで帰りますから、そこで降ろして下さい」
コウさんに、川平駅まで送って貰うのは申し訳ないものね。
「……そうですか……」
え? 口先だけで吐かれた言葉。
コウさんの表情がさらに硬くなった気がした。
「あの、すみません。もっと早くても良いんですよ。コウさんがそうなさりたいなら……」
「オレのことは気にしないで、葉摘さんが望む時間で大丈夫です。五時から六時の間に〈サン・ルイ〉に送ります。まだ時間ありますね。葉摘さんは、どこか行きたいところはありませんか?」
「あの、よければ、北上北上アラタ現代美術館という所に行ってみたいです。ご存知ですか?」
「いや、知らないです」
「北上アラタさんという現代作家さんのアトリエを美術館として公開しているところです。絵画ではなくモダンなオブジェ作品が飾られている所で、オブジェも面白いんですけど、美術館の建物自体も小さいお城みたいで素敵なので一度見てみたいんです。今、画像をお見せしますね。……ここです」
私がスマホで検索してコウさんの方へ画面を向けると、コウさんの温かく大きな手のひらが私の手に添えられた。おそらくコウさんにとっては些細なことだろうけれど、私の鼓動はうるさくなる。
「すごい、本当だ。蔦に覆われた白い城だ! 良い感じのところですね。じゃあ、ここへ行きましょう!」
良かった。コウさんが嬉しそうに弾んだ声を出してくれた。私の心は着実に元通りに修復されていく。最後の仕上げみたいに。
「またのお越しをお待ちしておりますね」
「はい、是非また伺います」
コウさんが室岩さんと会計のやり取りをしている時にマダムから、
『素敵だと思える殿方に出会える確率は、極わずかよ。逃しちゃ駄目。恋せよ乙女……』
と、耳元で囁かれて、ドキリとした。
乙女と言われる年齢でもないのに。
マダムからすれば、私でもまだ乙女?
〈ナチュール〉のマダムと室岩さんが、お店の外までお見送りに出て来てくれた。
緑の美しい庭に佇むおふたりは、仲睦まじいご夫婦のようだった。その姿は、いつまでも目に焼き付いていた。
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