星降る夜のから騒ぎ

名木雪乃

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③ ウサギのロックオン

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「その挨拶は……さすがに変だよ」
「そうですか?」

 まるで、あれだ、初めての夜みたいじゃないか。
 とてつもなく落ち着かない。

 ベッドの上に置きっぱなしだった俺の部屋の浴衣を着たのか。セーターとスカートは、きちんと畳まれて椅子の上にあった。

「で、どっちに寝る? 壁か部屋側か」
「部屋側で」
「そっか。わかった、じゃあ、少しよけてくれる?」
「はい」

 原南さんは大きすぎる浴衣を持て余しながら、ベッドの端に移動した。俺は彼女を見ないようにして、そそくさと掛け布団を持ち上げベッドに入り、壁側に体の正面を向けた。シングルの部屋だったが、ありがたいことにベッドがセミダブルのようで、広さに余裕があった。こうなったら速攻で寝るにかぎる。

「じゃあ、おやすみ」

 一呼吸置いて、

「では、澤木さん、おやすみなさい」

 彼女の可愛らしい小さい声が返ってきた。あの形の良い口から発せられたのかと思ったら、それだけで鼓動が早くなった。
 掛け布団が遠慮がちに少し持ち上がって、彼女が中に入ってきたのがわかった。
 まるで眠れる気がしない。
 恨むぞ、佐久間あくま

「澤木さん、あの、少しの間だけ手を繋ぐのはダメですか? 手が冷たくて」

 は?
 だ、だめに決まってる!
 俺はカイロでも湯たんぽでもない。

 とは思ったが、冷え性と言っていたのを思い出し、

「ふう、手だけなら。どうぞ」

 風呂上がりで火照った左手を彼女の方へ差し出した。
 この角度は横向きの体勢的に非常にキツい。肩がつりそうになり、仕方が無く仰向けになる。

「ありがとうございます。澤木さんは優しいですね」

 そっと握られた彼女の手は本当に氷のように冷たかった。思わずブルってしまった。こんなに冷えているのか、可哀想に。

 なんて考えてはいけない。無心になれ。瞑想、妄想、なんでも良い、集中しろ!
 
 何に?

 そうだ、これは本当に氷だ。
 いや、それにしては柔らかい。
 人形。いや、質感が違いすぎる。
 
「あったかい。澤木さんの手。大きくてあったかくて、包み込んでくれる優しい手です」

 !? 何かに飢えてる感。

 ええええ、ちょっと頬擦りとか、やめてくれ? 俺の手に~。俺の手が彼女の神聖な頬を、汚してしまう!

「だ、それはだめだよ。頬擦りはダメ!」
「す、すみません。あったかくて、気持ちよくて、つい……。嫌でしたよね。冷たい女なんか」
「そうじゃなくて……。きみが、可愛過ぎるんだよ!!!」
「ええっ?」
「だから、このまま、静かに寝よう。布団の中に手を入れてたら、すぐあったかくなるから」

 俺は原南さんの右手を折らない程度にギュッと掴んだ。そして、布団の中で、無理やりMの形にした。

「はい……澤木さん」

 彼女の楽しそうで、柔らかな返事が聞こえた。

 原南さんのひんやりした手をつないでこうして横になり、目を閉じていたら、さっき見た美しい星空が脳裏に浮かんできた。宇宙から見たら地球だって本当に小さな星のひとつで、その中で俺たちが出会ってこうして手をつなぎあっていることが、とても尊いことのように思えた。

「原南さん、俺で良かったら、いつでも手をつないで温めてあげるからさ、これからは甘える相手はよく選んで……。俺は独身だし女の子から甘えられるのは妹で慣れてるから嫌じゃないけど、佐久間みたいな既婚者の上司は立場的にきっと困る。できれば、甘えるなら少しでも好意の持てそうなフリーの異性をオススメする。誤解を生まないためにもね。ごめん、説教じみたこと言って。それじゃ、おやすみ」

 原南さんが控えめに鼻をグズグズさせている音が聞こえた。

 あれ? やっぱり泣かせた?

「澤木さん、わたし、やっぱり、あなたの妹の立ち位置は嫌です」

 ん? 妹? 

 と、急に俺の腕がマシュマロみたいに柔らかくて温かいものに襲われた!!!!

「は、は、らなみ、さ、ん……」

 ふたりの腕の形がMからIに~~
 原南さんが、俺の腕にしがみついてきた!?

 甘えられるのは嫌じゃないとは言ったけど、これは絶対まずい。俺の手の位置が……ヤバイ!!
 脳内出血どころか、体の中の何かが爆発しそうだ!
 頬擦りくらい、許せば良かった~。
 
 て、なんの後悔だ!?

「お、俺のこと試してる?」
「試す? 何を試すんです?」
「オオカミかどうか?」
「食べていただくのは、後日でお願いします」

 うっ、一瞬息が止まった。
 かろうじて心臓はまだ動いている!

 食べるのは後日って、食べるのは後日って!? 脳内でリフレインされる。
 おあずけというやつ?

 そうじゃなくて、目を閉じてるのに、目の前がチカチカして来た。意識を失いそうだ。そうだ、失った方がいい。俺は木だ、木、感情の無い。

「澤木さん……あの、澤木さん……」
「お、や、す、み……。お、や、す、み……。お、や、す、み……」

 俺の名前を呼ぶ、少し騒がしくて甘い声が子守唄になった。俺は彼女に羊を数えるように何度もおやすみ、と、言った気がする。

 その夜、空から、たくさんの星が雪のように降ってくる夢を見た。
 それは、キラキラ、キラキラと俺たちにずっと降り注いで……。



 翌朝、自然の明るさの中で、静かに目が覚めた。
 ベッドの中は程よい温かさでずっと寝ていたいと思ったが、眩い光の方を見て、ギョッとなる。
 そうだった! 昨夜……。
 同衾してしまったんだった。まだそこにいる可愛らしい女性と!!!
 一気に脳が覚醒する。

 彼女、原南さんはすでに昨日の衣服をきちんと着て、窓の外をぼんやり眺めている。
 いつ起きたんだろうか。

 俺も起きないと……。
 体を動かすと、その音に気がついた原南さんが振り返る。

「澤木さん、起きたんですね。昨日はありがとうございました。それから、ご無理をさせて、すみませんでした」

 彼女は、俺をチラリと見てすぐ視線を外すと、モジモジしながら頭を下げた。

 ご無理をって、それ、男のセリフだろう?
 丁寧で面白い女。
 光を浴びた彼女は眩しすぎて、直視できない。

「なんか、まあ、いや、なんとコメントして良いやらだけど。眠れた?」
「はい、ぐっすりと。寝覚めも良かったです」
「そうか。女性は体を冷やしちゃ良くないって聞くから、気をつけて」

 なに言ってんだ、俺。

「はい」
 
 そして、彼女は胸に手をあて、息を整える素振りをすると、

「澤木さん、あの、もし、わたしみたいなこんな身勝手な女でも、その、お付き合いしてもいいと思ってくれるなら、クリスマスの日に、わたしに会いに来て欲しいです。なんて……。クリスマスまでそんな素敵な夢を見させておいてください。だから、さよならは言わないでおきますね。じゃあ、失礼します!! 色々ありがとうございました!」
「えっ!?」
 
 彼女はなにを、言った?

 俺が頭の中を整理する間も与えずに、原南さんはやはり足の早いウサギのように部屋を飛び出して行った。
 唖然とそれを見送る。

 え~~!?
 もしかして、俺、告られた?

 俺のどこが彼女のお気に召したのだろう……?
 彼女は、佐久間が好きなはずだろう?
 
 俺はまだ夢から覚めてないんじゃないかと、のそのそとベッドから這い出て、まずは顔でも洗ってすっきりしようと洗面所に向かった。
 洗面所の鏡にうつる自分の姿を見て、しばらく頭を抱えることとなる。

 きちんととめて寝たはずのワイシャツのボタンが臍あたりまで外れていて、ズボンのファスナーもだらしなく開いていたのだ!

 ちょっと待てよ、俺っ!!!?

 

✳☆✳☆✳☆✳☆


 俺は支店に戻り、その後は通常業務とプロジェクトと、慌ただしくも日常の生活をこなしていた。
 原南さんのことをどうしたら良いかも、もちろん考えていた。
 彼女、本当に本気なんだろうか。

 そんな矢先、十二月も後半のこの時期に、突然、俺は支店長から本社に来年三月までの出向を命じられた。プロジェクトの運営のためとは言われたが……。
 家具付のマンスリーマンションが用意されるらしい。

 出向初日、偶然にもその日はクリスマス。なぜか本社の応接室に呼ばれて行ってみると、にこやかで人の良さそうなサンタのおじいさん的風貌の片山かたやま会長と佐久間と、なんと原南さんが待っていた。片山会長は、一昨年まで社長として我社を引っ張ってくれていた人だが、すでに会長として第一線からは遠ざかっている。

 このスリーショットの意味は?

「澤木くん、きみがこちらでの新規プロジェクトに直接参加してくれて助かるよ。これから、のことも併せてよろしく頼む」

 会長から、丁寧に挨拶される。

「はい……」

 返事はしたが。朋香って、名前呼び?
 佐久間が、ニヤニヤしている。

「朋香さんは、会長のお孫さんだ」
「ええっ!? 会長の!?」

 もしかして、この急な出向、何か反則な手を使ったのか? 原南さんと目が合うと、彼女の目が嬉しそうにクリクリと動く。
 会社での茶系の制服姿の彼女も、妹が昔遊んでいた、ウサギのぬいぐるみのように愛らしい印象だった。
 まあ良いか、っていう気になって来るくらいに。
 もうすっかり彼女にほだされているな。

 それにしても、会長の孫って、据え膳食わずに良かった……って、問題はそこじゃないが。
 なんだ、俺の意思とは関係ないところで、ことは進んでいたんじゃないか。
 笑えるな。

「澤木、朋香さんと会長の関係は、社内でもわずかの人間しか知らないトップシークレットだから、そこのところよろしく」

 意味も無くそこでなぜか佐久間が胸をはる。会長のお気に入りか、おまえ。

「会長、プロジェクトも朋香さんのことも精一杯支えていきたいと思っております」
「うむ」
「朋香さん、後で連絡します 」

 原南さんのつぶらな瞳を見つめて、彼女の下の名前を呼んだ俺の心は、思いのほかすっきり晴れ渡っていた。

「!!」

 朋香さんの目が大きく見開かれて、そして柔和な笑みが返された。

 会長と少し雑談をしてから、佐久間とふたりで応接室を出る。 すぐに佐久間の第一声、
 
「はは、おまえ、朋香ちゃんにロックオンされたな。このヤロー!」

 首を絞めるな首を!!
 佐久間が鬱陶しいことに、ジャレついて来た。

 オオカミの方がウサギにロックオンされるって、どういうことだよ。
 ウサギめ、ご希望通り、いずれ食ってやるからな。

 それはともかく、俺の意思は……すでに決まっていて、このスーツのポケットの中にある。
 俺は、ポケットの中の彼女へのクリスマスプレゼントをギュッと握りしめた。
 手ぶらのサンタクロースでは、さまにならないからな。

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