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第六部 生死の別
47 信長包囲網
しおりを挟む尾張。
熱田神宮。
社殿にての参詣のあと、そのまま織田信行は尾張守護・斯波義銀と共に、特別の客用の客殿へと、まるで連れ去られるように同行させられた。
津々木蔵人と共に。
そこで聞かされたのは、またしても同じ、あの話であった。
「信行よ、お前の叔父の信光はな、お前の兄の信長に殺されたのじゃ」
織田信光はかつて、織田信長を補佐して、守護代の織田信友を倒した。
しかし、倒したあとに、暗殺されてしまう。
その暗殺が信長の手によるものという話である。
それは、もう蔵人に聞いた。
しかも、稲生の戦いのあと、母・土田御前の前で「ちがう」と信長に言われた。
何となく信行も、暗殺が信長の指図によるものという話を怪しいと思っていた。
それゆえ、「そうですか」と答え、この話は終わりにすることにした。
だが、義銀は終わりにできないらしい。
「けしからん! 信光は、あの守護代・信友を倒した功臣である!」
義銀の父・義統は守護代の織田信友により自害に追い込まれた。
義銀から見て信友は父の仇であり、信光は仇を討ってくれた功臣という理屈である。
「いやしかし」
信行はそこまで聞いて、信光死去は不慮の事故のようなもので、しかも今、義銀は信長に擁立されて守護としての地位にいられるのでは、という趣旨の発言を述べた。
「それとこれとは別じゃ!」
何が別なのか。
そもそも、義銀は何がしたいのか。
信行としては混乱するばかりで、あと、そろそろ帰りたいと思って蔵人の方を振り返ると、彼は貼りついた笑顔をしていた。
まずい。
そう思った時は遅かった。
義銀はいつの間にか信行の肩をつかんで引き寄せる。
「密の話があるのじゃ、信行。密の話が」
「信行さま、かしこくも守護さまのお話ですぞ」
そう言われると弱い。
信行の、秩序重視の性格を見抜いた、蔵人の後押しである。義銀への。
「……このままでは信長、増長しかねん! そこで予は考えた」
本当に、義銀が考えたことなのだろうか。
芝居がかった言動の義銀に、信行はそう思う。
「そこで予は考えた……信長を包囲するのじゃ」
「包囲」
「そうよ。信行、この前の稲生の戦いではようやった。でも、それだけでは駄目だ。駄目だったのじゃ」
義銀は懐中から尾張の地図を取り出した。
そして岩倉織田家を指し示す。
「岩倉の織田はまあ……お家騒動のようじゃから、まあ牽制役がせいぜいじゃな」
「はあ……」
岩倉織田家は、当主・織田信安が、長男の織田信賢を廃嫡して、次男の信家を嫡子にしようと目論んでおり、それが今、内紛状態を生んでいる。
次いで、義銀は津島の南、海西郡を指した。
「海西郡の国人、服部友貞」
この服部友貞が、義銀の謀に味方するという。
これには信行もうなった。
服部友貞の服部党の根拠地、海西郡――そこは、地理的に尾張から陸続きではない「島」と言える土地だった。そして、いわゆる輪中と呼ばれる地帯であり、水路を張り巡らされている。
しかも海に面している。
その服部党が味方するということは。
「もしや……海上から何かを」
「そうよ」
こともなげに義銀は「今川義元の水軍よ」と告げた。
「今川!? さ、されど守護さまにおかれましては、前に、三河での吉良さまとの会合にて、吉良さまと今川さまとは不仲に……」
こんな話がある。
今川義元も、三河忩劇と呼ばれる三河の国人の争乱と大混乱に手を焼き、一時だけでも織田信長と和睦をするか、という話になった。
信長としても美濃の斎藤道三討ち死にによる勢力減を考慮して、その話に乗ることにした。
ただ、お互いが直接に和睦するというのも抵抗があるので、信長は尾張国主である斯波義銀、義元は三河の名家である吉良家の吉良義昭を表に出した。
そして上野原という地で会盟の段となったが、義銀も義昭も、互いが名門、名家ということもあり、お互いが譲らず、どちらもかまえた陣地から一歩も動かず近づかず、結局、一町ほども離れた位置での「対面」をした、という体を取って、お互いに解散をした。
これにはさすがの義元もあきれたと聞いているが。
「そうではなかった、と」
「ふりじゃ。当り前よ」
義銀は得意げに、その吉良家もこの謀に加わっていると言う。
「それだけではない。美濃の一色とやらも入っている。これは義元どのの差配よ」
その話が正しいとすると、信長は岩倉織田家、津島の斯波義銀、海西郡の服部友貞、三河の吉良義昭、駿河の今川義元、ついでに美濃の一色義龍から包囲されていることになる。
「どうじゃ、信行」
さしもの信行も、ここまで来れば、義銀の言いたいことが分かる。
「おぬしもこの……信長包囲網に加わらんか?」
*
斯波義銀は実はかつて、今川義元と密会し、「お飾りの守護で良いのでござるか? 予は心配でたまらぬ」と言われたという。
また、「織田信光は信長の手により始末された」とも。
以来、信長はいつまで津島にいろというのか、清州の城を譲ってくれないのかという自問にとらわれた。
ついには、義銀に「味方するはず」の織田信光を始末されたせいだと思うようになった。
そうこうするうちに、義元からまた書状が来たという。
「それが……この信長包囲網を示唆してくれた。予は震えた。そして……この包囲網完成時に、予と服部友貞が、海路、今川水軍を引き入れる」
「さ、さようなことをなぜ私に」
「分からんか」
義銀は義元の書状を見せた。
それには、四方八方から信長を囲み、最後に織田信行を味方につけて、陸路の方の今川軍を迎え入れろと記されていた。
「な、な、こんな……」
こんなことが、と言おうとする信行の背後から、津々木蔵人の声。
「お受けなさいませ」
「だ、だが……兄とは……もう……」
「そこが信長さまの甘さです。否、信行さまの運の強さです」
「う、運だと……」
「ええ。こうして神仏を崇め奉って、守護さまに唯々従うという恭順……まさに嘉したもうものとして、信行さまを生かしたのです」
滅茶苦茶な理屈だったが、実は信行に守護・斯波義銀の言うことを聞けとさりげなく言っている。
「信行よ」
そこへ、義銀がたたみかけるように信行に迫る。
「何も予は信長を始末しろと言っているわけではない。最初に言うたとおり、増長を何とかしたい。懲らしめたいだけじゃ。そして……守護は守護らしく、予は清州の城に入り、尾張の国を治めたいだけじゃ」
だけ、と言っているが、その「だけ」のために、たとえば信行の父・織田信秀などは、どれだけ苦労を重ねたと思っているのだ。
だがそんなことより、このままではたしかに兄・信長は窮地に追い込まれよう。
というか、兄・信長を当主とする織田弾正忠家が追い込まれる。
義銀は「懲らしめたいだけ」と言っているが、今川義元あたりは平然と攻め滅ぼしてくるだろう。
直近で信長と戦った一色義龍なども、嬉々として兵を出すかもしれない。
このままでは……。
「わ、わかり申した」
こうなっては、もはやいかぬ。
ここで信長包囲網に加わっておけば……という苦渋の判断だった。
……信行の背後で、津々木蔵人がまた、貼りついた笑顔をしていた。
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