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第九部 双頭の蛇
54 浮野の戦い 後編
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織田信長率いる二千の兵は、浮野の地にて、岩倉織田家・織田信賢率いる三千の兵と激突した。
「かかれい!」
最初に突撃するのは、やはり十文字槍をしごく「攻めの三左」こと、森三左衛門可成である。
「援護せよ!」
信長も自ら鉄砲を取って、敵を撃つ。
脇に控える橋本一巴もまた「つづけ!」と喚き、鉄砲隊に射撃を命じる。
「よっしゃ、わいも!」
明智十兵衛は、結局浮野までついてくることにした。
信長が、下手に清洲まで戻るよりは、道々、故・斎藤道三の「国譲り状」の意味を聞いた方が、時間の節約になると判断したからだ。
十兵衛としては、実は信長と帰蝶に上洛を勧めに来ていたのだが、信長のただならぬ雰囲気を察し、言うとおりにした。
そして戦場である。
「おりゃっ! 明智十兵衛の遠当て! 食らってみい!」
十兵衛は草地に座り、独特の構えを取って、かなり遠方で指揮を執る、騎乗の将を狙った。
だん、という音が鳴り響いた次の瞬間、その将はもんどりうって、馬上から落ちていった。
「やるのう、十兵衛どの」
鉄砲名人・橋本一巴が感歎の声をあげる。十兵衛は「えへへ」と照れたような笑いを浮かべた。
この二人は、互いが鉄砲打ちということもあってか、いつの間にか意気投合する仲になっていた。
「一巴はんこそ、例の二つ玉、いつ使うんかい?」
早く見たくてたまらない、という表情をする十兵衛に、今度は一巴が照れたように微笑み、「まだまだ……ここぞという時に」と答えた。
*
戦況は、兵数が少ないにもかかわらず、森可成や橋本一巴、そして明智十兵衛の善戦により、五分五分という状況だった。
岩倉織田家の新当主・織田信賢は歯ぎしりをした。
「おのれ……こちらの方が数が上ぞ! それがなにゆえ……」
「落ち着かれませ」
これは津々木蔵人の声である。
彼は、今川義元の肝入りで来たと言って、信賢の参謀役を買って出て、そして岩倉織田家の本陣に鎮座していた。
といって、蔵人にはあまり実戦の経験がない。
柴田勝家と共に守山城の城下を焼き払ったぐらいである。
「多数の兵で押せば、勝てる」
その理屈は分かる。
師・太原雪斎もそう言っていた。
だが、信長は粘る。
異常なまでに。
蔵人はそれを、ただの死に物狂いと断定してしまい、それよりも事前に用意していた「策」をいかに繰り出すかに考えを向けてしまう。
それゆえ、「落ち着かれませ」と言いつつ、そういう己こそ落ち着いていない、蔵人であった。
「……伝令、伝令!」
岩倉家重臣・堀尾泰晴(堀尾茂助の父)が、息せき切って駆けてくる。
信賢は泰晴に聞いた。
「何だ」
「お、恐れ入ります……い、犬山、犬山の織田信清、出兵! こちら浮野に向かっているとの由」
「何い!」
信賢が叫んだ時には、もう遅かった。
岩倉織田家の後方から、喚き声が聞こえる。
「槍の又左、見参!」
……と。
*
前田又左衛門利家は、事前に信長と帰蝶から、犬山城の織田信清の許へ行き、その兵と共に浮野へ駆けつけるように命じられていた。
後世、五大老となり百万石の領主となる彼だが、この時点では多少は名が売れた「槍の又左」という若者であり、信長の率いる本隊にいなくとも、敵から「あいつがいない」と目立つことは無かった。
「そこが、付け目です」
そう帰蝶に笑顔で言われては、利家としても苦笑いをして「そうですな」と答えるしかなかった。
「こたびのいくさの肝じゃ。励めよ、又左」
そして信長がそう言ってくれた以上、もはや断れる術もなく、利家は弟の佐脇良之を信長の本隊に残し、その良之と密に連絡を取り合って、この機に駆けつけたのである。
「うわっはっはっは、征け、者ども!」
犬山城主・織田信清が吼える。信清は千の兵を出した。のちに、信長といさかいを起こして尾張から追放される彼だが、この時点では、妻の犬山殿(信長の姉)の手前もあって、威勢よく出陣した。
いずれにせよ、信長率いる二千の兵が、岩倉織田家の二千の兵を相手に善戦して引きつけ、その背後から、絶妙の機に、信清と利家は襲いかかることに成功した。
「槍の又左の槍を食らいそうらえッ」
「おわッ」
とにもかくにもと、防戦に出た岩倉織田家の家老・山内盛豊(山内一豊の父)が、一撃の下に利家に突き貫かれ絶命する。
その盛豊の死をきっかけに、岩倉織田家は総崩れとなった。
単語
*
「……フン、所詮は内輪もめに興じていた家など、こんなものか」
津々木蔵人は、いつの間にか岩倉織田家の本陣から脱し、そしてかねてから岩倉織田家の兵に混じっていた林弥七郎と合流した。
「弥七郎、ついに時が来たぞ」
「応」
弥七郎は弓を引いて、弾く。
蔵人はそれを見てうなずいた。
「岩倉織田家め……所詮は捨て石」
内紛で家中ががたがたな状態で、あの信長相手に勝てるものか。
他ならぬ今川義元がそう言い切ったため、蔵人もそれを首肯し、それを前提に、この策を立てた。
岩倉織田家は、機を作ってくれればいい。
それだけでいい。
あとは……。
「狙いは……分かっているな、弥七郎」
「むろん」
そのために、敢えて弥七郎は戦闘に参加せず、この場所を探したのだ。
「この場所なら。この場所なら……信長が岩倉織田家本陣へと迫った時に必ず通る」
弥七郎は、視線の先にある窪地に、つがえた矢を向けた。
「そこが、狙い目よ……」
弥七郎にとって信長は、一族の林通具(林秀貞の弟)の仇である。
稲生の戦いで、信長の槍に突き殺されて、あえなく死んだ通具。
その仇である信長を討つ。
でなければ……。
「そう、そこよ」
蔵人が笑う。
今川義元が「厄介」と言った、信長の、信長軍の自慢を断つ。
「さすれば、今はかなわずとも、今川さまが必ず……」
「来た」
弥七郎が鋭く言うと、蔵人は身を伏せた。
*
信長は利家が絶妙の機に参陣し、岩倉織田家を挟撃できたことに満足していた。
隣を併走する橋本一巴に言う。
「やりおるのう、又左は」
「ですなぁ」
信長もまた、利家の突撃に合わせ、全軍を突撃させている最中であった。
前方に窪地が見える。
「よし、あれを通れば」
岩倉織田家の本陣か、と言おうとした時だった。
「織田信長!」
窪地の向こう、何者かが弓をかまえている。
つがえた矢は、あやまたず信長の方へ。
「われこそは林弥七郎なり! 林通具の仇、討たせてもらうぞ!」
「……ぬっ」
今、馬上にて、窪地を行こうと手綱を引いたところである。
つまりは、「固まった」状態の信長に、その好機に、弥七郎は矢を放った。
「くっ」
このままでは、と思った瞬間。
信長の隣にいた橋本一巴が。
一瞬で信長を馬上から引きずり下ろし。
「あっ」
気がつくと、信長に当たるはずだった矢が、一巴の脇腹に。
「一巴!」
倒れる一巴。
受け止めようとする信長。
「悪運の強い奴め!」
弥七郎が二の矢を。
だが一巴もまた、信長を目で制しつつ、そして倒れながらも鉄砲に弾を込めた。
その弾、二つ玉。
二つの弾丸を紙で包み、ひとつの弾として射出する。
それは驚異の破壊力を誇る、一巴の鉄砲術の奥義である。
「食らえ!」
弥七郎のかけ声。
だが一巴の方が一瞬、早かった。
「あ……うあっ」
二の矢をかまえたままの弥七郎の足元の土が爆裂する。
これでは矢を射られない。
一方、一巴は鉄砲を持ったまま、今度こそ地に倒れ、起きることは無かった。
一巴の脇腹から血が止まらない。
そう、一巴は己の体の状態を冷静に把握し、正確に弥七郎を撃つことは困難と断定し、弥七郎の足元を狙った。つまり、弥七郎の弓射を確実に止めることを優先したのだ。
「一巴!」
信長が一巴を抱きかかえる。
同時に、背後にいた佐脇良之に「征け」と命じた。
良之は剽悍な狼のように、弥七郎に襲いかかる。
「よくも橋本さまを!」
「おのれッ! 端武者めが! 邪魔をすな!」
良之の斬撃に、弥七郎も弓を捨てて抜刀して応戦する。
この時、津々木蔵人が潜んでいた茂みから出ようとしたが、何故か出られなかった。
「こ……これが、戦場……」
歯が震えて止まらない。
目の前で弥七郎が命のやり取りをしている。
怖い。
守山城下を焼いた時は、あれはいくさではなく、一方的な火攻めだった。戦っていない。
岩倉織田家の本陣にいた時も、幔幕の中にいて、その戦いを見てはいない。
だが今。
「こんな……中を……伯父上は……義元さまは……」
今川義元はかつて、花倉の乱で自ら陣頭に立って戦い、今川家の家督を勝ち取ったという。
以降、義元は自身が大将のいくさの時は必ず陣頭に立った。
そして今。
「あ……があッ」
弥七郎が良之の右肘を斬った。
激痛に叫び、顔を歪ませる良之。
だが良之は左手に剣を握り替え、さらなる戦闘の意志を示した。
それを見た弥七郎は無言だったが、蔵人は恐怖で叫び出しそうになった。
血まみれなのに。
肘を斬られたのに。
「…………」
そんな蔵人に気づき、弥七郎はひとつ頭を振って、目で「逃げろ」と伝えた。
「す、すまぬ」
蔵人が茂みか出た。
その背後から声が聞こえた。
「林弥七郎、討ち取ったり!」
まさか、と思うが、その時蔵人はつまずき、転び……気づいた時にはとっくにいくさは終わり、とっぷりと暮れた、浮野の夜空の下にいた。
「かかれい!」
最初に突撃するのは、やはり十文字槍をしごく「攻めの三左」こと、森三左衛門可成である。
「援護せよ!」
信長も自ら鉄砲を取って、敵を撃つ。
脇に控える橋本一巴もまた「つづけ!」と喚き、鉄砲隊に射撃を命じる。
「よっしゃ、わいも!」
明智十兵衛は、結局浮野までついてくることにした。
信長が、下手に清洲まで戻るよりは、道々、故・斎藤道三の「国譲り状」の意味を聞いた方が、時間の節約になると判断したからだ。
十兵衛としては、実は信長と帰蝶に上洛を勧めに来ていたのだが、信長のただならぬ雰囲気を察し、言うとおりにした。
そして戦場である。
「おりゃっ! 明智十兵衛の遠当て! 食らってみい!」
十兵衛は草地に座り、独特の構えを取って、かなり遠方で指揮を執る、騎乗の将を狙った。
だん、という音が鳴り響いた次の瞬間、その将はもんどりうって、馬上から落ちていった。
「やるのう、十兵衛どの」
鉄砲名人・橋本一巴が感歎の声をあげる。十兵衛は「えへへ」と照れたような笑いを浮かべた。
この二人は、互いが鉄砲打ちということもあってか、いつの間にか意気投合する仲になっていた。
「一巴はんこそ、例の二つ玉、いつ使うんかい?」
早く見たくてたまらない、という表情をする十兵衛に、今度は一巴が照れたように微笑み、「まだまだ……ここぞという時に」と答えた。
*
戦況は、兵数が少ないにもかかわらず、森可成や橋本一巴、そして明智十兵衛の善戦により、五分五分という状況だった。
岩倉織田家の新当主・織田信賢は歯ぎしりをした。
「おのれ……こちらの方が数が上ぞ! それがなにゆえ……」
「落ち着かれませ」
これは津々木蔵人の声である。
彼は、今川義元の肝入りで来たと言って、信賢の参謀役を買って出て、そして岩倉織田家の本陣に鎮座していた。
といって、蔵人にはあまり実戦の経験がない。
柴田勝家と共に守山城の城下を焼き払ったぐらいである。
「多数の兵で押せば、勝てる」
その理屈は分かる。
師・太原雪斎もそう言っていた。
だが、信長は粘る。
異常なまでに。
蔵人はそれを、ただの死に物狂いと断定してしまい、それよりも事前に用意していた「策」をいかに繰り出すかに考えを向けてしまう。
それゆえ、「落ち着かれませ」と言いつつ、そういう己こそ落ち着いていない、蔵人であった。
「……伝令、伝令!」
岩倉家重臣・堀尾泰晴(堀尾茂助の父)が、息せき切って駆けてくる。
信賢は泰晴に聞いた。
「何だ」
「お、恐れ入ります……い、犬山、犬山の織田信清、出兵! こちら浮野に向かっているとの由」
「何い!」
信賢が叫んだ時には、もう遅かった。
岩倉織田家の後方から、喚き声が聞こえる。
「槍の又左、見参!」
……と。
*
前田又左衛門利家は、事前に信長と帰蝶から、犬山城の織田信清の許へ行き、その兵と共に浮野へ駆けつけるように命じられていた。
後世、五大老となり百万石の領主となる彼だが、この時点では多少は名が売れた「槍の又左」という若者であり、信長の率いる本隊にいなくとも、敵から「あいつがいない」と目立つことは無かった。
「そこが、付け目です」
そう帰蝶に笑顔で言われては、利家としても苦笑いをして「そうですな」と答えるしかなかった。
「こたびのいくさの肝じゃ。励めよ、又左」
そして信長がそう言ってくれた以上、もはや断れる術もなく、利家は弟の佐脇良之を信長の本隊に残し、その良之と密に連絡を取り合って、この機に駆けつけたのである。
「うわっはっはっは、征け、者ども!」
犬山城主・織田信清が吼える。信清は千の兵を出した。のちに、信長といさかいを起こして尾張から追放される彼だが、この時点では、妻の犬山殿(信長の姉)の手前もあって、威勢よく出陣した。
いずれにせよ、信長率いる二千の兵が、岩倉織田家の二千の兵を相手に善戦して引きつけ、その背後から、絶妙の機に、信清と利家は襲いかかることに成功した。
「槍の又左の槍を食らいそうらえッ」
「おわッ」
とにもかくにもと、防戦に出た岩倉織田家の家老・山内盛豊(山内一豊の父)が、一撃の下に利家に突き貫かれ絶命する。
その盛豊の死をきっかけに、岩倉織田家は総崩れとなった。
単語
*
「……フン、所詮は内輪もめに興じていた家など、こんなものか」
津々木蔵人は、いつの間にか岩倉織田家の本陣から脱し、そしてかねてから岩倉織田家の兵に混じっていた林弥七郎と合流した。
「弥七郎、ついに時が来たぞ」
「応」
弥七郎は弓を引いて、弾く。
蔵人はそれを見てうなずいた。
「岩倉織田家め……所詮は捨て石」
内紛で家中ががたがたな状態で、あの信長相手に勝てるものか。
他ならぬ今川義元がそう言い切ったため、蔵人もそれを首肯し、それを前提に、この策を立てた。
岩倉織田家は、機を作ってくれればいい。
それだけでいい。
あとは……。
「狙いは……分かっているな、弥七郎」
「むろん」
そのために、敢えて弥七郎は戦闘に参加せず、この場所を探したのだ。
「この場所なら。この場所なら……信長が岩倉織田家本陣へと迫った時に必ず通る」
弥七郎は、視線の先にある窪地に、つがえた矢を向けた。
「そこが、狙い目よ……」
弥七郎にとって信長は、一族の林通具(林秀貞の弟)の仇である。
稲生の戦いで、信長の槍に突き殺されて、あえなく死んだ通具。
その仇である信長を討つ。
でなければ……。
「そう、そこよ」
蔵人が笑う。
今川義元が「厄介」と言った、信長の、信長軍の自慢を断つ。
「さすれば、今はかなわずとも、今川さまが必ず……」
「来た」
弥七郎が鋭く言うと、蔵人は身を伏せた。
*
信長は利家が絶妙の機に参陣し、岩倉織田家を挟撃できたことに満足していた。
隣を併走する橋本一巴に言う。
「やりおるのう、又左は」
「ですなぁ」
信長もまた、利家の突撃に合わせ、全軍を突撃させている最中であった。
前方に窪地が見える。
「よし、あれを通れば」
岩倉織田家の本陣か、と言おうとした時だった。
「織田信長!」
窪地の向こう、何者かが弓をかまえている。
つがえた矢は、あやまたず信長の方へ。
「われこそは林弥七郎なり! 林通具の仇、討たせてもらうぞ!」
「……ぬっ」
今、馬上にて、窪地を行こうと手綱を引いたところである。
つまりは、「固まった」状態の信長に、その好機に、弥七郎は矢を放った。
「くっ」
このままでは、と思った瞬間。
信長の隣にいた橋本一巴が。
一瞬で信長を馬上から引きずり下ろし。
「あっ」
気がつくと、信長に当たるはずだった矢が、一巴の脇腹に。
「一巴!」
倒れる一巴。
受け止めようとする信長。
「悪運の強い奴め!」
弥七郎が二の矢を。
だが一巴もまた、信長を目で制しつつ、そして倒れながらも鉄砲に弾を込めた。
その弾、二つ玉。
二つの弾丸を紙で包み、ひとつの弾として射出する。
それは驚異の破壊力を誇る、一巴の鉄砲術の奥義である。
「食らえ!」
弥七郎のかけ声。
だが一巴の方が一瞬、早かった。
「あ……うあっ」
二の矢をかまえたままの弥七郎の足元の土が爆裂する。
これでは矢を射られない。
一方、一巴は鉄砲を持ったまま、今度こそ地に倒れ、起きることは無かった。
一巴の脇腹から血が止まらない。
そう、一巴は己の体の状態を冷静に把握し、正確に弥七郎を撃つことは困難と断定し、弥七郎の足元を狙った。つまり、弥七郎の弓射を確実に止めることを優先したのだ。
「一巴!」
信長が一巴を抱きかかえる。
同時に、背後にいた佐脇良之に「征け」と命じた。
良之は剽悍な狼のように、弥七郎に襲いかかる。
「よくも橋本さまを!」
「おのれッ! 端武者めが! 邪魔をすな!」
良之の斬撃に、弥七郎も弓を捨てて抜刀して応戦する。
この時、津々木蔵人が潜んでいた茂みから出ようとしたが、何故か出られなかった。
「こ……これが、戦場……」
歯が震えて止まらない。
目の前で弥七郎が命のやり取りをしている。
怖い。
守山城下を焼いた時は、あれはいくさではなく、一方的な火攻めだった。戦っていない。
岩倉織田家の本陣にいた時も、幔幕の中にいて、その戦いを見てはいない。
だが今。
「こんな……中を……伯父上は……義元さまは……」
今川義元はかつて、花倉の乱で自ら陣頭に立って戦い、今川家の家督を勝ち取ったという。
以降、義元は自身が大将のいくさの時は必ず陣頭に立った。
そして今。
「あ……があッ」
弥七郎が良之の右肘を斬った。
激痛に叫び、顔を歪ませる良之。
だが良之は左手に剣を握り替え、さらなる戦闘の意志を示した。
それを見た弥七郎は無言だったが、蔵人は恐怖で叫び出しそうになった。
血まみれなのに。
肘を斬られたのに。
「…………」
そんな蔵人に気づき、弥七郎はひとつ頭を振って、目で「逃げろ」と伝えた。
「す、すまぬ」
蔵人が茂みか出た。
その背後から声が聞こえた。
「林弥七郎、討ち取ったり!」
まさか、と思うが、その時蔵人はつまずき、転び……気づいた時にはとっくにいくさは終わり、とっぷりと暮れた、浮野の夜空の下にいた。
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