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第六部 生死の別

49 陰謀には陰謀を

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 織田信行は、斯波義銀しばよしかね提唱の信長包囲網に加わることにしたものの、それでも兄・信長にあからさまに敵対すること、をすることは拒否した。

「母上(土田御前どたごぜん)にも誓った。母の子として、はできぬ」

 ところが津々木蔵人つづきくらんどは特に怒りもせず、「うございます」と答えた。
 むしろそうなることを見抜いていたかのように、「では持仏堂にでもおこもりなさいませ」と言った。
 信行は何もしなくていい、全権を蔵人に委任し、全ては蔵人がやった、ということにすればよい。
 それは――信行にとって甘露のように思えた。
 自分は知らずにやった、自分は知らなかった、と言い張れる。
 それは素晴らしい案で、そして義銀にも信長にも言い訳ができる。
 
「うむ、わかった。では任せたぞよ、蔵人」

 信行はつい、その案に手を出してしまった。
 心の弱さと言えばそれまでだが、津々木蔵人の策の巧妙さによるものなのかもしれない。
 こうして、信行は持仏堂にて「謹慎」するようになり、それは妻子すら入れず、ただ蔵人のみが入ることを許された。元々、蔵人は信行の身の回り等の世話をすることを仕事としていたので、信行としてはこれまでとあまり変わらず、それどころか読経三昧の日々を送れると喜んだ。

「――れ者めが」

 蔵人が密かにそう呟いたのを信行は知らない。
 そして、そのときばかりは例の貼りついた笑顔でなく、醜悪な憎悪の表情を浮かべていたことを。



 信長は早速、謀臣である簗田政綱やなだまさつなに、熱田神宮参詣の時、信行は誰にあったのか、何があったのかを調べさせた。
 誰に会ったのか、は特に手間がかかるわけでもなく、わりとあっさりと判明した。
 他ならぬ、熱田神宮大宮司の千秋季忠せんしゅうすえただが、自分が信行と斯波義銀を特別の客殿に案内した、と述べたからだ。

「守護さまだと? 斯波義銀さまだと?」

 そういえば、斯波義銀は清州城を自分に寄越せだの何だの、自己主張が強くなってきている。
 信長としてはその都度つど、重臣である河尻秀隆かわじりひでたかを義銀のもとつかわして、いわゆる「ご機嫌取り」をして、なだめさせた。
 秀隆はこの手の外交的な仕事に向いているのである。

「……で、守護さまと何を話したのか?」

 龍泉寺城築城から類推するに、信長に対する何かを企んでいるようだが。
 簗田政綱としては、ここからが本領発揮である。
 彼は、信行の使いのふりをして義銀の居所に行き、「龍泉寺城は完成間近であり、次は何をしたらいいか教えて欲しい」と聞いた。
 すると、「先に言ったとおり、を維持せよ」と、近侍を通して答えて来た。
 瞬時に政綱は「自分は信行の家来になったばかり」と近侍に信じ込ませ、近侍からの内容を聞き出した。

「斯波義銀さまと信行だけでなく、岩倉織田家、三河の吉良家、美濃の一色義龍、そして海西郡の服部友貞だと……」

 それらが、今川義元の仲介により、斯波義銀を中心として、信長を包囲するとして機能しているという。
 中でも信長は、海西郡の服部友貞に注目した。

「服部友貞の服部党の手引きがあれば、海路、今川は尾張に乱入できるではないか」

 これは厄介なことになったな、と信長はうなった。
 だがまずは信行である。
 信行はおそらく、陸路で今川軍を尾張に入れるためか、あるいはとして、海路の存在を誤魔化すために龍泉寺城を作っている。

「いや待て」

 そこまで考えて、信長はまた少しちがう可能性を感じた。
 いくら服部党の手助けがあるとはいえ、そう簡単に海上から尾張に入れるだろうか。
 知多半島には、水野信元がいる。
 むしろ、本命は陸路か。
 しかし……。

「だが……これ以上は当面の対処をしてから考えるか。よし!」

 信長は家臣たちを集めた。
 森可成もりよしなり、河尻秀隆、前田利家、橋本一巴はしもといっぱ、木綿藤吉、佐久間信盛らである。
 そして。

「斎藤利治、まかりこしました」

「濃、戯れはよせ」

「失礼しました……ほほ」

 最近はすっかり父・斎藤道三の死から吹っ切れた帰蝶である。
 帰蝶は道三の死の直前に、斎藤家の家督と「利治」の名乗りをもらっており、それを冗談めかして言ってみたわけである。
 そしてそんな彼女の発言に、周囲も笑った。
 いるだけで、元気をくれる。
 それが、この頃の信長の家臣たちの間の帰蝶への認識だった。

「さて」

 信長はかいつまんでの説明をした。
 家臣たちからは力攻めの案なり調略の案なりが出たが、帰蝶だけはちがった。

「やはり信行さまでしょう」

「で、あるか」

 それこそが信長の望む案であり、しかしそれを採る前に、彼は敢えて家臣たちに話して語らせた。
 自分が思いついた案よりも良い案がないか、確かめたかったためである。そしてまた、家臣たちの頭でも、確かめて欲しかったかったのである。
 帰蝶もそれを察しており、敢えて家臣たちの様子を見守って、その上で発言したのだ。

「だが濃、信行は持仏堂に籠っていると聞く。それも、あの津々木蔵人が見張っている。どうする?」

 帰蝶の回答は単純明快だった。

「一色義龍の策を用いましょう」

「……おいおい」

 これには信長だけでなく、周囲の家臣たちも苦笑した。
 一色義龍は帰蝶の「兄」であり、弟の孫四郎と喜平次を殺し、ついには道三と敵対してにて討ち果たした。斎藤の名乗りを捨てて、より「高位」と称する一色の名乗りを名乗った。
 帰蝶にとっては仇と言える存在である。
 その一色義龍の、こういう時の策と言えば。

「信長さま、やまいにかかって下さい」

「…………」

 義龍は病と称して孫四郎と喜平次を騙しておびき寄せ、そして斬り殺した。
 この信長にも、それをしろというのか。
 信長は、そういう目をしていた。

「……説明が足りませんでした。まずは信行さまをことが肝要。そのために、土田御前どたごぜんさまを通じ、『病』である旨、伝えましょう」

 いかに津々木蔵人とて、信行の母である土田御前までは拒めまい。
 そして、その土田御前が信行に「出なさい」と言うには、相応の理由が必要だ。

「それが、病というわけか」

「さようです。それと……個人的なことですが、今川義元へのです」

 義龍の弟たちの殺害の策は、今川義元の策によるもの。
 それと同じ策を用いることによって、をする。

「かつ、義元に『いい加減にしろ』と言えます」

「で、あるか……よし、秀隆!」

「はっ」

「使いを命ず。わが母、土田御前に、わがを伝えよ。なお、持仏堂にて蔵人が抵抗するなら、かまわぬ、突破いたせ」

「承知」

 河尻秀隆は一礼して、信行のいる末森城に向かった。
 秀隆は織田信秀の代から仕える家臣である。
 そういう意味でも、信行も無下にできない存在であり、ましてや蔵人がどうこう言おうが、無言の圧力で黙らせることができた。
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