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第六部 生死の別
48 陰謀の担い手
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服部友貞の服部党は、尾張から離れた「島」、「市江島」と呼ばれた地域をねぐらとしている。
地理的に伊勢に近く、伊勢願証寺(本願寺系列の寺)との提携もうかがえるという。
そこを、今川義元が目を付けたのだ。
「海路で尾張に攻め入る。あるいは、伊勢湾を今川の海とする」
*
三河。
岡崎城。
今川義元はこの城にて、三河忩劇と呼ばれる三河国内の争乱の鎮圧にあたっていた。といっても、麾下の松平元康に具体的ないくさを任せ、自身は全体を俯瞰する立場にいた。
さて、その争乱の理由には、積年の今川家と織田家の三河争奪戦の影響や、今川家による検地等々、いろいろと唱えられている。
だが今川義元にとって何よりの理由は「斎藤道三の置き土産」である。
「蝮の道三め、最後の最後に、してやられたわ」
言う割には、不快そうではない。
むしろ、楽しげな表情を浮かべている義元である。
斎藤道三は生前に、美濃の遠山家経由で、足助城の鱸兵庫助を扇動し、この騒乱を巻き起こしたらしい。
らしいというのは証拠がないからだが、義元にとってはどうでも良かった。
「良い機会じゃ……三河の地固め、元康に任せてみよう」
松平元康。
のちの徳川家康であり、この頃には、今川義元の養女(実際は姪)を娶り、正式に今川家の一門衆として名を連ねている。
そしてまた、故・太原雪斎が最後に教えた相手――最後の弟子である。
「征け。そして、己が武を高めてみせよ」
義元はそれだけ言った。
区々たる指示はしない。
弟弟子に全幅の信頼を寄せ、全てを任せたのだ。
元康は勇躍して初陣を遂げ、三河統一に邁進する。
今川家の旗の下に。
その一方で、義元は三河を俯瞰しつつ、尾張をめぐる陰謀に傾注した。
そして今、義元は服部党の服部友貞の調略に成功し、その旨を斯波義銀に書き送ったところだった。
「……大殿におかれましては、三河を制する最中にも、尾張まで手を伸ばしておられるとは」
ちょうど岡崎城に戦況の報告に来ていた松平元康は、感歎の声を上げた。
ちなみに、「大殿」というのは、今川義元はすでに嫡子の今川氏真に家督を譲っているからである。
「うむ。師が亡くなって、予が一人でやらねばならぬからな……いや、予が一人で愉しみを味わっている、というべきかな」
師・太原雪斎はすでに亡く、今川義元の陣営は寂寥の観をぬぐえないが、それでも義元は旺盛に活動していた。
元康は、義元の前におかれた、伊勢・尾張・三河の勢力地図を見る。
「しかし海路とは考えましたな。これでうまくいけば、尾張を攻めずとも、金蔵である津島湊を締め上げられまする」
そういう意味でも、服部友貞を味方にしたことは大きい。
織田信長の収入源である津島に対し、海上から圧力を加えることができる。
「……いや、まだまだじゃ」
義元は扇で知多半島を指す。
「知多の水野。この水軍が居る」
知多半島の覇者・水野信元は、先の村木砦の戦い以来、織田家の側についている。
これある限り、駿河からの今川水軍のみでは、その進軍を妨げられよう。
「そのためにはこの三河の騒動を収め、やはり知多に進軍せねば、なるまいて」
「……恐れ入ります」
「ああいやいや、そういう意味ではないぞよ。気にするな、気にするな」
松平元康は、自身の三河忩劇鎮圧が進まないことには、今川義元の計画が進めないことを気にしたのだが、義元はそうではないと答えた。
「……そも、こたびの策、つまり信長を囲む策も、時間稼ぎに過ぎぬ」
「時間稼ぎ」
「そうじゃ。まずはこの三河の鎮圧。次いで、尾張への海路のとっかかりを作り、いずれ来たるべき尾張平定の策のひとつ、伊勢湾を抑える策のための時間稼ぎよ」
この「信長包囲網」は、本命である尾張平定のための時間稼ぎなのだ――そう、義元は強調した。
「あるいは――布石、と言っても良いのう。あの、織田の小倅を倒すためにのう」
「どうして……」
元康はそこまで言って、つづきを言っていいものかどうか悩んだが、言ってみることにした。
どうしてそこまで義元は、信長にこだわるのか、と。
義元の回答は単純明快だった。
「今、尾張の王は、否、だいぶ前から尾張の王は、織田信秀であり、あの小倅よ」
尾張国内の他の者など、問題ではない。
だからこそ、王たる信秀、そして信長を相手にしているのだ――と。
「思い出してみよ、あの那古野城奪取の手際の鮮やかさ。余人の為せる技ではないわ」
義元の弟・今川氏豊が城主をしていた那古野城。
それを、織田信秀は連歌の相手をしたいと氏豊に取り入り、城内に入れてもらえるようになったところを、機を見て城の内外で呼応して、信秀は那古野城を盗った。
「……別に今川の城、あるいは氏豊の城だったから気にしているのではない。そういう真似ができる男だからこそ、あるいはそういう男がこれはと思って育て上げた男だからこそ、気にしているのだ」
まあ、氏豊の城だったことを気にしている者も、いるにはいるが……と義元は零し、立ち上がった。
「元康」
「はっ」
「予は一度、駿府に戻る」
「えっ」
三河については、この元康に一任されているから分かる。
だが、尾張についてはどうするのだ。放っておくのか。
そんな元康の胸中を知ってか、義元は笑った。
黒く染めた歯を見せて。
「その……尾張への布石は打った。時間は稼いだ。その稼いだ時間を使って、予はいろいろとやるぞ。そのための、駿府帰りよ」
ははは……と哄笑しつつ、義元は元康の肩をぽんぽんと叩き、そして去って行った。
*
「ばかものめが」
織田信長は、柴田勝家からの織田信行の「不穏な動き」を聞き、そう口走った。
彼とて乱世を生きる男である。
大名や国人の兄弟がいかなる運命をたどるものかぐらい、わきまえている。
たとえば今川義元は、花倉の乱で兄・今川良真を自害に追い込んだ。
また、一色義龍は、長良川の戦いの前に、弟である孫四郎、喜平次を殺害している。
そういう事情を踏まえた上で、敢えて信行を生かしたのだ。
兄弟相剋で消耗したくないという事情もあるが、それでも信行を「生かしたい」と思ったのも事実だ。
「ばかものめが」
もう一度そう言ってから、信長は勝家から詳しく事情を聞いた。
「龍泉寺に城を築く、と言われるのです」
龍泉寺は、かつて稲生の戦いの原因となった、信長直轄領の篠木三郷を望む場所にある。
最初に築城を命じられた勝家は難色を示した。篠木三郷を狙っていると思われたら、先の信長への謝罪は何だったのか――と。
「すると、今川に備えるため、と仰る」
「……で、あるか」
龍泉寺は濃尾平野を一望に収めることができる。
また、崖や川に囲まれており、城砦を構築するには適していた。
これを、対今川のため、と言われれば、そうと言えるかもしれない。
勝家の話はつづく。
「そうは言っても、信長さまの許しを。そうでなくとも、最低限、話を通しておくべきでは、と申し上げました」
これに対する回答はにべもなかった。
必要ない、信長に何も言わなくても良い。
なぜならば、この築城の話は――。
「おそれおおくも尾張守護・斯波義銀さまの口から言われたことである、と」
形式上、守護である義銀は信長の上に立つ存在である。
であれば、信長の許しや、話を通しておくことなど、無意味。
「……滅茶苦茶だな」
信長はそう述懐した。
怒りは感じられなかった。
むしろ、信行が何故こんなあからさまな愚行というか反抗的な行動を取るのか、それが不思議でたまらないという感じだった。
そこで勝家は、最後にひとつ、つけくわえた。
「以上の話は信行さまでなく――津々木蔵人によるもの、でした」
「……またあいつか」
うんざりした表情の信長。
それは勝家も同様だった。
信行は何を思ったのか「蔵人に任せる」とのみ告げて、息子の坊丸にも会わずに持仏堂に籠っている。
それは熱田神宮詣でから帰った時から始まっており、勝家としてはせめて一目だけでもと食い下がったが、それは蔵人にさえぎられた。
力任せに突破してやろうかと思ったが、それも林弥七郎という男が弓をかまえていたため、かなわなかった。
林弥七郎。
林通具の縁者であり、弓の名人。通具亡きあとに、蔵人が何を吹き込んだのか、蔵人の言うことを聞くようになり、信行の近侍となっていた。通具の兄である林秀貞は、蔵人が「おわび」として、弥七郎を取り立ててくれたと思って喜んでいた。
それが。
「かようなところで……弥七郎を使うためにか!」
勝家から話を聞いた秀貞は激怒したが、秀貞自身も「善きこと」と弥七郎を祝っていたため、それ以上は何も言えない。
仕方なく、それでも主命であるので龍泉寺の築城は秀貞が引き受け、勝家は密かにこうして信長に会いに来た次第である。
地理的に伊勢に近く、伊勢願証寺(本願寺系列の寺)との提携もうかがえるという。
そこを、今川義元が目を付けたのだ。
「海路で尾張に攻め入る。あるいは、伊勢湾を今川の海とする」
*
三河。
岡崎城。
今川義元はこの城にて、三河忩劇と呼ばれる三河国内の争乱の鎮圧にあたっていた。といっても、麾下の松平元康に具体的ないくさを任せ、自身は全体を俯瞰する立場にいた。
さて、その争乱の理由には、積年の今川家と織田家の三河争奪戦の影響や、今川家による検地等々、いろいろと唱えられている。
だが今川義元にとって何よりの理由は「斎藤道三の置き土産」である。
「蝮の道三め、最後の最後に、してやられたわ」
言う割には、不快そうではない。
むしろ、楽しげな表情を浮かべている義元である。
斎藤道三は生前に、美濃の遠山家経由で、足助城の鱸兵庫助を扇動し、この騒乱を巻き起こしたらしい。
らしいというのは証拠がないからだが、義元にとってはどうでも良かった。
「良い機会じゃ……三河の地固め、元康に任せてみよう」
松平元康。
のちの徳川家康であり、この頃には、今川義元の養女(実際は姪)を娶り、正式に今川家の一門衆として名を連ねている。
そしてまた、故・太原雪斎が最後に教えた相手――最後の弟子である。
「征け。そして、己が武を高めてみせよ」
義元はそれだけ言った。
区々たる指示はしない。
弟弟子に全幅の信頼を寄せ、全てを任せたのだ。
元康は勇躍して初陣を遂げ、三河統一に邁進する。
今川家の旗の下に。
その一方で、義元は三河を俯瞰しつつ、尾張をめぐる陰謀に傾注した。
そして今、義元は服部党の服部友貞の調略に成功し、その旨を斯波義銀に書き送ったところだった。
「……大殿におかれましては、三河を制する最中にも、尾張まで手を伸ばしておられるとは」
ちょうど岡崎城に戦況の報告に来ていた松平元康は、感歎の声を上げた。
ちなみに、「大殿」というのは、今川義元はすでに嫡子の今川氏真に家督を譲っているからである。
「うむ。師が亡くなって、予が一人でやらねばならぬからな……いや、予が一人で愉しみを味わっている、というべきかな」
師・太原雪斎はすでに亡く、今川義元の陣営は寂寥の観をぬぐえないが、それでも義元は旺盛に活動していた。
元康は、義元の前におかれた、伊勢・尾張・三河の勢力地図を見る。
「しかし海路とは考えましたな。これでうまくいけば、尾張を攻めずとも、金蔵である津島湊を締め上げられまする」
そういう意味でも、服部友貞を味方にしたことは大きい。
織田信長の収入源である津島に対し、海上から圧力を加えることができる。
「……いや、まだまだじゃ」
義元は扇で知多半島を指す。
「知多の水野。この水軍が居る」
知多半島の覇者・水野信元は、先の村木砦の戦い以来、織田家の側についている。
これある限り、駿河からの今川水軍のみでは、その進軍を妨げられよう。
「そのためにはこの三河の騒動を収め、やはり知多に進軍せねば、なるまいて」
「……恐れ入ります」
「ああいやいや、そういう意味ではないぞよ。気にするな、気にするな」
松平元康は、自身の三河忩劇鎮圧が進まないことには、今川義元の計画が進めないことを気にしたのだが、義元はそうではないと答えた。
「……そも、こたびの策、つまり信長を囲む策も、時間稼ぎに過ぎぬ」
「時間稼ぎ」
「そうじゃ。まずはこの三河の鎮圧。次いで、尾張への海路のとっかかりを作り、いずれ来たるべき尾張平定の策のひとつ、伊勢湾を抑える策のための時間稼ぎよ」
この「信長包囲網」は、本命である尾張平定のための時間稼ぎなのだ――そう、義元は強調した。
「あるいは――布石、と言っても良いのう。あの、織田の小倅を倒すためにのう」
「どうして……」
元康はそこまで言って、つづきを言っていいものかどうか悩んだが、言ってみることにした。
どうしてそこまで義元は、信長にこだわるのか、と。
義元の回答は単純明快だった。
「今、尾張の王は、否、だいぶ前から尾張の王は、織田信秀であり、あの小倅よ」
尾張国内の他の者など、問題ではない。
だからこそ、王たる信秀、そして信長を相手にしているのだ――と。
「思い出してみよ、あの那古野城奪取の手際の鮮やかさ。余人の為せる技ではないわ」
義元の弟・今川氏豊が城主をしていた那古野城。
それを、織田信秀は連歌の相手をしたいと氏豊に取り入り、城内に入れてもらえるようになったところを、機を見て城の内外で呼応して、信秀は那古野城を盗った。
「……別に今川の城、あるいは氏豊の城だったから気にしているのではない。そういう真似ができる男だからこそ、あるいはそういう男がこれはと思って育て上げた男だからこそ、気にしているのだ」
まあ、氏豊の城だったことを気にしている者も、いるにはいるが……と義元は零し、立ち上がった。
「元康」
「はっ」
「予は一度、駿府に戻る」
「えっ」
三河については、この元康に一任されているから分かる。
だが、尾張についてはどうするのだ。放っておくのか。
そんな元康の胸中を知ってか、義元は笑った。
黒く染めた歯を見せて。
「その……尾張への布石は打った。時間は稼いだ。その稼いだ時間を使って、予はいろいろとやるぞ。そのための、駿府帰りよ」
ははは……と哄笑しつつ、義元は元康の肩をぽんぽんと叩き、そして去って行った。
*
「ばかものめが」
織田信長は、柴田勝家からの織田信行の「不穏な動き」を聞き、そう口走った。
彼とて乱世を生きる男である。
大名や国人の兄弟がいかなる運命をたどるものかぐらい、わきまえている。
たとえば今川義元は、花倉の乱で兄・今川良真を自害に追い込んだ。
また、一色義龍は、長良川の戦いの前に、弟である孫四郎、喜平次を殺害している。
そういう事情を踏まえた上で、敢えて信行を生かしたのだ。
兄弟相剋で消耗したくないという事情もあるが、それでも信行を「生かしたい」と思ったのも事実だ。
「ばかものめが」
もう一度そう言ってから、信長は勝家から詳しく事情を聞いた。
「龍泉寺に城を築く、と言われるのです」
龍泉寺は、かつて稲生の戦いの原因となった、信長直轄領の篠木三郷を望む場所にある。
最初に築城を命じられた勝家は難色を示した。篠木三郷を狙っていると思われたら、先の信長への謝罪は何だったのか――と。
「すると、今川に備えるため、と仰る」
「……で、あるか」
龍泉寺は濃尾平野を一望に収めることができる。
また、崖や川に囲まれており、城砦を構築するには適していた。
これを、対今川のため、と言われれば、そうと言えるかもしれない。
勝家の話はつづく。
「そうは言っても、信長さまの許しを。そうでなくとも、最低限、話を通しておくべきでは、と申し上げました」
これに対する回答はにべもなかった。
必要ない、信長に何も言わなくても良い。
なぜならば、この築城の話は――。
「おそれおおくも尾張守護・斯波義銀さまの口から言われたことである、と」
形式上、守護である義銀は信長の上に立つ存在である。
であれば、信長の許しや、話を通しておくことなど、無意味。
「……滅茶苦茶だな」
信長はそう述懐した。
怒りは感じられなかった。
むしろ、信行が何故こんなあからさまな愚行というか反抗的な行動を取るのか、それが不思議でたまらないという感じだった。
そこで勝家は、最後にひとつ、つけくわえた。
「以上の話は信行さまでなく――津々木蔵人によるもの、でした」
「……またあいつか」
うんざりした表情の信長。
それは勝家も同様だった。
信行は何を思ったのか「蔵人に任せる」とのみ告げて、息子の坊丸にも会わずに持仏堂に籠っている。
それは熱田神宮詣でから帰った時から始まっており、勝家としてはせめて一目だけでもと食い下がったが、それは蔵人にさえぎられた。
力任せに突破してやろうかと思ったが、それも林弥七郎という男が弓をかまえていたため、かなわなかった。
林弥七郎。
林通具の縁者であり、弓の名人。通具亡きあとに、蔵人が何を吹き込んだのか、蔵人の言うことを聞くようになり、信行の近侍となっていた。通具の兄である林秀貞は、蔵人が「おわび」として、弥七郎を取り立ててくれたと思って喜んでいた。
それが。
「かようなところで……弥七郎を使うためにか!」
勝家から話を聞いた秀貞は激怒したが、秀貞自身も「善きこと」と弥七郎を祝っていたため、それ以上は何も言えない。
仕方なく、それでも主命であるので龍泉寺の築城は秀貞が引き受け、勝家は密かにこうして信長に会いに来た次第である。
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