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ハロウィーン編
56 本当の宝物
しおりを挟む「よう! クロウ」
サムはいつものように<スカラムーシュ>のドアを開ける。
ジョンが亡霊かと思うほど、弱る時期が来ていた。
毎年クリスマス近くになると、ジョンが闇に沈むのを、サムもシンドバッドも心配していた。
店の奥でデスクにいたジョンが、こちらを見て目を細めた。
「サム、この前は納品を手伝ってくれてありがとう。助かったよ。アイリーンにもよろしく言っておいてくれ。おかげで仕事が早く終わった」
「そうだろ? 美人で仕事もできて少し気が強くて、イケてる女だろう」
「そうだな。おまえにはもったいないほど素敵な女性だ」
「言うと思ったぜ。でも、お似合いだろう? 俺たち」
「おまえを上手く調教してくれそうだ」
「俺は馬かって。アイリーンもクリスマスにうちに来てくれたら良かったんだけどなあ。カップルとひとり身の俺じゃ、寂しい」
「カップル? 違う」
ジョンが弱々しく頭を横に振る。
「おまえ、ここから消えてしまいそうな顔してる。……手を伸ばせば届くところにいるのに。どうして捕まえない。リジーは健気におまえが捕まえてくれるのを待ってる」
「オレなんかに捕まったらダメだ」
「……シンドバッドさんかリジーの母親に単刀直入に言ったらどうだ? リジーが欲しいってさ!」
「馬鹿なこと言うな!!」
「案外喜んだりして」
「止めろ……」
ジョンの顔にさらなる影が宿る。
(良くない兆候だ。リジー、頼む。こいつを救ってくれ)
ジョンは両親の突然の死から立ち直れていない。
特にクリスマスシーズンに強い思い入れがあるのだろう。
もう10年は経っているだろうに。
今年はリジーに支えられ、闇を払拭するかと思っていた。
ところが、何か別の檻に囚われている。
「うちにおまえとリジーが来てくれると連絡したら、母親にスゲー喜ばれた。楽しみにしてるってさ」
「……そうか、帰ったら少しは親孝行しろよ」
ジョンが微かに笑みを見せる。
「ははは、俺に親孝行とかされたら、親は腰を抜かすかも」
サムは軽く笑った。
「なあ、クロウ、アイリーンは実の所、俺を好きだと思うか?」
「突然どうしたんだ? 彼女ならおまえが好きじゃなかったら、徹底的に無視だろう。手だって、触らせやしないんじゃないか?」
「だよな。そうは思うんだけど、少し不安になってさ」
サムはジョンにも自分にも語り掛ける。
「もちろん、態度でわかるけどさ、確実な何かが欲しい。アイリーンを好きになるまでは、恋愛に何も不安はなかった。でも、今は、本当に彼女が俺を好きなのか不安になる。彼女はキスひとつくれない。好きだと言ってもくれない。でも嫌われている感じは全くしない。むしろわざと強がって、俺を好きだという気持ちを恥ずかしくて隠している感じがする。そして、明らかに俺に踏み込まれないように自分をガードしている」
「おまえらしくないな」
ジョンは訝(いぶか)し気な顔をしている。
(おまえも早く気付けよ、ジョン。バカヤロウ)
「彼女に対しては、臆病になってしまうんだ。それだけ本気ってことかな」
「……本気か……。大丈夫。アイリーンとおまえはお似合いだと思う」
(その言葉、そのままおまえたちにも返すよ)
サムは念を送るかのように、ジョンを強く見つめた。
♢♢♢♢♢♢
明日から<スカラムーシュ>は、一足早くクリスマス休暇に入る。
ジョンは、おそらく今年最後と思われる客の相手をしていた。
ビジネススーツを着た初老の男だった。
「このガブリオールのデザインは、ルイ15世が好んだラインです。18世紀のパリ中心に……」
ジョンは、男が熱心に見ていた猫足の優美な椅子の説明をしていた。
「私はこの街に来たばかりでね。すまないが今日は買うつもりはないんだ。また妻を連れて来てみるよ。心安らぐ店だね」
「ありがとうございます。ぜひ、またいらしてください。お待ちしています」
「この街が気に入りそうだ。青空は美しいし、海は近いし、街には活気があり、所々に落ち着いた懐かしい感じの店もある。そして、よそ者でもすぐに受け入れてくれる」
「そうですね。僕もこの街は好きです」
「じゃあ、今度時間のある時に妻と来るから、街の見どころを教えてくれ」
男はそう言って店を出て行った。ジョンは丁寧に見送った。
店の中は、昔の懐かしい思い出を連想させる。温かい光の中はそこだけ時間の経過がわからなくなる。古い木の匂いに包まれると、現在と過去が入り混じるような錯覚を起こす。
今の初老の客は、時間をかけて店の中を隅々まで熱心に見ていた。家具のほかにも壁にある古時計や絵皿、古いブリキやガラスの小物類、アクセサリー、すべて楽しそうに懐かしそうな表情で見て回っていた。
陳列は雑な印象だが、おもちゃ箱から目当ての物を見つけ出す喜びに似ているかもしれない。
掘り出し物を探しに来る固定客も多かった。オーナーであるデイビッドの仕入れは多岐にわたっていて、ジョンも飽きることがない。
店の中を見回すと自分も心が安らぐ。
フリードがいなければ、今の自分と、このすべては無かった。フリードが残してくれたものに自分は支えられ、救われ、生きている。
ジョンは、木製の濃褐色の椅子に座りテーブルの感触を楽しんだ。売り物ではない。家族3人で使っていたものだ。
母親とふたりだけの時は、安い丸椅子と小さなテーブルで食事をしていた。
しかし、フリードは木にこだわった。天然木の食卓テーブルと椅子は狭いアパートメントの一室に大きすぎる代物だったが、無理やり入れられた。フリードは4脚の椅子を楕円型のテーブルにセットすると、ひとつひとつに座ってみた。
『どの椅子に座ろうかな。良いテーブルと椅子だろう? ほら、ジョディもジョンも好きな椅子に座って。アンティークだから、4脚同じものが揃わなくてね』
あの当時、自分は嫌々椅子に座った。フリードは嬉しそうに、テーブルに頬を寄せていた。母親も同じようにやってみせると、フリードはとても喜んだ。若いジョンにはその時はばかみたいに感じられた。
だが、今は……ジョンも頬を寄せる。
そしてリジーも同じように頬を寄せたあの時、確かにフリードの生きた証しを見た。
「ふっ……」
ジョンはひとり思い出し笑いをする。
リジーの慌てた可愛い顔のおまけ付きのこのテーブルと椅子は……自分の宝物。
本当に大切な宝物は、何かわかっている。
本当に手に入れたい宝物も。
「ジョン、ただいま」
ひょっこりと顔を出す、フリードと同じ栗色の髪と瞳を持つ彼女。
「おかえり、リジー」
自分がそう言うと、彼女はパッとランプの灯がともったような明るい笑顔を返してくれる。
何度も繰り返される、何気なくても自分には大切な日々のワンシーン。
「あとで、また来ても良い? 明日イムルおじさんの所へ行くんでしょ? おじさんの所に、私からのクリスマスプレゼントを持って行って欲しいの」
「わかった。待ってるよ。急がなくていい。まだ店は開けてるから」
「うん。ありがとう」
どうして楽しい時は、過ぎていってしまうのだろう。時が止まればいいと誰もが思う瞬間がある。
何度も何度も……。
人は、幸せな夢を見たくて生きているのか。
一度触れて知ってしまった温もりのある夢は放しがたい。
でも現実にならない夢ならば、終わらせたくなくても、いつかは終わらせるしかない。
寂しさに麻痺していた頃に、また戻るのだろうか。
今は養子にならないかと言ってくれるシンドバッドや、自分を気にかけてくれるサムもいる。
たとえ夢を失ったとしても、孤独ではない。きっと耐えられる。
外はだいぶ冷え込んで来ているようだった。人々は足早に通り過ぎる。
また今年もクリスマスがそこまで近づいて来ている。
ジョンは、休暇前に終わらせなくてはならない書類のまとめに集中し始めた。
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