淋しいあなたに〜1%の確率で出会った彼に愛されています〜

名木雪乃

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12 瑠伊さんとのティータイム

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「小宮山さん! いらして下さってたんですね」

 日傘の中で、はにかんだ笑顔を向けてくる瑠伊さんからは、隠しきれない幸せというまばゆいオーラが見えた。

「こんにちは、瑠伊さん。妊婦検診だったと矢坂さんからうかがいました。本当におめでとうございます」
「ありがとうございます! あの、小宮山さん……少しでいいんですが、今、お時間あります?」
「え?」
「ちょっとふたりでお話したいなあって思って」

 なんだろう?
 ふたりでってことは、個人的な話? もしかして矢坂さんやコウさんに近付かないでって釘を刺されるの?
 心配しないで、あなたはヒロイン。あなたのことは羨ましいとは思うけれど祝福しないわけではないんだから。
 私のことは、放っておいても大丈夫。ひとりで大人しくフェードアウトするつもり……。

 私は思いあぐねて、即答できなかった。

「うち、すぐ近くなんです。うちにいらっしゃいませんか?」

 コウさんと同じこのマンションにお住まいじゃないんだ。

「えーと、お店で出すスイーツ用に抹茶のパウンドケーキを作ったんですけど、妊娠したら味覚が変になってしまって。できたら、ついでに試食もしていただきたくて。お忙しいですか?」

 また断りにくい誘い文句を出して来られた。姉弟揃って誘い方が巧みで困る。
 仕方がなく私が承諾の返事をすると瑠伊さんは嬉しそうに微笑んでから、

「ちょっと矢坂に一言連絡しておきますね」

 そう言って、色白の華奢な指でスマホを操作し始めた。
 矢坂さんからは、了承の返事がすぐ来たようだ。瑠伊さんは提げていたトートバッグにスマホを仕舞うと、こっちですと手招きしてきた。
 矢坂さんと瑠伊さんの住む家は、〈サン・ルイ〉の前の細い道を突っ切って、広い通りに出る手前のマンションの二階だった。
 

 玄関を入って、奥のリビングに通された。ストライプの地模様が入ったダークグリーンのカーテンのかかる窓は大きく、光がよく入る明るいリビングだった。
 生成りの布張りのラブソファとテレビ、ダイニング側には〈サン・ルイ〉にあるようなアンティークのテーブルセットが置かれていた。
 
「こちらにかけてお待ち下さいね」

 ソファに座るように私に促すと、瑠伊さんは対面のキッチンの方へ向かった。
 私は言われた通りにソファに腰を下ろした。足元にあるサイドラックには、お菓子作りの本とたま○クラブ、妊娠したら読む本、というタイトルの雑誌もあった。それを見て、妊娠は本当のことなんだと嫌でも実感させられた。
 このおしゃれな部屋で、矢坂さんも生活しているんだ。玄関を入って、左右に閉まったドアがあって、部屋が二つあるのがわかる。配置からするとおそらく左が小さめの洋室で、右が主寝室。

 不謹慎だけど、あの部屋で矢坂さんが瑠伊さんと一緒に寝ているんだと思うと、胸がざわついた。私も一度で良いから、身も心も誰かに包まれて、女として満たされた気持ちになりたいと思う。
 処女ということに焦ったわけではなかったが、三十二歳の時に友達と参加したお見合いパーティでカップルになった印刷会社の人と初体験をした。話しやすく穏やかな雰囲気の人で、好きになれそうだった。最初のデートでキスされて、二回目のデートで部屋に呼ばれ、ベッドに誘われた。嫌ではなかったから応じた。私は初めてだと伝えていたし、ものすごく緊張していたのに、相手からの配慮はなかったと思う。前戯も僅かで、気持ちが良いなんてこともなく、もちろん達することもなく、痛かった記憶しかない。その人は私では満足できなかったのか、何があったのか、わからないまま連絡は途絶えた。こちらから連絡してみても、相手からの返事はなかった。
 それっきり、この年齢まで誰の温もりも知らずに来てしまっていた。

「お待たせしました、小宮山さん。こちらへどうぞ」

 瑠伊さんの澄んだ声に我に返ると、深呼吸をして心を落ち着かせ、口角を持ち上げた。
 振り返ると、ダイニングテーブルの上にティーカップのセットと切り分けられた抹茶のパウンドケーキが用意されていた。

「わあ。ありがとうございます。素敵なティーセットですね」

 おそらくウェッジウッドのワイルドストロベリー。可愛らしい。ケーキ皿もお揃いだった。
 いただきものの美味しい紅茶があるからと、瑠伊さんは青みのあるグリーンの缶の紅茶を規定の時間を測ってゆっくりと淹れてくれた。
 茶葉の香りと深み、コーヒーも好きだけれど甘いお菓子には、ストレートの紅茶を合わせるのも好きだったりする。瑠伊さんもそうなのかもしれない。

「抹茶のパウンドケーキ、どうぞ召し上がってみて下さい。それで、ぜひご感想をお願いします」

 瑠伊さんはにこにこと、私が試食するのを待っている。私は一口食べると、しっとりして抹茶の程よい苦味と風味も残っていて美味しい、と正直に伝えた。瑠伊さんは手を合わせて愛らしく喜んでいた。
 あくまで試食は口実のはず。早く本題に移ってもらってかまわない。

 瑠伊さんは、紅茶を一口飲むと口を開いた。

「あの、小宮山さんは弟と矢坂が元ホストだということ、弟から聞かれましたよね?」

 そのこと?

「……はい。向井さん……弟さんから聞いています」
「詳しい話も知っていて欲しくて、お誘いしました。……ふたりは、私のためにホストになったんです」

 瑠伊さんは、夢を追っていた友人の借金の連帯保証人になっていたそうだ。債権者である金融業者から突然瑠伊さんに連絡が来た時には、友人は自己破産していて音信不通状態。請求されたのは、とても普通のOLが返済できる金額ではなかったそうだ。

「まさか、テレビドラマみたいな事が本当に自分に起こるとは思ってなくて、浅はかでした。うちは、親が離婚していて片親でしたから母に心配かけたくなくて相談することもできずにいました。その時支えてくれたのが、高校の同級生で当時お付き合いしていた矢坂です」

 矢坂さんも最初は、普通の会社員だったらしい。瑠伊さんから相談をうけた矢坂さんは、多数の飲食店を経営していた親戚を頼って借金の返済の肩代わりをして貰ったそうだが、その代わりに親戚の経営していたホストクラブのホストをするという条件をのんだ。
 それを聞いたコウさんが、身内の責任は身内が取ると言って自分も大学を辞めてホストになったという。そのホストクラブで意外にもふたりは人気が出て、お店も大繁盛。ふたりはいつしか、夜の中瀬町界隈では一二を争うかなり有名なホストにのし上がったそうだ。そして八年間で、支払って貰った借金を親戚に返済しただけでなく、中古マンション代とカフェの運転資金が出るくらい稼いで、親戚に惜しまれながらもふたりは引退。
 コウさんは一般企業に就職し、矢坂さんと瑠伊さんは、瑠伊さんの夢だったカフェを始めた。

 どうしてそんな話を私に?

「ヒロくんは、こんな私のために人生をかけてくれました。私のことお嫁さんにしてくれて、お店も持たせてくれて、本当に感謝しています。……コウちゃんは、昔から少しひねくれた所はありますけど、ごく普通の真面目な良い子なんです。ふたりともホストをしていたからと言って、遊び人とかじゃないですから誤解しないで下さいね。今まで通り、よろしくお願いします」
「もちろんです!」
 
 矢坂さんもコウさんも誠実で良い人だということは、もう十分過ぎるほどわかっている。

「良かったあ。特にコウちゃんのことは、よろしくお願いしますね」

 え? どういう意味で……?

 思わず瑠伊さんを凝視してしまった。
 瑠伊さんは慌てるような素振りをみせた。

「す、すみません、つい。お気になさらず。コウちゃんに余計なお世話って怒られちゃう。小宮山さん、今日のここでのことはコウちゃんには内緒でお願いしますね」
「あ、はい。わかりました」
「小宮山さんは一緒にいるとホッとしますね。つい喋りすぎちゃって。コウちゃんもそう……、あ、そうそう、私が産休になったらお店が人手不足になるので、バイトさんを募集する予定なんですけど、小宮山さんは男性と女性、どちらが良いと思います?」
「私は、どちらでも……特には」
「そうですか? 私は男性が良いかなって思ってたんですけど、コウちゃんがなんでか男はダメだってうるさくて。だからって女性だと……、ヒロくんが浮気する心配はないとは思うんですけど、やっぱり何となく嫌じゃないですか」
 
 瑠伊さんほどの素敵なヒロインでも、まだ決まってもいないアルバイトさんに焼きもちをやくなんて。
 なんて可愛らしい人なんだろう。

 そう思いつつ、私は複雑な気持ちになった。ここに連れて来られた時点でわかってはいたけれど、私のことはまるで警戒していない。嫉妬の対象にすらなっていない。
 私なんてもう安心安全なお姉さん的な存在、多少親しくはなったとは言ってもただの馴染み客でしかないんだ。
 だから、コウさんのことは、いくら瑠伊さんによろしくと言われても素直には喜べない。
 土曜日に会うのは、基本、有料の悩み相談なんだし。デートを匂わされてもその延長でしかないはずだ。なのに、ワンピースを新調した私も私だ。手元の紙袋に目をやって呆れてしまう。
 
 瑠伊さんとのティータイムは、その後、近隣のお気に入りのカフェやスイーツの話などの話題で盛り上がり、始終和やかで楽しかった。瑠伊さんは昔からお菓子作りが大好きだったそうで、夢はパティシエールかカフェで自分の作ったスイーツを出すことだったらしい。仕事をしながらスイーツの勉強を続けていた瑠伊さんの夢は、矢坂さんの協力もあって叶ったのだ。
 その他にもコウさんの子どもの頃の凝り性で負けず嫌いだった話や矢坂さんの高校時代の話なども少し聞いた。やはり矢坂さんは、昔からかなりモテていたらしい。瑠伊さんの心の中は、結婚するまでずっと嫉妬の嵐が吹き荒れていたそうだ。気持ちは十分わかるので、瑠伊さんに心から同情してしまった。

 少しと言いながら、ふたりで紅茶のおかわりをしながら二時間近く話していた。

「すみません、こんな時間まで。せっかくのお休みの日に」
「いいえ。私こそ、とても楽しかったです」
「私も〈葉摘〉さんとお呼びしても良いでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「じゃあ、葉摘さん、今日はありがとうございます。本当に楽しかったわー。葉摘さん、色々なカフェをご存知なんですもん。またご一緒にお茶しましょうね!」
「はい。今日は美味しい紅茶にケーキを、ありがとうございます」

 瑠伊さんは帰りにお土産にと、残った抹茶のパウンドケーキを持たせてくれた。
 
 瑠伊さんとゆっくりお話してみて、私の中で何か納得して収まるものがあって、全ての想いが吹っ切れた気がした。
 そう思えるほど、瑠伊さんはとても素敵な女性だった。
 

 その日の夜、母から珍しく電話が来た。
 お見合いの話だった。
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