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第七部 相剋の戦(いくさ)
43 稲生(いのう)の戦い 後編
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織田信長は本陣にて、迫り来る柴田勝家の軍を目の当たりにしていた。
稲生の戦いと呼ばれるこの合戦において、最高潮といわれる場面である。
信長は眦を決し、ただ、言った。
「かかれ」
今、この場の本陣には槍持ちなどの非戦闘員を含めて四十人ばかりしかいない。
だが、その四十人の中に、「攻めの三左」森三左衛門可成と「小豆坂七本槍」織田信房がいた。
「おらあっ」
可成が十文字槍を力任せに振り回し、近寄る勝家軍の将兵を薙ぎ倒す。
瞠目する勝家軍の将兵。
その中の大将格、「土田の大原」という将を見つけた信房は、早速に大原に組み付き、すぐに討ち取ってしまう。
「大原の首、この織田信房がいただいた!」
これには勝家軍の将兵も動揺した。
「お、大原さまが……」
「あんなに、あっさり……」
勝家軍の将兵は静止状態となり、通常なら勝家の命令なり一喝なりで戦闘状態に復するところであるが、その勝家が前田利家と戦闘中で、そこまではできない。
信長は叫んだ。
「われは織田信長なり! 貴様ら、何でわれに逆らうか!」
「……ひっ」
「ひえっ」
いかに柴田勝家が率いる将兵とはいえ、元を正せば織田弾正忠家の将兵であり、その織田弾正忠家の長は織田信長である。
しかも、信長はこれまで、村木砦を落としたり、長良川で撤退したものの、敵を退けることには成功していたり、その勇名は轟いている。
それが、その信長が、大喝したのだ。
「ち、ちがいます」
「われら、言われて仕方なく」
及び腰になった勝家軍の将兵。
信長が一歩、前に出る。
ずしん。
そう、聞こえたような気がした。
退いていく勝家軍の将兵。
勝家はその光景を遠目に見ていたが、麾下の将兵をとがめず、むしろ、ある男のことを思い出していた。
「平手の親爺……」
故・平手政秀も、ここぞというところでは、あのように重い「一歩」を踏み出していた。
「分かったよ、親爺……この場は退こう」
政秀は、生きていた。
信長の裡に、生きていた。
涙する勝家に、利家も何かを察したのか、それ以上は槍を振るわず、ただ黙って見送っていた。
*
「権六は何をやっておるのじゃ! まったく、情けない!」
権六とは、柴田権六勝家のことである。
林秀貞軍の、秀貞の弟の林通具は、憤懣やるかたない様子だった。
さすがに秀貞は、退いていく勝家に「何かあったな」と感じて兵を抑えようとしていたが、通具はそんな兄にかまわず、一隊を率いて、強引に信長軍へと迫っていった。
「かかれ! かかれ! 今日から『かかれ』は、おれが二つ名よ!」
これからは「かかれ林」だと叫ぶ通具に、信長軍の黒田半平という武将が挑みかかった。
「林美作守通具どのとお見受けする! われこそは黒田半平、いざ、尋常に、尋常に勝負!」
「しゃらくさい!」
通具としては、退いたとはいえ勝家軍が手薄にした信長軍を一蹴したいところである。
それが、このような端武者に邪魔されるとは。
「片腹痛いぞ! このおれを、侮るな!」
言うだけのことはあって、通具は何合かの末、半平の左手を斬り落とす。
「ぐあっ」
「はあっ、はあっ、それ見たことか! 端武者は下がって……」
ところが通具は、次の瞬間、信じがたい光景を見た。
信長が自ら槍を取って、通具に襲いかかる光景をだ。
「……なっ、なっ! お、織田信長!」
「応よ。われは織田信長なり! 美作、尋常に勝負じゃ!」
「うっ、あっ」
半平は敗れたとはいえ、通具の足止めをするという重要な働きを成し遂げていた。
そして通具を息切れさせるという働きも。
「隙あり!」
「があっ」
通具は信長の槍に突かれて絶命した。
勢いに乗る信長は、そのまま秀貞の本陣へと向かう。
「われにつづけ!」
「応!」
前田利家、森可成、織田信房らも勇躍して秀貞軍へと襲いかかる。
こうなるとたまらないのは秀貞である。
「くそっ! こんな……こんなことになるとは……」
秀貞の軍は大崩れとなり、四百五十人あまりが討ち取られてしまい、敗走した。
ちなみに、その四百五十人のうちに、角田新五の名もあり、守山城をめぐる一連の騒動が、織田信行あるいは津々木蔵人の手によるものと証明された。
*
……結局のところ、信長と信行は和解することになった。
それは、信長と信行の母である土田御前が、事前に信長から書状をもらっていたこともあって、勝者である信長も、これには従わざるを得なかった。
信行は、柴田勝家、林秀貞、そして津々木蔵人を伴い、清州城を訪れ、そこで正式に謝罪した。
「弾正忠と称するのはやめ、以後、武蔵守とします」
「で、あるか」
兄弟の対面はあっさりと終わった。
信長は、信行の弾正忠自称を取りやめることを自身に認めさせ、それを以て決着とした。
信長としても、これ以上いくさをつづけて損耗することを避けたいという思惑と、やはり津々木蔵人に騙されていたのではという、兄ならではの配慮もあって、それで終いとしたのである。
「もう、こりごりだ」
それが信行の素直な心境であった。
よくよく考えれば、兄・信長とはいくさではなく、徐々に状況を作り上げ、隠居なり出家なりしてもらうつもりでいた。
討ち取るとかそういうことは、あまりしたくなかった。
それを津々木蔵人が……。
「……いやいや、私自身の裡に弱さがあった。蔵人は、私の望みをかなえようとしたに過ぎない」
それに、林秀貞や柴田勝家も不問に付している以上、直接に兵を率いていない蔵人を処罰するわけにいかない。
さすがの信長も、蔵人をにらみつけるにとどめ、それ以上は何もしなかったことだし。
末森城に帰った信行は、母の土田御前に謝意を述べ、今後は父・信秀が深く信仰していた白山信仰に邁進し、神仏を拝むことを誓った。
「そうだ。熱田神宮にも菅公(菅原道真のこと)の画を寄進するか」
元々、こういう古くからのものを崇めることに熱心な信行である。ちょうどいい機会だと思い、早速に画を描かせて、それを持参して熱田に向かうことにした。
「供をさせていただけますか」
ここで意外にも、蔵人がそういう申し出をしてきた。
蔵人は、清州城での謝罪以来おとなしいもので、秀貞や勝家にも常に平伏して接していた。
そこまですることは無いと秀貞も勝家も言ったが、それを変えることはなかった。
もしかしたら、目を合わせづらいかもしれないな、と信行は思い、蔵人にも気晴らしが必要だろうとも思った。
そして。
「……では、許す。供をしてくれ」
つい、信行はこう言ってしまった。
それが信行の運命の分水嶺だった。
一度は救われた命だったが、この熱田行きにて、出会った人物により、あるいは、またしても津々木蔵人により。
彼、織田信行の命運を大きく変えることになるのだが、この時は知る由もない。
稲生の戦いと呼ばれるこの合戦において、最高潮といわれる場面である。
信長は眦を決し、ただ、言った。
「かかれ」
今、この場の本陣には槍持ちなどの非戦闘員を含めて四十人ばかりしかいない。
だが、その四十人の中に、「攻めの三左」森三左衛門可成と「小豆坂七本槍」織田信房がいた。
「おらあっ」
可成が十文字槍を力任せに振り回し、近寄る勝家軍の将兵を薙ぎ倒す。
瞠目する勝家軍の将兵。
その中の大将格、「土田の大原」という将を見つけた信房は、早速に大原に組み付き、すぐに討ち取ってしまう。
「大原の首、この織田信房がいただいた!」
これには勝家軍の将兵も動揺した。
「お、大原さまが……」
「あんなに、あっさり……」
勝家軍の将兵は静止状態となり、通常なら勝家の命令なり一喝なりで戦闘状態に復するところであるが、その勝家が前田利家と戦闘中で、そこまではできない。
信長は叫んだ。
「われは織田信長なり! 貴様ら、何でわれに逆らうか!」
「……ひっ」
「ひえっ」
いかに柴田勝家が率いる将兵とはいえ、元を正せば織田弾正忠家の将兵であり、その織田弾正忠家の長は織田信長である。
しかも、信長はこれまで、村木砦を落としたり、長良川で撤退したものの、敵を退けることには成功していたり、その勇名は轟いている。
それが、その信長が、大喝したのだ。
「ち、ちがいます」
「われら、言われて仕方なく」
及び腰になった勝家軍の将兵。
信長が一歩、前に出る。
ずしん。
そう、聞こえたような気がした。
退いていく勝家軍の将兵。
勝家はその光景を遠目に見ていたが、麾下の将兵をとがめず、むしろ、ある男のことを思い出していた。
「平手の親爺……」
故・平手政秀も、ここぞというところでは、あのように重い「一歩」を踏み出していた。
「分かったよ、親爺……この場は退こう」
政秀は、生きていた。
信長の裡に、生きていた。
涙する勝家に、利家も何かを察したのか、それ以上は槍を振るわず、ただ黙って見送っていた。
*
「権六は何をやっておるのじゃ! まったく、情けない!」
権六とは、柴田権六勝家のことである。
林秀貞軍の、秀貞の弟の林通具は、憤懣やるかたない様子だった。
さすがに秀貞は、退いていく勝家に「何かあったな」と感じて兵を抑えようとしていたが、通具はそんな兄にかまわず、一隊を率いて、強引に信長軍へと迫っていった。
「かかれ! かかれ! 今日から『かかれ』は、おれが二つ名よ!」
これからは「かかれ林」だと叫ぶ通具に、信長軍の黒田半平という武将が挑みかかった。
「林美作守通具どのとお見受けする! われこそは黒田半平、いざ、尋常に、尋常に勝負!」
「しゃらくさい!」
通具としては、退いたとはいえ勝家軍が手薄にした信長軍を一蹴したいところである。
それが、このような端武者に邪魔されるとは。
「片腹痛いぞ! このおれを、侮るな!」
言うだけのことはあって、通具は何合かの末、半平の左手を斬り落とす。
「ぐあっ」
「はあっ、はあっ、それ見たことか! 端武者は下がって……」
ところが通具は、次の瞬間、信じがたい光景を見た。
信長が自ら槍を取って、通具に襲いかかる光景をだ。
「……なっ、なっ! お、織田信長!」
「応よ。われは織田信長なり! 美作、尋常に勝負じゃ!」
「うっ、あっ」
半平は敗れたとはいえ、通具の足止めをするという重要な働きを成し遂げていた。
そして通具を息切れさせるという働きも。
「隙あり!」
「があっ」
通具は信長の槍に突かれて絶命した。
勢いに乗る信長は、そのまま秀貞の本陣へと向かう。
「われにつづけ!」
「応!」
前田利家、森可成、織田信房らも勇躍して秀貞軍へと襲いかかる。
こうなるとたまらないのは秀貞である。
「くそっ! こんな……こんなことになるとは……」
秀貞の軍は大崩れとなり、四百五十人あまりが討ち取られてしまい、敗走した。
ちなみに、その四百五十人のうちに、角田新五の名もあり、守山城をめぐる一連の騒動が、織田信行あるいは津々木蔵人の手によるものと証明された。
*
……結局のところ、信長と信行は和解することになった。
それは、信長と信行の母である土田御前が、事前に信長から書状をもらっていたこともあって、勝者である信長も、これには従わざるを得なかった。
信行は、柴田勝家、林秀貞、そして津々木蔵人を伴い、清州城を訪れ、そこで正式に謝罪した。
「弾正忠と称するのはやめ、以後、武蔵守とします」
「で、あるか」
兄弟の対面はあっさりと終わった。
信長は、信行の弾正忠自称を取りやめることを自身に認めさせ、それを以て決着とした。
信長としても、これ以上いくさをつづけて損耗することを避けたいという思惑と、やはり津々木蔵人に騙されていたのではという、兄ならではの配慮もあって、それで終いとしたのである。
「もう、こりごりだ」
それが信行の素直な心境であった。
よくよく考えれば、兄・信長とはいくさではなく、徐々に状況を作り上げ、隠居なり出家なりしてもらうつもりでいた。
討ち取るとかそういうことは、あまりしたくなかった。
それを津々木蔵人が……。
「……いやいや、私自身の裡に弱さがあった。蔵人は、私の望みをかなえようとしたに過ぎない」
それに、林秀貞や柴田勝家も不問に付している以上、直接に兵を率いていない蔵人を処罰するわけにいかない。
さすがの信長も、蔵人をにらみつけるにとどめ、それ以上は何もしなかったことだし。
末森城に帰った信行は、母の土田御前に謝意を述べ、今後は父・信秀が深く信仰していた白山信仰に邁進し、神仏を拝むことを誓った。
「そうだ。熱田神宮にも菅公(菅原道真のこと)の画を寄進するか」
元々、こういう古くからのものを崇めることに熱心な信行である。ちょうどいい機会だと思い、早速に画を描かせて、それを持参して熱田に向かうことにした。
「供をさせていただけますか」
ここで意外にも、蔵人がそういう申し出をしてきた。
蔵人は、清州城での謝罪以来おとなしいもので、秀貞や勝家にも常に平伏して接していた。
そこまですることは無いと秀貞も勝家も言ったが、それを変えることはなかった。
もしかしたら、目を合わせづらいかもしれないな、と信行は思い、蔵人にも気晴らしが必要だろうとも思った。
そして。
「……では、許す。供をしてくれ」
つい、信行はこう言ってしまった。
それが信行の運命の分水嶺だった。
一度は救われた命だったが、この熱田行きにて、出会った人物により、あるいは、またしても津々木蔵人により。
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