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外伝 孤城の敵 A start of the Legend
中 器用の仁(ひと)
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「城盗りをしよう」
「お前は何を言ってるんだ」
勝幡城でのある日の夕べのこと。
平手政秀はいつものように、織田信秀と一緒に、政務のあと、酒を酌み交わしていた。
肴に、尾張中村のなかの持って来た胡瓜をぽりぽりと食べ、これからのことや日常のことなど、よしなしごとを話していた。
「隣国を見ろ」
信秀の言う隣国とは、美濃である。
当時の美濃は、長井新九郎(のちの斎藤道三)が嵐のように政に、いくさにと名を上げのし上がり、国主・土岐頼芸に取り入り、稲葉山城をものにしていた。
「見事だ。大丈夫たるもの。かくありたい」
「……大げさだな」
唐土の漢の高祖・劉邦でもあるまいに、と政秀は思った。
だが長井新九郎の破竹の勢いには、目を見張るものがある。
このまま行くと、かの新九郎こそが、美濃の国主になってしまうのではないか、というぐらいの。
「そういう意味でも、城を盗りたい」
「勝手に人の心を読むな、信秀」
信秀には勘の鋭いところがあり、たまに微行に付き合って、博奕に興じる時も、信秀は常に勝った。
何だか知らんが、勝つ方が分かる、というふざけたことを言いながら。
「……まあともかくだ、長井新九郎が国主にならなかったとしても、奴がいる限り、美濃は脅威。用心するに、如くは無し、だ」
「……そうは言ってもなぁ。一体、どの城を盗るというんだ? この尾張、大体が織田だらけだぞ」
国主である斯波氏の守護代を務める織田家。
その織田家はいくつもの家に分かれ、尾張中に「織田」が存在するというのが、現状である。
「……あるではないか。『織田』ではないし、それに『斯波』でもないところが」
信秀はうそぶく。
政秀は渋い顔をした。
実は信秀が言いたいところは分かっていた。
「那古野城、今川氏豊」
言うな、と政秀が思っていたことを言う信秀。
那古野城。
今川氏豊。
今川那古野氏とよばれる人物である。
氏豊の父、今川氏親は、遠江にて、尾張の国主・斯波義達を撃破し、かつて、今川家の一族・今川仲秋という人物が尾張守護だったことを口実に、尾張那古野に城を築いた。
そこへ氏親の末子である氏豊を那古野城に入れ、今川那古野氏の後継と称した。
当時、氏豊には四人の兄がいて、正室・寿桂尼の子である長兄・氏輝は今川家の家督を継ぎ、同じく寿桂尼の子である次兄・彦五郎はその氏輝に万一があった時の備えとして、駿府にいた。
そして三兄の玄広恵探は、側室の福島氏から生まれたため、出家させられていた。
また、四兄の栴岳承芳もまた側室から生まれたが、その側室――母が、どこの誰とも知れない女であるとされ、出家させられていた。
そこで、末子でありながらも、正室である寿桂尼の子・氏豊が、今川家の嫡流の血を継ぐ貴種として、鳴り物入りで、尾張那古野に入ったわけである。
「……たしかに今川氏豊の那古野城は、国主・斯波義達さまの居城や、他の『織田』の城からすると、異色だ。孤立していると言っていい」
「つまりは、孤城か。政秀」
「……そうだ」
だが、と政秀は言う。
だからこそ、今川本家から、駿府からの手厚い支援が予想される。
なるほど、尾張国内という観点からすると、孤城だ。
しかし、その城が盗られたとなれば、どうなる。
「またしても今川家が攻めてくる。それに耐えられるのか、尾張は」
「……今川家の、誰が攻めてくるのだ、政秀?」
「…………」
信秀の問いは、政秀の肺腑をえぐった。
斯波義達を駆逐した今川氏親は、すでに亡くなっている。
嫡男の氏輝は、病弱かつ幼少であるがゆえに、寿桂尼が今川を取り仕切っている。
「しかもだ」
信秀は胡瓜を食べ終わり、蔕をぷっと吹き出す。
「そろそろ氏輝どのに政をやらせよう、という話が出ているらしい」
耳ざとい。
きっと、津島の町の商人らからの話であろう。
つまり、信秀が云いたいのは、今川家はたしかに恐ろしいが、だからといって、頭が落ち着かないようでは、おいそれと尾張にまで手が出せまい、ということだ。
「好機ぞ、政秀」
「……まあ、そうだな」
問題はここからだ。
那古野城は孤城。
とはいえ、孤城であるがゆえに、将兵がそれなりにいる。
「それは、どうするのだ? 信秀」
「ふむ……」
信秀は二本目の胡瓜に手を伸ばした。
がりっ。
勢いよく、齧る音。
うん、旨いと言いながら、もしゃもしゃと咀嚼する信秀。
「…………」
政秀は何も言わなかったが、凝と視ていた。
信秀はそのまま二本目の胡瓜を食べ終わり、手と指をなめてから、ようやくにして答えた。
「おれに連歌を教えてくれ、政秀」
「お前は何を言ってるんだ」
勝幡城でのある日の夕べのこと。
平手政秀はいつものように、織田信秀と一緒に、政務のあと、酒を酌み交わしていた。
肴に、尾張中村のなかの持って来た胡瓜をぽりぽりと食べ、これからのことや日常のことなど、よしなしごとを話していた。
「隣国を見ろ」
信秀の言う隣国とは、美濃である。
当時の美濃は、長井新九郎(のちの斎藤道三)が嵐のように政に、いくさにと名を上げのし上がり、国主・土岐頼芸に取り入り、稲葉山城をものにしていた。
「見事だ。大丈夫たるもの。かくありたい」
「……大げさだな」
唐土の漢の高祖・劉邦でもあるまいに、と政秀は思った。
だが長井新九郎の破竹の勢いには、目を見張るものがある。
このまま行くと、かの新九郎こそが、美濃の国主になってしまうのではないか、というぐらいの。
「そういう意味でも、城を盗りたい」
「勝手に人の心を読むな、信秀」
信秀には勘の鋭いところがあり、たまに微行に付き合って、博奕に興じる時も、信秀は常に勝った。
何だか知らんが、勝つ方が分かる、というふざけたことを言いながら。
「……まあともかくだ、長井新九郎が国主にならなかったとしても、奴がいる限り、美濃は脅威。用心するに、如くは無し、だ」
「……そうは言ってもなぁ。一体、どの城を盗るというんだ? この尾張、大体が織田だらけだぞ」
国主である斯波氏の守護代を務める織田家。
その織田家はいくつもの家に分かれ、尾張中に「織田」が存在するというのが、現状である。
「……あるではないか。『織田』ではないし、それに『斯波』でもないところが」
信秀はうそぶく。
政秀は渋い顔をした。
実は信秀が言いたいところは分かっていた。
「那古野城、今川氏豊」
言うな、と政秀が思っていたことを言う信秀。
那古野城。
今川氏豊。
今川那古野氏とよばれる人物である。
氏豊の父、今川氏親は、遠江にて、尾張の国主・斯波義達を撃破し、かつて、今川家の一族・今川仲秋という人物が尾張守護だったことを口実に、尾張那古野に城を築いた。
そこへ氏親の末子である氏豊を那古野城に入れ、今川那古野氏の後継と称した。
当時、氏豊には四人の兄がいて、正室・寿桂尼の子である長兄・氏輝は今川家の家督を継ぎ、同じく寿桂尼の子である次兄・彦五郎はその氏輝に万一があった時の備えとして、駿府にいた。
そして三兄の玄広恵探は、側室の福島氏から生まれたため、出家させられていた。
また、四兄の栴岳承芳もまた側室から生まれたが、その側室――母が、どこの誰とも知れない女であるとされ、出家させられていた。
そこで、末子でありながらも、正室である寿桂尼の子・氏豊が、今川家の嫡流の血を継ぐ貴種として、鳴り物入りで、尾張那古野に入ったわけである。
「……たしかに今川氏豊の那古野城は、国主・斯波義達さまの居城や、他の『織田』の城からすると、異色だ。孤立していると言っていい」
「つまりは、孤城か。政秀」
「……そうだ」
だが、と政秀は言う。
だからこそ、今川本家から、駿府からの手厚い支援が予想される。
なるほど、尾張国内という観点からすると、孤城だ。
しかし、その城が盗られたとなれば、どうなる。
「またしても今川家が攻めてくる。それに耐えられるのか、尾張は」
「……今川家の、誰が攻めてくるのだ、政秀?」
「…………」
信秀の問いは、政秀の肺腑をえぐった。
斯波義達を駆逐した今川氏親は、すでに亡くなっている。
嫡男の氏輝は、病弱かつ幼少であるがゆえに、寿桂尼が今川を取り仕切っている。
「しかもだ」
信秀は胡瓜を食べ終わり、蔕をぷっと吹き出す。
「そろそろ氏輝どのに政をやらせよう、という話が出ているらしい」
耳ざとい。
きっと、津島の町の商人らからの話であろう。
つまり、信秀が云いたいのは、今川家はたしかに恐ろしいが、だからといって、頭が落ち着かないようでは、おいそれと尾張にまで手が出せまい、ということだ。
「好機ぞ、政秀」
「……まあ、そうだな」
問題はここからだ。
那古野城は孤城。
とはいえ、孤城であるがゆえに、将兵がそれなりにいる。
「それは、どうするのだ? 信秀」
「ふむ……」
信秀は二本目の胡瓜に手を伸ばした。
がりっ。
勢いよく、齧る音。
うん、旨いと言いながら、もしゃもしゃと咀嚼する信秀。
「…………」
政秀は何も言わなかったが、凝と視ていた。
信秀はそのまま二本目の胡瓜を食べ終わり、手と指をなめてから、ようやくにして答えた。
「おれに連歌を教えてくれ、政秀」
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